元陽(ユエンヤン) (地域地図を開く)
元陽県は紅河と金平県に挟まれた面積2292kmの県である。紅河沿いのわずかな平地を除きほとんどが山間地である。住民はハニ族が多く,イ族,ミャオ族も住んでいる。
県のほとんどが山間地のため,農業は棚田に頼っている。幸い比較的ゆるやかな斜面が多いため,スケールの大きな棚田を作ることができた。元陽の町は平地と山の上の二箇所にあり,棚田の見られる山の町は新街鎮と呼ばれている。
元陽県は紅河と金平県に挟まれた面積2292kmの県である。紅河沿いのわずかな平地を除きほとんどが山間地である。住民はハニ族が多く,イ族,ミャオ族も住んでいる。
県のほとんどが山間地のため,農業は棚田に頼っている。幸い比較的ゆるやかな斜面が多いため,スケールの大きな棚田を作ることができた。元陽の町は平地と山の上の二箇所にあり,棚田の見られる山の町は新街鎮と呼ばれている。
坂を登り金平の汽車站に行き,金平(08:20)→阿得傳→黄草現(11:10)(11:50)→分岐点(12:20)(13:20)→南沙(13:50)→新街鎮(14:40)とバスを乗り継いで移動する。金平から新街鎮に行くためのルートは二つある。一つは銅厂,老孟を経由する南ルート,もう一つは紅河(元江)の北側に出て川沿い行く北ルートである。
風景は南ルートの方が良さそうであるがバスの便がはっきりしないので北ルートを選択した。それでも直行便は無いので乗り継ぎになる。バスの運転手から声がかかった。元陽と答えると,途中まで開遠行きに乗り,分岐点で乗り換えればよい言われ,そのバスに乗った(20元)。
阿得傳の先で交通事故渋滞になっていた。トラックとバスがこすっただけであるが,後続の車が道をふさいでおり双方向とも動けない。中国ではよく見かける光景だ。ようやく誰かが車を整理してくれたので車列は動き出した。
紅河を渡る橋は県境になっているのでやはり公安のチェックがある。僕のパスポートは記帳のため事務所に持っていかれた。ここから見る紅河は特に赤っぽい流れではない。河沿いにしばらく進み,開遠との分岐点で降ろされた。
ここから南沙まではミニバス(5元)で30分だ。元陽という名の町は2つある。一つは新しい平地の町の「南沙」,もう一つは山の上にる「新街鎮」である。南沙の街の適当なところに降ろされたので汽車站を探し,そこでミニバス(5元)に乗りようやく新街鎮の汽車站に到着した。
町は尾根筋に広がっている。汽車站から少し下ると広場があり,その北側に立派な外観の人民政府招待所がある。ここは外国人の宿泊が可能である。部屋(40元)は8畳,Wベッド,T/Sは共同,清潔で快適な宿である。
ただし,シャワー室の狭さには閉口した。広さが半畳くらいしかないので脱いだ服を濡らさずにシャワーを浴びるのに大変苦労した。ここが新街鎮で外国人が宿泊できる唯一の宿かと思っていたら,広場の南西側にも何件かの安宿があった。
広場の西側はビューポイントになっており,下の斜面に小さな棚田が見え,正面には蛾蛾たる山並みが続いている。ところどころに集落があるのか,白い点の集まりが見える。その白い点を結ぶように,茶色の線が伸びている。
広場の北側の階段を下りると商場になっており,土産物屋が並んでいる。広場の西側の階段を上ると市場があり,その上に食堂街がある。市場には体の左側で留める,鮮やかな色使いの上着とズボン姿のハニ族の女性が多い。
広場の周辺にはライチを売るハニ族のおばさんがたくさん集まっている。収穫の時期が集中するのか,元陽に移動するときも多くの町でライチが溢れていた。ライチは枝ごと収穫し,適当な大きさに束ねられて売られている。
僕は小さな束を買ってみた。1.5kgで3元である。ライチは僕の好きな果物であるが,この分量は1回ではとても食べきれない。もっとも元陽に3泊する間に,もう一束を買うことになり,この町ではライチ三昧の暮らしをしていた。
猛品の棚田を見るため汽車站から黄草令(山へんに令)行きの軽ワゴン車に乗る。途中で乗客が増え,ずいぶんきゅうくつな思いをした。途中で青(竹かんむりに青)口の棚田があり,その先に生(月へんに生)村方面の分岐点がある。軽ワゴン車は雲海の中に入り,雰囲気は伊豆の山道である。とはいうものの対向車や残り少ない路肩など心配の種が多い行程である。
中国では棚田のことを梯田という。日中どちらの言葉も階段状の農地の感じをうまく言い表している。この地域には唐代から多くの棚田があったという。猛品の棚田は最も有名であるがビューポイントからは見た場合,谷が深すぎて(風景が遠すぎて)写真にならない。棚田の一枚一枚が識別できないほどだ。
風景はたしかに雄大である。なだらかな斜面から三方の急傾斜の山に向かって棚田が連なっている。このアジアの優れた農業技術も急傾斜の斜面には太刀打ちできない。放棄された棚田も多く,そこは茶色の斜面に戻っている。
ここの風景はすぐに飽きてしまい下の村に移動する。ここでは棚田を間近に見ることができる。集落の周辺の斜面はすべて棚田になっている。棚田は斜面の傾斜をそのまま利用しているので,複雑な形状になる。ちょうど田植えが終わった頃で,棚田の美しい曲線が最も映える時期である。
ここはハニ族の村のようだ。村の中でおしゃまな女の子に出会った。坂の上にある家の前で3人で遊んでいた。写真のお礼にキャンディーをあげると,村の中をずっとついてきた。困ったことに子どもたちは自ら手を出してきた。この村を訪れた観光客との折衝でものをもらうことを覚えてしまったようだ。民芸品を売るおばさんもおり,その値段の高さに驚きながら,村を去ることになった。
村を離れ幹線道路が近くなっても子どもたちはまだ僕のそばを離れない。もう帰りなさい,バイバイと言うと再び手を出された。子どもたちの悪い癖を助長したくはないが,僕は苦笑しながら3個のキャンディーを取り出した。
集落から幹線道路に出る道を水牛を連れ,農機具を肩にかついだ男性が通る。畑でとれた葉物をかついでおばあさんが帰ってくる。昔ながらの人々の生活風景を見るのは楽しい。
それでも一日に出会う何十,何百ものシーンを覚えているのはとても不可能だ。フィルムカメラからデジカメに変えることにより,旅の記憶量が飛躍的に増大した。今日も普通の人々の日常を写真に撮り,感謝の気持ちを込めて軽く一礼する。幹線道路に出ると舗装された道路を水牛を連れた一家が通る。男の子が水牛の背中にしがみつくように乗っており,これはいい絵になる。
道路の下はかなりの急斜面であるが,道路のすぐ下まで棚田が続いている。さすがにその一部は維持が難しいのか放棄されている。放棄された棚田はじきに崩れてしまうようだ。猛品から阿党方向の道沿いはずっとそのような棚田の風景が見られる。
青口(青は竹かんむりに青)はチンコウと読む。元陽から最も近い棚田である。猛品からの帰りに立ち寄ってみた。ここの棚田は幹線道路からそれほど高低差がないので,すばらしい曲線の風景を楽しむことができる。
青口の村落は棚田の中心部にあり,幹線道路からはかなり距離がある。田植えを目前に控えて,人々は畦の修理,代掻き,魚の移動など忙しく働いている。
田んぼの面積を最大にするため,畦はとても狭く,クツで歩くのはちょっと困難だ。ところどころに歩行用のしっかりした畦があり,それを伝って下に下りてみる。棚田の向こうに森があり,それに囲まれるように小さな青口の村がある。ピラミッド型の屋根をもつ家が密集しており,この村も絵になる。
07時に朝食に出かける。この時間でも近くの飯屋はやっている。米線(2元)を注文し,スープの味付けはしょう油だけにしてもらった。これに薬味を少し加えると,それなりに食べやすいものになる。
元陽の汽車站から多依樹行きのミニバスに乗ると,となりに坐っていたのが元陽の棚田の写真で有名な写真家の周徳厚さんであった。おかげで彼の梯田絵葉書セット(10元)を入手することができた。
さすがに地元の写真家の作品は素晴らしかった。棚田は季節により,また光の具合によりさまざまな表情を見せる。特に苗がまだ生長しない時期の夕暮れの写真は印象に残る。
ミニバスは青口の先で幹線道路から左に曲がる。この道は砕いた石の平らな面を上にして敷いた石畳になっている。周囲には棚田や茶畑が広がっており,猛品ルートよりずっと風情がある。
生(月へんに生)村の辺りでバスから下ろしてもらい,幹線道路(新街鎮)に向かってのんびり歩いていく。ここから6kmくらいは「風景区」に指定されていた。
道路から下りて小さな集落を訪問するのもいい。ちょうど田植えの時期であった。1haはありそうな苗床から30cmくらいに伸びた立派な苗をとり,田植えをしている。水を張っただけの棚田は,畦の複雑な曲線がじかに見えるので好ましい。夏に来たらこれほどの美しさは感じられないであろう。
田植えをしていた青年がごはんに誘ってくれたのでおじゃまする。ごはんは少し赤みががった短粒種,おかずは,納豆,おから,豚肉・ネギ炒め,キャベツ炒めが並んでいる。時刻はまだ10時前なので,朝食をすでに食べている僕は一杯だけいただく。お礼に2人の子どもにヨーヨーを作ってあげる。
幹線道路に向かって左手に「封山育林区」の石碑があり,右手に竹造りの小屋が見えたら,そこがこのルートのビューポイントの入り口である。ビューポイントからは180度の展望が開け,谷から山に競りあがっていく何列もの棚田が見える。
それは感動的な光景である。たぶんスケールは猛品の方が大きいと思うが,ここは棚田までの距離がちょうどよい。旅行をしているとときどき「すごい」としか言いようのないものを見ることがある。ここの棚田はそれに該当する。
見事な茶畑もある。山を取り巻くように緑の帯が走っており,その帯は頂上まで続いている。山の斜面に小さなステップを切り,そこに茶の木を植えるとちょうどよい茶畑になる。
この方法だと棚田にならないような急斜面でも茶畑として利用することができる。このあたりの斜面はほどんど100%利用されている。
茶畑の下の棚田では水牛が代掻きをしている。農夫は「シッ,シッ」という声で水牛を追う。水牛は畦の草を噛み取りながら進んでいく。農夫の妻は自然石で鎌を研いでいる。
タバコの時間になったので,近くのおじいさんと農夫にタバコを差し出す。僕はふだんはタバコを吸わないが,雲南ではお近づきのしるしにタバコを持ち歩いてる。
生村から戻る道に採石場があった。岩棚を削り,ハンマーで砕き砂利を作っていた。ハニ族の女性たちも金槌をふるい石を砕いている。写真のお礼にキャンディーを出すと嬉しそうに受け取ってくれた。
しばらく見学しているとお昼になった。女性の一人が昼食に誘ってくれた。赤っぽいごはんと塩辛い納豆,それに野菜を発酵させたものであった。僕は昼食に用意しておいたビスケットとそれを交換する。彼女たちのおかずは塩味も辛みもそうとうきつい。
人民政府招待所のフロントガラスを爆竹が震わせる。中には特別音の大きなものも含まれている。爆竹が一段落すると,新郎新婦がタバコとひまわりの種を配っている。招待所で結婚披露宴が始まる。
町の人々が集まり席に着く。1階と2階の大広間は来客で埋まった。8-10人のテーブルが2フロアで18個用意されている。テーブルの上にはご馳走が並び,みんな和気あいあいと食べる。僕も席に坐り,ローカルな中華料理をいただく。
移動日の朝,どうしても朝日に映える棚田が撮りたくてオート三輪に乗って再び来てみた。正面から朝日が照らす構図であったが,あいにくの曇り空で朝日は隠れている。それでも,ゆるやかに連なる棚田の向こうの村が雲間からもれる光に照らされる光景は素晴らしかった。