第二ストゥーパはそれほど見る価値はない
第三ストゥーパは参道の左側にある。第一ストゥーパ(大ストゥーパ)がすばらしいのでこちらは付属品のようなものだ。大ストゥーパの西側の道をそのまま下っていくと第二ストゥーパがある。この道の両側は石を切り出したあるいは切り出す途中のような岩が転がっている。
この丘を覆う岩は層状になっており適当な厚さで剥離できる。そのため,比較的容易に石材に加工できる。第二ストゥーパはそれほど見る価値はない。ドームの上部にあるべきはずの傘蓋や塔門もなく,未完成という印象を受けた。欄楯(らんじゅん)に掘り込まれている紋様が少し興味を引くだけである。
近くの枯れ枝に赤とんぼが羽を休めていた
大ストゥーパの西側の道をそのまま下っていくと第二ストゥーパがある。この道の両側は石を切り出したあるいは切り出す途中のような岩が転がっている。
この丘を覆う岩は層状になっており適当な厚さで剥離できる。そのため,比較的容易に石材に加工できる。第二ストゥーパはそれほど見る価値はない。ドームの上部にあるべきはずの傘蓋や塔門もなく,未完成という印象を受けた。欄楯(らんじゅん)に掘り込まれている紋様が少し興味を引くだけである。
第二ストゥーパの横には小さな池があり,岸辺のデイゴの木が水面にもう一つの花を咲かせている。岸辺に近づくとパシャという水音とともにカエルが水中に隠れた。この池の周辺には水源はないのでおそらく雨水を貯める人工的な池であろう。
周囲の樹木が日陰を作っている池の近くの大岩に坐り,しばらくのどかな景色を眺めていた。近くの枯れ枝に赤とんぼが羽を休めていた。今回の旅行にもってきた一眼レフは花や昆虫をマクロで撮るにはとてもよい性能を発揮してくれた。
平野部は豊かな農地となっている
第二ストゥーパからはサンチー周辺の平地が一望できる。平地のほとんどが農耕地域となっている。薄茶色に見えるところは刈り取りを待つ麦畑であろう
。そういえば,幹線道路の脇に巨大なコンバインが置かれていた。まるで米国の農場で使用されるような大きなものである。インドの農業でもこのような機械が使用されるようになったのかと感慨深げに眺めた。
畑に囲まれるように大きな岩石地帯がある。元はストゥーパ立っている丘のように高さのあったものが風化により高さ20mほどのなだらかなものになっている。この丘にも寺院のようなものが見えるので機会があったら訪問することにしよう。
インド菩提樹だと思ったら
大ストゥーパに戻り,周辺を歩いてみる。大きな木があったのでインド菩提樹かと思って近づくと,榕樹(ベンガルボダイジュ)であった。これはイチジクの仲間で,他の木の枝あたりで種が芽を出し,親木の幹に巻きつくように根を地上に向けて下ろしていく。
同時に幹は親木よりずっと早い速度で上に伸びていく。最後に親木は太陽光をうばわれ,枯れてしまう。まるで,親木を絞め殺しているように見えることから「絞め殺しの木」などというありがたくない名前をもらっている。
しかし,インドでは親木が枯れたような状態のものは見かけたことがない。榕樹は自ら幹を伸ばし,根を張り巡らせて立派に大木に成長している。この木はイチジクの仲間なので枝先に直径2cmほどの小さな実を無数に付けている。触ってみるとまだまだ固く食べられる状態ではない。
石段のところで夕食をごちそうになる
夕暮れの大ストゥーパで静かな時間を過ごす。帰りにがけに石段の手前で布を広げて食事をしている人たちがいる。何を食べているのかと覗くと「ごはんを食べていきなさい」ということになった。ごはんとダルカリーをいただき,それが今日の夕食になった。
ホールに敷かれている布団は72枚
僕の宿の2階には広いホールがあり,一面に布団が敷かれている。インド人の大きな団体旅行客のようだ。ホールはこのような団体客を受け入れるため,いちおう部屋の構造をもっている。
さすがに布団までは持ってこないと思うが,少なくとも体にかける布は持参したものだろう。インド人はこの布の使い方が非常に上手な民族である。
少し厚手の布なら地面に敷いてその上で寝ることができるし,寒いときは体を覆って防寒具にもなる。インド旅行をするときは思いがけないときに寒さに震えることがあるのでこのような布は旅の必需品である。彼らはアウランガバードからの団体旅行であった。宿の前には彼らの乗ってきた立派なバスが停まっている。
ホールの横の広間は炊事場兼食堂になっており,何人かの人がカリーを食べていた。ごはんもカリーもたくさん余っていたのでおばさんが僕にも食べないかと誘ってくれた。
すでに,夕食を済ませていたが,彼らの食事に興味があり,いただくことにした。仕切りのあるターリー用の大きな金属皿にチキン・カリー,それからごはんが入れられる。
チキン・カリーは久しぶりだ。少しスパイシーであるがすぐに水というほどのことではない。難点は小骨である。鶏肉を調理するときに骨を一緒にたたき切ってしまう。そのため,カリーの中には骨のかけらが入ってしまう。
ごはんとカリーを混ぜて右手で口に運ぶ。かんでいるとときどき異物を感じるので皿の小さな仕切りに置く。食べ終わると皿を洗い場のおばさんに戻し,ついでにカリーに染まった右手を水で洗う。
駅の近くのバザール
駅の近くに小さなバザールがある。ここには果物屋とチャーイ屋があり,よく利用させてもらった。チャーイ屋は他所の家の横にトタン板を立てかけて屋根にした簡単なものである。売り物は日本でいう大学芋とチャーイである。どちらもかなり甘いので一緒にいただくには抵抗がある。
チャーイの香付けにはカルダモンを使用しており,これはなかなかのものだ。駅前の食堂のちょっと気取った紅茶とは別物であり,暑い気候のインドではチャーイの方がずっと好ましい。
野菜や果物は日がたつと質が低下するのでいくつかの店を回ってよさそうなものを買うことにしている。この果物屋はあまり繁盛しておらず,いつもおばさんはひまそうに坐っていた。写真のお礼にここではぶどうをいただくことにしよう。
ボトルブラシの木
幹線道路の脇には大きく繁ったブラシノキ(フトモモ科・ブラシノキ属)の仲間が花をつけている。ブラシノキ属には複数の植物が登録されており,花の形が類似しているため種名を特定するのは難しい。ここにあるものはヤナギのように垂れ下がった枝の先に花をつけていることからマキバブラシノキ(Callistemon rigidus)であろうと推定する。
ブラシノキ属の原産地はオーストラリアで,一本の花序軸に多数の花がついている姿から一般には「ボトルブラシ」と呼ばれている。このように一本の花序軸から花柄なしに直接複数の花がついているものを植物用語では穂状花序(すいじょうかじょ)という。花は上部から順次咲いていくようで,5分咲きのものを見ると,花序軸に直接つぼみがついているのが観察できる。
お葬式の家で甘いものをいただく
メイン交差点から幹線道路を東に向って歩く。左側から交差する小道の先にテントが張ってあったので訪問してみる。入り口に花輪に飾られた白い帽子を被った男性の写真がある。白い帽子,白い上着のため一見するとムスリムのようだがおそらくヒンドゥー教徒であろう。今日はこの人のお葬式のようだ。中には頭を剃り,少し頭髪が伸びてきた状態の男性がいる。おそらく,この人が喪主を務めた人であろう。
ヒンドゥー教では遺体は荼毘に付され,遺灰は川に流される。葬儀のあと12日および13日目に同じカーストの人々に食事が振舞われる。おそらく今日のイベントはそれに該当するのであろう。10人ほどの人々が軽い食事をしていた。そのような席に招待もされていない外国人の僕がやってきても丁重に扱われるのはインドの懐の深さであろう。
女性用のテントの中でも自由に写真を撮らせてくれた
さらに東に向うともう一つのお葬式の家があり,こちらは道路の横にテントを張っている。出されているものはさきほどのところとほとんど同じものである。さすがにお腹がいっぱいなので,甘いお菓子だけをいただくことにする。二つのテントのうち一つは女性用のもので,こちらも自由に写真を撮らせてくれた。
女性たちは縁石に一列に並んで腰を下ろしている
朝食は駅前の食堂で昨日と同じものを注文した。インド人の集団がおり,背の高いテーブルはだけが空いていた。男たちはイスに座っているが,女性たちはなぜか歩道の縁石に座っている。イスの数が足りないのは事実であるが,やはりインドは男性優位社会のようだ。
女性たちは気軽に写真に応じてくれた。ちょうど光の具合が良かったので断ってから一枚撮らしてもらう。カメラを構えるとサリーで顔を覆う人もいる。インドでは女性の写真はある意味難しい。ちゃんと写真を撮らせてくださいと身振りで知らせておかないと男性たちから苦情のくることがある。
今日は幹線道路を西(ボパール方向)に歩いてみる。農家の庭先で男性が縄ベッドを修繕している。もっともここの寝台はロープではなく幅10cmくらいのベルト状の布でできている。縦方向にすき間を残して張っていく。長さが足りないと継ぎ足していき,合わせ目は縫い合わせている。縦のベルトが終わると今度は縦ベルトを縫うように横ベルトを張っていく。これで縄ベッドが出来上がる。
牛の群れに再会
線路沿いに西に進んでいくと牛と水牛の混在した群れに出会った。この群れを追っている男性は一昨日,池の近くで出会った人であった。40頭からの牛たちが一日に食べる草の量は大変なものである。その草を手当てするためにこの男性は近郊遊牧生活を送っているようだ。
すなわち,日中は牛を追って草場を歩き,夕方になると宿営地に戻るという生活のようだ。線路沿いの土地はインド国鉄が管理しているので,牛たちが草を食べてくれることは線路の管理上も望ましいことであろう。
牛の群れは一ヶ所には留まっていてはいけない。草を適度に噛みとってもそのまま伸びるが,食べ過ぎてしまうと再生に時間がかかるようになる。男性と牛の群れはゆっくりと移動していく。この群れとは帰りにも出会った。
小麦畑の真ん中にデイゴの木がある
鉄道線路と幹線道路の間は一面の麦畑である。そろそろ黄色く色づき始めたころである。世界の小麦は春蒔きと冬蒔きに区分され,ここの小麦は冬蒔きのようだ。麦の穂はほぼ一様の高さになっているが,中には20cmほど飛び出しているものがある。麦の世界にも変わり者は混ざっているようだ。小麦畑の真ん中に大きなマンゴーの木やデイゴの木がある。農作業のジャマになるだろうが,そのまま残しているのはいかにもインドらしい。
サドゥー
線路脇に巨大なインド菩提樹の木がありそこはヒンドゥーの祠になっている。僕が訪れたときは数人の村人がお参りをしていた。インド菩提樹は仏教の聖木であるが,ヒンドゥーでは大きな木はすべて信仰の対象となる。確かにインドでは大きな木にはなにか聖なるものが宿るような気になる。
この祠から線路をはさんで反対側に小さな家があり,そこでは二人のサドゥーが暮らしている。村人から声をかけられそちらに行くとちょうどチャーイの時間で一杯ごちそうになった。
一人のサドゥーは55歳,物心が付いて以来,このような修業者の暮らしをしているという。食料はおそらく村人からの寄進でまかなわれていることだろう。僕はうかつにもそのとき寄進のことをすっかり失念しており,普通のさようならでお別れしてしまった。
クラウンフラワー
線路沿いの湿地にはクラウンフラワー(ガガイモ科,Calotropis gigantea)と思われる植物が花をつけている。クラウンフラワーインドから東南アジアにかけて自生する樹高1.5-3mほどの熱帯常緑低木で,ときには大きな群落を形成する。
花は淡紫色であり,個体によるほとんど白に近いものもある。ごく普通に見かける植物であり,さほどきれいでもないのが,ここのものは意外と可憐な花をつけているので撮ることにした。
キワタの木(Bombax ceiba)
立派な枝振りのキワタが花を付けていた。この木は椿のような大振りの花を一面につけ,椿のように花全体がぽろっと落ちる。地面に落ちた花も新しいうちはずいぶん艶かしい。
花は上向きに咲くため,よほど運が良くないと花の写真を撮ることができないので地面に落ちた花でがまんするしかない。この木の上部は満開の花であるがもっとも低い枝はまだつぼみの状態である。つぼみも珍しいので写真を撮ることにする。明日にも咲きそうなつぼみはまだ緑色のままながら,十分に柔らかくなっている。
この木は地元の人の話ではピンポン玉を一回り大きくしたくらいの実を付けるという。実が熟すると内部に白い綿状の繊維質に包まれた種子ができる。
これが一本の木か
麦畑の向こうに巨大な広がりをもった榕樹がある。榕樹(ベンガルボダイジュ)は枝から気根を伸ばし,地面にたどりつくとどんどん成長させる。しばらくすると元の木には複数の幹があるような姿になる。
この戦略で榕樹はどんどん周辺に横枝と新しい幹を形成してゆき,しまいには僕の目の前にあるような一つの森になる。この木の大きさからしてきっと村人の聖木になっているだろうと,麦畑を迂回して背後に回りこんで見ると,やはり小さな祠があった。
キリスト教系の小学校
キリスト教系の小学校がある。しかし,この時間は授業中で校庭には人影はない。今朝,幹線道路で小さな幌馬車がこちらの方向に向かっており,その中には子どもたちが詰まっていた。とても絵になる光景であったが,あっという間に行ってしまった。
12時過ぎに帰り道で通りかかると下校時間であった。スクールバスが停まっていたのでちょっと早足で学校に入る。校庭にはたくさんの児童がおり,カメラに向かって走りよってくる。
子どもたちはしつけができており,ちゃんと並んで集合写真に入ってくれた。インドの他の子どもたちもこのくらい行儀が良いとフレームを作るのは楽だ。実際には男子生徒がいるとフレームはほとんど作れないままにシャッターを押すことが多い。
牛の群れと遭遇
線路沿いにヴィディシャー方面に歩いてみる。この地区にもけっこう家屋は多い。踏切を渡る道路に出たら,見事な枝振りのキワタ(Bombax ceiba)の木がある。踏み切りを越えると道路の両側は麦畑になり,のどかな田舎の風景である。
右手前方の畑からほこりが上がっている。おそらくコンバインが麦刈りをしているものであろう。日はだいぶ傾いてきたが今日はあそこまで行ってみようと足を速める。
しかし,前方から牛の群れがやってきた。方向からするとサンチーの村に戻るようだ。これはとても絵になる。道路の左側から写真を撮るが,牛の群れの最前列が横一列になっておらずU字型になっているのでフレームが難しい。おまけにバイクや車が通るので,その度に牛の群れは列を乱すのでフレームはほとんど決まらない。
先に進むとまた大きな牛の群れがやってきた。今度も前方からの写真がうまくいかない。道路の中央に立ち,牛の群れに紛れながら決死的な写真を撮ってみたがはたしてどうなることやら。
この日はこの牛の群れと行動を共にしようと一緒に歩き出す。後ろから車がやってきて,警笛を鳴らしても牛の群れはさして気に留めていない。彼らにすると牛飼いの男性の杖が指示のすべてである。
前方の踏切が閉まっている。インドでは一本の列車のため踏み切りが15分くらい閉じることもある。踏み切りの前で停まっていた車は牛の群れに囲まれてしまった。この踏切の混雑ぶりはなかなかのものなので柵の上から撮ってみたがフレームがいま一つ決まらない。踏切が開くと牛の群れがゆっくりと移動し,その後でようやく車が通過できるようになる。