箇旧(ガーチュウ) (参照地図を開く)
紅河ハニ族イ族自治州の州都,面積は1597km2,漢族,回族,チワン族,ミャオ族などの民族を主体とする32万人が暮らしている。東西は山に挟まれているため,町は金湖の周りに南北に細長い形に広がっている。南西側に繁華街があり,汽車站は湖から500mほど北側にある。
紅河ハニ族イ族自治州の州都,面積は1597km2,漢族,回族,チワン族,ミャオ族などの民族を主体とする32万人が暮らしている。東西は山に挟まれているため,町は金湖の周りに南北に細長い形に広がっている。南西側に繁華街があり,汽車站は湖から500mほど北側にある。
新街鎮(09:30)→箇旧(12:00)とミニバス(20元)で移動する。新街鎮の汽車站から開遠行きのミニバスに乗る。バスは乗客がいっぱいにならないと発車せず,およそ1時間後に出発した。
来るときの道路は山側であったが,今回は谷側になりちょっとした恐怖である。下は100-200mの崖になっており,落ちたら最後である。
山を下りると近代的な南沙の町がひろがっている。箇旧までの道路はすばらしい。山を削り立派な高速道路を通している。一部の斜面はほとんど垂直になっており,今日崩れるか,一年後に崩れるかという状態である。
途中,わずかな区間で紅河を見ることができ,走行中のバスからあわてて写真を撮る。紅河は雲南に源を発し,ベトナムを経由して黄海に至る。紅い土を溶かし込んだ水の色が紅河の名前の由来であるが,実物はちょっと泥色の普通の川であった。
箇旧の町は景洪と同じ程度の都会である。汽車站も新しく大きい。大型バスが並んでおり,昆明はもちろんのこと麗江までの直通バスもある。当然,宿代は高くつきそうだななどと考えながら外に出る。
道路の向かい側に站前招待所の看板が見えたので行ってみる。1階が一膳飯屋になっており,おいしそうなおかずが並んでいるので,ここで昼食をいただく。どんぶりに冬瓜の水煮,ニンニクの芽の炒め物などを乗せたいわゆる「ぶっかけ飯」であるが,味はまともである。
奥の住宿登記には部屋の写真と値段が書かれている。単間30元を指で示すと押金(保証金)を含め40元を請求された。100元札を出すと,押金の欄に+50と書かれ10元が戻ってきた。ここに2泊して出発時にこの伝票を見せるとちゃんと30元が戻された。
部屋は6畳,大きなベッドと木箱で作ったソファー,TVがある。トイレとシャワーは共同である。洗面台は日本の学校のように蛇口が一列に並んでいる。
箇旧は金湖の周囲に発展してきた町である。汽車站から中心部まで2kmあるが,街の様子を見るため歩いてみる。なるほど近代的なビルが湖を取り巻いている。
中国銀行が見つかったのでTCの両替をしようと窓口に差し出すと,タクシーで南に行けと言われた。ここでは両替はできないようだ。郵政も見つかったので,絵葉書を出して「Japan Air mail」と説明すると切手を4枚くれた。この絵葉書のどこに4枚の切手を張れというのだろうか。
再び中国銀行が見つかったので入ると,斜め向かいの方に行けと言われる。3件目の中国銀行では,服務員がTCを見て,マニュアルを探し出して読み出す。かれこれ20分ほどで両替は完了した。
宿の下の飯屋には朝食のメニューは米線しかないので外に出る。横道に油条の露店があるのでそこで朝食をいただく。ここには小豆のおかゆもあったので明日はそちらをいただくことにしよう。
宿には机が全く無いので公園のテーブルで日記を書くことにする。途中で雨が降り出し,寒くなる。近くの食堂で日記の続きを書く。
宿に戻りもう一枚長袖を着込んで外に出る。街の中心部では古い建物が取り壊され,新しいビルに変わりつつある。ここでは古いビルをハンマーで打ち崩している。
柱には鉄筋が入っているが,レンガの塀はハンマーの一撃で簡単に崩れる。中国では鉄筋もレンガも大事な資源だ。下では鉄筋を分離し,欠けていないレンガを回収している。
湖の西側は遊歩道になっており,コンクリート製のテーブルとイスが並んでいる。ちょっと寒い中で何組かのグループがカードゲームを楽しんでいる。囲碁をしているテーブルもあった。対局が終わり,次の相手がいないので僕が打つことになった。相手の大石をし止め,60目くらい勝っていたところを,当たりに気が付かず,負けにしてしまった。
夜になると街の様子は一変する。湖の周辺のビルはもちろん,大きな通りのビルはほとんどライトアップされ,紫やオレンジ色に輝いている。湖の対岸からフラッシュなしで撮ってみるときれいな夜景になっている。
このライトアップの目的は何であろうか,ここは電力が余っている国ではない。湖の北側には美容室や歌舞庁が集まっており,ここは中国なのかと思われるほどである。