バンダル・アンザリはカスピ海沿岸にある小さな町である。カスピ海は面積374,000km2,日本とほぼ同じ面積の内陸塩湖である。湖全体の平均塩分濃度は1.2%であり海水のほぼ3分の1である。ただし,内陸湖であるため河川の流入量により塩分濃度は異なり,北部は大河ヴォルガ川により真水が供給されるため塩分濃度は南部に比べて低い。
カスピ海の水面標高は-28mであり,これはカスピ海の形成に起因している。5000万年前には大陸移動によりユーラシア大陸とアフリカが接近し,その間に合った熱帯の「テチス海(古地中海)」はしだいに狭められていく。
その頃,ヨーロッパはまたアジアとはつながっておらず,その南半分は海であった。中央アジアは現在の地中海につながる海であった。アジア大陸とヨーロッパ,アフリカ大陸の衝突によりアルプス山脈,ザグロス山脈,カフカス山脈,アラル山脈が形成され中央アジアは地中海から切り離され,巨大な内陸湖となる。
海水の供給が止まると,河川の流入水量と蒸発量がバランスするところまで面積は縮小し,カスピ海とアラル海が形成された。地中海および黒海はからくも大西洋とつながり,海として存続することができた。
地質時代の歴史をひもとくと地中海,黒海,カスピ海,ペルシャ湾はかってのテチス海の名残ということができ,ペルシャ湾周辺やカスピ海周辺で石油や天然ガスが豊富に存在するのはかってのテチス海の遺産でもある。
また,ヨーロッパには地下資源として岩塩が多いのも5000万年前に始まる大陸衝突の遺産でである。岩塩の起源は海水であり,地殻変動により陸地に取り残された海水が蒸発し,塩分が低地に厚く堆積したものである。
カスピ海を海とするならば世界最小の海,湖とするならば世界最大の湖ということになる。カスピ海が湖とすれば慣習法にのっとり,カスピ海に面したロシア,アゼルバイジャン,イラン,トルクメニスタン,カザクスタンで均等に分割し,湖の上に国境線が引かれるようになる。当然,国境内の資源は自国で管理することができる。
一方,海だとすれば海洋法に関する国際連合条約(国際連合海洋法条約)が適応され,沿岸から12海里の領海,200海里(370km)の排他的経済的水域が設定される。相手国の沿岸までが400海里未満の場合は,両国の中間点で線引きすることになる。排他的経済的水域内の資源は自国で管理することができる。
どちらにしても,経済面・資源面からはカスピ海は分割されることになるが,カスピ海に南側に位置し沿岸線の短いイランにとっては,海とした場合は排他的経済的水域はかなり狭くなるという問題を抱えている。そのためイランはカスピ海は湖であると主張している。しかし,ロシアを始めとする他の沿岸国は海であると主張し,自国の排他的経済的水域内の資源開発を進めている。
バンダル・アンザリの東側には間にラシットという大きな町を挟んでラムサールという保養地がある。1971年にここで「湿地および水鳥の保全のための国際会議」が開催された。そこで「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」が採択された。この条約は開催地にちなみ「ラムサール条約」と呼ばれている。
そのような条約が結ばれたのにもかかわらず,ラムサールには湿地がほとんを無いようだ。それに対してバンダル・アンザリでは桟橋からアンザリ潟を遊覧するボートで出ており,豊かな自然を楽しむことができるという情報が複数の旅行記に記されていたので訪問することにした。
テヘラン→アンザリ移動
宿から地下鉄のイマーム・ホメイニ駅まで歩く。ここから西バスターミナル行きのバスがあるはずなのに誰に聞いても「知らない,バスは無い」という答えであった。彼らの助言に従いアーザディまで地下鉄で移動し,そこから乗り合いタクシーで西バスターミナルまで移動する。
タクシーで一緒の乗客は2000リヤルを出してコインのおつりをもっらていたので僕も2000を出す。運転手は1万リヤル札を出して「これだよ」と言う。僕は「みんな2000だったよ」と笑いながらそれを退けると運転手はあっさり引き下がる。イランの乗り物ではほとんどぼられることはなかったが,たまにはこのようなことがあるので他の乗客の支払いをきちんとチェックしておくほうがよい。
西バスターミナルに到着すると恐ろしい数のバスが並んでおり,どのバスに乗っていいやらまったく分からない。チケットの窓口もさっぱり見つからない。周りの人たちに「バンダル・アンザリ」と言ってもさっぱり分かってもらえない。
どうやらアンザリへの直行バスは無いのだろうと判断し,近くの比較的大きな町である「ラシッド」と告げると,「それなら,向こうの建物だよ」と教えてくれた。制服の男性にラシッドと告げると彼はラシッド行きのバスの運転手であった。彼の案内で名前を登録し,別のカウンターでチケット(4万リヤル)を購入する。
バスはメルセデス製できれいだ。荷物は車体横の荷物室に入れる。動き出したバスは市内の何ヶ所かで乗客をひろい,テヘランを出るときにはほとんど満席になっていた。
テヘランからカスピ海に出るにはカスピ海の南を東西に走るエルブルズ山脈を越えなければならない。山脈の南側は岩だらけの荒地になっており,樹木はおろかほとんど緑が見当たらない荒涼とした世界が広がっている。
それが峠を越えると一転して緑の世界に変わる。谷には樹木が生い茂り,岩山の相当部分も緑になっている。さらに下ると平地は豊かな農地となり,大きな川も流れている。水が得られるところでは広大な水田もあり,ここがイランとは信じられない光景が続く。カスピ海とエルブルズ山脈に挟まれた地域は湿潤であった。
バスはラシッドのBTではなく路上に停まった。ここからどうやってアンザリに行くのか不安がいっぱいである。運転手に「アンザリに行きたい」と告げると,「そのままバスに乗っていなさい」と言われる。バスはさらに進み僕は再び路上で降ろされた。
サゼカリ・ホテル
タクシーの運転手がやってきて「アンザリの日本人がよく泊まる安宿に行ってあげる」と話しかけらた。アンザリの宿情報はほとんど分からないのでお願いすることにした。アンザリは幹線道路沿いに細長いためタクシーは6kmほど走って宿に到着した。料金は1万リヤルと安い。運転手にしてみるとアンザリ観光に誘うのが主目的のようだ。
サゼカリ・ホテルはカスピ海に面した部屋数20ほどのこじんまりとしたホテルであった。造りからしてリゾートホテルのようだ。海に近い建物が安く,中庭に面した新しい建物は少し値段が高いようだ。マネジャーを交渉し2日間の約束で1泊8万リヤルとなった。
2階の部屋はアパートのように外廊下で結ばれている。部屋は8畳,1ベッド,シャワー付きで清潔である。トイレは共同で通路の外れにある。部屋の隅には大きなストーブがあり冬はそれなりに冷えることが分かる。
部屋の海側はテラスになっており,そこからカスピ海を眺めることができる。建物がほぼ北に面しているため05時に起きると日の出の風景を楽しむことができ,19時には夕陽の風景も見られる。夜間も静かで環境は良い。波の音だけが規則的に響いてくる。
問題は夜間に襲ってくる蚊と喉の具合である。アンザリに移動するとき,喉の具合が悪く,何回も水で喉を潤していた。ときどき微熱もあり,疲れを感じることもある。バーレーンの寒い空港内で仮眠をとったのが良くなかったようだ。
夜は蚊の襲来がひどく完全な寝不足である。夜中に明かりをつけると白い壁に10匹ほどの蚊が止まっている。これでは耳元がうるさいはずだ。道具がないのでタオルでたたいて退治したが,またどこからか集まってくる。
05時に起きると東の空がわずかに色付いている。下に降りて湖岸に出る。湖岸はコンクリートの巨大なブロックになっている。茜色が次第に強くなっていき,みごとな朝焼けになる。5:300に太陽が水平線から顔を出す。茜色の世界の中心に位置する太陽は白色,そのすぐ外側は黄色の光輪となっている。海も赤く染まり一級品の風景を飽きもせず眺める。
海面から突き出て並んでいる棒杭の上にはカモメが何羽か止まっており,風景にアクセントを添えている。光の世界に変わり,茜色が薄くなると水面を滑るように漁師の小さなボートがやってきた。
イランでは朝食に苦労した。テヘランでは宿の近くに7時から開いている食堂があったが,他の町ではなかなかそうはいかない。アンザリのような小さな町ではほとんど朝食は望むべくも無い。昨日買っておいたフランスパンとチーズ,ミルクで朝食をとる。イランではロングライフの200ccミルクパックがあったのでけっこう重宝した。
朝の散歩
干潟ツアーに向かうにはまだ時間が早いので宿の周辺を歩いてみる。道路はカスピ海から100mと離れていない。ほとんどの湖岸は私有地となっており塀で囲われている。
しばらく歩いてようやく湖岸に通じる小さな道を見つけた。カスピ海はほとんど波も無く,穏やかであった。光の加減で北側は水面も空も灰色の風景となっている。それに対して西側はどちらも青く輝いており,境界は定かではない。
干潟ツアーは高かった
アンザリの街は幹線道路沿いにあるのでずいぶん細長いものになっている。サゼカリ・ホテルは幹線道路から北に歩いて7-8分ほどのところにある。宿の前の通りと幹線道路の間が街らしい地域となっている。
とはいっても商店街などは少なく,ほとんどが普通の民家となっている。幹線道路の周辺にはちょっとしたバザールや商店があり,サンドイッチくらいなら食べることができる。
幹線道路に出て回りの人たちに干潟ツアーについてたずねても英語がさっぱり通じない。仕方がないのでボートツアーの絵を描いて説明すると分かってもらえたようだ。
彼はペルシャ語(文字はアラビア語が使用されている)で船が出る場所を書いてくれた。このメモを乗り合いタクシーの運転手に見せると乗せてくれた。料金は2000リヤルと格安である。帰りは1000リヤルで戻ってきた。
イランでは同じ方向に向かう乗客がタクシーをシェアする乗り合いタクシーの仕組みが多い。すでに客の乗っているタクシーを止めて,行き先が同じならば利用することができる。料金もタクシーの1/3とか1/4なので利用価値は高い。外国人が地元料金で利用するのは難しいかもしれないが,それほど無茶な料金を請求されることはない。
タクシーが到着したところはカスピ海に注ぐ川が入り江のようになっており,たくさんの小型船が係留されている。ほとんどは形状からして漁船ではなく荷物運搬用のようだ。カスピ海側にはドックのような建物があり,少し離れたところには大きなクレーン見える。
川岸の小屋から声がかかり,5人乗りのモーターボートで一周すると20万リヤル(20$)だという。しかし,周りにはだれも客がおらず,一人で乗ることになりそうだ。内容を聞くと写真を見せてくれた。それはとても料金には見合いそうもないのですぐに断った。干潟を回る定期船について聞きたかったが英語はほとんど通じず,干潟見学はあきらめざるを得ない。
なんだか妙に親しみのわく絵
波止場の近くはよく整備された細長い庭園になっており,その先は突堤になっている。突堤の付け根のところに港湾施設がありそこの壁におもしろい絵があったので写真にする。なんだか妙に親しみのわく絵であるが,どうしてここに描かれているのか目的は分からない。
突堤の先端部分はテトラポットになっている
突堤の大部分はコンクリートでできており,その下は海面より少し高いところに1mほどの段が付いている。先端部分はテトラポットになっており,その手前に茶屋がある。
チャイを注文すると小さなチョコレートが付いており,そのせいかお茶代は3000リヤルと市価の3倍であった。元をとろうと景色を楽しみながら30分ばかり滞在してしまった。
大勢の釣り人が釣竿を垂れている
テトラポットの上や,コンクリートの突堤の下は平日にもかかわらず大勢の釣り人が釣竿を垂れている。釣れた魚を見せてもらうとハゼのような魚である。大きさからいってもこの魚が彼らのお目当てのものとはちょっと考えられない。彼らの周囲には気の毒な魚が打ち捨てられている。
写真を撮るのにジャマなのでテトラポットに上ることにする。しかし,ここのテトラポットはとても巨大で簡単にはいかない。ルートを工夫してようやく高いところにたどりつく。
入江の風景
青い水面にはほとんど波がなく,はるか向こうには突き出した砂州か突堤,その左側には街が見える。資源争奪をめぐる人間世界の湖だ海だという議論をよそに,今日のカスピ海はとても穏やかな表情を見せていた。
僕のいる突堤の向こうにはもう一つのテトラポット突堤があり,2つの突堤は入り江を守る防波堤の役割をしているようだ。突堤の間の水路を抜け,大きな貨物船や警備艇がゆっくりとカスピ海に出て行く。
大量の白い貝殻が散乱していた
突堤の付け根付近は砂浜になっており,大量の白い貝殻が散乱していた。波のうねりは小さいものの規則的に海岸を洗っており,やはりカスピ海は海なんだなあと感慨にふける。
昼食をごちそうになる
庭園に戻りピクニックに来ていた女性と子どものグループのところにおじゃましする。彼女たちは芝生の上に持参の敷物を敷いてお茶を楽しんでいた。イランではこのようなスタイルのピクニック家族をよく見かけた。少し青みがかった目がとても印象的な乳児の写真を撮らせてもらう。
それがきっかけとなり,小学生の子どもたちが集まってきて集合写真となる。彼らには写真のお礼にヨーヨーを作ってあげる。この日本の玩具はとても評判がよく,つごう10個ほど作ることになった。
女性たちに促されて敷物に坐るとさっそくチャイが出てくる。続いて彼女たちは昼食を出してくれた。複数の家族がそれぞれ昼食を持ち寄っており,ごはん,ミンチ肉の串焼き,チキンシチュー,サラダと食べきれないほどの豊かな昼食をいただき,ひたすら感謝である。
原種のバラに想う
周囲の庭園はよく管理されている。原種に近いバラが薄いピンクの花を咲かせている。花びらは不ぞろいでお世辞にもきれいとは言えない。この原種から数々の美しい園芸品種ができたとはちょっと信じられない。
バラの自生地はヨーロッパ,西アジア,東アジアにまたがる広い地域であり,原産地の特定は難しい。その中でもヒマラヤ山脈から横断山脈にかけての地域は品種が多い。
バラは文明の始めから人類と大きな関わりをもってきた。エジプトの墓地からもバラが見つかっているし,中東のギルガメッシュ叙事詩でもバラの棘について触れた箇所がある。古代ギリシャ・ローマでは香りが愛好され,香油も使用された。
しかし,そのほとんどの時代においてバラは野生種のままで,現在の園芸品種とはかなり異なったものであった。バラが観賞用として本格的に園芸品種が作られるようになったのは18世紀末から19世紀にかけてのことである。
その頃,人為的交配という新しい育種技術が確立され,それまでなかった新しい交雑品種が続々と生み出されることになった。また,そのような園芸品種を求める有産階級の人々が増加したという社会環境も大きな動機付けとなった。
一つの種の中でも遺伝子の持つ多様性は多くの可能性を秘めている。逆に園芸品種からは原種に近いものは作ることはできない。園芸品種の遺伝子は人為的な選択により多様性を失っているからである。
古くから人類は野生種を選別してあるいは交配させて自分たちに役に立つ作物品種を育成してきた。50年ほど前まではそれぞれの地域では,地域の気候・風土にあった多様な品種が栽培されていた。
しかし,現在では巨大な種子企業が提供するほんの少数の優良品種だけが世界中で栽培されるようになり,遺伝子の多様性は危機に瀕している。
多くの地域で,地域の特性に合わせて栽培されてきた品種が失われるということは植物のもっていた未来に対する保険を失うことを意味する。新しい病害虫や疾病が発生したとき遺伝子の多様性無しで乗り切るのは難しい。
不思議な植物(花蘇芳の仲間かな)
この庭園でもう一つ珍しい植物を見かけた。花が無ければ幹,枝,葉がある普通の樹木に見えるが,濃いピンク色の花は幹や枝の根元の部分に咲いている。植物の世界もずいぶんいろいろなものがあり,それは生命が長い時間をかけて作り出してきた多様性である。その豊かな世界が人類という一つの種により危機に直面している。
22世紀にどのような自然が残されているかはひとえに人類の英知にかかっている。この広い地球上にも手付かずの大自然などというものはもはや存在しない。人類活動は地球の隅々まで行き渡っており,かつ急速に多様な自然環境を人類の経済活動に都合の良い世界に造り替えつつある。我々が今のような自然破壊を続けているならば21世紀は「種の大量絶滅」の世紀となるであろう。
川の上流は葦原
幹線道路の橋に戻る。橋の上から眺めると上流側の左側は葦原,右側は水際に家屋が並んでいる。葦原に興味があったのでそちらに降りてみる。
日本の古代神話では大王ニギハヤヒノミコトが治めていた地域を「豊葦原の瑞穂の国」と伝えている。葦原は湿地や河口で見られる背の高い植物であり,瑞穂はみずみずしい稲穂のことである。水田そして葦原は水に恵まれた日本の原風景であることを表している。
工業化の進んだ近代日本においては水田は保持されているものの,葦原や干潟は経済活動にとって無用のものとみなされ大々的に破壊されてきた。しかし,果たしてこれらの環境は我々の生活にとって無価値なものなのであろうか。
高度な文明を築き上げた人類でも環境を浄化することはたやすいことではない。それは都市における生活雑排水やし尿を処理するための巨大な施設を見るとよく分かる。
日本で下水処理に使われている費用は年間2兆円に近い。下水処理費用は原則として受益者負担となっているが,使用料でまかなうことができるのは約60%で残りは税金が投入されている。
しかし,自然の水系はそれ自体が環境を浄化する機能をもっており,太陽エネルギーにより生命活動に必要な物質を循環させている。葦原や干潟はそのような浄化機能をもつ重要な自然要素である。
葦原では富栄養化の原因となる栄養塩類が吸収され,水中の葦の茎が水の浄化作用に重要な役割を果たしている。一方,干潟に多数生息している小動物は水中,土壌中のプランクトンや有機物を摂取し,水域と陸域を結ぶ食物連鎖を形成し,結果的には水質浄化に大きな役割を果たしている。
葦原や干潟を失った地域の水質は浄化機能は働かないためどんどん悪化する。人間の輩出する栄養塩類によりある種のプランクトンが大発生して(赤潮),魚介類の養殖などに多大の被害をもたらすようになる。
人類の賢さは一面的であり,自分たちがよって立つ自然のメカニズムを知らずに,自由に改造できると考えてきた。葦原や干潟をコンクリートで固める公共事業に巨額な税金を投入してきた。我々は環境の保全とはなにか,自然の無償の恵みはどれほど大きいかを認識しなければならない。
アンザリの葦原も日本と同じ運命をたどっているようだ。葦は利用されることもなく,土地の利用にとって厄介な代物になりつつある。葦原の手前にはごみが散乱していた。
アンザリの町
宿の近くの幹線道路沿いには新しい商店が並び,ちょっとしたバザールもある。
驚いたのはけっこうな数の女性が働いていることである。男性中心社会と思われたイランでも女性の社会進出は着実に進んでいるようだ。
この町でもっとも写真になるのはパン屋さんだ
この町でもっとも写真になるのはパン屋さんだ。生地をこねる,釜に入れて焼く,取り出す,どの場面もよい写真になる。パンは焼きたてがもっともおいしいので,客は出来たてのものを求めて列をつくっている。
自分の身長の半分ほどもあるパンを抱える少女はとても絵になる。自転車でパンを運ぶ少年と彼の仲間たちには写真をねだられる。2日目ともなると街を歩いているといろんなところから声がかかる。
チャイハナの風景
男性はチャイを飲みながらゲームに興じる。この地域では働くこととお金をかけずにゆったりした時間を過ごすことのバランスがとれている。グローバル・スタンダードによるとそのような状態は低開発あるいは発展途上というらしい。
カスピ海の夕日
19時を過ぎると夕日の時間帯となる。宿は北に面しているので朝日と夕日の両方を楽しむことができる。色彩的には朝日の艶やかな赤に対して夕日はずっと静かな色を演出してくれる。