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孟拉(モンラー) (地域地図を開く)

緑春から金平への道沿いにある小さな町。ここでは6日毎の市が開かれるので来てみた。緑春からの移動時に一旦この町でバスを降りたが,周辺には宿らしいものは見当たらなかったので,宿の確実な金平まで再移動した経緯のある町である。金平から那発の下見に行ったとき,ついでにこの町にも寄り,確かにまともな宿があることを確認しておいた。

ガソリンスタンドのある交差点から街のメインストリートが北に伸び,周囲に賓館,旅社,市場,小学校がある。街の西側には老孟河がゆったりと流れており,この川は那発で国境の川となり,ベトナムのダンドンの近くを流れる。町の周辺はバナナ園が多く,西双版納のような風景が見られる。

金平(36km)→孟拉 移動

金平(09:00)→孟拉(11:30)とトラック(10元)で移動する。金平の町は幹線道路の両側に広がっている。汽車站は少し離れているので道路でミニバスをつかまえることにする。

待っているとトラックが止まり孟拉にいくという。この日は孟拉の市の日だったので道路は大渋滞である。渋滞の原因は中型バスが狭い通りに堂々と駐車しているためだ。このため車がすれちがえずひどいことになっている。

バスの運転手は駐車したままどこかに行ってしまっている。このあたりは中国的なところだ。おまけにトラックは荷物の積み込みがあり,普通は1時間のところを2時間半もかかってしまった。

禾友賓館

孟拉の宿は禾友賓館にした。町には背の高い建物が2軒しかないのでよく目立つ。新築のため一部はまだ内装工事が行われている。部屋は10畳,新品の2ベッド,バスタブ付きの広いシャワールーム,清潔,2食付きで,新装記念価格は50元であった。元陽と並んで最も良い部屋であった。

実はこの町に外国人が泊まれる宿があるかどうか確認するため,金平からバス代をかけて下見に来て,ここを発見した。家族経営の宿の人々は僕を覚えており,下見のときと同様に昼食をごちそうになる。

宿の屋上はこの町で一,二の高いところにあたる。町は小さく周辺の平地は農地もしくはバナナ園になっている。その平地もほんのわずかで周囲はすぐ山並が連なっている。

川の風景

町のすぐ近くに川が流れている。橋の向こう側は砂州になっており,子どもたちの遊び場にもなっている。ここではプラスチックの容器で水をかけ合っている。動きがすばやくて写真にならない。

大きな水たまりがあり,あひるが群れで浮かんでいる。子どもたちはその水たまりで水をかけあう。アヒルたちは迷惑そうに場所を移動する。橋の上から川の風景を撮る。ゆるやかに流れる川からすぐ山になり,その上には夏雲が湧いている。なんだか,日本の原風景を見ているようだ。

ちびっこギャング

町には水かけ祭りの余波が残っていた。タイ族の少ないこの町で「弘揚(高揚)民族文化」の看板があり,水かけ祭りを奨励している。子どもたちは強力な水鉄砲を持ち,2手に分かれて遊んでいる。迷惑を被っているのは通行人だ。祭りの間は怒ることもできず苦笑いするしかない。

町から少し離れた道を歩いていても油断はできない。バケツを持った子どもたちが待ち構えている。水はどこからと見れば田んぼの用水路から汲んでいる。その水はちょっとかんべんしてほしい。カメラを向けると笑顔の被写体になってくれた。通行料とモデル代としてキャンディーを手渡す。

観光客も水掛に加わる

小学校を訪問する

学校帰りの子どもたち

定期市の準備が進む

バナナ園が広がる

孟粒の周辺には雲南では珍しい平地が広がっている。平地の主要作物はバナナであり,水田はほとんど見かけなかった。西双版納の農地がコメ一色であったのに対して,この辺りでは換金作物一辺倒である。平地のバナナ,山にはゴムの木,荒地にはキャッサバという組み合わせである。

バナナ園で実がつき始めたバナナの木(正確にはバナナは草本)を見つけた。下に赤紫色の大きな花序(複数の花の集合体)が突き出ている。バナナの花序は複数の果房(果段)からできており,各果房には10-20本の果指(花)が付き,一つの果指が一本のバナナに成長する。

果房(果段)は3段から7段くらいにもなり,茎はその重さに耐えられなくなって曲がってしまう。巨大な葉といい,重すぎる実生といいバナナは本当に変わった植物だ。

バナナの学名は旧約聖書の「エデンの園」に出てくる名前が当てられている。料理用バナナは「楽園の木の実」,生食用は「知恵の木の実」となっている。この名前からヨーロッパ人が初めてバナナに出会ったときの驚きをうかがい知ることができる。

バナナの原産地はマレー半島辺りだというのが定説である。原種のバナナの実には小豆大の種がある。1万年ほど前に人類には都合のよい種子無しの変種が出現した。

栄養価の高いバナナは旧大陸の熱帯地域で広く栽培されるようになった。今でも,インド圏では,種のあるバナナに出会うことができる。旅行中に種ありバナナを見つけたら,それは貴重な原種に近いものなのだ思えばよい。

孟拉の町で見かけたもの

孟拉の定期市

那発の定期市の翌日は孟拉で市が開かれる。7時に外を見ると市の準備が進められていた。露店の骨組みが出来上がり,商品が運び込まれている。8時になると街全体が市場になってしまった。

少数民族の女性も大勢目に付く。ここでも正面からの写真は難しいので,迷惑にならない角度から撮らせてもらう。この親子は一家で買い物に来ている。2人の娘さんの服装はすでに漢人化している。

華やかなスカートの女性たちは,孟粒の定期市にもいた。彼女たちは白いブラウスを着ているが,上着まで総刺繍の女性もいる。グローバリゼーションにより,世界のマイノリティ文化は急速に消滅しつつある。経済発展の著しい中国にあって,独自の服装がこれほど残っていることは驚きである。

一人のおばあさんは哲学的な顔でじっと客を待っている。足元には商品のきのこが並んでいる。売れ行きはあまり芳しくないようだ。定期市のにぎわいは午前中だけである。1時を過ぎると店じまいが始まり,あれだけの設備と商品は跡形も無く撤収されてしまった。

孟拉の定期市

孟拉の定期市の商品

再び小学校を訪問する

子どもたちに連れられて小学校の中に入る。ここの学校もとても立派だ。「求実開拓」の大きな文字が校舎の上に掲げられている。校庭にはコンクリート製の卓球台があり,薄いラバーのラケットで子どもたちが遊んでいる。僕もちょっと仲間に入れてもらう。

小学校の外で撮影会となる

小学校の前で日傘で遊んでいる子どもたちがいた。ちょうど良い被写体である。カメラを向けるとVサインで応えてくれる。これが縁で他の子どもたちとも仲良くなり,撮影会になってしまった。子どもたちはほとんど学生証を服に付けているので読ませてもらう。


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