フンジュラブ峠を越えカラコルム・ハイウエー(KKH)を下り,国境管理ゲートのあるスストを過ぎて最初の村がパスーである。ここから南にはグルミット,フンザとカラコルムの雄大な風景が楽しめる村や町が続く。フンザから北部の地域はゴジャールと呼ばれ,住民はアーリア系のワーヒ人が多い。
アフガニスタンの最北部は尻尾のように北東に伸びており,「ワハーン回廊」と呼ばれている。そこがワーヒの人々の故郷である。パスーの村はKKHとフンザ川に挟まれており,北にはカテドラル・ピークスの鋭い山容が大きく見える。
フンジュラブ→パスー移動
タシクルガン(10:30)→フンジュラブ峠(4730m)(16:00)→ススト(19:00)→パスー(22:30)とバスで移動する。時間は中国時間で表しているので,パキスタン側は2.5時間差し引く必要がある。中国/パキスタン国境のフンジュラブ峠を過ぎると道路のメンテナンス状況は少し悪くなる。標高が4000mを切ったあたりから両側の山が迫る大迫力の峡谷になる。川は垂直に谷を刻み,左は激流,右は100mはある断崖になっている。
川と絶壁に挟まれたこの道路は中パ友好道路もしくはカラコルムハイウエイと呼ばれる。絶壁の至る所に今にも転げ落ちそうな岩があり,バスの運命は気まぐれな偶然に支配されている。怖いけれども壮大な自然の造形にこころを奪われる。
羊と山羊が通る
カラコルム・ハイウエイを羊と山羊の大群が移動していた。道をふさがれてバスが止まる。この様子を写真に撮らないわけにはいかない。バスの窓から身を乗り出して写真を撮る。このあたりでは毛の長い山羊もいれば,角の大きな羊もいるので,山羊と羊の区分が困難になる。
山羊(牛科・ヤギ亜科・ヤギ属)と羊(牛科・ヤギ亜科・ヒツジ属)は和名でも分かるように近縁種である。和名のように羊が平地に暮らし,山羊が山岳地帯を住処としているわけではない。山岳地帯にもオオツノヒツジのように多くの羊の仲間で暮らしている。
どちらも8000年ほど前に家畜化されており,犬と並んでもっとも古い家畜である。一般的には山羊は乳を利用するために,羊は毛を利用するために飼育されているが,この境界は必ずしも明確ではない。
羊や山羊は毎日ほとんど草を食べ続ける。このような大きな群れが一ヶ所に留まれば,乾燥地帯のとぼしい植生はすぐに回復不能なところまで食べ尽くされてしまう。そのため遊牧の民は羊を追い,草をもとめて移動していく。
スストのチェックポスト
スストに到着する前に,中国人以外の外国人は国立公園の入域料(5$)を徴収される。「え〜,単に通過するだけなのに」とちょっと文句を言いたくなる。スストではEDカード無しでイミグレを通過し,税関もノーチェックであった。
近くの商店で余った中国元をルピーに両替した。レートは1中国元=7Rpでこれはカシュガルの色満路賓館のレート(6.7)よりだいぶ良い。中国のバスはここが終点となる。パスーまでのスズキ(乗り合い自動車)は50Rpと相場よりちょっと高い。
川沿いの崖を削って造ったカラコルム・ハイウエイでは,崖の崩落や土石流による道路の損壊が毎年のように発生する。それを中国政府がODAの形で補修している。スストの少し北側にも工事現場があり,中国人労働者が働いている。
Pasu Peak Inn
パスーの宿は「Pasu Peak Inn」であった。集落から1.5kmほど北にある。荷物を背負ってこの距離を歩くのはかなりしんどい。部屋は2ベッド,T/S付き,十分に清潔で居心地はよい。料金の100Rp(約200円)に不満は無い。
食事は中国に比べて格段と質素になる。朝食はチャパティとオムレツ,昼食と夕食はジャガイモ・カリーとダルカリーだけだ。2日目はジャガイモの塩茹でを作ってもらった。日本の2倍くらいはありそうな,まるでサツマイモのような大きさのジャガイモがそのまま出てきた。
この標高でどうやって調理をしているのだろうと思い,次の食事の時に調理場を覗くと,ガスと圧力鍋を使用している。さもありなんと納得する。
パスーの標高は2460m,昼間は半袖でちょうどよい温度であるが,夜になるとさすがに冷える。それでも,集落から離れており,周囲にはまったく家屋が無いので満点の星空がすばらしい。宿の前にリクライニングのイスを出してもらい,毎晩,すばらしい夜空を独り占めしていた。
パスー方面に歩き出す
06時に起床して食堂のテーブルで日記を書く。日本製の水性ボールペンなのにずいぶんかすれてしまう。どうもノートの紙との相性が悪いようだ。他の筆記用具がないのでそのまま書き続けるがなんとも読みづらい。
宿を出て川沿いの道をパスーの集落に向かって歩く。中国人労働者のキャンプがある。カラコルム・ハイウエイの最難関部は中国が造っており,補修も中国がやっている。この道路は中国とパキスタンの友好のシンボルなので,中国の面子にかけて補修は進められている。
パスーの集落はフンザ川と道路に挟まれた狭い地域に集まっている。村の入口に唯一の食料品屋があり,あとは学校とモスクがあるだけだ。ほとんどが農家であり,川と山に挟まれたわずかな平地と,緩斜面に農地が広がっており,農家も点在している。ほとんど自給自足の暮らしであろう
集落の外れに共同の家畜小屋がある。壁は石組みでできており,風を防ぐために泥を塗っている。採光のため扉と反対側に窓が設けられている。もっとも,夏の昼間なので家畜たちは外に出されている。
学校を訪問する
学校は集落の規模に比して立派だ。今は夏休みであるが1日2時間の補習授業が行われている。年配の男性教師が教室に案内してくれた。若い女性がクラスを担当している。出席者は10-15人なので,クラスの全員が補修に出てきているわけではないようだ。ちなみにパスーの就学率は95%だという。
就学率が50%程度(男子63%,女子45%)のパキスタンにおいては非常に高い数字である。これはこの地域の人々がイスラム教徒でありながら,平地の人々に多いスンニ派ではなく,シーア派のイスマイリ派であるためであろう。イスマイリ派は教育に対しては積極的なことで知られている。
フンザ川の風景
フンザ川は氷河の融水を集め灰色に濁っている。ここの少し上流ではバトゥーラ氷河,少し下流ではパスー氷河の融水が急流となって流れ込んでいる。そのためしょっちゅう道路が流されるという事態になり,スストから来るときも工事のため1時間も待たされた。
周囲に目をやると,上流側にはシュナウバレンチがそびえ,正面はそこから連なる険しい山になっている。下流側にも雪山のパノラマが広がる。絵に描いたような美しい風景のバーゲンセールである。
二回目のパスー氷河探検
パスー氷河はカラコルム・ハイウエイから見える。パスーの集落から500mほど南に歩くと橋がある。氷河からの融水が勢いよく下を流れている。氷河の先端までの距離は1kmもない。岩石や砂が混ざり黒い先端部の上に白い氷が輝いている。近くても氷河の先端にたどりつくのはけっこう大変だ。氷河の左にしゃれたレストランがあるので,そこで名物のアプリコット・ケーキでも食べ,道を聞いてから行くのがよい。
氷河まではトゲだらけの潅木と氷河からの水流の一部が道をふさぎ,一筋縄には行かない。氷河の先端部に近づくと,氷河が運んできた大小の石が積み重なり,歩くのが大変だ。しかもコースの半分は斜面である。
パスー氷河の先端部を登る
小さな丘の上からは氷河の白い部分がよく見える。氷河は2つの山の連なりに挟まれた谷を流れ下ってきている。後方には白く輝くシシパルがそびえている。氷河の末端の下の部分から水が流れ出し,氷河湖になっている。水はやはり灰色で,手を切るような冷たさだ。湖からあふれた水は水路となり,フンザ川に流れ込んでいる。
氷河の先端部は氷と岩,そして泥の巨大な塊である。崩れやすいので細心の注意で登る。砂の間から水が染み出している。最初の壁を越えると,第2,第3の壁が現れる。そこまで登っても,氷河の白い部分までは300mほどあり,その間は凹凸がひどく歩けるようなところは無い。
砂で覆われた部分を削ってみると,透明な氷になっている。石や氷が落ちるため絶え間なくいろいろな音が聞こえてくる。初めての氷河体験を切り上げ,道路沿いのレストランで昼食をいただく。
ワーヒ人の老夫婦
人々はヨーロッパ系の顔立ちをしている。紀元前1500年頃,南ロシアにいたヨーロッパ人の祖先の一部が,アフガニスタンに移動し,さらに二手に分かれてインド,イランに移動(侵入)した。これにパミール高原周辺の地形の険しさと複雑さが加わり,多様な民族模様を作り出した。
この地域にはワーヒ人と呼ばれる人々も多い。アフガニスタンから北東方向に尻尾のように伸びている,ワハーン回廊という地域が彼らの故郷である。今でもパキスタン側とアフガン側で交易が行われている。パスー氷河からの帰り道に老夫婦に出会った。夫は薪を背負い,妻は家畜用の草を背負っている。長い年月を二人で歩んできた様子がうかがわれる。
パスーの吊り橋は見つからなかった
パスーのつり橋を見るため,パスー氷河からさらにグルミット方向に歩き,坂を上っていくと小さな集落に向かう道がある。村の子どもたちがやってきて写真を撮ってくれとせがむ。はいはい,分かりましたと何枚か(つまらない)写真を撮ることになった。
やはり,例えば食器を洗うなど家事を手伝ったりしている子どもの方がずっと絵になる。男の子が二人ついてきて,つり橋に案内するという。料金は一人10Rpだという。このくらいの金額ならガイド料として渡してもかまわないだろう。
子どもたちはアップダウンの多いところをどんどん歩いていく。山の子どもたちはやはり鍛えられている。川原まで下り,子どもたちは下流側を指差すがどこにもつり橋はない。子どもたちはここで戻っていった。
しばらく下流側に歩いていくと途中で川原が消えてしまい,先に進めない。パスーから移動のときに新しいつり橋を見つけた。ここからさらに1kmほども離れたところである。川原からの素晴らしい景色でがまんしてKKHに戻る。
草刈の少女
坂を下りていくと反対側から草を背負った少女が歩いてくる。緑の少ないこの地域では家畜の飼料集めは大事な仕事だ。しかも,条件のよいわずかな平地は農地になっており,草場はけっこう遠いところにあるようだ。笑顔の写真のお礼は中国製のキャンディーになる。