亜細亜の街角
昨日は半袖,今日は冬服
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安順(アンシュン)  (地域地図を開く)

貴州(グイジョウ)は雲南省,四川省,重慶市,湖南省,広西チワン族自治区に囲まれており,面積17万km2,人口3870万人の省である。別名を「黔(qian)」といい,省内ではよくこの文字を目にする。

地形は500m-2000mの山地が多く,ほとんど平地は無い。バスで移動していてもひたすらゆるやかな起伏の山が続いている。この地域は中国の歴史を通して最も貧しい辺境の地であり,その状況は現在でもそれほど変わっていない。

貴州省は「天に三日の晴れ無し,地に三里の平地無し,民に三分の銀も無し」という言葉がある。平地が少なく,雨や曇りの日が多い辺境の地を的確に言い表している。

省都の「貴陽」という名前も「太陽が貴い」という意味であり,それほど天候に恵まれない地域ということである。貴州省にはミャオ族,プイ族,トン族,イ族などの少数民族が多く,ここでは漢人はマイノリティになっている。

この辺境の地も大きく変わろうとしている。成都→重慶→貴陽→南寧→湛江を結ぶ「中国西南出海高速道路」が2001年に完成したためである。

この1709kmの高規格道路(そのうち1015kmは高速道路)は西部大開発の交通インフラ整備の重要プロジェクトとして建設され,内陸の成都市や重慶市と中国南部の沿海部を直結する大動脈となる。

また成都→西昌→昆明→景洪を結ぶ高速道路が建設中であり,昆明→貴陽間も早晩,高規格道路で結ばれることになるであろう。

安順市は昆明と貴陽の間に位置する人口70万人の都市である。中心部は近代的な街並となっており,公園なども整備されている。その周辺部は再開発中でいたるところに工事現場がある。周辺に黄果樹,天星橋,竜宮などの風景区があり,観光の町としても注目されている。

濾沽湖(300km)→麗江(600km)→昆明 移動

濾沽湖(09:10)→麗江(17:15)(19:00)→昆明(05:00)(19:00)→安順(12:30)とバスを乗り継いで2泊3日の移動となった。09時過ぎに濾沽湖の汽車站に行くと麗江行きのバスは動き出す準備をしていた。

寧浪から昆明行きのバスがあれば乗り換えるつもりだったので,とりあえず寧浪までのチケットを買う。バスは湖岸の道路を一周して乗客を集め,再び汽車站に戻ってきた。

バスは快調に山道を上り,峠を過ぎてからは慎重に下っていく。寧浪には12:30に到着し昼食休憩となった。ここの客運站で昆明行きのチケットを買おうとすると,「今日の便はないよ」とあっさり断られた。

どうも毎日は運行していないようだ。ここまで乗ってきたバスの運転手にチケットを見せ,麗江までの差額を渡してそのまま乗り続けることにした。

寧浪から金沙江にかかる橋までは起伏に富んだ山越えのルートであるが,進行方向左側の席は太陽がまぶしい上に,ほとんど山側の斜面を見ることになりずいぶん不公平な道であった。

最後の上りは九十九折のため,4割くらいは谷側の風景を眺めることができた。このルートは濾沽湖に向かったときとは異なっており,2つの道があるのかもしれない。

19:15に麗江客運站に到着した。昆明行きは19:00発なので近くの食堂で水餃子をいただく。これでは少し足りなさそうなので客運站の前で焼きジャガイモを買いバスの車内でいただく。

バスの車内はしばらく乗客の歌で盛り上がっていたが,そのうち静かになった。寝台バスは動いているときには寝れるのに,停車すると寝られなくなるのはちょっと不思議だ。バスは早朝05:00に昆明汽車站に到着した。

昆明(556km)→安順 移動

早朝の05時にBSに到着してもこれは困る。乗客の大半はそのまま横になっているので,僕もそれにならう。枕元では女性たちのおしゃべりが続きやかましい。06:30に乗客はバスから追い出される。貴陽行きの寝台バスが駐車場の列に入ろうとしている。チケット窓口で貴陽行きの時間をたずねると19:00発の1本だけだという。

それでは列車はどうだろうと,駅で時刻表を買ってチェックしてみる。午前中の最も早い10:04発のものでも安順到着は19:15である。到着が少し遅れると困ったことになるので,夜行便のバスにする。

実は安順行きのバスなら他にもあったかもしれない。そのときは貴陽行きに乗り,安順で下車することしか念頭になかったので,そのままチケットを買う。料金は117元なのでずいぶん安い。少し前に寝台バスを見ているので,臥車であるかどうかを確認しなかったのは大きな失敗の原因となった。

汽車站に荷物を預け昆明の街を歩くことにする。近くの食堂で朝食をとっていると歯の被せ物がとれてしまう。今回の旅行は歯の不具合にずいぶん悩まされた。

そのままでは旅行を続けられないので,地元の人に「牙科」の診療所はないかとたずね,駅の近くの歯医者で取り付けてもらう。料金は2本分で70元である。これで何とか貴州を回ることができる。

15:00頃,客運站に戻りザックの上で日記を書く。発車30分前にバスのところに行くとそれは普通の大型バスであった。運転手はフルリクライニングだから寝られるよとなぐさめてくれるが,寝台との差は歴然である。

バスの中ではジャッキー・チェンの神話という映画を上映している。ストーリーがさっぱり分からない。昔の単純ではつらつとした彼の映画を知る者としてはとても悲しい。

01:30に身分証と荷物検査があった。たぶん雲南と貴州の省境なのであろう。どちらの公安かは分からないが,検査は細かいところまで徹底している。僕は外国人ということで何も無かったが,中国人の荷物はすべて開けさせられた。

07:00に山の上の一軒家で停車する。ここにはトイレと水があり顔を洗える。標高は1500m,見える限り平地はなく,斜面の一部は段々畑になっている。出発のとき確認した到着時間の10:00を過ぎても一向に安順の文字は現れない。11:30に分岐点があり昆明516km,貴陽138kmと表示されている。12:30にようやく安順に到着した。

昔(虫へんに昔)染綜合市場招待所

汽車站ではなく路上で降ろされたため自分のいる場所が地図上で分からない。2回地元の人に聞いて列車駅と市街地を結ぶ南貨路に出る。

予定していた「貴州職工之家」は新しいホテルにするため改装中である。他の安宿情報はないので少し歩いて探すことにする。昔染綜合市場があり入口のところに「招待所」の表示がある。中に入り左横の階段を上がって招待所に到着する。

こんなところで外国人が泊まれるのかと心配していたら,受付の女性はあっさり部屋に案内してくれた。部屋は8畳,1ベッド,T/S共同,まあまあ清潔である。トイレと洗面所も清潔で,頼めばホットシャワーも利用できる。料金は25元なのでとてもコスト・パフォーマンスが良いところだ。

公安でビザを延長する

安順は3日ほど滞在する予定なのでビザ延長を申請する。手続きが簡単な麗江で申請しようとしたら,「期限の1週間前からでないと受け付けられない」とあっさり断られた。滞在期限はあと8日なので受け付けてもらえるだろう。

宿から塔山北路の公安に行くと,ビザ延長は中貨北路の近くの公安に行けと言われた。場所が良く分からないのでタクシーの運転手にさきほどもらったメモを見せて行ってもらう。

ここの外事科の職員の一人は英語を話せる。「どこに泊まっているのか」と聞かれ宿のメモを出すと,彼は宿のほうに電話をする。「中国を旅行するのに十分な金は持っているか」と聞かれ,ドルの現金とクレジットカードを提示する。

「中国を旅行するには1日100$は必要だよ,今の宿はあまり安全でないね」と追い討ちがくる。どちらも余計なお世話というものだ。

さらに,「写真はもっと大きいもので背景は青でなければならない。一応この小さい写真は預かっておくが,受け取りまでに指定の写真を用意しておきなさい」などとさんざん言われ,結論として2日後に受領できることになった。あ〜,疲れた。

職を待つ日雇いの人々も多い

ロータリー近くの公園は老人憩いの場となっている

あぶらげか生あげをあぶっている

顔が似ているので姉妹かな

黄果樹大瀑布を見に行く

7時に起床する。昨夜は普通バスのためよく寝られなかったので,その分を取り戻すようによく寝た。宿代は毎日払いなので出かける前に支払う。宿の前の南貨路を南に行くと長途汽車站がある。

汽車站で黄果樹行きのチケットを買うと,ミニバスは8分後の発車だという。運転手の隣で風景をチェックする。町並みが途切れると石灰岩地帯特有の円錐形の岩山が林立するようになる。平地の一部では泥田ができている。

ミニバスは100キロ以上の速度で飛ばす。人や動物,荷車が通る道なのでこれは危険レベルだ。幸いバスは何事もなく黄果樹の村を抜け,風景区管理処の駐車場に到着した。帰りの終バスは18:40らしい。

近くに掲示板があり,大瀑布90元,天星橋50元,その他の瀑布40元となっている。ホテルの受付のような場所で黄果樹大瀑布の入場券を買おうとしたら,メモに「無水」と書かれた。渇水期のため滝の水が無いようだ。さすがに水無しの滝には90元は払えないので天星橋風景区に行くことにする。

ここから風景区までは6km,ミニバスが走っていないので歩くことにする。少し行くと白水河沿いの広大な斜面が段々畑になっており,その上に白っぽい家が固まった集落がある。

大瀑布の下流側にあたる川の水はほとんど流れていないので本当に無水のようだ。自動車用の道路以外には道がないのでかなり遠回りになる。

大瀑布は水が無いので天星橋風景区を見ることにする

天星橋風景区まではしばらく歩くことになる

水が枯れた白水河の風景

白水河沿いの広大な斜面が段々畑になっている

白っぽい家が固まった集落は布依族の滑石硝村

布依民族保護村|滑石硝と記されている

集落の前を通ると,「中国第一个布依民族保護村 滑石硝」という看板が掲げられた小屋付きの門がある。門も小屋もほとんどが石でできている。屋根の垂木ともやは木を使用しているが,屋根そのものは石で葺いている。

村の家のほとんどはこのような造りになっている。屋根は厚さ1cmくらいの石版が使用されている。このあたりでは頁岩のように薄く剥離する岩があるようだ。

布依族のおばあさんがちょうど通りかかった

前の通りを紺の上着,茶色のズボン,紺の前掛け,頭には紺色の布を巻いたおばあさんが刈り取ったえんどう豆の本体を持って歩いていく。たぶんこれが布依族の民族服なのだろう。

■調査中

カーブを曲がりきれず三輪車が横転している

ここで河川の水量を調整している

王二河との合流点は堰になっており,一部の水は川沿いの側溝を勢いよく流れていく。方向からしてたぶん天星橋用の水に利用されるのだろう。合流部の手前には橋がかかっており,対岸にも黄果樹村に通じる道がある。

対岸の岸壁には無数の穴があいている

合流点から先の白水河はようやく息を吹き返しささやかな流れになっている。川沿いには石灰岩の崖が続き,そこには風化により無数の穴が穿たれている。

■調査中

天星橋に通じる川なのだろう

天星橋風景区に到着する

天星橋の入口でチケットを買い中に入る。川沿いに石灰岩地帯があり,その間をできるだけ自然の景観を損なわないように歩けるようにしている。多くは水と石灰岩を組み合わせた風景で,10cmほど水面から顔を出した跳び石を渡っていくところも多い。

この石は数生歩と名付けられており,1月1日から1日刻みの日付プレートが飛び石に埋め込まれている。日付を追っていくと,いろいろなところで石灰岩の作り出す造形の妙を楽しむことができるという趣向である。

池と新芽の取り合わせ

数生歩にしたがって奥の方に入っていく

これは自然のトンネルである

前を行く中国人観光客のガイド

水と竹林の組み合わせは中国の原風景の一つだ

周辺は石灰岩の岩山となっている

自然が彫り上げた獅子像

大きな池が終点と思ってしまった

大きな池と東屋がありその先に道路に出る小道がある。小道の両側は土産物屋になっており,その先には観光バスがたくさん停車している。なるほどここが終点かと納得し,ついでということで道路を入口と反対側に歩いてみる。

しばらく行くとロープウエーの駅があり,奥の方に向かっている。ようやく,天星橋はあの大きな池の先にも続いていることに気が付く。再び大きな池に戻り,道をチェックすると,東屋の横を抜ける道がある。

土産物を売る地元の人々

ロープウェーの駅がある

この池の先にも風景区は続いていた

垂れ下がった花序と池の取り合わせが絶妙である

天星洞景区

再び景区の中を歩き出す。後半の景区は荒々しい自然が見どころである。池を抜けると石の橋があり下は水の枯れた谷になっている。大きな岩が谷をふさぐように転がっている。

少し下から谷を覗くとさきほどの石橋が見える。3個の石がアーチ状になっており,とても自然にできたものとは思われない。水量の豊かな川沿いの道になる。コケの付いた大きな岩の上を水が踊っている。川の周囲は切り立った崖になっておりなかなかいい感じだ。

落差5mくらいの滑滝も見どころの一つだ。逆U字型に切れ込んだ岩の隙間に三方から白く泡立った水が滑り降りてくる。日本の滑滝は水の流れであるが,ここでは白い泡の流れになっており,不思議な景観となっている。

水上石林区

水上石林区はその名の通り,水辺に石灰岩の鋭い岩が林立している。高さはせいぜい数mなのでミニチュアの石林といったところである。石灰岩と水の織り成す風景を十分に楽しむ。中国の風景区としてはとてもできが良い。

渓流の上をロープウェイが通過する

このアーチも人工物であろう

橋天星風景区はけっこう楽しめた

お葬式の花輪の文化があった

頭に巻いた白いタオルはお葬式の印である

黄果樹村を歩く

バイク三輪車で黄果樹村に戻る。近くの橋を通り白水河の東側を歩いてみる。橋のあたりはまだ少量ながら水が流れており,下流側には階段のように小さな滝が連なっている。水が数mくらいの高低差をもつ岩盤の上をすべり,その下に小さなプールを形成している。

この下が大瀑布になっているのだが,金網が張られこちら側からは見えないようになっている。対岸には大瀑布を見るための遊歩道があり,けっこう大勢のツアー客が歩いている。

周辺の棚田は放置されているのか雑草が生い茂っている。急な斜面の下にはダムがあり,川の水はここで完全にせき止められている。枯れた川の風景は王二河との合流部付近まで続いている。安順に戻ると風が強く,冬着の必要な天候に変わっている。

生地を刃物で削り熱湯の中に落として茹でる刀削麺

翌朝の気温はかなり下がっており冬服を着ていても寒い。宿の南側にある餃子屋で蒸し餃子と黒豆入りおかゆをいただく。暖かい食べ物がとてもありがたい。

餃子のタレは黒酢としょう油を使用する。どちらがしょう油なのかは見た目では分からない。ラー油は無いので辛味は唐辛子を使用する。

通りには天秤棒をかついで野菜を売り歩く女性が多い。大八車で練炭を売り歩く人もいる。練炭はこの地域の基本的な燃料で,火持ちがよく煮炊きに適している。

また今日のように寒い日はストーブに入れて暖を取ることもある。欠点は刺激臭のあるガスが発生することである。宿の廊下で練炭をたくと部屋にいても分かる。

安順汽車站(バスターミナル)

汽車站の横には近代的なビルがある

街中ではこのような風景も普通である

この揚げパンは油が多くて苦手だ

安順火車站(鉄道駅)

石灰岩の岩山地帯で降ろしてもらう

昨日,黄果樹に行ったときおもしろそうな農村風景が広がっているところがあったので,トライしてみる。黄果樹行きのバスをつかまえ行き先は分からないので中間にある村の名前を告げる。これは失敗であった。

畑のあるところで降ろしてもらおうとしても村はまだ先だと降ろしてくれない。高速道路の入口でようやく降りることができたけれど10kmくらいは行き過ぎている。

この瓦は沖縄と同じ構造である

荷馬車も現役で活躍している

石灰岩の岩山と菜の花畑,まるで冬景色である

石灰岩の岩山が点在する景色はあったものの,枯れかけた一面のアブラナではお世辞にもいい絵とはいえない。農作業に出ている人も少なく,気温も低く寂しい冬景色である。

石造りの村の田植えはイスに座ってする

少し歩くと左側に石造りの家が見えた。細い道に入ると大きな犬がいるので,引き返して別な道で村に入る。田舎では犬は番犬として飼われているので,僕のように見知らぬものが村に入ると,吠えられることになる。

石造りの門の向こうには石の村があった。石畳の道の両側には,石を積み上げた囲い,石を積み上げた壁,石で葺いた屋根が並んでいる。セメントは使用しておらず,石の隙間には泥が埋められている。

感心するほどみごとな石の芸術品である。石灰岩の大地で畑を作り,集めた石で石垣を造ってきた人々の知恵がこの家造りに生かされているのだろう。

立ってする人もいる

日本よりもずっと若い苗が使用されている

村を歩くとドキッとすることもある

石造りの門の向こうには石の村があった

石畳,石壁,石の屋根の風景が続く

使用している石灰岩は地面の下にいくらでもある

背後の山も石灰岩である

町の子どもたち

村の鍛冶屋はまだまだ健在のようだ

中から子どもたちが出てきて集合写真になった

少し歩くと小さな町に出た。食堂はすべて火鍋の店で,スープを見ると真っ赤なので辞退する。民家の戸が少し開いており,茶碗をもった子どもが立っているのでカメラを向けると,中からこどもたちが出てきておもしろい集合写真になった。

このような食堂で食事をしていた

餃子は蒸篭の単位で注文する

包子も蒸篭の単位で注文する,下にあるのはお粥である

この爆竹はすごい

ビザ延長が完了

昼頃に安順に戻り公安に出向く。写真と手続き料160元を渡すとパスポートが戻ってきた。5月20日に申請し,滞在期限プラス30日の6月29日と書類に記載しておいたにもかかわらず,滞在期限は6月20日になっている。 まあいいか,中国をあと1ヶ月以内に出ればいいのだから。この日は午後になってもさっぱり気温は上がらず,カゼでもひきそうなので宿に戻りベッドにもぐりこむ。

昔染綜合市場|下校時に小学生が集まっている

お財布を咥えながらお買い物をする

小学生はずいぶん集まっている

中古の部品屋では稼業そっちのけでマージャンを楽しむ


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