亜細亜の街角
パミールを越えて
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カシュガル→タシュクルガン移動  (地域地図を開く)

カシュガルの国際バスターミナルからカラクリ湖,タシュクルガンを経由して,パキスタンのスストまで約520kmを結ぶ国際バスが運行されている。道路事情が昔に比べて格段に改善されたとはいえ,このルートは1日では走破できないのでタシュクルガンに1泊することになる。

ほんの20年前まではこのルートは外国人には開放されておらず,同時に大変な悪路であった。1987年にパキスタン側からカシュガルに向かって移動した時の様子が「ゴーゴー・アジア」に詳しく書かれている。

パキスタン側の道路は完全舗装されていたが,中国側の全行程は途方も無い悪路であったようだ。所要時間も国境からタシュクルガンまでは3時間,タシュクルガンからカシュガルまでは17時間かかったそうだ。道路事情の改善というか中国の経済発展に感謝しよう。

このバスの出発時間ははっきりしない。だいたい12時頃なのだが,北京時間か新疆時間なのか確認できないからだ。安全を期して新疆時間より2時間進んだ北京時間で行動することにする。北京時間の10:30に宿の近くから9路のバスに乗り,吐曼河の北大橋の近くの国際BTに向かう。

窓口に行き行きチケットを買う。国際バスのキップは手書きであった。料金はスストまで270元である。行程からするとタシュクルガンまでが全体の半分で80元なのに,タシュクルガンからスストは190元である。国境越えの料金が異常に高いのは,国境移動サービス料金が含まれているためであろう。

12:00頃からバスの周辺に何人かの旅行者が集まる。バスの扉はロックされているのでただ待つしかない。パキスタン人は大きなダンボールの箱をバスの屋根に上げているが,旅行者は勝手が分からず手をこまねいている。

13:00になりバスの後部の窓が開けられ,人々はそこから荷物を入れる。その後,ようやく扉が開き乗客が乗り込む。座席は前のほうから埋まり,旅行者は後ろの席になる。後ろの2列の座席は荷物置場になっており,僕はその前に日本人旅行者と一緒に坐ることになった。大量の荷物と乗客でほぼ満席状態である。

最後の町は疏附

初日は北京時間でカシュガル(13:30/291km)→タシュクルガン(20:30)と移動した。道路は全面舗装されており快適な移動である。カシュガルを出て1時間ほど走り小さな集落で昼食となる。たぶん,疏附であろう。露店で売られているナンか小さなパン以外には食べるものがない。

肉屋のテントの支柱には鉄の串が溶接してあり,そこにはには1頭分のもしくは半頭分の羊がかけられている。スイカ,メロンそしてどちらとも分からないものがたくさん積んである。漢人の集団がスイカ買ってその場で食べており,勧められるままに僕も一緒にいただく。

道路は川沿いに続いている

ここを出るとじきに川沿いの道となり,バスはどんどん高度を上げていく。水の浸食が深い谷を形成している。川沿いの岩山はまったく植物が見られず,茶褐色あるいは灰色がかった岩が連続している。バスの高度が上がっても周囲の山は逆に高くなっていく。

やがて谷を形成する茶褐色の山の後方に雪を頂いた山が見えてくる。上り坂でバスの速度が遅くなったので窓を開けて写真を撮る。パミールの始まりのような風景である。高度がさらに上がると氷雪の山々が谷の奥にそびえるようになる。この時間帯ではまだ外気が冷たく窓を開けて写真というわけにはいかなかった。そのため,窓ガラス越しの写真となり青みがかったものとなる。

気温が上がり窓を開けることができた

日ざしが出てきたこともありようやく窓を開けて写真を撮ることができるようになった。広い峡谷が正面(東側)の山並に向かって続いている。この川は正面の山の向こうから深い谷を刻みながら流れ出ている。おそらくこのルートが唯一の山越えの道なのだろう。

チェックポスト

バスが停まる。そこはチェックポストで,乗客は全員バスから降ろされ,身分証のチェックを受ける。バスはチェックポストの先に止まっている。残念ながら周囲は高い山に囲まれており,風景はよくない。

昔は悪路の代名詞のように言われていた中パ道路も,現在ではちょっと拍子抜けするほどの完全舗装になっている。この舗装道路は国境のフンジュラブまで続いていた。谷沿いの道をバスはさらに高度を上げていく。

山並の中に分け入っていくというイメージはない

大惣嶺

高度が上がるにつれて雪山が近くなる。両側には山が迫っており,景色を楽しむには川側すなわち進行方向左側がよい。荒々しい一級品の風景が途切れることなく続き,飽きることは無い。

この時間帯になると気温も上がり,窓を少々開けておいても問題は無い。どの程度ものものになるかは分からないが,ともかくたくさん写真に収めておく。

氷雪のパミールはアジア大陸を東西に分断する巨大な山塊である。東のヒマラヤ山脈とカラコルム山脈,北東の天山山脈,南西のヒンドゥークシ山脈がここで合流している。古代中国では「大惣嶺」と呼ばれ,シルクロードの最大級の難所であった。

唐の時代にインドに向かった玄奘三蔵は,「ひとたび風雪に会えば全きもの無し」と記述している。バスは1泊2日でパキスタンに到達するが,彼の時代はここを踏破するのに1ヶ月を要したという。大変な旅であったことだろう。

G314により山塊を通過する

山塊を通過すると湖が出迎えてくれる

幅10kmほどの回廊状の地域を進む

カラクリ湖

14:30,高度3000mを越えると高原になる。目を楽しませてくれた雪山は後ろになり,代わりに遠くに6000mを越える雪山が見える。最初の大きな湖が現れる。雪山を背景に湖が美しい。しかし,この頃から天候が悪化し,カラクリ湖に着いたときには雲が出て山は見えないし,湖も灰色がかってきれいではない。ここで何人かの乗客が降りたため写真が撮れた。

カシュガル滞在中に空いた時間でカラクリ湖に1泊旅行をした。それは2日前のことだった。そのときも風が吹き,雨が降るひどい天気であった。コングール峰は見えないし恐ろしく寒いうえ,遊牧民の移動住宅のユルタは雨漏りをして,それはそれはひどい一夜を過ごした。凍え切った体に,近くの食堂の汁うどんの暖かさがひどくうれしかった。

カラクリ湖滞在中の写真はそのときのものであり,カシュガルからパキスタンに移動した時はタシクルガンまではずっとバスの中であった。

陽が傾く20:30にタシュクルガン(標高3200m)に到着した

カラクリ湖の先は4000mの峠を越え,3500m前後の高原を行くことになる。カラクリ湖とタシュクルガンの間には2本の川が回廊状の地形に流れ込んでいる。1本は東側から流れ込み回廊を南に流れる。もう1本はタシュクルガン川であり回廊を南から北に流れる。

この2本の川はタシュクルガンのあたりで消滅する。この辺りは回廊でもっとも標高が低いところであり,水はそこに溜まることになる。そのため,水にはある程度恵まれておりかなり広い農耕地帯となっている。

陽が傾く20:30(北京時間,西に位置しているのでまだ明るい)にタシュクルガンに到着した。メインザックはバス内に置いたまま交通賓館にチェックインする。乗客が下りるとバスの扉は翌朝までロックされる。

交通賓館の4人部屋は10元,トイレもまずまず清潔である。中国政府が辺境政策に力を入れているせいか,タシュクルガンは町の体裁をもっている。タシクルガンの滞在は明日の早朝までなので大急ぎで近くを回ることにする。

住民はタジク人が多い

暗くなる前に町を歩いてみる。住民はタジク人が多く,女性は独特の帽子を被っている。タジク人はヨーロッパ系で青い目と金髪の子どももいる。

タシュクルガンは周囲を山で囲まれた盆地のようになっており,わずかな農地は一面の菜の花が咲いている。夕食が遅くなり,あぶなく数少ない食堂がしまってしまうところであった。21時になり周囲は暗くなり宿に戻る。交通賓館の寝心地は特に問題はなかった。同室のパキスタン人のいびきがちょっとうるさい。

早朝にタシュクルガンの風景を撮る

翌日の出発は10時と運転手に告げられていたので,ナンを少しかじって山を見に行く。快晴の空に頂上が少し白くなった茶褐色の山が周囲を取り巻いている。西側の山は朝陽に輝いており,なかなかの風景である。

タシュクルガン→フンジュラブ峠移動

2日目はタシュクルガン(10:30)→クンジュラブ峠(4730mの国境)(16:00)→ススト(19:00)と230kmを移動した。出発時間の10時にになってもバスの扉はまだ閉まったままである。結局,バスは10:30に出発した。しかしすぐにタシュクルガンのイミグレで停車する。

乗客は各自の荷物を持ってカスタムのX線検査を受ける。これはいい加減なものでちゃんと画面をチェックしているかどうか怪しいものだ。カスタムの前の非典(SURS)の体温検査も何で今頃という感じを受ける。

出国審査はパスポートの隅々までチェックするので異様に遅い。バスの乗客がすべてここを通過するのに2.5時間がかかった。バスで一緒になった日本人旅行者は高山病の影響か軽い頭痛を訴えていた。

ここからバスに乗る乗客がけっこう多い。中にはここまで自転車でやってきた強者のヨーロピアンもいる。しかし,タシュクルガン,ススト間は自転車による走行が禁じられているためバスによる移動になる。最も感動的なところをバスで移動するのは残念なことだろう。

彼らの自転車は最後に屋根の荷物に括りつけられようやく出発である。彼らのためバス後部の荷物スペースは座席1列に制限された。

高原と雪山と緑のじゅうたん

タシュクルガンから先も高原が続く。周辺の風景はチベット高原のようである(まだ行ったことはないけれど)。バスの高度が4000m,4500mと上がるといっても,高原とその周囲の雪山という基本的構図は変わらない。雪山が近くなり,最近降った新雪がまぶしい。

雪解け水があるので山の斜面は緑が多く,放牧地にはたくさんの羊や馬が見える。ヤクと思われる黒っぽい動物も草を食んでいる。雪山を背景とした放牧地はとてもいい絵になる。ところどころにお花畑があるのか黄色の広がりが見える。パミールへの上り,パミール高原はともに楽しめる景色が続く。

フンジュラブ峠

タシュクルガンから2回のチェックポストを経由し,15:45に中国側最後のチェックポストを通過すると国境のフンジュラブであった。ここの標高は4730m,タシュクルガンから1500m近く登った計算だが,一部の区間を除き,なだらかな高原であったので,突然,峠に到着したという感じでちょっと驚く。

親切なバスは10分間ほど国境で停車してくれた。そこには高さ2mほどの石碑が置かれ,両面に中国,パキスタンの国名が刻まれている。自分の到達した最高高度を更新した感激に浸ることができる。右は中国,左はパキスタンである。高山病の兆候も無く快適な峠越えであった。


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