那発は孟拉から約10km,ベトナム国境の小さな町だ。ここでも6日毎の市が立つので,孟拉から日帰りで訪れてみた。国境の川に向かう道路があり,川の近くでT字路となっている。
この交差点は小さな広場になっており,その右側に平日は何軒かの露店が並んでいる。平日は人気の少ない町が,定期市の日はT字路が露店で埋め尽くされれていた。
民族衣装の女性たちが集まり,ちょっとしたファッションショーのようだ。町のすぐそばを小さな川が流れており,それがベトナムとの国境になっている。
孟拉(07:00)→那発(07:30)とトラックバスで移動する。料金は往復6元である。雲南省のベトナム国境沿いの町では6日に1回市が開かれる。
市は町を順次移動していくので僕もそれを追って金平,那発,孟粒と移動する。ただし,那発の宿泊は怪しいので孟拉に宿泊して日帰りで定期市を見に行く。
孟拉には汽車站がないので,トラックバスが集まっているところで那発行きのものを見つける。トラックの荷台はさすがに見晴らしが良い。道の右側は川になっており,那発ではこの川が国境になっている。右側の平地はバナナ園,山の斜面はゴム林になっている。
那発は金平と孟粒を結ぶ道路から,ベトナム国境の方向に伸びる道の先にある小さな町だ。金平からは35km,孟粒からは10kmのところにある。ここは川が国境になっており,国境の川はおそらくベトナム国内でダー川に合流しているはずだ。
普段の日は閑散としており,小さな露店が並んでいるだけだ。しかし,定期的に立つ市の日は,街の様子は一変し大変なにぎわいとなる。
バスは那発のT字路広場のだいぶ手前で乗客を下ろした。T字路の道そのものが露店で占拠されており,これでは先に進むわけにはいかない。確かに大変な数の露店が出ている。買い物客はわずかに残った道路の中央部のすきまをすりぬけるように通るしかない。
交差点広場の手前はひよこを売る店が多い。1mくらいもある大きな竹篭の上に網が張られ,中にはにわとりとあひるのヒナがか細い声で鳴いている。客は10羽とか20羽の単位で買い求める。売り手がヒナをつまみ出すと,1羽1羽真剣にチェックし,気に入らないものは交換を要求する。
市の人出の半分は少数民族(民族衣装で判断した)で,かなりの人々はベトナムから来ている。この華やかな民族服を見るだけでも那発の定期市を訪れる価値がある。
ある建物には教育委員会の看板がかかっており,「辺境貿易を盛んにして貧困をなくそう」というスローガンが書かれていた。そのためここの人民政府はベトナムとの国境を両国民に開放しているのだろう。
ザオ族の支族?
広場の右手の方にすごくきれいな民族衣装の女性たちが20人ほど固まっていた。ピンクの飾りの付いた黒い帽子,黒い服,黒いズボン,白いゲートル,白いエプロン,首からはピンクの毛糸の束を下げている。
初めて目にする民族衣装である。彼女たちはなにやらアクセサリーの材料を評価しあっている。写真を撮ってもとくに嫌がるそぶりは見せない。中に中学生くらいの子どもが数人おり,とても良いモデルになってくれた。
この集団のいた地点から少し先に国境の橋がかかっている。巾50mにも満たない小さな川が中国とベトナムの国境となっている。国境の川にかかる橋を通って両国の人々は自由に行き来できる。しかし,この国境は外国人には開放されていない。
雲南省の国境警備は厳重だ。国境の橋の中国側には「辺防検査」のための詰め所がある。打洛の国境ではしつこい尋問を受けたので,これ以上,詰め所に近寄るのはやめておく。橋のベトナム側からさきほど見かけた,きれいな民族衣装の一団が歩いてくる。彼女たちはベトナムから来ていたのだ。
3年後にベトナムを訪れた時に,那発でとった彼女たちの写真を持参していたので,パソという集落からバイクタクシーに乗って国境まで行ってみた。
運転手は写真を頼りに同じ民族服の集落2ヶ所を探してくれた。集落の人たちにこの写真の人を知りませんかとたずねてみたが,該当者は見つからなかった。この写真の民族服はネットで探しても見当たらない。パソで会った西遊旅行の現地ガイドは「ザオ族の支族でしょう」と教えてくれた。
華やかなスカートの一団
定期市にはさまざまな民族衣装の女性たちが集まる。何か目的をもった買い物ではなく,半分はレクレーションのようだ。女性の買い物好きは世界共通のようだ。華やかな色彩のスカートの一団がいる。前からではなく後ろからでも十分に絵になる。背中の荷物袋もかわいい。
道路はほとんど露店に占拠されており,そこに人々が集まるので写真をとるのは大変だった。特定の人の写真を撮ろうとして,フレームを合わせ,シャッターを押そうとすると目の前を人が横切ったり,被写体が動いたりする。それでもデジカメは失敗した絵はその場で分かるので取り直しがきく。
きれいなアクセサリーのついた頭飾り,刺繍のついた黒い上着と黒いズボンの女性たちの服装も珍しい。頭飾りと胸の刺繍に特徴がある。
彼女たちは山でとったタケノコを売りに来ており,タケノコが売れると今度は買い物客になる。市の原初の姿は物々交換だ。彼女たちはお金を仲立ちにして,今でも物々交換をしているのだ。
ある露店ではビデオを上映していた
ある露店ではビデオを上映していた。人々は食い入るようにこの文明の利器に見入っていた。観客は若い世代が多い。この子たちが大人になったときは,町から離れた少数民族の村にもテレビが普及しているかもしれない。
テレビは外の世界と彼らを結び,伝統的な生活を近代化という画一的な世界に組み込む道具にもなる。雲南の多くの地域と同じように,伝統的な社会が崩壊していくのを見るのは寂しい。
その寂しさは旅行者の感傷に過ぎないことはよく承知しているが,やはり民族の独自文化の伝承を守りながらの近代化を指向してもらいたい。
榕樹の街路樹
この町の街路樹は榕樹である。根や気根が自由自在に伸びて不思議な形を作る。東南アジアの遺跡を木の根が覆ってしまう写真をご覧になった方も多いと思う。その木を街路樹にしようなどとは,誰が考え着いたのであろう。当然,木の根は四方八方に伸び管理は困難を極める。
やはり国境の町
国境の町では公安の目が行き届かないのか,ご法度の賭博が白昼堂々と行われている。以前,ミャンマーのタチレクで賭博場の方にカメラを向けたところ,男たちが飛んできてフィルムを没収されたことがあった。それは違法賭博の証拠写真になることを恐れてのことだ。今回は目立たぬようこっそりと写真に収めた。ベトナム人相手の旅社も何軒かある。
小学校にて
小さな町にしては小学校の校舎は立派だった。1階は生徒用の寄宿舎,2階,3階が教室になっている。今日は休みなのか,それとも昼休みで生徒たちが帰宅しているのか,ほとんど生徒はいない。
3人の子どもたちに案内されて教室を見せてもらう。けっこう立派な教室である。イスの背には次のような文字が書かれている。「世行貸款”貧四”項目」は,貧困撲滅のための世銀借款と読めるのだが…。