雲南省西部にある保山地区の中央を怒江が流れている。騰沖は怒江の西側にある面積5845km2の県で,そこには23の民族,約58万人の人が暮らしている。北部はミャンマーと国境を接しており,昔は中国とミャンマーやインドを結ぶ交易ルートの拠点として繁栄したこともあった。
周辺には火山が多く,騰沖の西南12kmのところには「熱海」という温泉郷があり,大小80あまりの温泉がある。町の西側には「畳水河の滝」があり,周囲は公園になっている。
瑞麗→騰沖移動
瑞麗(07:50)→隴川(09:00)→騰沖(13:00)とバス(35元)で移動する。瑞麗汽車站の窓口で騰沖行きのキップを買う。ちょっと寝過ごしたので危ないところだった。バスは定刻に出発した。隴川までは山越えの道になる。周囲の山はほとんど人の手が入っており,焼畑も散見された。斜面の畑は荒起こしが終わったところで,雨季を待って種まきが行われるようだ。
天候は曇りで山越えのところでは雲海が楽しめた。湿った空気が山に当たり,上昇気流となって雲を生み出す。幻想的な風景が続き,バスの中から,ガラス窓越しに写真を撮る。窓が汚れていなくてラッキーであった。隴川を過ぎると小さな平野になっており,サトウキビとトウモロコシの畑になっている。
さらに山を一つ越えると,広い平野が現れる。主要作物はサトウキビでスイカ畑も散見された。道路では2mを越える収穫されたサトウキビがトラックに積み込まれている。ピンクのブラウス姿の少数民族の女性も見られる。騰沖の汽車站に着いて次の目的地の六庫行きの時刻を確認してから宿を探す。
何かがおかしい
騰沖の宿の対応は何かおかしかった。賓館や旅社の看板はたくさんあるので何軒かと交渉してみると,「消毒は済んだか」と聞かれる。誰が非典の消毒(予防接種?)をしたというのか。病原体すら判明していないのにどうすれというのか。「していない」と答えると,部屋は空いているのに何故か宿泊を断わられる。3軒目でようやく宿泊可能となる。
二つの町並み
宿の窓から外を見ると,騰沖には古い町並みと近代的なビルが同居している。瓦屋根の古い建物はなかなか風情がある。中国では町を近代化するとき,ある区画の住民をすべて移動させ,建物をすべて取り壊して,新しい道路と建物を建設する。
土地は国家のものという体制下では,この荒っぽい方法がまかり通る。そのため,非常な速さで古い町並みが近代的な町に生まれ変わる。いま見えている屋根瓦の町並みも,次に訪問するときにはどうなっているかは分からない。
古い町並み
騰沖の町には6時間しか滞在できなかった。宿を追い出されるとも知らず,僕はのんびりと畳水河の滝を見に行った。街の北東にある大きなロータリーの先は,古い町並みが続き,風情を強調する風景区になっている。
中国お得意のテーマパーク化である。いくつかの壁には中国風の壁画が描かれている。「雲南省騰衝第一中学」は立派な門があり,ここの壁の絵も見事だ。中学校の校門を含めて観光資源にしようとしている地域の姿勢は,「中国恐るべし」である。
畳水河の滝
畳水河の滝は街の中心部から4kmほどのところにある。古い町並みを歩いていくと「太極橋」がかかっている。この橋は石造りの雰囲気をもったいくつかのアーチが連なっており,その下を少し濁った川が流れている。
橋のところで段差があるため水がうずを巻いており,そこにはペットボトルやプラスチックがたまっている。その少し下流に東屋のついた石造りの橋があり,そこから落差20mほどの滝が落ちている。
上からのぞくと白く泡だった水が岩の間に吸い込まれていく。遊歩道を歩いて滝つぼのビューポイントに向かう。滝つぼから水煙が上がり,風下にいると小雨状態になる。滝の落ち口のところにも近寄ることができる。すぐ下を水が勢いよく落ちていく様はなかなかの迫力である。
休憩所の絵画
遊歩道の道は裏手の山に通じている。その道を登っていくと休憩所に出る。ここには高いお茶が用意されている。また,書画が展示されている。多分,販売物であろう。その中の一点が「桃をもった女性」の絵である。いかにも中国らしい絵なのでカメラに収めた。
大理に移動する
畳水河の滝を見学して宿に戻ると,「宿泊不可,宿代は返すと」言われた。入口の壁に「騰沖の宿泊所は省外人を泊めてはならない。省外人は県防疫站発行の健康証明書をもらい,翡翠賓館にのみ宿泊できる」と書かれた通達が貼ってあった。
非典(中国ではSURSをこう呼ぶ)のため旅行者の移動と宿泊を厳しく制限していることが明らかになる。いちおう翡翠賓館まで出向いてみると,宿代は180元もする。
省外人(雲南省以外の中国人)の男性も何やら抗議をしていたが,ここではお上の言うことは絶対である。さすがにこの町にはいられない,六庫も同じような状況にちがいないと判断し,大理行きの最終バスに乗ることにした。
非典とは何だったのだろうか
今回の旅行は3月初旬に日本を出た。この時期にはSARS(重症急性呼吸器症候群)についてはほとんど情報が無く,よもやこの感染症が旅行の支障になるとは考えもしなかった。
重症急性呼吸器症候群(Severe acute respiratory syndrome)は、SARSコロナウイルス によって引き起こされるウイルス性の呼吸器感染症である。動物起源の人獣共通感染症と考えられている。ウイルス特定までは、その症状などから、新型肺炎、非定型肺炎などの呼称が用いられた(wikipedia)。
この疾病は2002年11月に初めて報告された。もちろん,それ以前にも単発的な発生はあったかもしれないが,インフルエンザあるいは非定型型の肺炎と識別は困難だったということは十分考えられる。
ともあれ,SARSの集団発生は2002年11月16日の中国の症例に始まり,2003年7月5日にWHOによって終息宣言が出された。患者は32の国ち地域にわたり8,000人を超える症例が報告された。死亡者数は774人とされており,感染者のおよそ10人に1人が亡くなった。
SARSが世界から注目されるようになったのは,2003年の3月初めに旅行者を介して中国,香港からベトナム,カナダ,米国に感染が拡大したことによる。3月12日にWHOは全世界に向けて異型肺炎の流行に関する注意喚起を発し,本格的調査を開始した。3月15日には、原因不明の重症呼吸器疾患(SARS)と名づけ,「世界規模の健康上の脅威」として異例の旅行勧告も発表した。
僕が騰沖に滞在した5月4日は中国の春の大型連休の時期にあたり,旅行者によりSARSが大規模に拡散する可能性もあった。この時期に雲南省では患者は発生しておらず,省外からの人々の感染チェックを行い,行動を制限することにより省内への感染を防止しようとしたようだ。
この時期にSARSの病原体は特定されておらず,38℃以上の発熱,その他の症状(咳や呼吸困難)を呈している人がSARS感染者のとして疑われた。空港には赤外線温度計測器が設置され,発熱している人は搭乗を制限された。それでも,SARSの潜伏期間は2-7日間あり,感染者の航空機移動を完全には防止できない。都市という人口稠密空間の増加,地球規模の人の往来の増加により世界は感染力の強い感染症に対して極めて脆弱になっている。
SARSの病原体は新型のコロナウイルスであることが突き止められ,広東省の市場で食料として売られているハクビシンから同型のコロナウイルスが検出された。シンガポールではタヌキ,イタチアナグマ,イエネコなどからも単離された。
2005年には中国のコウモリから多数のSARS様コロナウイルスが発見されたと報告する論文が2本投稿された。これらのウイルスの系統学的解析から,SARSコロナウイルスはコウモリ由来の可能性が高いとされ、コウモリから直接人間に感染したか,中国の市場で販売されていた動物を介して人間に広まったと推測された。
野生動物と直接あるいは間接的に接触することは動物起源の人獣共通感染症に感染するリスクをもつ。人間の活動範囲が世界の隅々にまで及ぶようになると,新しい感染症が引き起こされるリスクは高くなる。特に熱帯雨林はこれまで人間の侵入を拒み続けてきたが,20世紀後半になると開発が進み,いくつもの新型感染症が報告されている。