与那国島
与那国島は石垣島と台湾の中間に位置しており,石垣島からは124km,台湾までは111kmのところにある日本最西端の島である。黒潮が洗う外海の孤島であるため,昔は「渡難(どなん)」と言われるほど渡航が難しい島であった。気候条件の良い日には台湾を望むことができるとされているが,僕の滞在中にはそのような幸運には巡り合えなかった。
与那国島は東西約12km,南北約4km,面積29km2の楕円形をしている。隆起珊瑚礁の島ではなく,主に第三紀堆積岩からできており,面積に比して起伏の大きな地形である。島の西側にある久部良岳,東側にある宇良部岳の標高は200mを越えている。
島の人口は1745人であり,中央北部に祖納(そない),西部に久部良(くぶら),中央南部に比川(ひがわ)の3つの集落があり,町役場は祖納にある。主な産業は,漁業,サトウキビ農業,畜産,観光であり,島の南半分および東崎は肉牛と与那国馬の放牧場となっている。
フェリーは欠航のため飛行機で移動する
石垣島から与那国島に行く方法はフェリーと飛行機の2通りがある。フェリーは福山海運が「フェリーよなぐに」を週2便で就航させている。石垣島発は火曜・金曜の10時,与那国島発は水曜・土曜の10時,所要時間は4時間であり,往復運賃は6850円である。
飛行機はRAC(琉球エアーコミューター)が毎日3便を就航させており,所要時間は約30分,料金は片道が11,800円,往復が14,300円である。
定期フェリーは与那国島に物資を送るライフラインであり,悪天候のときは欠航ではなく順延となる。観光客もこのフェリーで渡航することができるが,「渡難(どなん)」の言葉通り海の状態により揺れが激しく,「ゲロ船」というありがたくない別名をもらっている。
10月14日の時点では南シナ海に台風25号,沖縄本島の東に台風26号があり,15日のフェリー運航は微妙な状況であった。15日の早朝に運行を確認したところ欠航(順延)であり,すぐにネットで飛行機便を予約した。この区間は片道と往復の料金格差が大きいので,自動的に往復ということになる。
携帯電話を持たない主義の僕にとっては,旅先での情報収集や電話連絡はけっこうな精神的負担となった。航空機の予約は持参のPCでできたが,宿泊予約を入れておいた与那国島の「おじ〜いの家」への連絡は宿泊客の携帯電話を借りることになった。ともあれ,航空券の手配と与那国島の宿の連絡は無事に終了した。
海外旅行では宿泊予約などはしたことがないし,旅行情報も現地で確認しているので携帯電話はまったく必要なかった。今回の沖縄旅行では携帯電話の必要性を少し認識することになった。
与那国行きの最終便は17時30分発であり,15時過ぎに宿の近くのバス停から空港行きのバスに乗車した。この日は石垣島でずいぶんお世話になった5日間フリーパスの最終日である。新石垣空港のロビーには円筒形の水槽があり,サンゴ礁の生き物の一端を観察することができる。
チェックインを終了してから上の展望室に行って,離着陸する飛行機を眺めていた。ここからは滑走路の全景を眺めることができるので,離陸時の上昇角度を観察することができる。
与那国島行きの機体はボンバルディアDHC8-Q100(略称はDH1)であり,座席数は39,エンジン出力は1950SHP×2,巡航速度は465km/h,航続距離は1889kmとなっている。
DH1はプロペラ機なのでエンジン出力を直接計測するのではなく,プロペラの回転軸で計測される。そのためHPではなくSHP(軸馬力)が使用されている。車でいうと実馬力(ネット値)に近い概念であるが,それほど気にすることはなくプロペラあたり約2000馬力と考えてよい。
チェックインの時,「非常口座席でもかまいませんか」と確認され,問題はないので座席はそこに決まった。大型ジェット機にも同様の座席はあり,特別な制約はないので安易にOKを出したら,この機体では座席および足元にはいかなる手荷物も置いてはならないと乗務員に言われ,カメラまで上の荷物棚に入れられてしまった。
これはちょっとしたつまづきであった。幸い離陸後にはカメラは手元に置くことができるようになり,外の積乱雲だけは撮ることができた。もっとも,与那国島まではずっと雲海となっており,写真の題材はなかった。多少,揺れは感じたものの飛行機は問題なく与那国空港に到着した。
民宿おじ〜の家
与那国島の宿は民宿「おじ〜の家」を予約しておいた。「おじ〜の家」は祖納にあり,空港からはちょっと距離がある。到着便を知らせておいたのでおじ〜が迎えにきてくれているはずであるが,空港を出てもそれらしい人は見つからない。あれっと思っていると彼が現れ,軽トラックで民宿に向かうことになった。
この民宿は食事は無く自炊が基本である。もっとも朝夕はごはんだけは炊いてくれるので自分でおかずを調達すればよい。民宿はけっこう広く部屋や廊下にもベッドが置かれている。僕は2段ベッドと布団が1つ敷かれた部屋となった。二段ベッドの下段は特に問題はない。しいて言うと上の豆球が明るすぎるのが難点である。料金は3連泊以上の場合,1泊1500円となる。
おじ〜の家の居間と台所
無線LANの環境もあり,モバイル環境も問題ない。たたし,島の環境はPCには厳しいうようで,HDは頻繁に故障しているとのことであった。確かに潮混じりの強い風が一年を通して吹いているのでさもありなんと思われる。
中央はゆんたくの空間となっており食事はここでいただいていた。奥に台所と宿泊客用の冷蔵庫がある。調理はプロパンガスコンロが使用できる。シャワーは建物の裏手にあり,お湯も利用できる。
強風地域では珍しい木造の二階家
与那国島の滞在予定は4泊であり,3日間かけて島を一周する計画である。滞在2日目は10-15mほどの強い北よりの風が吹いている中を祖納→東崎→立神岩→アヤミハビル館→祖納と歩いた。宿を出ると珍しい木造2階建ての家があった。強風地域でこのような建物があるのは珍しい。
祖納港の波消しブロックに大きな波が押し寄せる
祖納港の東側にある消波ブロックには白波が次々と押し寄せてきて砕け散り,潮の飛沫は風に乗って道路まで飛んでくる。これはやっかいである。カメラとメガネの両方のレンズが汚れ,たびたびティッシュペーパーで拭わなければならない。
ザックの中のポケットティッシュ―は4-5回拭くともう新しいものにしなければならず,消費量が増える。東崎に到着した頃には紙がなくなり,たまたまやってきた人からいただくことになった。風は強いものの雨にはならず,それだけは幸いであった。
浦野墓地群
祖納の北側の海岸は浦野墓地群となっており,沖縄特有の亀甲墓が一様に西向きに並んでいる。すぐ北側は海岸であり,遮るものがないので潮混じりの強い風が吹き渡っていく。ここでの写真もカメラ泣かせであった。
沖縄のお墓といえば「亀甲墓」であり,広い面積が必要となるのでいきおい墓地も広くなる。少し東側には本土のような直方体の石を立てたお墓もあり,与那国島の葬礼文化も少しずつ変わってきているように感じられる。
広場の背後にティンダハナタの岸壁がそびえる
墓地の南側は広場になっており,かってはここで地域の行事が行われていた。海岸方向から見ると広場の向こうにはティンダハナタの岸壁があり,その間に祖納の集落が広がっている。
潮混じりの強風のためカメラのレンズをしょっちゅう拭く
熟しかけたアダンの実
熟しかけたアダンの実がグンバイヒルガオの群落の中に落ちていた。集合果であるアダンの本来の姿は樹木に付いたまま一つひとつの果実が周辺に散らばることになる。
宇良部岳を背景にした長命草の畑
島の東側中央には標高231mの宇良部岳がそびえており,頂上にNTTの中継塔が立っている。その宇良部岳を背景に長命草の畑が広がっていた。長命草(チョーミーグサ)の正式な和名はボタンボウフウ(peucedanum japonicum,セリ科)であり,沖縄では「1株食べると1日長生きできる」とされるありがたい植物である。
実際,効能成分としてビタミン,ミネラル,ポリフェノールが豊富に含まれており,さらにイソサミジンやクロロゲン酸などの成分が含まれており,抗菌作用,コレステロール,血圧,動脈硬化防止などに効果があるといわれている。
「ウリミバエ」の予防対策
道路わきに二つの容器が吊り下げられていた。このような容器は島の多くの場所で見かけることになった。容器の目的は皆目見当がつかなかったが,この日に訪れたアマミハビル館で「ウリミバエ」の予防対策であることが明らかになった。
ウリミバエはミバエ科に属するハエの一種であり,東南アジアに分布している。20世紀に入って八重山諸島で初めてその存在が確認され,その後,宮古諸島,沖縄本島に広がり,1974年に奄美群島にまで拡大していった。
ウリミバエのメスは腹の先にある産卵管を果実に突き刺し,果実の中に卵を産み付ける。ウリミバエは名前の通りスイカやキュウリ,ゴーヤーなどのウリ類を始め,タンカン,トマト,ピーマン,パパイヤといったさまざまな果実を食害するやっかいな農業害虫である。
ウリミバエを防除する方法として不妊虫放飼と呼ばれる手段がとられた。これは羽化2日前にガンマ線を照射して不妊化した飼育個体をヘリコプター散布などにより大量に野外へ放虫して野生個体の繁殖を阻止する方法でる。
交尾行動を正常に行うが繁殖能力のない不妊個体数が野生個体数より十分多ければ,野生個体同志が交尾する確率は低下し,これを続けると世代を重ねるごとに繁殖能力のある個体は数を減らし,最終的にはゼロになる。不妊雌は産卵管を果実などに挿入して被害を出すことは極めて少ないのでこのような大規模の不妊虫放飼が可能となる。
この「不妊虫放飼法」は成功し,日本では1993年にウリミバエを根絶することができた。そのための費用は204億円とされている。同様にして1986年にミカンコミバエを沖縄全域から根絶している。
このように成功裏に終わったミバエ根絶プロジェクトであるが,東南アジアなどからの再侵入に備えて規模を小さくして予防的な放飼を継続している。実際,ウリミバエが確認されると,特定の地域の特定の農産物の移動が禁止されるなど,大きな影響が生じる。
テキサスゲートの先は放牧地域となる
与那国島の東側一帯は肉牛や与那国馬の放牧地となっている。動物は牧草地の間を自由に行き来できるようになっているので,どこかに放牧地との境界が必要になる。多くの場合,密林のようになっている植生が境界線となっているが,道路が問題となる。
車の通行を妨げずに動物が通過できないようにするために,このようなコンクリートの溝構造が採用された。簡単に言うとコンクリートの溝の一部にコンクリートの横板を渡した構造であり,動物は渡し板の間に足が落ち込んでしまうのを恐れて渡らないという。名前からしてテキサスの牧場で同じような目的のため開発されたものであろう。
与那国馬の放牧地
テキサスゲートから先は与那国馬の放牧地となっている。
アダンの林を切り拓いて牧草地にしている
放牧地は最初から草地であったわけではない。クバやアダンなどの植生を伐採し草地に変えたものだ。ここでは防風林として海岸沿いの植生は残している。また,全体の6割程度は植生をそのままにしている。
与那国馬は性格がおとなしく近くに寄ることができる
与那国馬は性格がおとなしいのでかなり近くによっても恐ろしさは感じない。もっとも,馬の方がどのように感じるかは知る由もないが…。
与那国島の電力供給
与那国島の最大需要電力は2160kwであり,系統停電を回避するためには与那国島は少なくとも2500kw程度のジーゼル発電設備が必要となる計算である。島の発電設備は次の通りである。ついでにユニット数や年間発電量も表にまとめたかったが,そのようなデータはネット上では見つからなかった。
項目 |
風力発電 |
ジーゼル発電 |
設備容量合計 | 1200kw | 2910kw |
ユニット数 | 2基 | ■ |
鉛蓄電池容量 | 500kw x 2 | ■ |
年間発電量 | ■ | ■ |
沖縄県における電力供給は日本の他の地域とはかなり異なっている。それは本島から遠く離れた離島が多いことによる。通常,一つの電力会社は管内全域で大規模な電力供給ネットワークを形成し,さらにそれが他の電力会社のネットワークとも接続されて相互に電力を融通できるようになっている。ところが,沖縄ではほとんどの場合,島毎に独立系統で電力を供給しなければならいない状況にある。
そのため,離島での電力供給は小規模のジーゼル発電機が使用される。ジーゼル発電は小型で熱効率が高く,燃料に重油を使用できることから発電コストを抑えることができる。
それでも,コスト的には大規模発電システムに比して高く,1kwhあたり60円で発電して22円で売るという赤字体質となっている。そのため,風力や太陽光発電など自然エネルギーでベースロードをまかない,不足分をジーゼル発電機で補うシステムが望ましいとされるようになってきた。
とはいうものの,独立系統ではそのような調整は簡単ではない。例えば与那国島では風力発電とジーゼル発電の組み合わせで電力をまかなっており,風車の停止などに備えてジーゼル発電だけで最大電力をまかなう程度の設備容量をもたなければならない。
ジーゼル発電機は出力を50-100%の範囲で調整できるが,そう頻繁に起動・停止を繰り返すことはできない。そのため,風力発電システム側にも出力安定化が求められており,蓄電池と組み合わせた「蓄電池併設型風力発電システム」が与那国島にも導入されている。
また,150kwの太陽光発電設備と同容量のリチウムイオンキャパシタ蓄電装置も新設されており,太陽光発電が系統へ与える影響を確認する実証試験も実施されている。
離島では地域内の電力を地域内でまかなうという独立システムが必須であり,それが自然エネルギー発電と組み合わされることにより,日本の他の地域でも利用可能な分散型電力供給システムのモデルとなる可能性がある。
灯台の周辺も放牧地となっている
東崎(あがりさき)は島の最東端に位置する岬であり,周囲は断崖となっている。東崎の先端部には灯台があり,そこからは270度の遮るもののない海の風景を楽しむことができる。周辺は牧草地となっており,与那国馬がきれいに草を食べるため,まるで芝生のようになっている。
風車と押し寄せる波の景色
2基の風車は東崎の付け根に北向きに設置されている。風車の北側は急斜面が海に落ち込んでおり,そこに沖合からの大きなうねりが規則的に押し寄せてくる。
強風の中での景色は生涯のものとなるだろう
東崎は遮るものがないので強風が吹きすさび,眼下に砕ける白波を巻き込み,潮混じりの風となって断崖の上まで運んでくる。風と波がなければここからは穏やかな黒潮の海の風景を楽しむことができるのであろうが,このような荒々しい風景はより深くこころに残りそうである。
与那国島の周囲はほとんど断崖となっている
東崎から南西側も断崖の景色が続いている。与那国島の周囲は7割くらいがこのような断崖となっている。
数十m下では波が砕け散る
断崖の下では押し寄せてくるうねりが岩にぶつかり,空気と一緒に撹拌されている。沖合の海の色は鮮やかなコバルトブルーであり,島に近づくと青色が薄くなり,空気と一緒に撹拌されると白く泡立つようになる。
海水が白く泡立つのはどうしてかというと,それは海水中に空気が入り込み小さな気泡ができるからということで説明できる。これは石鹸の泡が白く見える,あるいは本来は透明な塩や砂糖の小さな結晶が白く見えるのと同じ現象である。
ポイントは小さなものがたくさん集まっていることである。光が小さな物体に当たると反射するが,物体の表面は鏡のような滑らかな平面ではないのでいろんな方向に反射する。これを拡散反射あるいは乱反射という。
太陽光はいろんな可視光色の成分を含んでおり,それが乱反射されるると人間の目はすべての波長成分が入ってくるため白く感じることになる。海水も大量の気泡を含むと,表面で乱反射が起こり白く泡立つことになる。
さらに,気泡は光の波長より大きいため海中でもミー散乱あるいは乱反射が起こるため,白く泡立った領域の外側にも青色の薄い領域が生じる。
というのがにわか科学者になった僕の見解であるが,正しいかどうかははっきりしない。ネット上にもどうして波が白く泡立つのかということについて科学的な解説をしてくれる情報は見つからない。
実際にはそのようなことを考えながら海を眺めていたわけではない。波しぶきは北寄りの風にあおられ,断崖の上まで飛んでくる。そのため写真を撮りながら何回もメガネとカメラのレンズをぬぐうことになった。確かにこんな状況下で酷使されるカメラは気の毒だ。
ホソバワダン
ホソバワダン(Crepidiastrum lanceolatum,キク科・アゼトウナ属 )は本州西部から沖縄にかけての海岸に生育する多年草である。沖縄ではンジャナと呼ばれ,健康野菜として利用されている。
東崎灯台とお別れする
強風にあおられ,潮まじりの風に悩まされた東崎とお別れする。おそらく,今後は東崎と聞いただけで潮まじりの強風というイメージが自動的に連想されることだろう。
来し方を振り返ると
島内一周道路を東崎から立神岩の方向に歩いていく。南に向かうと遮蔽物のおかげで風はかなり弱く感じられる。草地とアダン・クバの塊が交互に出てくる道をひたすら歩くことになり,来し方を振り返るとずいぶん向こうに東崎の灯台が見える。こうして見ると,東崎は周辺より一段高くなっていることが分かる。
内陸部には広い放牧地が広がっている
道路の周辺にはいくつかの放牧地があり,こちらは柵で囲われている。この放牧地には牛が飼育されており,それが道路に出てきたらちょっと怖いことになる。実際,滞在3日目は南牧場の道路で牛に遭遇し,たまたま通りかかった車を盾にしてすれちがうことになった。
サンニヌ台展望台の途中で車が止まり,「どちらに行かれるんですか」と尋ねられた。とっさに「サンニヌ台」という言葉が出ず,「立神岩」と言ってしまい,結果的には立神岩の東側展望台に運ばれてしまった。ということでサンニヌ台はスルーすることになった。
東側展望台から見る立神岩
サンニヌ台から1kmほどのところに立神岩がある。この岩の遠望台は東側,直上,西側の3か所がある。車から降ろしてもらいお礼を言ってお別れする。そこは東側の展望台であり,少し離れたところに高さ20mほどの奇岩が立っている。
海面から直立する特異な形状に昔の人々は神が宿っていると考え,立神岩と名付けたのだろう。島の断崖と立神岩はかなりの距離がありそうだが,かっては島の断崖の一部であったことだろう。
絶え間なく押し寄せる黒潮の流れは島の南部を浸食していき,たまたま固い岩でできていた部分だけが残ったと考えられる。このように海食により取り残された岩柱を海食柱という。立神岩の西にある軍艦岩も同様な海食柱である。
展望台の風よけにはサンゴ石灰岩が使用されている
与那国島の基盤は第三紀堆積岩であり,その上に比較的新しい琉球石灰岩(サンゴ礁石灰岩)が乗った構造をしている。ただし,度重なる断層活動により起伏に富んだ地形となっている。
祖納集落の背後にそびえるティンダハナの断崖は琉球石灰岩の地層が断層作用により断崖を形成したものである。ティンダハナの最上部は平坦な台地状の地形であり,その中腹には海食により深くえぐられた地形が残されている。
与那国島は土地の隆起,サンゴ礁の発達,断層活動,海食が組み合わされて複雑な地形を形づくった。島内には琉球石灰が豊富にあり,立神岩の展望台の風よけにも使用されている。中にはサンゴ時代の痕跡がそのままのものもあり,比較的若い琉球石灰岩であることも分かる。
ソテツの雌株はちょっと不気味だ
ソテツ(Cycas revoluta,ソテツ科・ソテツ属)は日本に自生する唯一の種である。日本の自生地は九州南部と沖縄県となっている。根の根粒に窒素固定能をもつ藍藻類を住まわせているため,やせた土地でもよく育つ。
幹の先端部を取り囲むように多数の葉が付き,その中央部に花を咲かせ実をつける。雌雄異株であり,写真のものは雌株なので実をつけている。島内では何枚もソテツの写真を撮ったがすべて雌株のものであった。
ソテツの実はでんぷん質が含まれており,アク抜きと発酵などの処理をすつことにより食用になる。通常時は食用にしないが,島で飢饉が発生した時はソテツの実で飢えをしのいでいた。そのような歴史からソテツの雌株が優先されたのであろう。
立神岩直上の展望台|北海岸まで見通せる
少し歩くと立神岩直上の展望台に向かう道が分岐している。ここを上り詰めると断崖の下に立神岩を見ることのできる展望台に出る。ここは断崖の上に位置しているので,琉球石灰の囲いがある。展望台は周囲より高いところにあるので,内陸側を見ると比較的平坦な地形の向こうに海までが見通せる。この風景の中にも北西→南東方向の2本の断層が入っているはずだ。
立神岩直上の展望台|なぜかショウキズイセンが咲いていた
展望台と断崖を仕切るようにある琉球石灰岩の囲いのところに数株のショウキズイセン(Lycoris traubii W.Hayw,ヒガンバナ科・リコリス属)が咲いていた。ショウキズイセンは黄色のヒガンバナという形容がぴったりする。
「ショウキラン」という別名をもっているが,ショウキラン属は別種であり,誤解を避けるためにはショウキズイセンが分かりやすい。実際,google でショウキランの画像を検索すると二種類の植物が混在している。
ショウキズイセンは九州や四国の暖地,および沖縄に自生している。かっては,沖縄で普通に見られた植物であるが野山から採取して自分の庭に植える人が多く,自然界ではほとんど見ることができなくなった。現在では石垣島,与那国島,久米島などで見ることができる。
直上の展望台から見る立神岩
立神岩はこの角度から撮るのがもっとも迫力がある。ただし,石灰岩の柵の内側からでは突き出した岸壁にジャマされてしまうので,この写真は柵の外側から撮った。写真をどの位置から撮るかは個人の自由であるが,柵の外に出る場合はすべて自己責任であることは言うまでもない。
展望台から見る東側の断崖
展望台から東側の断崖を遠望するとこのような景色になる。かなり先に見えるのが東側展望台であり,望遠レンズを使用しない限り迫力のある写真にはならない。
宇良部岳がだいぶ近くなってきた
一周道路に出て西に歩いて行くと宇良部岳がだいぶ近くなってきた。宇良部岳の東側には断層が走っており,おそらくその境界が祖納に向かう道になっているのだろう。
西側展望台から見る立神岩
一周道路から海岸方向へのちょっと怪しい枝道があったので進んでみると,立神岩の西側展望台に出た。ただし,この展望台はあまり利用されることはないようで,枝道も展望台の周囲も草や木が生い茂っていた。
来し方を振り返る
縮小前の画像では左奥に東崎の灯台が小さく見える。この辺りの道路は南に傾斜する斜面を削り取って造営している。
オオジョロウグモ
オオジョロウグモ(Nephila pilipes,ジョロウグモ科)は日本で最大のクモであり,昆虫等には十分免疫のある僕でもちょっとたじろぐサイズのものもいる。足が長いこともあり最大のものは20cmにもなるという。
本来の食性はセミやチョウなどの昆虫であるが,ときには巣にかかった小鳥も食べてしまうという。もっとも,このように大きくなるのはメスだけであり,オスは格段に小さく,体色も真っ赤なので別種のように異なる。
このあと訪問したアヤミハビル館ではオオジョロウグモが小鳥を食べるという衝撃の画像が展示してあった。このクモは巣にかかったものは何でも食べてしまうようだ。
とはいうもののオオジョロウグモは鳥の肉を噛み切って食べるわけではない。巣にかかった鳥に毒を注入して動けなくさせてから,時間をかけて汁にして飲み込むという。
身の毛がよだつまではいかないもののかなりショッキングな話である。そのような衝撃の写真の解説で申し訳ないが,写真の中に数匹の小さな赤いものが見える。これがオオジョロウグモのオスである。メスに比べて格段に小さいことがよく分かる。
カマキリの卵塊を発見
カマキリの仲間は世界に2000種ほどが知られており,日本には9種類が生息している。和名の由来は「鎌で切る」という説と「カマをもったキリギリス」という説がある。6本の脚のうち前脚が鎌状になっており多数の棘がある。カマキリは肉食であり,この鎌状の前脚で獲物を押さえつけて大顎でかじって食べる。
メスは数百個の卵を比較的大きな卵鞘の中に産み付ける。卵鞘は卵と同時に分泌される粘液が泡立って形成される。卵は卵鞘内で多数の気泡に包まれ,外部の衝撃や暑さ寒さから守られる。卵から孵化した幼虫は体長が数mm程度であり,翅がないことを除けば成虫とよく似た形態をしている。幼虫は周辺の小動物を捕食し,脱皮の度に大きくなり,成虫は自分よりも大きな昆虫なども捕食する。
陽当たりの良いところをクワズイモが占拠する
クワズイモ (Alocasia odora,サトイモ科・クワズイモ属)はサトイモを巨大にしたような葉をもつ常緑性多年草である。大きな葉は傘に出来るほどにもなる。中国南部から東南アジア,インドなどの熱帯・亜熱帯地域に分布し,日本では四国,九州の暖地から沖縄に自生する。日当たりの良い場所を好み,林が切れたようなところや陽の入る明るい林間に大きな群落を形成する。
光沢のある葉が好まれ,本土では観葉植物として流通している。クワズイモの棒状の塊茎は毒性があり,食用とはならないので「クワズイモ」と呼ばれている。しかし,中には毒抜き処理より食用にできるものもあり,東南アジアや西太平洋に島々では栽培されている。
アヤミハビル館に到着
荒川鼻の手前で一周道路から祖納に向かう道に入る。この道は宇良部岳の東側を通っており,その途中にアヤミハビル館がある。道路に案内板があるのでアクセスは容易だ。祖納に向かう道路脇には国泉泡盛・どなんの酒造所があり,そのまま坂を上っていくとアヤミハビル館に到着する。
「アヤミハビル」とは「ヨナグニサン」の方言であり,アヤミ=模様のある,ハビル=蝶という意味である。ヨナグニサンを漢字表記すると与那国蚕であり,与那国島で最初に見つかったのでこの名前が付けられた。
ヨナグニサンはヤママユガの仲間で,インドから東南アジア,中国,台湾,日本にかけて幅広く分布し,いくつかの亜種に分けられている。日本亜種であるナグニサン(Attacus atlas ryukyuensis,ヤママユガ科・ヨナグニサン属)は八重山諸島(与那国島,西表島,石垣島)にのみ生息しており,沖縄県指定の天然記念物となっている。
与那国島に行ったらヨナグニサンを見たいとアヤミハビル館にやってきたわけである。その名の通り,アヤミハビル館はヨナグニサンの保護のため,その生態を科学的に解明するとともに亜熱帯の自然のすばらしさを体感させてくれる与那国町が運営する施設である。施設の詳細や展示内容は「アヤミハビル館公式サイト」を参照していただきたい。
アヤミハビル館の前は広い芝生のようにになっており,そこには費用のかからない二匹の草刈り機が出迎えてくれた。おそらくこの草地はほとんど手入れの必要はないであろう。
ヤギはほとんど費用のかからない自動草刈り機であり,草地を芝生のようにきれいに刈ってくれる。しかも,ときには肉を提供してくれるあるがたい動物である。日本でも山村集落の周辺の草刈りは大変な労働であるが,ヤギや牛を上手に使うと重労働は不要となる。特にヤギはほとんどの植物を食べるので,優秀な草刈り機になる。
今年羽化したヨナグニサンの標本
残念ながらここでは生きたヨナグニサンの成虫も幼虫も見ることはできなかった。写真のものは今年羽化した成虫の標本である。館内の展示内容は次の通りであり与那国島の自然について多くを学ぶことができた。
(1)与那国島に生息する生物の飼育展示
(2)アヤミハビル飼育コーナー
(3)ビデオ室ではヨナグニサンを随時上映
(4)与那国島の昆虫コーナー
峠から祖納の村が眺望できる
峠からは祖納の村を眺望できるが,やはり写真の左にあるティンダハナから見る方がずっとよく分かる。
北側から見る宇良部岳
与那国島の最高峰宇良部岳(231m)は円錐形に近い形状をしているので,どこから見ても同じように見える。実際には南側には東西方向のなだらかな丘があり,西側はインビ岳(164m)に続いている。
祖納港に流れ込む川にはマングローブが見られる
道なりに歩いて行くと川沿いの道に出た。田原川は宇良部岳の北側を水源として祖納湾に注ぐ全長2kmほどの川である。河口から500mほどは湿地帯となっており,水路との境界はヤエヤマヒルギを主にしたマングローブ林となっている。
クロツグ
川沿いの道から橋を渡りティンダハナの中腹崖に通じる遊歩道を上っていく。この遊歩道の周辺にはクロツグとクバが多く見られる。
クロツグ(Arenga engleri Becc. ,ヤシ科・クロツグ属)はかなり変わった樹形をしたヤシの仲間である。幹に相当する部分があまりはっきりせず,地面近くから長い葉柄が束になって出ているような印象を受ける。
実はこの黒い繊維に覆われた束の部分が茎にあたり,そこから葉部を含めると3-4mにもなる葉柄が出ている。雌雄同株であり,雌花と雄花は別の花序となる。果実は2cmほどの楕円形であり,熟すると赤みを帯びた黄色になる。クロツグの本体は何回か見ているが果実を付けているのは初めてである。
ティンダハナタへの遊歩道にはクバが多い
クバの正式和名はビロウ(Livistona chinensis,ヤシ科・ビロウ属)であり,海岸近く生育する常緑高木で高さは15mほどになる。日本では九州・四国の暖地,琉球列島に分布する。
沖縄ではクバと呼ばれ,直径1.5-2mにもなる大きな葉はさまざまな生活用具に利用されてきた。乾燥させた葉は屋根葺きの材料,サバニの帆,クバ扇,クバ笠,クバ蓑などになり,島の住民にとってはもっとも有用な植物の一つであった。また,御嶽にはしばしばクバが植えられており,祭祀などにも使用されてきたと推察される。
クバの生葉は強い殺菌作用があることから,携行食品をこれに包んでいた。現在でも与那国空港にはクバの葉にくるまれた「クバもち」が売られており,黒島に移動した時の昼食としておいしくいただいた。
特徴のある葉のためハブカズラは一度見ると忘れない
ハブカズラ西表島上原,大原に続いて3回目の登場である。ハブカズラ(波布蔓,サトイモ科・ハブカズラ属)は多年草となっているが茎は木質化しており,付着根で大きな木や岩をよじ登る。
熱帯や亜熱帯では陽光をめぐる植物間の競争が激しく,いかに他の植物に先んじて陽光のある上部に伸びていけるかがそのカギとなる。幹を伸ばしていたのでは遅くなるので,ちゃっかり他の樹木をよじ登って陽光にあたろうとするのがツル性の植物である。
ハブカズラの特徴は切れ込みの入った大きな葉であるが,若葉は卵状楕円形であり,大きさは30-50cmになる。成長すると葉脈のところに切れ込みが入り,特異な形状となる。この形状であれば一度見ると忘れることはない。
ティンダハナタ入り口
ティンダハナタ(ティンダハナ,ティンダバナ)は祖納集落の西側に屏風のようにそびえる琉球石灰岩の岩山で,上部は平らな台地状の地形となっている。与那国島の基盤岩は第三紀堆積岩であり,その上に比較的新しい琉球石灰岩(サンゴ礁石灰岩)が乗った構造をしている。
ただし,度重なる断層活動により島は起伏に富んだ地形となっている。ティンダハナタは二つの断層の交点に位置しており,正断層として隆起したのではと推測する。与那国島全体も岩盤の隆起,サンゴ礁の形成,断層活動,海食を繰り返し現在のような地形となっている。
ティンダハナタの中腹は大きくえぐられて半トンネルのような地形となっている。これは琉球石灰岩の台地状地形が海面の上に出たとき,海食によりできたものであろう。その後,島全体がゆっくりと隆起し,断層活動もあり現在のような特異な地形となったと考えられる。
イヌガン
この海食を受けてえぐられた中腹崖には遊歩道が整備されており,伝説で彩られたサンアイイソバの碑や女性と雄犬が同衾していたというイヌガンなどいくつかの見どころが案内板などで表示されている。イヌガンの伝説の概要は次の通りである。
久米島から沖縄本島に向かう朝貢船が難破し与那国島に漂着した。この船には複数の男性と一人の女性,一匹の雄犬が乗船しており,漂着後に犬は男性をすべて殺害し女性と同衾することになった。あるとき小浜島の男が漂着し,彼は格闘の末に犬を殺害し,女性と夫婦になり子宝にも恵まれた。あるとき小浜島の男は口を滑らせて犬を埋めた場所を妻に話してしまった。翌日,彼女は姿を消し,男が探すと犬の骨を抱いて息絶えていたという。このような異類婚姻譚は本土にもあり,南総里見八犬伝はよく知られている。
コトウシュウカイドウ
コトウシュウカイドウ(Begonia fenisis Merr. ,シュウカイドウ科・シュウカイドウ属)は八重山諸島に分布しており,本土のシュウカイドウ(Begonia grandis)とは別種の植物である。
雌雄同株異花であり,大きいものが雄花,小さいものが雌花である。雄花の花弁は4枚に見えるが,このうち大きなもの2枚は萼である。
日本にはシュウカイドウの仲間は3種あり,そのうちコトウシュウカイドウとマルヤマシュウカイドウだけが自生種であり,本土のシュウカイドウは園芸帰化種である。
深くえぐられている岸壁が続く
遊歩道はさらに続き,岸壁から沁み出す泉や 伊波南哲の詩碑などがあるが,写真の枚数が増えるので紹介できない。
ティンダハナタから眺望する祖納港
ティンダハナタの中腹遊歩道からは祖納集落が一望できる。
人頭税廃止百年記念の碑
人頭税とは「納税能力の差に関係なく各個人に対して一律に同額を課する租税」と定義されており,世界的にも古代から採用されているが,納税能力の無い者にも課税するということで人々の支持は得られず,現在はどの国でもこの制度は行われていない。
八重山では1636年に人口調査が行われ,翌1637年から人頭税が課せられるようになった。これにより,15歳から50歳までの人口に基づき,村単位で(年齢区分と耕作状況を加味して)課税されるようになった。税率は過酷であり,多くの悲劇的な伝説を生み出している。
明治維新後も人頭税は継続され,1893年(明治26年)に宮古・八重山の人々が中央政府に直訴することよりようやく廃止された。八重山では人頭税廃止の祝賀会が行われた。この石碑は2003年に中央政府に直訴した人々の行為を讃えるとともに,人頭税廃止の歴史的意義を後世に伝えるために建立された。
祖納港とナンタ浜
祖納集落の西側にナンタ浜という白砂のビーチがある。与那国の民謡「ナンタ浜」でも唄われているように島の人々にとって大切な浜であったが,現在は祖納港の一部のようになっており,かっての趣は失われている。
それでも,防波堤に守られた穏やかな海の色は南国の雰囲気を伝えてくれる。もっとも,僕が訪れたときは大きな波が押し寄せてきて,岸壁に砕け散るという状況であり,滞在3日目にようやく穏やかなナンタ浜を見ることができた。
自衛隊の部隊配備と誘致問題
与那国島では自衛隊配備計画を巡って島を二分する論争となっている。中国艦船による尖閣島周辺海域の領海侵入により国境警備を強化したい防衛省と自衛隊を誘致して経済効果を期待する島民の思惑が一致したことにより計画は進み,2013年8月の町長選挙は町を二分するものとなり,563票対506票の僅差で推進派の現職が当選した。しかし,配備計画を強引に進めれば町民の反発が大きくなる可能性もある。
どこの自治体でも住民を二分するような事柄については最大限の慎重さが必要となる。町長選挙に勝利した=配備の承認を得たというような短絡した考えでは,その後に住民間の大きなしこりを残すことになる。民主主義とは絶対賛成,絶対反対の決着をつける二者択一ではなく,妥協点を見出すプロセスが機能しなければならない。