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瑞麗(ルイリー)  (参照地図を開く)

瑞麗は雲南省の西南部にある「徳宏タイ族チンポー族自治州のさらに南西の外れにある町だ。昆明から西に827km,面積は1020km2である。中国側からミャンマーにくさびのように突き出しており,三方はミャンマーと国境を接している。

少し前までは国境特有のの怪しげな町であったが,現在は新しい清潔な町に生まれ変わっている。ミャンマーとの国境が開かれている姐告まではわずか6kmで,その先はミャンマーのムセである。この国境は外国人には開放されていない。

箇旧(1100km)→瑞麗移動

箇旧(07:30)→昆明(13:00)(18:00)→瑞麗(08:30)とバスと寝台バスを乗り継いで移動する。宿から3分の箇旧汽車站に到着すると客引きのおばさんにつかまり,キップも買わずに昆明行きのバスに連れて行かれた。

そこで40元と交換にキップを手渡された。キップにはなぜか48.5元と書かれている。バスは山道を抜けて開遠に向かう。道路は全線舗装されており状態も良い。開遠は大きな町だがその横を通ったらしく町の様子は分からない。

開遠を過ぎると平地になり一面の畑と水田の中に集落が点在している。農夫は水牛に鋤を引かせており,もう田植えは近いようだ。道は大観光地の石林の近くを通っている。白っぽい石の林が道路の横の斜面にたくさんあり,石林とはこんなものなのだろうと連想できる風景が見られる。

大都会昆明の汽車站も今までのものに比べて格段に広い。そろそろ非典型肺炎(SARS)の影響が出てきた。汽車站の駐車場では車両の消毒,乗客の体温検査が行われている。しかし,5月初めの時点では移動の制限は無かった。

窓口(収票所)もたくさん並んでおり,その中で瑞麗という文字を見つけ,「ルイリー」と告げると5時間後発の寝台バスのキップ(197元)を出してくれた。

寝台バスは安全性はともかく,中国の偉大な発明である。車内には横3列に2段ベッドが並ぶ。足を伸ばすことができるので寝心地が良い。夕食休憩のあと自然に寝入ってしまう。何回かの休憩のあと06時少し前に路西の汽車站に到着した。

客運賓館

乗客が少ないせいか路西の汽車站でとなりのバスに乗換えとなる。これは中国らしい合理主義である。雨が降っており少し憂鬱な気分を乗せてバスは08:30に瑞麗の汽車站に到着した。

バスを降りて,さてさてどこに泊まろうかと思案していると敷地内に客運賓館ともう一つの賓館が目に留まった。けっこう立派な建物である。部屋代が高かったらドミにしようと考えていたら,客運賓館ではいきなり100元の部屋を60元にしてくれるという。

ここでもう一押し,3日間で150元ということで話はまとまった。部屋は10畳,2ベッド,T/S付き,机が付いておりとても清潔である。なんだかとても得をした気分だ。当局からの指示であろうか,僕が入る前に床は逆性石けんで拭

瑞麗市珠宝街

瑞麗は雲南の西端にある街だ。異国の商人が暗躍する怪しげな雰囲気の国境の街などとガイドブックに書かれている。しかし,現在は普通の街に変身していた。一休みして昼食のため外出する。汽車站から瑞江路に出ると左に食堂が並んでいる。ごはんとおかず2品で4元とは物価の高い町だ。

辺境市場(マーケット・ロード)はなくなっており,近代的な明るい瑞麗市珠宝街に生まれ変わっていた。入口から見ると,中国によくあるテーマパークのようだ。通りの両端は公園になっており,建物の両側はきれいな歩道になっている。中国銀行や賓館も近くにある。夜には近接の公園と一緒にライトアップされ,瑞麗の観光名所となっている。

瑞麗市珠宝街の隣の公園では,ミャンマー人の子どもたちが遊んでいる。ビルマ人にしてはちょっと色が黒いが,独特のタナカというお化粧をしているのでミャンマーの少数民族であろう。

写真を撮って画像を見せてあげるとすっかり気に入ってくれたようだ。お気に入りの場所で撮ってよとしばらくまとわりつかれた。

夕方になるとそぞろ怪しげなものが出てくる。街外れではサイコロ賭博が出てきて,瑞江路にもピンク色の茶店が店をあける。5月1日はメイデー,この日は特別な日なのか,爆竹が鳴り,周辺の商店の明かりは11時を過ぎても消えなかった。人々のざわめきもその時間まで続いている。

瑞江路と辺城街の交差点付近の電線には多数のつばめが羽を休めている。珍しい光景なので写真に収めようとしたが,暗く過ぎて無理だ。

市場の風景

独樹成林

昨夜はよく寝られた。ベッドはきれいだし,枕はふかふか,さすがは100元の部屋である。昨日の夕方にジーンズをクリーニング(洗衣拠)に出したので,回収に行く。店は早朝から開いており,きれいになったジーンズが吊るされていた。料金は2枚で2元である。

宿に貼ってあった地域の観光地図に独樹成林公園が記載されていたので出かけることにする。汽車站の前の通りで芒今行きのミニバスに乗る。姐勒の少し手前で姐勒金塔が見える。これは帰りに寄ることにしよう。

15kmほど行ったところに独樹成林の公園があり,そこで降ろしてもらう。数本の大木が集まっており,なかなか見ごたえがある。英語の説明文では「バニヨン」とあった。この木は枝から気根を出し,それが地面に届くと立派な根に成長する。さらに成長すると複数の幹が木を支える形になるので「独樹成林」と呼ばれている。

公園の外にもたくさんの独樹成林が見られる。近くには少数民族の村がある。タイ族だとは思うが,服装からは判断できない。村はサトウキビ一色である。高さ50cmほどの若いものから,2mを越え,収穫直前のものまでいろいろある。畑の向こうにはミャンマー国境の山がかすんでいる。

サトウキビを収穫する

10人ほどの村人が20m四方のサトウキビを収穫している。2.5mはあるサトウキビを根本から切り,上の葉の部分を切り落とす。数本ずつ束ねて細く切った竹の表皮で縛っていく。縛るというよりは,ねじるように回して固定している。暑い日差しの中で収穫作業は続いていく。簡単な作業ではない。

村の中には水牛が多い。おっとりしているようで警戒心が強い。見知らぬ人が単独で近づくと,顔を向けて様子を見る。民家はもうトタン屋根に変わっているけれど,納屋は竹の骨組みに,竹板の壁でできている。子どもたちの服装も完全に中国化している。

姐勒金塔

姐勒金塔までのミニバスは3元,この方面の交通費は高いようだ。歴史のある仏塔は閉まっており,外部からの写真でがまんするしかない。中央にひときわ大きな仏塔があり,その回りを大小の仏塔が取り巻く構造は,曼飛龍のものと同じである。仏塔の上部は金泥で彩色されており,周辺の緑に良く映える。

ミャンマーとの国境

姐告は瑞麗から約10km,瑞麗江から南に突き出した中国領で,中国,ミャンマーの国境が開かれている。瑞麗の市内からミニバスに乗り,瑞麗江の橋を渡りしばらく行くと巨大な国境ゲートが見える。

ゲートの向こう側にはミャンマー風の寺院があり,国境を実感させる。双方とも明るい感じの国境である。両側にある入出境検査の様子は写真禁止であった。

中国では係官にたずねると,ほとんどの場合写真はダメという返事が返ってくる。しかし,中国人の観光客は傍若無人にどこでも記念写真を撮る。こちらが感じるほど規則は厳しくないのかもしれない。

中国でも5月の大型連休がスタートしたが,今年は非典の影響で移動が制限されているのか,中国人観光客はほとんどみかけない。国境のこちら側にもミャンマー寺はある。中に入るとミャンマー風の仏像が数体並んでいる。

小さな町を抜けて瑞麗江に戻る。この中国とミャンマーを分ける川は,中国語でルイリーという美しい響きをもつのできれいな川を想像していたが,乾季のせいか相当汚れている。

上流には路西をはじめ中国の町がいくつもあるので,生活雑排水と工場廃水が流れ込んでいるのだろう。経済発展の陰で環境汚染は着実に進行している。

巨大な賭博場

瑞麗江にかかる456mの姐告大橋の手前,土手沿いの道のはるか左側にお寺のような建物が見える。暑い中を歩いていくとそれは巨大な賭博場であった。これだけ立派な建物になっているところからすると公認のものなのであろう。

昔は瑞麗江の中洲にあったという賭博場がここに移動したのかもしれない。さいころの絵を当てるもの,カードを使うもの,ピンポン玉を使った数字当て...。10元札,100元札が飛び交う異常な世界であった。

町のケーキ屋さん

辺境検査

瑞麗から約30km,瑞麗市の西の外れにある弄島(ノンタウ)を見るため汽車站からミニバスに乗る。料金は昨日の芒今方面の3倍はあるのに8元である。天気は悪く,雨が降ったり止んだりの状態である。

町を出ると道の両側は広い畑になっている。栽培されているのはサトウキビ,スイカ,トウモロコシが主なもので,バナナ園も見かけた。中国ではコメの生産者価格は1kgあたり1元程度なので,収入の良い換金作物に転向したようだ。特にサトウキビの栽培は盛んで,広大な土地が使用されている。

弄島に着いて汽車站の手前で幹線道路を折れ南に向かう。この道は石畳になっており,なかなかの風情である。近くの畑には出荷を控えたスイカがゴロゴロしている。その向こうはまだ若いサトウキビが植えられており,その先は南国らしい竹林になっている。国境の山並みがずいぶん近い。

国境の川のはるか前に「前方50m,辺防検査」の標識があり,その向こうに検査所がある。係官にたずねると外国人はこの先通行不可であった。中国の国境チェックはずいぶん厳しくなっており,未開放の国境に外国人が安易に近づけるような状態ではなくなっている。

結婚式のようだ

帰り道で民家に人が集まっている。結婚式のようだ。トラックから家具を降ろし,家の中に搬入していく。イスに坐り,すすめられたひまわりの種を食べる。2人の子どもが出てきてペアの踊りを披露してくれる。ピンクの服を着た子の指の動きがきれいだ。踊りのお礼はキャンディーとフーセンであった。


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