濾沽湖は麗江から北東に約300km,四川省との境界に位置しており,湖の面積の1/3は四川省に含まれている。標高は2690m,面積は約50km2,平均水深は45m,透明度は11mと中国では珍しい水の澄んだ湖である。
周囲は険しい山に囲まれており,外界から隔絶されてきたため周辺の民族には古い時代の習俗が残っている。美しい湖とともにこの少数民族の人々の文化は,中国だけではなく海外からの旅行者をひきつけている。
湖周辺に住むモソ人というナシ族系の少数民族は母系性社会を保持していることで知られている。一家の主は年長の女性で,財産は母から娘へと受け継がれる。婚姻形態は阿中(アチュー)婚と呼ばれる独特のものである。
女性は年頃になると娘部屋が与えられ,気に入った男性ができると自分の部屋に招き入れ夜を過ごす。男性が女性の家に同居することはなく,翌朝には男性は自分の実家に戻るというものだ。
子どもは母方の家で女主人の監督下で育てられる。このような習俗は観光のキャッチフレーズになるらしく,パンフレットには「東方女児国」と記載されていた。
麗江(220km)→濾沽湖 移動
麗江(09:30)→一気の下り→小休止(10:45)→3000mの村(12:10)→昼食(13:00-1400)→入域料徴収所(15:25)→展望台(16:25)→濾沽湖(17:00)とバスで移動する。
本来ならこのルートは,麗江→永勝→寧浪→濾沽湖となるはずだが,どうも新しい道路ができたようで永勝は確認できなかった。寧浪は寝ているあいだに通過したらしい。
宿から3路のバス停まで歩き,ミニバスで麗江客運站に向かう。大型バスは定刻にほぼ満席状態で出発した。10時を過ぎたあたりから九十九折の道を一気に下る。
峡谷の風景は素晴らしい,時々集落も見える。しかし,席は最後尾の通路側なので写真にならない。はるか下に金沙江と橋が見える。バスは金安橋(1440m)でトイレ休憩となった。30分ほどで1300mほど下ってきたことになる。
バスは再び峡谷の道を上り出す。3000mの高地に達するとイ族の村がある。このあたりは歩いてみたいところだ。12:30に比較的広い谷あいの村(2400m)を通過する。緩斜面は見事な農地になっている。道路の舗装状態は良くない。上下と前後の揺れと振動が連続している。舗装の良い区間に入ると振動はピタッとおさまる。
昼食休憩→濾沽湖 移動
昼食は小さな村の食堂でとることになったが,とても混雑しているうえに,料理の名前が分からないと注文できない。麗江の宿でおばさんからいただいたバナナを感謝しながらいただく。
14:45にイ族の村を通過した。ここでは水田の準備作業が行われている。ビニールを被せた苗代もいくつか見える。この先は盆地のような地形になっており村が次々と現れる。この地域の畑も見事に整備されている。
15:23にイ族の村(2650m)があり,小学校では子どもたちが塀を作るための石を運んでいる。そのすぐ先には濾沽湖の入域料を徴収するゲートがある。料金は78元,もちろん地元の人はフリーである。
中国人の若い女性が支払いのことでもめている。本人は地元の,もしくは濾沽湖地域の出身ということで支払いを拒否しているが,徴収所のスタッフは納得せず15分ほど待たされた。どうせなら,もう少し村に近いところにゲートを作って欲しい。
このゲートは濾沽湖からかなり離れたところに設けられている。バスはいくつかのイ族の村を通り,さらに3300mの峠を越える。16:25に濾沽湖を見下ろす展望台の近くで10分ほど停車してくれた。
V字に開けた谷の上の展望台からは濾沽湖の2/3くらいが見える。吐布半島とその先端にある里務比島の向こうに台形状の女神山が見える。このサービスはとてもありがたい。どこからともなく子どもたちが現れ,乗客に何かをねだっている。これはちょっといただけない。
摩梭(モソ)風情園
バスは17:00に濾沽湖の東側にある落水地域に到着した。宿は湖沿いにあるので最後までバスの乗っていると,モソ風情園の前まで行ってくれた。
モソ風情園は立派な門構えの伝統的な木造の家屋が並んでいる。家の壁はログハウスのように半切りの丸太の丸い部分を外側にして積み上げたようになっている。瓦屋根の四隅は少し反りあがっており,ナシ族の家屋と共通している。
湖側の建物の部屋は8畳,2ベッド,T/S共同,TVも付いており部屋はホテル並みの設備である。これで30元なのですぐOKを出した。
夜はけっこう冷え込むので電気毛布がついているのもありがたい。ただし,トイレは少し離れた(夜になると誰もいなくなる)厨房の近くにあり,懐中電灯持参で行かなければならない。
モソ風情園の庭には数本のリンゴの木があり,満開の花が楽しめる。薄いピンクのつぼみが開くと真っ白い花になる。木はそれほど高くないのでごく間近から花を眺めることができる。花の寿命はとても短い。夜に少し風が吹くと翌朝の庭は雪でも降ったように真っ白になっていた。
1階は商店・食堂・土産物屋になっている
モソ風情園は落水地域の北の外れにあり,ここから南にあるボート乗り場までがツーリストエリアになっている。湖岸の道路沿いにはホテル,民族風味食堂,土産物屋などが隙間無く並んでいる。寧浪から永寧に向かう幹線道路はこのエリアの少し西側を通っている。
この地域も建設ラッシュになっている
現在ほとんど農地になっている道路と湖の間の地域は大規模な観光開発が進んでいる。数年後に再訪したら,この辺りの景色は一変していることだろう。
腰機をあつかう女性
湖岸の建物はほとんどモソ風情園と同じ造りになっている。中国の観光地はやることが徹底している。民族服のおばさんが腰機(こしばた)を使ってマフラーを織っている。使用しているのはヤクの毛のようだ。作業を見ているとおばさんは「写真を撮りなさい」と言ってくれる。
湖から少し突き出したところに仏塔がある
夕暮れの濾沽湖は光の具合か観光写真のような蒼には見えない。落水から見ると尼瓦満半島の向こうに女神山がそびえている。ボート乗り場の手前の少し突き出た所には柳の木と白いチョルテンが並んでいる。ここもチベット仏教圏に属しているようだ。
早朝の濾沽湖
電気毛布のおかげで快適に眠ることができた。夜9時を過ぎるととても静かになる。湖の波だけが規則正しく低い音を響かせている。早朝は気温が低いので冬服を着て外に出る。
朝日はすでに顔を出しており,かろうじて一枚撮ることができた。少し雲は多いものの天気は良さそうだ。女神山も少し赤く染まっている。近くの食堂で包子,おかゆ,ゆで卵の朝食をいただく。
この岩山のどこかに男子禁制の神聖な洞窟があるという
女神山,青く輝く湖面,そして小舟
今日は湖の東側の道を北に行けるところまで歩くつもりだ。日が高くなると湖の色に変化が出てくる。まるで空の青が湖面に写ったような青色である。時間が経つにつれて湖の青色はますます鮮やかになる。
小舟が静かな湖面に浮かんでいる。エンジンが無いので湖面を乱すことは無い。女神山,青く輝く湖面,そして小舟,見事に調和した光景である。小さな土手により湖から切り離された池がある。ここも雲が水面に写りなかなかの演出効果である。
湾のような地形になっている水面の色がすごい
湖岸の道路は次第に高くなる。湖側は森林地帯になり視界が悪くなる。女神山が小さな半島に遮られるようになる。次に視界が開けたとき,正面に女神山がそびえ,湖は尼瓦満半島と里格島に囲まれた池のようになっている。
湖面の色は鮮やかなコバルト・ブルーである。この色を写真にしようとしたが容易ではない。いろいろ角度を変えてトライしてみたが,満足のゆくものは得られなかった。
馬に乗ってこの風景を眺めるツアーもある
永寧に向かう道から離れ竹地海の北側の道を歩いていく。観光客が地元の人に引かれた馬に乗ってこちらにやってくる。濾沽湖ではこのような楽しみ方もできるようだ。
女神山の西側には農地が広がる
竹地海は一応青く見えるが水質はそれほどきれいではない。北側と西側の平地ではいっせいにジャガイモの植え付けが行われている。この辺りはイ族の人々の耕作地となっている。
3-4人が一組になり,男性が牛に鋤を引かせ溝を作る。その後を一人が種芋を置き,一人が有機肥料をまき,一人が畑をならしている。土はひどく乾燥しており,風が吹くと土ぼこりがひどい。この日は10mを越す風が吹き,帽子を押さえ,背中で風を受ける場面が何回かあった。
道の横におばあさんと孫が坐っている
畑の北側には集落があり,そこに向かう道の横におばあさんと孫が坐っている。赤い土の上なので子どもの服は泥色に染まっている。おばあさんはイ族の人がよく使用しているパイプをふかしている。
写真を撮らせてもらい,お礼にこどもにフーセンをあげる。集落にはほとんど人の気配がない。今はジャガイモの植え付けのため,みんな畑に出ているようだ。
小さな子どもが3人おとなしく地面に坐っている
畑に戻ると小さな子どもが3人おとなしく地面に坐っている。少し遠くから写真を撮っても特に変化は無い。しかし,フーセンをプレゼントしようとして僕が近づくと一人が泣き出してしまう。
畑からお母さんがやってきたので,彼女から子どもたちに渡してもらう。これでようやく子どもたちとも母親たちとも仲良くなれる。
お母さんはときどき子どもの様子を見に来る
よく見ると畑には同じような子どもたちがたくさんいる。畑の溝を踏まないように移動し,子どもたちの写真を撮る。するとたいていの母親は一緒に撮ってと子どもたちと一緒に座り込む。
集落の家におじゃまする
何組かの子どもたちを撮っているとお昼の時間になり,みんな集落のほうに戻っていく。僕も一組の家族の家に堂々とおじゃまする。
ここは大家族制が残っている。家は複数の建物がLの字もしくはコの字に配置されており,周囲は家の壁もしくは土壁で囲まれている。
いろりのある建物の中には水場と低いイスとむしろがあるだけだ。若い男性がいろりの灰の中からジャガイモを取り出してくれた。ジャガイモの焼き芋である。
熱いのをがまんして皮をむき,食べる。とてもおいしい。食べ終わると次のものが掘り出され,つごう3個もいただいてしまった。このジャガイモと塩味のスープがみんなの昼食である。
この家には2人の小さな子どもがいたので,水をもらいヨーヨーを作ってあげる。すると若い人たちがこれを気に入り5個作ることになった。昼食のお礼を言って,今度は竹地海の西側を目指す。
変わった頭飾りをしたイ族の女性
竹地海の西側でも同じ光景が広がっていた。何十組かの家族がひたすらジャガイモを植えている。ここではジャガイモを切って植えることはない。一個をそのまま使用している。
有機肥料は家畜の敷きワラ,ふん尿,針葉樹の葉などを混ぜたものである。まだ植え付けの終わっていない畑には,有機肥料の山が点々と並んでいる。
集落の道沿いにリンゴの古樹がある
西の集落の近くには見事な枝振りのリンゴの古樹が花を咲かせていた。日本の果樹園のリンゴのように横方向にくねくねと枝を伸ばしている。
ここの集落の家は湖岸のものよりログハウスに近い。家畜を守るためであろうか,家の周囲を板塀で囲っているところもある。この地域も森が残されているので木造家屋文化が受け継がれている。
黒い物体が水の中に顔を付け何かを食べている
竹地海の岸辺は湿地になっている。水辺には黒い物体が水の中に顔を付け何かを食べている。ちょっと苦労して近づくとそれは豚の群れであった。どうやら水中の藻のようなものを食べているらしい。生活雑排水の流入により,この水域は見た目以上に汚れている。
竹地海の南側小学校|低学年の教室
永寧と落水を結ぶ道路を濾沽湖方面に戻る途中,小学校を見つけた。低学年の教室は先生がいなかったので,中に入り写真を撮る。
ここにいる子どもたちはみんなイ族の子どもたちであろう。しかし,顔立ちからではまったく判断はできない。服装も現代化しており,漢人の子どもと言われても違和感は無い。
竹地海の南側小学校|休み時間には上級生も加わる
休み時間になると上級生が僕の周りに集まってくる。ちょっと人数が多いので男女別の集合写真にする。だいたい,男子は好き勝手なポーズをとるので集合写真には向かない。
そのための自衛策として僕は男女別の集合写真という技を編み出した。はい,女の子はかわいく撮れました。男の子は,あれっ,ここの男の子はとても行儀がいい。
摩梭民族博物館
落水地域のツーリストエリアの西側に摩梭民族博物館がある。ここでは午後7時頃からモソ人の踊りが見られる。少し早い時間に行き,まず博物館を見学する。
内部にはモソ人の古い生活道具などが展示されている。また,モソ人の家や部屋を再現したものがあり,民族服の女性がモソ人の生活について中国語で説明してくれる。
盛装のモソ人の男女がかがり火の周りを回る
中庭には4方向に観客席が設けられ,中央には大きなかがり火が焚かれる。暗くなってから若い盛装のモソ人の男女が手をつなぎ,その周りを音楽に合わせてステップを踏みながら回る。
女性の服装は,横に広く結い上げるとともに一部を腰まで垂らした髪,ビーズと花の髪飾り,チベット風の袖の長い上着と白いスカート,カラフルな帯という組み合わせである。夕方,博物館に出勤してくるときは毛皮を羽織っていた。
なかなか華やかな踊りであるが,近くに寄れないので良い写真にはならない。しかし,中国人は観光客は司会者の制止を振り切って踊りの輪の中に入り写真を撮る。そのうち,飛び入り自由になり会場はいろいろな人が入り乱れてステップを楽しむようになる。
プーアール茶,発酵させ型で成型する
博物館の1階には土産物店になっている。ここの物価は高く,プーアール茶を撮ろうとした制止された。観光客目当ての土産物屋なのに写真禁止とは解せない。