16世紀にラージプートのメーワール王国の都であったチットールガルは新興のムガール帝国の攻撃により陥落した。メーワールの王ウダイ・スィンはチットールガルから110kmほど南にある標高600mほどの山間地に都を移した。そこはラジャースタンの南の外れでグジャラート州にほど近いところであり,都の名はウダイ王の町を意味するウダイプルとなった。
ウダイ・スィン王がまず手がけたのは川をせき止めて人造湖を造ることであった。現在も町の西側に残るファディー・サガール湖とビチュラー湖はラジャースタンには珍しい豊かな水の景観を提供してくれる。しかし,現在のウダイプルの人口は46万人にもなっている。町から出される生活雑排水の相当部分は処理なしに二つの湖に流れ込んでおり,汚染は相当のものだ。
チットールガル(07:00)→ウダイプル(09:30) 移動
24時間制の宿なので07:10までにはチェックアウトしなければならない。06:30に受付に行くと(当たり前のことだが)スタッフは寝ているので,彼らを起こしてチェックアウトする。バススタンドまで歩いて行く途中で急にトイレに行きたくなる。幸いバススタンドの有料トイレ(5Rp)は清潔だったので助かった。
バスは一列3+2の5人掛けである。僕の座席番号は11であったが出発時は30%くらいの搭乗率なので基本的にどこに座ってもよい。メインザックは網棚の上にあげ,窓側の席に移動する。定時の07時にバスは動き出した。さすがにこの時間は風が冷たいのでみんな窓を閉めている。ときどき客の乗降のため停車するのでその機会に写真を撮る。道路はほとんどの区間で片側2車線のハイウェーである。それでも,バスのサスペンションはひどく悪く,振動が伝わってくる。
Rawla Palace Paying GH
09:30にウダイプルのバススタンドに到着する。まず,チャーイを飲みながらガイドブックで宿を確認する。シティパレスまでのオートリキシャーは40Rp。おそらく乗り合いのオートリキシャーも運行されているだろうが,荷物をもった状態では探す気にもならない。
運転手は宿の場所が分からず,近くに来てから多少苦労しながら宿にたどりつく。路地の入り口のところに「Rawla Palace Paying GH」という看板が出ていた。
Rawla Palace Paying GH は街の中心交差点にあるジャグディーシュ寺院まで徒歩3分のところにある。部屋代はダブルで200Rp,部屋は6畳,トイレ・シャワー付き,床が清潔なので部屋の中では裸足で過ごす。窓にはネットが張ってあり,蚊の心配はなさそうで居心地のよさそうな部屋である。ただし,食事は頼まないで外でいただいくことをお勧めする。
ウダイプルは観光客の多い町
ウダイプルの中心部はヨーロピアンの観光客で溢れていた。今回旅行した地域ではコルカタのサダルストリートを除きこれほど多くの外国人旅行者が集まっているところはなかった。
大半の女性はインドで買ったと思われる服を着ている。暑い気候の中で育まれた衣服なので,肌の露出が少ない割には涼しいことだろう。そのような旅行者目当ての土産物屋が「Mathi Chowta 通り」の両側に軒を連ねている。
「Mathi Chowta 通り」の交通量はずいぶん多い。ウダイプルの中心部は古い街並みがそのまま残されており,メインストリートを含めて街中の道路は自動車が通行するようにはできていない。
多くの人々が通行する道をバイクやオートリキシャーが走り回る。さらには自動車までもがこれに加わり,歩いているだけで交通事故の遭いそうであり,かつ空気も良くない。
ジャグディーシュ寺院
ジャグディーシュ寺院は1651年に建造されたウダイプルでもっとも大きなヒンドー寺院である。主神はビシュヌ神である。寺院は商店の二階にある。この二層構造は古い市街地の中心部に大きな寺院を建てるための知恵である。
寺院に上る幅の広い階段がある。中央部に二列の手すりがあるため階段は三分割されており,なんとなく左から上がって右から下りるような雰囲気になっている。階段の途中には左右それぞれ2体の神像が配されている。これはおそらくビシュヌ神であろう。
階段の途中には左右それぞれ2体の神像が配されている
翌日の午後に訪れると神像の前にサドゥー(ヒンドゥー教の修行者)がおり,写真を撮りなさいと身振りでアピールするので一枚撮らせてもらった。彼の額にはU字の模様が描かれており,それはビシュヌ神を信奉する人々の証である。サドゥーは働くことはなくもっぱら人々の喜捨で暮らしているので,僕も10Rpを心づけとしてお渡しした。
階段の最上部には鼻を後ろに持ち上げた象がおり,参拝者を迎えてくれる。階段を上りきったところまでは履物が許されるようだ。僕は階段の下に靴を置いてきたので,もう一度下りて靴を回収することになった。
祠の周りを女性たちが回っている
階段の上に大きな本堂(神殿)があり,その四隅に副堂(祠堂)が置かれている。これはヒンドゥー寺院ではよく見られる五堂形式(パーンチャラター)であり,仏教寺院にもよく見られる構成である。通りに面した2つの祠堂は入口階段の下からでも眺めることができる。敷地がそれほど大きくないため,距離がとれず本堂を含め建物の全景を撮ることはできない。
一つの祠堂の近くにあるさらに小さな祠の周りを女性たちが回っている。今日は何か特別の日なのかもしれない。女性たちの儀式はほとんど終日行われており,午後に訪れたときも続いていた。このとき女性たちの写真を撮っていると,近くで坐っていた集団から呼ばれオレンジをプレゼントされた。ちょっと品質に難点があるものも含まれていたが,ありがたくいただくことにした。
前殿のガルーダ像
本堂の入り口に相対するように小さな祠があり,そこには真ちゅう製のガルーダ像が置かれている。ガルーダは神殿の外側ではなく,神殿の方向を向いており,その奥には主神ヴィシュヌが祀られている。インド古代神話に登場する神鳥ガルーダはヒンドゥー教においてはヴィシュヌ神の乗り物とされている。これはシヴァ神が牡牛のナーンディを従えている関係とおなじである。
宿から見えるジャグディーシュ寺院の前室の屋根と高塔
ほとんどのヒンドゥー教寺院は外側の精緻な彫刻がハイライトであり,聖堂内部はそれほど見るべきものは少ない。ジャグディーシュ寺院内部は参拝者で混雑していたので,ご神体は後回しにして外側を見ることにした。本堂は手前の低い前室とその背後にある聖殿からできている。聖殿は中央に向って急激に高くなっていく構造となっている。このような構造物はシカラ(高塔)と呼ばれている。
外観から分かるようにシカラは聖山須弥山(しゅみせん)を模したものである。この聖山はヒマラヤの奥にあるとされており,シカラの周辺の小さな山はヒマラヤの峰々を表している。ヒンドゥー教においては須弥山は世界の中心であり,神々のおわすところとされている。須弥山を模したシカラに聖室を置き,主神が納められているのはごく自然なことのようだ。
前室の壁面の彫像は愛嬌がある
ジャグディーシュ寺院の前室の壁面の彫像は愛嬌がありちょっとユニークなので紹介することにする。シカラの壁面は窓のような装飾と二段になった神々の彫像が取り巻いていた。周辺の小さな山を表す構造を造るためシカラには多数の凸部が設けられている。それはあたかも壁面の面積を増やそうとするかのようにも感じられる。こちらの彫像は北方様式の寺院でよく見かける標準的なものだ。
シカラには多数の凸部が設けられている
前室および高塔の壁面は隙間の無いように彫像で飾られている。インドにおける寺院の外壁を飾る精緻なレリーフには毎度のことながらため息が出るほどだ。最初にこのようなレリーフに出会ったのは2000年のカジュラーホであった。世界遺産に登録されている寺院群の壁面はおびただしい神々の彫像とレリーフで飾られていた。寺院の壁面の芸術性ではインドでも最上級のものの一つである。このような素晴らしいものを見た後でも素直に「すごいね」といえるものがインドにはたくさんあるので見飽きることはない。周辺の小さな山を表す構造を造るためシカラには多数の凸部が設けられている。
町中を歩いてみる
3枚目の写真,麻雀卓ほどの大きさで四隅にビリヤードのようなポケットをもつ卓を使用するゲームはカムロである。カロムは2人以上で行うボードゲームである。キャロム、カルムなどとも呼ばれる。
ビリヤードに類似した盤上ゲームで、2人ずつペアになり四角い盤の上に並んだ偏平な円筒形の玉(パック)を特定のエリアからパックと同形の自身の玉(ストライカー)を手の指で弾き、自身のストライカーに記されているのと同色のパックに当て、四隅のコーナーにある穴(ポケット)にパックを全部入れ、最後にジャックを入れるのを競うゲームである。(wikipedia)
このゲームはインドではしばしば目にしていたが,ゲームの名前を聞かなかったので説明に苦労することになる。ネットで「インド 卓上 ゲーム」を検索するとすぐに見つかった。
ビチョーラー湖の汚染
ジャグディーシュ寺院の横の道を西に歩くとすぐにビチョーラー湖に出る。シティパレスの少し北側のところである。大きな中島があるため湖は狭くなっており,乾季で水位が下がっていることもあり,対岸までの数十mの浅い水面になっている。水質は予想していたとはいえひどい状況である。
46万人の人々が暮らす町に隣接している湖水はかなり汚染されている。僕のいる東岸には大量のホテイアオイが残されている。人力で引き上げたのか,乾季のため岸辺に取り残されたのか,大変な量のホテイアオイの残骸が積もっている。ウダイプルの下水システムがどうなっているかは分からないが,相当量の汚水がここに流れ込んでいるのは確かだ。湖岸で洗濯をする女性の周囲には白い泡が漂っている。
3つのアーチが連続する立派な門がある
ウダイプルの町はあまりにも水源に近過ぎる。おそらく現在ではこの湖からは水道水は取水されていないだろう。水源としての湖はもう死んでいる。ある建物の壁面には「Save Lake, Save Udaipur」の標語が大きく書かれていたが,現状では空しく響いている。北側には本土と中島を結ぶ橋がかかっている。本来ならここも美しい風景なのであろうが,現在は橋の下あたりで水が途切れている。
ガートを伝ってシティパレスの方に移動すると3つのアーチが連続する立派な門がある。門に通じる道はジャグディーシュ寺院前の交差点に続いている。門とガートの間にはちょっとした広場があり,水がきれいだったときには公共のガートであったのかもしれない。
壁面を彩る壁画
ビチョーラー湖の東岸には大きな建物が並んでいる。レイクパレス・ホテルの全景を見るために移動しているときに壁面に描かれているきれいな絵を見つけた。象になるマハーラナー,軍隊の進軍の様子などが描かれている。このような素晴らしい壁画が何気ないところに描かれているのもインドである。
ランプシェードは土産物としても十分に通用する
ジャグディーシュ寺院の交差点から「Mathi Chowta 通り」を北東に行くと時計塔近くの交差点に出る。この時計塔を中継点として電線が張られているので,どこから見ても何本もの電線がフレームの中に入る。時計塔の先はもう土産物屋は少なくなり,地元の人を相手にする商店や手工業の工場が増えてくる。
サリーやサリー用の布地を扱っている店もある。店先に飾られているものは高級品が多く,その華やかさに目を奪われる。ランプシェードは地元の人々を対象にしているものであるが,土産物としても十分に通用するデザインと色使いである。インドでは家の中でもお香を焚くことが多いので,専門の店もある。多種多様なお香や線香が並べられており,これなどはお土産にも良さそうだ。
ラジャースタンの布はさすがにきれいだ
北門から歩き出すとすぐにジャグディーシュ寺院のある交差点となる。この周辺には土産物屋が集中している。外国人旅行者をターゲットにしたインド服やきらびやかな布が店先に展示されている。ラジャースタンの布はさすがにきれいだ。小さな鏡を取り付けたミラーワークと呼ばれる布もあり,デザイン的にはグジャラート州のものと同系である。この先も旅を続けなければならない僕はかさばる布を買うことができないので,写真にして持ち帰ることにする。
土産物としては真ちゅう製の神々の像も観光客の人気が高いのか扱っている店が多い。また,インターネット屋,レンタルバイクショップの看板もある。旅行者が多いので,旅行に必要なアイテムはほとんどそろっている。
工事現場
時計塔からさらに北東に行くと大きな工事現場があった。現在は地下を掘り下げているところだ。入り口は普通の建物の幅であるが奥行き方向は2軒分の幅をもっている。インドの市街地の建物は隣と密着している。ときには隣の建物と一体になっていることもある。ここでも隣の建物の間際まで掘り,境界のところを石とコンクリートで固めている。
男性は石を積み重ねコンクリートで固める作業をしており,女性は生コンクリートや石を運ぶ作業を担当している。建設現場の責任者の話では地面を掘り下げる時は重機を使用したが,それ以外はすべて手作業で進めているという。労働時間は10時から19時,昼休みは1時間である。この暑い中での8時間労働の日当は200Rp,技術工で300Rp,現場監督は500-1000Rpということだ。
子どもたちの笑顔を写しとるのは難しい
路地を歩くと子どもたちから声がかかる。写真の要求とともに「ワンペン,ワンルピー」の声がかなりの頻度で混ざる。観光客が多いとどうしてもこのような状態になったしまう。
アイスクリームの移動販売車のところでは集合写真を撮ったがフレームはひどいし,販売者の屋根の下にいる男性の顔は黒くて判別がつかない。他にも何組かの子どもたちの写真が撮れた。しかし,夕方の時間帯であったこともあり,総じて満足のいく出来ではない。まだまだ一眼レフの特性を生かした写真にはなっていない。
寺院の方から太鼓が聞こえるので
18:30頃,寺院の方から太鼓の音が聞こえたので出てみる。ジャグディーシュ寺院の前の広場に人が集まっており,中央で数人の女性が踊っている。近くには花でかたどった(おそらく吉祥の)紋様があり,その主要なポイントには小さな灯明が置かれている。夕暮れの路上に色と灯明で描き出された紋様はいかにも艶めかしかった。
昼間,寺院を訪れたとき今日は女性たちの祭りだと誰かが説明してくれたので,その本番が始まったようだ。着飾った女性たちが寺院前広場に集まっており,中には箱に納めた灯明を頭に乗せている女性もいる。
意味はともかく絵になる。しかし,この時間帯では写真には暗すぎる。人々が静止してくれないのでどうしても一部はぶれた写真になってしまう。
ホーンの音が響き30台ほどのバイクに乗った青年の一団が気勢をあげながら湖岸の広場に向かう。続いて何台かの車が通り,その中には今日のご神体が乗せられたものもある。
女性たちが車に走り寄り,ご神体に灯明をかざす。この車が湖岸に向かうと群衆もその後を追う。湖岸広場では青年たちが太鼓に合わせて腕を突き上げる動作を繰り返している。う〜ん,これはどのような祭りなのだ。
当たりの朝食
ジャグディーシュ寺院の交差点からシティパレスの東側を通り南に向かう道がある。朝食を探しながらのんびり歩いていくとシティパレスの南ゲートに出る。まず朝食が必要なのでゲートの東側に向うことにする。道はバラの庭園のわきを通り,コの字形に進むことになる。
うまい具合に露天の食堂があった。地元では「アッチ」と呼ばれるジャガイモを細かく砕いて色付けしたものが大きな金属容器に盛られている。下から蒸気があたるようになっているので暖かい。アッチは新聞紙に乗せられ,スプーンが付いて運ばれてくる。まったくスパイシーではないので食べやすい。同じようにごはんのもあり現地では「ライス・ポワ」と呼ばれていた。
感じの良い道
道は感じの良い並木道になっており,なぜか両側に赤と白の色粉で線が引かれている。そういえば,ここに来るまでもそのような線をどこかで見たような気がする。現在は祭りの時期なのでイベントのコースを示す,あるいはイベントのコースを神聖なものにするお清めのような意味があるのかもしれない。途中で木洩れ日によりいい感じの光が当たっている一画があった。大きな木の背後の木洩れ日というフレームで一枚撮ってみた。
ピンク色の天井が広がっている
ブーゲンビリアの大きな塊があった。インドの気候が合うのかブーゲンビリアは周囲のものに巻き付きながら大きな塊のようになる。この塊の下の空間から上を見上げると,ピンク色の天井が広がっている。光が透けるようなピンクの花びら(正確にはピンク色の部分は葉が変化したもの)がとても良い感じだ。
かっては美しかったであろう池
そのまま南西に歩くと池が現れた。ガイドブックの地図で確認すると施設の名前はなく,その西側がサンセット・ポイントであるとだけ紹介されていた。この池は水路によりピチョーラー湖とつながっているにちがいない。周辺は漆くいの低い壁で囲まれており,四方には東屋とガートが設けられている。ガートの石段も漆くいで白く塗られている。
このような設備から考えると身分の高い人々が水遊びに興じる場所であったようだ。しかし,ピチョーラー湖と同様に水質の汚れは隠しようもない。200m四方ほどの池の半分以上は赤みがかった藻に覆われている。水質さえ改善されればここは往時の美しい水の庭園に変わることができるだろう。池を一周すると一部のガートは沐浴場として使用されている。
島の宮殿のビューポイント
この池を時計回りに一周して先に行くとくピチョーラー湖に出た。ちょうど正面に「島の宮殿」が見える。望遠レンズに切り替えて,島の宮殿とその北側にあるレイク・パレスの写真を撮る。ここから見るとレイク・パレスの左側背後にちょっとした山があり,その頂上に砦のようなものが見える。
このポイントからは「レイクパレス・ホテル」も遠望することはできる。しかし,ここからでは背後の中島の建物と重なってしまい,レイクパレスを撮るベストポイントいうわけではない。レイクパレスのすぐ北側には大きな中島があるため,ピチョーラー湖は分断され,急激に狭くなっている。水質はともかく湖の風景をいくつか撮ることができたので,今朝の散歩は当たりである。
南のゲートからシティパレスに入る
南のゲートから入場料は25Rpを払ってシティパレスに入る。その先には城門がある。大きな木製の扉があり,そこにはびっしりとするどい金属製の突起が取り付けられている。これはその昔,象を使用して城門を破る攻撃を防ごうとしたときの名残である。
マハーラーナーの旧王宮はさすがに巨大な建物である。建物の南西部は半円形になっており,西面と南面を滑らかにつないでいる。壁面の窓から判断すると建物は3階建てであり,最上部は総バルコニーになっているようだ。3階とバルコニーには精緻な装飾の出窓がたくさん取り付けられており,なかなか写真写りの良い建物である。
さすがはマハーラーナーの宮殿だね
シティパレスの東側は広い庭園になっている。建物の中央部付近には土産物屋も集まっており,こちらが観光客の集まるエリアとなっている。南側から東側に回りこんだあたりは塗装が剥げ落ちていたが,さすがに中央部はきれいになっている。
そこはちょうど博物館への入り口にもなっており,観光客はまたもやいっせいにカメラを向ける。彼らの撮影時間は(液晶画面でフレームを合わせていることもあり)これが長い,写真を撮るのにどうしてそんなに時間が必要なんだと思うくらいの長さだ。僕は彼らが終了してからジャマの入らない状態で写真を撮る。
女子中学生の集合写真
制服姿の女子中学生の集団が見学に来ていた。彼らもこの正面のところで集合写真を撮るために集まっている。これはちょうどよい被写体である。観光客も何人か僕と同じように写真を撮っていた。さすがにこの人数では一人ひとりが小さくなってしまうので,全体写真と4つのブロックに分けた写真をとる。子どもたちが突然手を振りだした。
彼らのカメラマンは10mも離れた背後から撮影を開始したのだ。かれは建物の全景をいれるため,芝生に横になって撮影していた。建物の全景を入れるとなると肝心な子どもたちはずいぶん小さくなってしまうことだろう。
チェタック・サークル
「Mathi Chowta 通り」は城壁と交差しており,そこにはアーチ型の門があった。おそらく城壁が機能していたときからのものであろう。インドの旧市街の多くは城壁と城門をもっており,街の近代化にとっては大きな障害となっている。ここの門も車が一台通るのがやっとの広さである。
門をくぐりさらに北東に歩いていくと大きなロータリーをもつ広場に出る。ここがチェタック・サークルである。インドでは英国式の広場をもったロータリーが多く,ここは5本の道路が入ってきている。
広場には大きな木があり,その木陰を利用するように露店が出ている。周辺の村から買出しに来た女性たちが地面に坐って休息をとっている。ラジャスターンでは地面の上にじかに坐ることにたいしてほとんど抵抗がないようだ。彼女たちの服装からは中央アジアの雰囲気が漂っている。
北に向かうのは断念して
チェタック・サークルから北西方向に歩いてみたが新市街のせいか少しも面白くない。サークルに戻り,ガイドブックには掲載されていないが湖岸の道を歩いてジャグディーシュ寺院を目指す。
この寺院は町の人なら誰でも分かるので帰り道を聞くのは簡単だ。最初の橋に出た。地図で照合するとこの橋をまっすぐ進めとファディー・サガール湖にでるはずだ。この辺りの水もひどく汚れ,ゴミが岸辺に集まっているという悲惨な光景である。