亜細亜の街角
天山の奥座敷は温泉付きの景勝地
Home 亜細亜の街角 | Altyn Arasyan / Kyrgyz / Jul 2007

アルティン・アラシャン  (地域地図を開く)

湖面標高1600mのイシィク・クリ(イシククル湖)の南側にはカクシャール(天山)山脈の支脈になるテレスケイ・アラ・トーが東西に走っており,そこから湖に幾本もの川が流れ込んでいる。その一つにアラシャン川がある。

左の縮尺のgoogle 地形図ではテプロクリュチェンカから南に伸びる谷がアラシャン川である。地図上でテプロクリュチェンカから6cmくらいのところに東からの谷と合流するところがアルティン・アラシャンである。カラコルから15km,徒歩で6時間程度のハイキングとされている。

標高3000mあたりのところにキルギス人の夏の放牧地がある。そこには温泉が湧いているので土地の人々は黄金の温泉を意味する「アルティン・アラシャン」と呼んでいる。

周辺は天山モミが生い茂る山々に囲まれており,峡谷の最奥部には三角テント型の白い雪山が顔を覗かせている。地元の人はその形状から「テント峰」と呼んでいるバラトカ峰(4260m)である。

夏の豊かな牧草を求めて,人々は家畜をここまで連れてくるので,運がよければ彼らの移動式組み立て住居であるボズ・ユイ(ユルタ,パオと同じ),牛や羊の群れを見ることができる。

また,夏は高山植物の季節でもあり,一面に広がる草原には可憐な花々が咲き乱れており,草原を歩くとついつい気が付かないままに彼らを踏んでしまう。周囲の斜面を覆う天山モミ,緑の草原,荒々しい岩山とその背後の雪山,そこを白く泡立って流れるアラシャン川,天山奥地の風景はかくも美しい。

僕はカラコルのヤク・トゥルホテルで交通手段と宿泊所を確保したが,同じようなスタイルの施設は他にもあるようだ。ここは天山奥地の山々に分け入るトレッキングの基地になっているので,かれらのテントも散見される。

天候不順なのに・・・

カラコルのヤク・トゥルホテルの離れで目が覚めると06時であった。ずいぶん暗いなと思ったら雨が降っている。日記を書いて,蜂蜜とジャムを塗った丸型パンとサラダで朝食をとる。キルギス産の蜂蜜は(旅の旅情のせいか)日本のものよりなんだか素朴な味がする。

ベッドの上で英語版のジュラシック・パークを読み始める。前回の旅行でバンコクの古本屋で買い求めたものだが,未だに完読できていない。日本の本だと半日で終わってしまうのに,この本は何倍も時間がかかるので,今朝のようにすることがないときや,長い待ち時間を過ごす時には最適な手段だ。

10時過ぎにドアがノックされ,ツアーのおじさんが入ってくる。「アルティン・アラシャンに行こう,ちょうど荷物の運搬があるので都合がいいんだ」とお誘いである。しかし,外は雨が降っており,僕は「天気が良くないよ,明日にしたほうがいいんじゃない」と渋っていると,「大丈夫,今日は午後から天気は回復するよ」と押し切られた。

料金は往復の交通費が500,3食付きの山小屋が600,合計で1100ソムである。この国の1100ソムは大金であるが,天山の美しい風景を見るためには仕方が無い出費だ。メインザックはツアーのおじさんの部屋に置かせてもらい,サブザックに必要なものを詰め込む。用心のために冬用のフリースもザックにくくりつけて持っていくことにする。

出発は15時とのことなので,近くのマキシュ・バザールの食堂に行きマントゥに近いギョーザをいただく。皮に十分火が通っており,中の具もおいしい。ちゃんと調理すればキルギスのギョーザもおいしいことが分かった。

これに比べるとチョルポンアタの市場で食べたギョーザ(大きなもの5個とチャイで80ソム)は食べ物とは言えないレベルだ。おまけにここのものは1個7ソム,2個とチャーイをいただいて24ソムと格安である。

四輪バギーに乗って出発する

宿に戻り中庭のベンチで本を読みながらツアーのおじさんを待つ。宿の主人には「アルティン・アラシャンに行き,明日戻ってくる」と断っておく。ツアーの男性は四輪バギーに荷物をくくりつけた。

座席は本来一人乗りであり,二人乗りにはきゅうくつだ。おまけに,後部では体を支えるのが難しい。心配していた通り,走り出すと左右の揺れをカバーするため後ろの荷台の金具をしっかりつかんでいなければならない。

運転手の予言通り天候は回復し一部に青空も見える。カラコルの街を離れると一面のジャガイモ畑になる。ジャガイモの白い花に混じって,黄色い菜の花が咲いている。

畑の脇で草を食べている牝牛はずいぶん痩せており,あばら骨が浮き出ている。この季節に痩せていたら冬にはどうなるんだといらざる心配をする。天山の上部は雲の中だ。

近くの草原にヘリコプターが停まっている。迷彩色が施されているので軍用ヘリのようだ。ヘリコプターが珍しいのか,村の人々が回りに集まっている。30分ほど走るといよいよアラシャン川沿いの道に入る。

川沿いの道に入ると振り落とされそうになる

この川沿いの道は夏の放牧地を目指して家畜を移動させるためのもので,車が通るようなものではない。それを無理やり通ろうとするのだから大変だ。

石がゴロゴロしている川原を四輪バギーは左右に傾きながら進んでいく。横Gが強烈で手で支えていなければまちがいなく振り落とされる。メガネがずれたので片手で直そうとすると,次の曲がりがやってくる。

バギーはどんどん高度を上げていく。もう何回も,何十回もこの道を通っている運転手は恐怖の速度で進んでいく。急な坂を登るときは後ろの荷台をつかんで体重を支えないと後ろにひっくり返りそうになる。

川原から離れると草地にわだちの付いた道になる。ジープが深いわだちを作るので乗り心地は同じように良くない。大きな水たまりのあるところもそのまま突っ切るので,僕は思わず足を上げてしまう。

川沿いの斜面は一面の天山モミの森になっている。天山モミはトウヒ(唐檜)の仲間で正式名称は「スチェレンス・トウヒ」,天山山脈・カザフスタン・キルギスタンなどに分布している。日本には7種類のトウヒが自生しており,エゾマツがその代表的なものである。

景色の良いところでバギーを止めてもらう。緑の急斜面に茶色の道路が続いており,天山モミの森の中に消えている。100mほど下にアラシャン川が白く泡立ちながら流れている。

運転手の話では目的地はもうすぐらしい。川沿いの道を走り始めてから2時間でようやく放牧地が見えた。正直言ってほっとした。この道を徒歩で登るとおよそ6時間かかるという。

雨のアルティン・アラシャン

四輪バギーはヤク・トゥル直営のロッジの前で止まった。運転手は荷物の配達があるのか,じきにいなくなった。中に入るとそこはサンルームになっている。屋根の庇を伸ばして,それをガラスの入った鉄枠で支える構造になっている。

サンルームは土間になっており,一段高くなったところには安楽イスが置かれている。イスに坐ると視線の先にはテント峰が見えるようになっている。建物の中に入ると左に広い食堂がある。ここには暖炉があり夜になると火が焚かれる。

宿泊客の部屋は2階にあり,4.5畳,1ベッド,ロッジとしては清潔である。厚い掛け布団もあり寒さ対策もできている。トイレは外に出て斜面を少し下ったところにある。

床に穴が開いており,そこで用を足す作りはキルギスではよく見かけた。とうぜん,トイレに行くには灯りは必須である。片手にライトを持ち,用を足すのはけっこう大変だ。灯りを落としたら周囲は全くの闇になってしまう。

サンルームから出ると真夏でも3000mの高地は太陽がないと寒い。風があるので体感温度は10℃程度だ。長袖を2枚重ね,冬用のフリースを着て周辺を歩いてみる。

川沿いのなだらかな斜面が急角度で立ち上がる山々に囲まれている。緩やかな斜面は草原,山裾から上は天山モミの森林となっており,際立った違いを見せている。このあまりの違いはどこからくるものなのかちょっと考えさせられてしまう。

さほど広くないアラシャン川はうねうねと草原の中を蛇行しており,上流側は峻険な山々に視界が遮られている。バギーの運転手の話では二つの山に挟まれた三角形の空間(現在は雲に覆われている)にテント峰があるという。

僕の泊まっているロッジの上流側にはいくつかの建物がある。距離はおよそ300-400mくらいであるが,15分おきに雨が降るので油断はできない。草地は濡れており少し歩くとスニーカーの中が湿ってくる。車のわだちのところを選んで温泉を見学に行く。

温泉小屋は二軒あり,ちょうど近くでテントを張っているヨーロピアンが入浴に来ており,管理人のおばさんが鍵を開けていたので中を見せてもらう。

湯気と暗さのためさっぱり見えない。足を滑らせると湯船に落ちそうだ。湯船は2mほどの大きさでその周囲は板敷きになっている。ここでは石けんの使用は禁止だという。

温泉小屋の外に出ると再び雨になっている。温泉から流れ出したお湯はすぐ側の木枠の小さな池にたまっている。手を入れるとちょうど良い温度だ。残念ながら夕方からは雨脚が強くなり,カサを持たない僕は温泉をあきらめた。

帰国してから写真を整理してみると,温泉小屋を写したものは一枚もなかった。雨のためあの時間帯はカメラをザックにしまったままにしていたらしい。これはちょっと悔やまれる。

ようやくテント峰が見えた

18:30,あたりは少しずつ暗くなりかけた頃,テント峰が少し顔を覗かせた。僕は四角錐のテントを想定していたので,山の上部は雲に覆われて見えていないと思っていた。

次の雨が振り出した。今回の雨はかなり強い。宿の対岸の天山モミの森が霞んでいる。15分ほどで雨は止み,テント峰が再び見えるようになった。

これを見てようやく「テント」の形状は,運動会などで使用される三角テントだということに気が付いた。山の頂上部が切り落とされたような不思議な台形の山をしばらく眺めていた。

19:30になると上流側の空間の雲がとれ,テント峰が全容を表した。地上はすでにかなり暗くなっているが,空はまだ明るく,その青を背景に白い雪山が最後の西日を浴びて明るく輝いている。

雨に悩まされながらもテント峰を見ることができたので今日は満足な一日となった。夕食は野菜スープ,サラダ,野菜のあんかけパスタ,パン,紅茶とこれまた満足なものであった。

周囲にはたくさん木があるのに暖炉の火は細々としか燃えていない。天山モミの枝打ちをして,それを燃やせばいいと思うのだが,ここにはここの事情があるらしい。

奥地の湖までトレッキングに出かけて戻ってきたグループのメンバーは「今日は12時間の強行軍だった」と話してくれた。彼らの登山靴は完全に濡れており,暖炉のそばに置かれている。この火では明日の朝までに乾くだろうか。

朝の散歩

06時に起床,掛け布団があったので暖かく寝ることができた。朝方からトイレに行きたくなったが,暗い中を離れのトイレに行くのは嬉しくないのでがまんするしかない。

僕の部屋の灯りは12Vの小さな電球である。もちろん,この谷間では電気は通じていないので,小さな太陽電池パネルで発電している。まあ,寝るぶんにはぜんぜん問題にならないけれど。

06時に入口を開けて外に出る,さすがに早朝の冷気が体を包み込む。気温は7-8℃,東京の冬といい勝負だ。空は晴れているが,夜は明けきっておらず,テント峰はまだ白い輝きを取り戻してはいない。

朝食はニラ玉,目玉焼き,パン,ジャム,紅茶である。キルギススタイルのニラ玉は油を使いすぎており,日本人にはしつこすぎる。四輪バギーの運転手が現れ「自分はこれから山を下りる,13時にロシア人夫妻を送るジープが来るので,それでヤク・トゥルに戻ってくれ,話はついている」と言われた。

残りの料金850に対して1000ソムを渡すと,「おつりは宿で」ということになった。この150が初日の宿代を相殺されることになった。出発まであと4時間ほどある。天気も良いし朝の散歩に出かけてみよう。

どこからともなく牛が集まってくる

東側の斜面は高山植物の花盛りであった

昨日は気づかなかったけれど,宿から見て少し上流側で左の谷からの流れが合流している。水量はアラシャン側本流といい勝負だ。このあたりは紫色の高山植物の花が一面に咲いている。

日本にも「カタゴの花筵」という表現があるけれど,ここは紫の点を散らした緑のじゅうたんである。もっとも,このじゅうたんは昨日の雨のため濡れているので,寝そべるわけにはいかない。

仔牛が2頭近くで草を食んでいる。どうやら彼らは高山植物が口に合わないようだ。彼らの好みのおかげで,旅行者は花の谷を楽しむことができる。

アラシャン川に東から注ぐ川沿いを歩く

新しい谷に沿って道があるので歩いてみる。眼下には上流から駆け下ってきた清冽な水が非常な勢いで流れている。その雰囲気を撮りたくて流れの際まで下りてみた。

上から押し流されてきた巨大な木がごろごろしている。水は冷たく顔を洗うととても気持が良い。上流にはほとんど人は住んでいそうもないので水も飲めるだろう。しかし,用心するに越したことはない。

道路から谷に向かう斜面にはいろいろな花が咲いており,下っては写真を撮り,歩いてはまた下るの連続で距離はのびない。山側の斜面にも岩の間に,あるいは岩をしがみつくように植物が根を下ろしており飽きることはない。

対岸の斜面はやはり天山モミが大きな森を作っている。この木はあまり横方向に枝を伸ばさない。そのため一本一本の木の占有面積は小さい。そのような木が密集しているのでなかなか壮観である。

それでも,土地は石だらけで痩せているので,このような森林は一度伐採すると再生は難しいだろう。木材産業がここに進出してきたら,森はすぐに消滅してしまう。

20世紀の後半,地球上では熱帯林が大規模に破壊されてきた。熱帯林破壊に対する非難の声が高まると,こんどは亜寒帯林の破壊が始まった。カナダの東海岸,シベリア・・・人間の欲望のため世界の森林面積は急速に縮小するとともに,その質も劣化している。

シベリアのタイガは世界最大の森林地帯であるが,そこは永久凍土地帯でもある。森林が伐採されると太陽光が地面に届くようになり,夏には凍土の表面が溶けあちこちに大きな池を作るようになる。こうなると森林の再生は難しい。

人類は森林を再生可能資源と信じているが,熱帯と亜寒帯では非再生資源に近い。地域の生態系の要となっている森林が失われると,生態系そのものが破壊されることは過去の多くの事例が示す通りである。天山奥地のこの風景がいつまでも変わらないことを切に願う。

岩場にしがみついて生きる

ジープで帰還する

13時にジープがやってきた。ジープはロシア製,青年が運転し父親は助手席に坐っている。まるで,実技試験に立ち会っているようだ。そのためか,青年は慎重に車を進める。

父親は「このジープはとても頑丈だ,この車でなければここの山道は走れない」と説明してくれた。もっとも,彼は英語ができるわけではなく,ロシア語を乗客のロシア人が通訳してくれた。

時速数kmでも車にとっては過酷な道だ。車内にいても横揺れが激しいので何かにしがみついていなければならない。青年は右に左にハンドルを切って,わだちを避け,大きな石をよけて進んでいく。

14:30から雨が降り出し,しばらく降り続いた。こんな雨の中を何組かのトレッカーが登ってくる。ほとんど雨を避ける場所がないので,カッパでしのぐしかない。行程はまだ半分といったところだ。

ジープは2.5時間かけて川沿いの道を下り,カラコルからだいぶ離れた村のゲスト・ハウスに到着した。一緒のロシア人夫妻がここに宿泊しているようだ。

夫のユージンさんの話では,「ロシアではこのような場合,軽い食事をしてからお送りする習慣がある」と教えてくれた。ということで,出されたトマトスープの麺と蜂蜜をご馳走になりヤク・トゥル行ってもらった。さすがに,ジープのほうがはるかに乗り心地は良かった。


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