今日歩いたコース
滞在3日目は宮里→黒島港→伊古桟橋→阿名泊(失敗)→伊古→北神山御嶽→阿名泊御嶽→東筋→仲本→宮里と歩いた。
滞在3日目は宮里→黒島港→伊古桟橋→阿名泊(失敗)→伊古→北神山御嶽→阿名泊御嶽→東筋→仲本→宮里と歩いた。
ごはんを2杯いただくとほとんど昼食は不要となる。
昨日は海岸沿いの道を歩いたので,今日は少し内陸の道を歩くことにする。この道は「民宿あ〜ちゃん」の前の道で,舗装されている。ほとんど真っ直ぐに黒島港に向かっており,両側は放牧地となっている。
左側の放牧地には電気柵が使用されている。電気柵とは放牧場の外に牛が出ないようにするためのもので,数1000Vの直流電圧パルスを印加している。電気柵の配線の片側は電牧器のプラス端子に接続されており,ここからパルス状の電圧が印加される。電牧器のマイナス端子は接地されている。
通電時に動物が配線に触れると,動物の身体を通り地面に電流が流れるので動物は電気ショックを受ける。電牧器の容量は小さいので危険性はないが,動物は電気ショックをいやがり,柵のそばには近寄らなくなる。当然,人間が触ってもショックを受ける可能性はあるので,「高電圧注意」などの表示がある。
異なる道を歩いても放牧地の風景は類似しており,放牧地の中のガジュマルの風景はもう何回撮ったのか分からない。
道路わきに袋が置かれており,「46尿素」と表示されている。尿素(CH4N2O)は無色無臭の結晶で,哺乳類や両生類の尿に含まれる。もちろん,人間の尿にも含まれる。人間がタンパク質などから取り入れた窒素のうち,過剰分のほとんどが尿素の形で排泄される。体内で生成されるもっとも簡単な窒素化合物はアンモニアであるが,人体に有害なため安全な尿素に転換して排出される。
尿素は植物の成長に欠かせない必須栄養素の窒素を含む化合物なので肥料として使用される。黒島の土壌は琉球石灰岩をベースにしているのでリンやカリウムはそれなりに含まれている。しかし,窒素は不足しているので牧草を育てるためには窒素肥料の投入が必要となる。「46尿素」とは窒素を46%含んでおり,窒素肥料の中では最も成分が高く,速効性の肥料である。
「食べてすぐ横になると牛になる」という箴言は行儀の悪さをたしなめるもので,実際には身体に良い習慣である。食事の後,食べ物を消化するために胃腸周辺に血液が集中する。ところが,食後むやみに身体を動かすと血液が筋肉のほうに回ってしまい,胃腸に回る血液が少なくなるので消化が十分に機能しなくなる。そのため,食後に横になって過ごすことは消化を助けることになる。ただし,食事の後にすぐ寝てしまうのは肥満の元になるので悪い習慣となる。
牛の場合は第1胃に送り込んだ飼料を効率良く発酵させるために,寝そべっていても反芻のため口を動かして飼料を細かく噛み砕いているはずである。また,反芻により弱アルカリ性の唾液が第1胃に送られ,発酵による過度の酸性化を中和している。食後の牛はただ寝そべっているだけではない。
保里集落の少し手前,向かって左側に昭和56年に開設された常設の黒島家畜市場がある。八重山地域で牛のセリ市場があるのは石垣島と黒島だけである。ここでは毎奇数月の13日に牛のセリが行われ,島から出荷されるすべての牛がここに集められる。
2013年はセリの実績は過去最高となっており,地元の八重山毎日新聞(2013年11月22日)は次のように伝えている。
前年を23.6%上回る 2013年セリ実績 過去最高を記録
黒島家畜市場の2013年セリ実績は,取引頭数895頭,取引総額3億6455万円で,前年を頭数で43頭(5%),取引額で8338万円(29.6%)上回った。子牛の平均価格は44万3949円で,前年を8万4845円(23.6%)上回る過去最高を記録した。昨年,高齢母牛の更新で減少した取引頭数も増加に転じた。JA八重山地区畜産振興センターの又吉建夫センター長によると,今回の価格高騰について「全国的な素牛不足に加え,牛の系統,飼養技術の向上がある」としている。
子牛の雌雄別平均価格は,雄(去勢)が47万7388円,雌子牛が40万320円。前年比で雄は8万1625円(20.6%),雌で9万700円(29.3%)もの大幅な値上がりとなった。
今日は10月20日であり,次のセリは11月13日なのでまだしばらく間がある。付属の牛舎にはほとんど牛は入っていない。
黒島港には高速船の浮桟橋に加えて,フェリー桟橋もあり,そこにはフェリーが入港していた。このフェリーはおそらく定期便であり,高速船では運べない家畜の飼料,牧草地の肥料,大型機械などを運んでくる。
黒島港から伊古に向かう道路は北側の海岸沿いの道となる。島の北東部は全島が放牧地化される以前の植生がもっとも残されているところである。保里集落の近くにつながれているこのヤギはさっぱり人を恐れない。今まで出会った八重山のヤギは僕が近づくと飛び跳ねて逃げ回っていた。
名前の分からないが御嶽のようだ。黒島の御嶽は前面に鳥居があるのでそれと分かる。このような場所は土地の人でもむやみに立ち入るところではないので,観光客が興味本位で立ち入るべきではない。
パパイヤは雌雄異株であり,雄花はこのように伸ばした花序をつけ,花もそれなりに可憐だ。雌花は(大きな果実をつけるため)茎の周りに直接花を付ける。
道路にたくさんの果実が散乱している。このイチョウのような果実はテリハボクの実である。足の踏み場もないくらいに落ちているので,踏まないように慎重に歩く。僕はこの果実が落ちていないと,あるいはそれと分かるように枝に付いていないとテリハボクは簡単には識別できない。
実の落ちているあたりにはテリハボクの親木がある。比較的低いところに実が付いているので容易に判別することができた。
テリハボク(Calophyllum inophyllum)はオトギリソウ科(またはテリハボク科)の常緑高木である。原産地は熱帯海域と考えられるが,太平洋からインド洋にかけて広く分布しているので特定できない。日本では南西諸島と小笠原諸島に自生している。
タイワンウオクサギ (台湾魚臭木,Premna corymbosa,クマツヅラ科・ハマクサギ属)は九州から沖縄にかけて自生する常緑小高木である。海岸近くのやせた土地に生育し,枝先に大きな花序をつける。花は白色で非常に小さい。果実は3-4mmほどのものがブドウのように固まってつく。
リュウキュウアサギマダラ(Ideopsis similis,タテハチョウ科・リュウキュウアサギマダラ属)はインドから東南アジア,中国南部に生息する。日本では南西諸島に生息している。枝などにぶら下がって越冬することでも知られている。
南国の海を思わせる色彩の翅をもち,八重山では非常にしばしば見かけた。和名は「アサギマダラ」となっているが,アサギマダラ属のアサギマダラとは別属である。
幼虫の食草はツルモウリンカなどのガガイモ科植物であり,食草に含まれるアルカロイドを体内に蓄積し,そのまま成虫になるので,これを食べた小鳥は苦みを感じるという。これは体内に毒素を蓄積する防衛進化の一つであり,自分には毒があることを天敵に知らせるため,ゆっくりと飛ぶ。
花に来ることが多く,八重山ではアワユキセンダングサなどで吸蜜している姿をよく見かけた。この道の両側にもアワユキセンダングサが繁茂しており,多くのチョウが吸蜜のために訪れている。
この花のタネは「ひっつきむし」となり,花の中を歩くとたくさんのタネが靴のひもやズボンに付くやっかいものであるが,昆虫を観察するときだけはありがたい植物である。
これだけ特徴のある姿なので簡単に種が分かると思っていたら見つからなかった。
葉っぱの上にじっとしており,写真のため上を覆っていた葉をよけても逃げなかった。沖縄にいるこの種のバッタはオンブバッタかショウジョウバッタであり,大きさからオンブバッタと推定した。昆虫の種を特定するのはさすがに大変だ。
オンブバッタの名前の通り大きな個体が小さな個体を背中に乗せていることがある。これは,子どもをオンブしているのではなく,大きい方がメスで,小さいものがオスであり,オスが交尾権を主張していると考えられている。
オオジョロウグモは与那国島1で登場している。この個体はまだ小さいのでそれほど迫力はない。ジョロウグモは本土でも大型のクモとして知られているが,南西諸島のオオジョロウグモはさらに大きく,体長(頭部から腹部まで)が5cm,足を含めると20cmにもなるという。こうなると僕でも恐怖である。
体長は5-6mmなのでアシナガキンバエであろう。キンバエの仲間には金属光沢をもつものが多い。このような金属光沢は色素ではなく構造色により生み出される。構造色とは光の波長あるいはそれ以下の微細構造に光が当たると光の干渉が生じ,色がついて見える現象である。
キンバエの場合はキチン質の薄い多層構造により構造色が生じる。あまり目立たないが翅についても薄膜による構造色が生まれる。これはシャボン玉と同じで薄膜の外側と内側で反射する光が干渉して色が付いて見える。
写真を撮るときはススキだと思っていた。10月も中旬になり沖縄も少し秋めいてきたかななどと考えていた。しかし,画像を見るとススキの花穂のように赤みが付いていないことに気が付いた。さて,それではこの植物は何かと調べてみても当該するものは見つからなかった。
ランタナ(Lantana camara,クマツヅラ科・シチヘンゲ属)は中南米原産の常緑小低木である。世界中に帰化植物として定着しており,日本では小笠原,沖縄に移入分布している。世界の侵略的外来種ワースト100に選定されている。和名はシチヘンゲ(七変化)であり,これは鮮やかな色の花をつけ,外側から内側に順次咲く花の色が変化することに由来している。
仲盛御嶽(ナハムリワン)は北側の海岸沿いの道から伊古桟橋へ向かう小道の手前にある。例によって案内板が出ているので見過ごすことはない。この御嶽の入り口にも鳥居があったが,比較的最近,破損してしまったようだ。
伊古桟橋に向かう細い道との分岐点の手前で右側は林が開け放牧地の風景となる。
伊古桟橋は海岸から300-350mほど突き出している。桟橋がこれほど長い理由は地形図を航空写真を見ると良く分かる。この辺りは黒島でももっともワタンジが発達しているところである。
ワタンジとは地元言葉では干潮時に渡れる渡路(干潟)のことである。つまり,ここの海岸は遠浅の岩場の海ということである。そのようなところに船着き場を造ろうとすると,はるか先まで桟橋を伸ばさなければならず,その結果が長い桟橋となった。
伊古桟橋はこのようにはるか先まで続いている。桟橋の手前側には水はなく,潮はさらに引きつつあった。2日前の夜はヤシガニツアーでこの桟橋の先端まで行った。その時は暗闇の中で波の音がしていたので,現在よりはずっと海水面は高かったようだ。
はるばる歩いて先端部までやってくると,ようやく海となる。正午少し前だというのに,北に面しているためか海の色は芳しくない。
沖合にある岩礁の先まで海は後退している。この風景を見るとどうしてこのようなところに船着き場を造ろうなどと考えたのかという疑問が大きくなる。
桟橋を横から眺めると,桟橋の先端部まで潮が引いていることが分かる。
航空写真を見ると本来の島の外縁は北側の海岸線の円弧を延長した辺りであり,現在の海岸線から500-700m沖合にある。この一画は黒島の隆起後に海食を受けたのか,隆起が少し不足して,島になりきれなかったところであろう。この部分が欠けているため黒島はハートアイランドと呼ばれるようになった。
潮が引いているのでこのまま海岸沿いに阿名泊御嶽まで行けそうなので先を進む。海岸から立ち上がった琉球石灰岩の高さは1mもない。そのような厳しい環境でも植物は繁茂している。
潮はますます引いて,はるか先まで岩場と砂浜の陸地になっている。
探してみると潮だまりの中には多数の巻貝が生育しているところもある。
平らな琉球石灰岩の基盤から生えたきのこのような形状からきのこ岩と呼ばれる。もともとは陸域の琉球石灰岩層の一部であったが,海食により周辺部が削られ岩礁となった。海食がさらに進むと下部が削られこのような形となった。
伊古の海岸にはたくさんのきのこ岩が沖合まで点在しているので,総合的に判断してこの海岸の風景は海食によりもたらされたものであろう。かっては,現在のリーフエッジ近くまで島の一部であり,その後の海食により現在の海岸線のところまで削られてしまった。海食に抵抗して残ったのがきのこ岩ということになる。
海岸に転がっている岩はおそらくキノコ岩の上部なのだろう。海食により下部がどんどん削られ最後にはこのような姿になる。地質学の尺度でみると,海底が隆起したサンゴ礁の島は海食により再び海に戻るのだろうが,それは人間の尺度でいうとはるか未来ということになる。
この海岸をつめて行くと,波が洗う岩場があり,海側からも陸側からも先に進めないので,海岸ルートで阿名泊御嶽まで行くことは断念する。
伊古桟橋に戻ってくると潮は完全に引いており,これではとても絵にならない。
一端海岸から離れて別の道から阿名泊御嶽を目指すことにした。伊古桟橋に通じる道は黒島でもっとも植生の深い地域であり,両側を林に囲まれた感じの良い道となっている。藪の中で大きな鳥が動くのが見えた。地上を走る姿からメスのクジャクであろう。黒島では野生のインドクジャクが繁殖している。
インドクジャクは1980年代に観賞用として持ち込まれたものが,台風により飼育小屋が壊れ数羽が脱走した。天敵がいないことから異常繁殖し現在では500羽以上生息すると推定される。天敵がいないため異常繁殖した彼らは黒島の自然生態系の大きな擾乱要因となっている。しかし,狭いとはいえジャングル状態の林の中にいるクジャクを駆除するのは容易ではない。
阿名泊御嶽への道はよく分からない。とりあえず,島の東北端に向かっていそうな道を歩く。
途中で北神山御嶽が見つかり,この道を進んで行けば良いことが分かる。北神山御嶽は雰囲気が良く,中に入りたいという誘惑に駆られたが,思い止まった。どこの国を旅行しても現地の人たちがいけないという場所には立ち入るべきではない。これは,僕のアジア旅行から得た教訓である。
一再ならず道に迷い,なんとか阿名泊御嶽に到着した。ここは,島の外れという場所であり,環境省の案内板だけが立っていた。周辺の植生は除去され,海岸の岩場のような風景になっている。
海岸ぎりぎりのところに建物があり,おそらくそれが拝所であろう。今まで見てきた黒島の御嶽の雰囲気とはずいぶん異なり,ちょっと驚いた。
海底から出てきてケーブルが島の内部に伸びている。来るときにNTTのロゴが入ったマンホールを見かけたので海底通信ケーブルであろう。
ここの海岸は干潮でもすぐそばまで海が迫っており,リーフエッジも伊古より近そうだ。港を造るのであればこのような地形の方が適している。ここからの海の色は今日一番のものであった。
これは岩のトンネルではない。左の岩のノッチ(海食により岩の下部がえぐられること)と右の岩のノッチがうまい具合に重なってつながっているように見えるだけだ。この造形のようにここの海岸がノッチがとても大きく,海食が激しいことがうかがえる。
ノッチの部分を観察すると小さな巻貝が岩の窪みにたくさんいることに気が付いた。巻貝は自分のサイズに合わせた窪みを見つけ,そこに定住しているようだ。この状態でどのように食料を手に入れるのか不思議だ。
海岸の近くに不思議な植物が地面を覆っていた。スナヅル(Cassytha filiformis,クスノキ科・スナヅル属)は海岸の荒地や砂浜に生育するつる性の寄生植物である。中国南部,中南米に分布しており,日本では小笠原諸島,九州南部,南西諸島に自生している。外観的によく類似しているものにネナシカズラがあり,こちらはヒルガオ科のつる性寄生植物である。
光合成は行わず,寄生した先の根から養分を摂る。日本では主にグンバイヒルガオやハマゴウ等の海浜植物に寄生する。ここのものは大きさ6-7mm,淡黄色の小さな球形のものを付けており,これはおそらく実であろう。
ガジュマルの大きな群落である。ガジュマルは枝から気根を伸ばし,地面に達すると急速に成長し,まるで幹のようになる。このような性質があるため,この群落を見ても元は何本の木であったかは簡単には分からない。中国では「独樹成林」とも呼ばれ,1本の木が林のようになる様子をうまく言い表している。さすがに漢字の国である。
アオタテハモドキ(Junonia orithya,タテハチョウ科)は後翅の青色が美しいチョウである。日本では八重山諸島に生息しており,沖縄本島でも発生が報告されている。
僕の写真では青色は今一つ鮮やかさがないが,デジタル図鑑の中にはモルフォチョウのような金属光沢の青が輝く画像もあった。このチョウは警戒心が強く,簡単にはアップの写真は撮らせてくれない。
阿名泊御嶽に通じる道にも明るい緑のトンネルがあり,帰りは精神的にゆったりできたので,このような風景の写真を撮る余裕も生まれた。
リュウキュウアサギマダラかと思って写真を撮ったら後翅の茶色が強いのでアサギマダラ(Parantica sita,タテハチョウ科)であることが分かった。このチョウは日本全土から朝鮮半島,中国,ヒマラヤ山脈まで広く分布しており,地域によりいくつかの亜種に分かれている。
アサギマダラの成虫は長距離を移動することが知られている。秋に日本本土から南西諸島・台湾への渡り個体が多く発見されており,または少数だが初夏から夏にその逆のコースで北上している個体が発見されている。
写真が見づらくて申し訳ないが,この写真の主題は木の上から垂れ下がり,ずっと下の地上近くで葉を付けている植物である。中には空中で葉を付けているものもあり,確かに上からぶら下がっている植物である。
波照間島1で長命草の花で吸蜜していたクロアナバチ(Sphex argetatus fumosus,アナバチ科・Sphex属)であろう。ここではオカヤドカリかオカガニの掘った大きな穴を調査していた。
周辺にはたくさんの穴が開いていた。この島で土の中に巣を作るものはオカヤドカリかオカガニあたりであろう。
今日の散策はこれで切り上げ宮里に戻った。途中で海岸近くの道を歩いていたとき,柵のところに縛り付けられた自転車があった。これで柵の破れ目を補修しているようだ。
これは栽培バナナであろう。栽培バナナとは世界中のバナナ園で栽培されているキャベンディッシュという品種である。世界生産量の半分はこの品種であり,日本のスーパーマーケットで販売されているのはこれと考えて差し支えない。そのくらい優れものの品種である。それに対して沖縄では島バナナと呼ばれる短くて小さな品種も栽培されている。
宮里か仲本の集落で見かけた。立派に成長したトックリヤシ(Mascarena lagenicaulis,ヤシ科・トックリヤシ属)である。名前のように幹の下部が膨れて徳利のような形状になる。花の付き方,果実はトックリヤシモドキと同じである。原産地はインド洋の島であり,寒さに弱く,最低気温が10℃を切る地域では生育は難しい。
宿に戻ったのは16時頃である。明日は移動日なので宿のヤシガニに最後のご挨拶する。それにしてもこのヤシガニはエサも与えられず,ほとんど放置状態である。夜行性なので夕方に誰かが餌を与えているのであろうか。そういえば,ここの食堂のメニューにはヤシガニソバがあったことを思い出した。
夕方の時間帯は宮里海岸に出て,ノッチを注意深く観察してみた。確かにここでもある高さの岩の窪みに巻貝の団地が形成されていた。そこは大潮の満潮線であり,海に浸かるのは月に数日程度であろう。