六庫の正式名称は濾水県六庫鎮といい怒江リス族自治州の州都である。怒江リス族自治州は雲南省の最西北に位置し,ミャンマーと国境を接している。横断山脈が自治州の大部分を占めており,険しい山脈の間を怒江が流れ,300kmにおよぶ峡谷を形成している。
六庫は標高830m,自治州の南端に位置し,怒江峡谷入口の町であり,交通の基点にもなっている。昆明から直通バスが運行されており,六庫→福貢→貢山の区間は公共交通が整備されている
町は怒江の東側がメインとなっている。対岸とは歩行者用の2本のつり橋および近代的な橋で結ばれている。怒江と平行する穿城路と人民路がメインストリートとなっており,1泊300元くらいはしそうな高級ホテルも並んでいる。
怒江の西側の道路と川の間はよく整備された公園になっており,その背後の山には遊歩道(休閑人行歩道)も整備されている。
福貢(140km)→六庫移動
福貢(09:00)→架科橋(09:36)→匹河(10:18)→古登(10:47)→双納瓦底(11:08)→六庫(12:10)とミニバスで移動する。宿の向かいの汽車站に行くとミニバスが待機している。24元のチケットを買って運転手の横の席に坐る。
すぐに動き出したバスはすぐに道路の半分が崩れたところにさしかかる。上の斜面が盛大に崩れ,道路の路肩を押し流したようだ。バスは慎重にこの区間を通過する。最前列のためミニバスがかなり危ないところを通っているのが良く分かる。
架科橋を過ぎたのあたりから風景が峡谷らしくなる。つり橋も何本かかかっておりいい風景がとれそうだ。ずっと峡谷を見てきたので目が肥えたせいか,福貢から六庫までの150kmの区間でこれはという景観はそうたくさんは無い。
匹河の村では定期市が開かれており,市からの帰りなのか道端で何組かのリス族の人たちが合図をしてもバスは止まらなかった。何か理由があるのかもしれない。10:30に橋を渡り,怒江の西側を走る。古登の少し下流側で峡谷の風景が5分ほど続く。
双納瓦底の少し手前では川の中に大きな岩がころがっており,荒々しい風景である。標高が900mほどになると谷は広がりゆったりとした流れになる。大きな町と発電所が見え,さらに大きい町が現れる。バスはコンクリート製の橋を渡り六庫の汽車站に到着した。
人民政府招待所
六庫はさすがに暑い。フリースを脱いで半袖になり,人民路を北に行く。最初にチェックした人民政府招待所は40元なので部屋を見せてもらいここに決定する。部屋は10畳,1ベッド,Tは共同,部屋もトイレも清潔である。シャワー室はあったかもしれないが記憶にない。
市場の風景
宿の向かいは市場になっており,中には食堂もある。いずれも肉や野菜を串に刺し,熱湯に入れて茹で,辛そうなタレを付けて食べる形式のものばかりである。これが六庫の名物料理なのかもしれない。しかし,辛そうなタレが気になりパスする。
入口にセイロが積んである食堂があり,1セイロ2.5元の餃子をいただく。ついでに代金の区切りをよくするため,0.5元の豆腐花を注文する。あたためた軟らかい豆腐にしょう油をかけたものでおいしい。この店にはおかゆもあるので六庫に滞在中よく利用した。
市場には野菜と果物が豊富に並んでいる。オレンジは1kgで8元と少し高めなので500gだけいただく。水っぽくてそれほどお勧めの味ではない。
発酵食品専門の店も多い
発酵食品専門の店もある。野菜を乳酸発酵させたもので日本人にもなじみの食品である。ただし,ここのものは唐辛子を使っているので赤っぽいものが多い。そばを通ると独特の匂いがただよっている。
自動車がずいぶん多い
六庫の街はさすがに大きいし,立派なビルも多い。超市(スーパーマーケット)があるので覗いてみる。確かに一般の商店よりも物価は安い。
トイレット・ペーパーは1.5元,飲料水は1元,30%のミックスジュースは500CCで2.5元,飲料水は1元で手に入った。ミックスジュースは(砂糖の入っているせいか)とてもおいしい。この街では水代わりに飲んでいた。
汽車站の前の路上にはタクシーが並んでおり,地元の人は割りと気楽に利用している。その一方で,リス族の人々は路上で野菜やニワトリを売っている人もいれば,プラスチック,ペットボトル,紙などのリサイクル資源を集めている人もいる。雲南の外れでも貧富の差は確実に広がっている。
ボトルの中身はどうも蒸留酒のようだ
南側のつり橋の手前でリス族のおばさんがペットボトルに入れた水のようなものを売っている。立ち止まって見ていると,ビデオを持った男性が英語で「あれは酒だよ」と教えてくれた。そばのバケツにはいくつかのプラスチックのグラスが入っており,立ち飲みもできるようだ。
六庫には吊り橋とコンクリート橋がある
下流側の向陽橋を渡り対岸に行く。金属の骨格に鉄板を敷いたつり橋で,バイクくらいなら問題なく渡れる。そのすぐ下流には車両用のコンクリート橋がある。
対岸は公園となっている
橋の向こう側には幹線道路が走っており,道路と川の間は手入れの行き届いた公園になっている。珍しい植物が植えられ,東屋も用意されているので,地元の人々の散歩コースになっている。この公園は上流側の重陽橋まで1km近く続いている。
宿の隣りは幼稚園
宿の隣の建物は鉄製の門があり,内部は見えないようになっている。午後4時過ぎに前を通ると木戸の部分が開いており,大人が出入りしている。ぼくも一緒に入ると中は幼稚園になっている。警備員もいるが親が迎えに来ているこの時間帯は何も言われない。
中庭では子どもたちが集まり体操をしている。漢人の子どもたちのようで服装は小ぎれいである。先生に写真の許可を求めるとあっさり許された。子どもたちも写真に対するアレルギーはまったくない。
火腿の店
川の近くの市場を歩いていると横に入る小さな通りに大きな肉の塊が吊るされている。ここは火腿(中国ハム)の店が集まっている。蹄付きの腿肉が店の3面の壁に吊り下げられている。ちょっと壮観であり,ちょっとグロテスクである。中国の食文化恐るべしといったところだ。
火腿は豚の後脚を使用し,天然塩で約2ヶ月間塩漬けした後,天日で2週間ほど乾燥させ,風通しの良いところでおよそ1年かけて熟成させる。発酵させることにより香り,旨味が増すという中国特有の生ハムである。
材料に火を通さずに食べるという習慣のなかった中国では,火腿をそのまま生で食べることはまず無い。他の生ハムに比べて味が濃厚であるため,料理のダシをとるために使用するのが一般的である。
この家には小学校高学年の娘さんがおり,僕が商品の写真を撮っていると友達と一緒に撮ってくれと要求する。向かいの家の前に並んでもらうと近所の子どもたちが飛び入り参加して7人の集合写真になる。
彼女はさらにボーイフレンドとの一緒の写真,小さい子どもを抱き上げた写真と要求が多い。写真のお礼は年長の2人はヨーヨー,残りの子どもにはフーセンにする。
宿の隣りの幼稚園|今日は父兄参観日
朝食を終えて8時少し前に宿に戻ると,鉄製の門が開いており,子どもの手を引いた親たちが中に入っていく。中庭にはおそろいの体操服を着た子どもたちが並んでおり,親たちはその回りで見ている。
正面の建物の屋上にも同じくらいの人数の子どもたちが並んでおり,全部で400人ほどになる。ここは一人っ子政策の適用除外地域ではないかと思うくらい子どもが多く,先生の数も相応に多い。体操が終わると子どもたちは先生に誘導されて教室に入る。
休暇村とはリゾートのことなのであろう
向かいの市場の食堂で餃子とおかゆの朝食をとり,北のつり橋を渡り西岸に行く。西側の山には遊歩道(休閑人行歩道)があるので登ってみる。
最初はコンクリートの階段であるが,途中からは木製の階段になっておりなかなかいい感じだ。登るにつれて景色は良くなる。眼下に六庫の街が広がるようになる。天気が良くなり,対岸の山もくっきり見える。怒江の水の色も緑色が少し鮮やかになってきたような気がする。
遊歩道は山の1/3のところで下りになる。近くに踏み跡があるので登ってみる。じきに見晴らしの良い場所に出る。斜面の下は漢人の家が建っており,荒れた斜面を境界にして,その上がリス族の生活圏になっている。少し上の方に集落があるので斜面を登る。
リス族の集落
集落の入口で様子をうかがうと,まずいことに大きな犬がいる。山岳民族の集落をに入るときは番犬に注意する必要がある。
突然かみ付くことはまずないけれど,吠えられるとかなりやっかいなことになる。一匹が吠えると,近くの犬も一緒に向かってくることがある。こうなると石をぶつけて追い払うしかない。
ということでちゅうちょしていると,農作業帰りのおばさんがやってきて自分の家に案内してくれた。この家はわりと裕福なようだ。家は街の漢人と同じ形式でTV,VCD,冷蔵庫がそろっている。
まず,お茶が出てくる。この辺りではグラスに茶葉を入れ,直接お湯を注ぐ。茶葉が開き下に沈むと飲み頃である。次にバナナの房が出てくる。2本だけいただくと持って行けと言われる。さすがに多いので3本だけいただく。
この家には中学生くらいの男の子がおり,お礼にヨーヨーを作ってあげると,近所の子どもを連れてくる。以後,集落の中を歩くと彼がどこからともなく現れ子どもたちを仕切ってくれた。どこに行ってもお茶を出され,この日は午前な中だけで5杯も飲むことになった。
集落の家は新しいものと伝統的なもので大きく異なる。新しいものは漢人の家と同じでいくつかの部屋に仕切られ,床はタイル敷きが多い。
それに対して伝統的な家屋は,寝室だけが仕切られ,床は土間になっており,囲炉裏と五徳で煮炊きをする。ほとんど家具は無く,生活道具が並べられている。
川岸に何か大きな構造物を造ろうとしている
怒江の東の岸では何やら大規模な工事が行われている。巨大な円筒形のコンクリートが川沿いに埋め込まれている。円筒型の鉄筋も運ばれて来ている。
遠くの尾根に仏教寺院が見える
街の南の外れに小さな丘があり,その上に寺院が見える。丘の麓からは青い線が寺院に向かって伸びており,これは参道のようだ。頂上の建物の上には大きな金色の坐像が置かれている。
南西の山に登る
道の下の斜面は20段くらいの棚田になっており,今の季節は一部が農地として使用されている。苗床であろうかビニールで覆われた畑が2面あり,周囲の土の色が湿ったものになっている。
何人かの村人が畑に出ている。さすがに亜熱帯地域である,集落の外れには竹とバナナが生い茂り,風景に変化をつけている。
見晴らしの良い斜面からは対岸の六庫の街が見える。中心部は大きなビルが1kmほど連なり,その背後の斜面にも広がりつつある。街の背後には3つの山が連なり,頂上まで茶色の地肌がむき出しになっている。北側の斜面には緑の帯が街から頂上付近まで伸びており家屋が点在している。
僕が立っている斜面は,去年のトウモロコシ畑である。刈り取られなかったトウモロコシの茎が一面に散らばっている。地面はほとんど水分を失い,雑草すらわずかしか生えていない。畑の周囲に樹木と潅木の緑があるだけだ。先ほど見た竹とバナナの緑とはずいぶん異なる風景が広がっている。
両側に竹カゴを取り付け,赤い瓦を乗せたロバと村人が斜面の畑を登っていく。空荷のロバが上から下りてくる。上りの一行は冬を思わせる茶色の風景の中を遠ざかっていく。斜面の上までうねうねと段差が続く畑になっており,集落は見当たらない。
畑の斜面から下を見下ろすようにコンクリート製のお墓がある。墓地というまとまりではなく,畑の適当な場所に置かれている。まるで故人が「俺が死んだら畑のここに埋葬してくれ」と頼んだようにも思える。2つ並んだお墓は夫婦のものであろう。あの世から子孫の幸せを見守っているようだ。
斜面を下りると緑の畑の風景に変わる。水があればこの季節にも野菜が作れる。一部の畑には水が入れられ,苗床の準備作業が行われている。もうじき雨の季節が始まる。雨は僕の旅行にとっては大敵である。しかし,雨の季節にしか見られない人々の営みがある。
刈り取られなかったトウモロコシの茎が一面に散らばっている