クアカタはボリシャルから南に約100km,ベンガル湾に面した小さな漁村である。同じような大河の三角州であっても西側のシュンドルボンは世界最大のマングローブ林を形成しており,普通の砂浜のクアカタとはずいぶん環境が異なる。マングローブは泥地の汽水域に分布する植物なので砂地と泥地が二つの地域の植物環境を変えたように思われる。
クアカタの海岸はほぼ真南に面しているため,同じ場所でベンガル湾の朝陽と夕陽が眺められる。それを観光の目玉としてバングラデシュ政府が観光開発に力を入れている地域の一つである。また,ラカインの人々が建てた仏教寺院もいくつか見られる。
その昔,アラハン山脈の西側,ミャンマーからバングラデシュにかけてはラカイン人の土地であった。ムガール帝国がこの地に勢力を伸ばしたとき,一部の人々はそこを追われクアカタに流れ着いた。飲料水を確保するため井戸を掘ったことから,クアカタ(井戸を掘る)という地名が生まれたという。
ボリシャル(100km)→クアカタ移動
ロンガートBS(08:30)→昼食(12:00)→クアカタ(14:00)とバス(100タカ)で移動する。クアカタ行きのバス時刻が分からないので,できるだけ早めに出発することにする。宿で確認したルパトリーBSにリキシャーで向かう。ざっと3kmはあるので彼の言い値の15タカを支払う。彼にクアカタ行きのバスを探してもらったところ様子がおかしい。どうもバススタンドが違っているようだ。
再びリキシャーに乗りさらに3kmほど町外れのロンガートBSまで行く。そこはバススタンドではなく,バスが1台停まっているだけだ。発車間際のバスに運良く席を確保することができた。バスの定員は30人ほどで,出発時は満員になっていた。動き出したバスは僕の来た道を戻り,ルパトリーBSの前を通り過ぎた。
バスはフェリー乗り場で止まる。ボリシャルから南には橋が無いのでフェリーが両岸を結んでいる。マイクロバス4台,乗用車数台,リキシャーが乗れる大きさである。クアカタまではこのようなフェリーに6回乗船することになる。フェリーの上では車外に出て周囲の風景を眺めることができるのでいい気晴らしになる。
この長距離バスは地域の人々の路線バスになっている。短い区間の乗客が頻繁に乗り降りするため,停車回数は非常に多い。道路の状態は一部区間を除き悪くない。
しかし,バスのサスペンションは無いに等しく,路面の凹凸がじかに伝わってくる。また小さな橋と道路のつなぎ目はジャンピング・スポットになっており,油断しているとお尻が20cmほど浮き上がることになる。
昼食はフェリー乗り場でとることになった
昼食はフェリー乗り場でとることになった。近くの簡易食堂を覗いてみても食べられそうなものは見つからない。非常食のバナナもない。仕方がないのでプリー2個とチャーイで昼食にする。この昼食のローカルプライスで4タカである。
Sekander Hotel
バスは唐突にクアカタに到着した。海岸に並行した道路と,それにT字で交差する300mほどのメインストリートの両側に家が並ぶだけの小さな村だ。T字交差点の周辺に何軒かのホテルがある。
とりあえず名前の知れている少し離れた政府系のポルジャトン・モーテルに向かう。しかし,さほど良くもないドミトリーの部屋は2ベッドで400タカもする。T字交差点に引き返すと客引きがおり,セカンダー・ホテルに案内される。1泊100タカ,部屋は10畳,2ベッド,蚊帳付き,T/S付きでまあまあ清潔である。水は地下水を使っているのか冷たくて気持ちがいい。
問題は隣の部屋の声が筒抜けであることだ。
インド圏の人々は地声が大きいので,静かな夜中にとなりで話をされるとうるさくて寝ていられない。となりの戸をたたいて「静かにしてくれ」と言ってもほとんど効き目は無い。
クアカタの海岸
一休みして海岸に行く。T字交差点から海まで小さな商店の小屋が並んでおり,その向こうにベンガル湾が広がっている。海岸は広くきれいな砂浜になっている。波打ち際までは100mほどあり,左右ははるかかなたまで同じ風景が続いている。ここは日本ならば一級品の海水浴場になりそうな砂浜だ。バングラデシュ政府が観光開発に力を入れるのはよく理解できる。
傾いてきた日差しの中で,ベンガルの海はおだやかな表情を見せている。光の反射で海は宝石をちりばめたようにキラキラ輝いている。浜辺に打ち寄せる波はけっこうきれいなので,僕でも水に浸れそうだ。
カニの芸術作品
砂浜はきめが細かくきれいな砂に覆われている。その表面には無数の模様が描かれている。砂の丸い粒が描き出す模様だ。模様は円周状に広がっており中心に穴が開いている。
じっと見ていると小さなカニが出てくる。この広い砂浜にどれほどのカニが生息しているのだろうか。小さなカニは穴の中で砂を固めて,外に運ぶ。潮が満ちると多くの穴は水に沈み,彼らの芸術作品はリセットされる。
漁師はすべてムスリムである
仏教徒のラカインの人々は漁をしないので,漁師はすべてイスラム教徒のベンガル人である。人々は小舟で海に乗り出し,刺し網で魚をとる。夕陽が傾く頃,舟が戻ってくる。女性や子どもたちが駆け寄ってくる。刺し網から魚を外すのはけっこう大変な作業だが,楽しい作業でもある。
漁師の集落
砂浜の外れに小さな砂丘があり,その向こうは漁師の集落になっている。浜辺で遊んでいた子どもたちと一緒に集落に行く。子どもたちの写真を撮り,お礼にフーセンをプレゼントする。
この情報はすばやく周囲に伝わり,何人かの子どもとおばあさんが出てきた。子どもたちを差別するわけにはいかないので,同じように写真を撮り,フーセンを手渡す。
カニが引っかかり外すのが大変だ
小さなカニがかかると,これはもう足がからまってとても外せない。漁師は船べりに網を置き,カニをカナヅチや板切れで叩き潰して網から外す。ベンガルの夕暮れがおだやかに過ぎていく。少し赤く染まった海を背景に漁船がシルエットになっている。
カブトガニ
子どもたちが「カブトガニ」をつかまえている。2億年前から変化しない異様な姿は生きた化石にふさわしい。実物を見たのはこれが初めてだ。ひっくり返すとわかるようにカニではなく節足動物の「クモ」に近い生き物だ。
現存するものは4種,アジアと北米東海岸に生息する。ベンガル湾はその生息地の一つだ。主に干潟に住み,ゴカイやアサリなどの海底生物を捕食している。日本でも九州や瀬戸内海に生息し,天然記念物に指定されている。
しかし,不気味な姿のためここではいじめの対象になっている。また,一部は食用にもなっているという。子どもたちからキャンディー3個でカブトガニをもらい,海に返してあげる。
海生動物は陸上動物に比べて有害な微生物や寄生虫に接触する機会ははるかに多い。それでも,2億年もの間,同じ姿で生き延びてきたということは何か特別な仕組みをもっているのではと考えられている。
そのような研究から,カブトガニの青い血液からは細菌が細胞内に作る毒素を検出するための試薬が製造されている。これは非常に感度の良い試薬になっている。
試薬を製造するためにはカブトガニの血液がたくさん必要となる。日本や米国ではカブトガニを大量に捕獲し,献血をしてもらってから海に返されている。一度の採血で個体を殺してしまうのはもったいないということだ。
余談であるが高等動物の血液は「ヘモグロビン」を含んでいるので赤く,カブトガニは「ヘモシアニン」を含んでいるので青色をしている。また,血液成分にはエイズ・ウイルスの増殖を抑える作用をもつ物質も含まれているという。地球のとても古くからの住人であるカブトガニは,だてに生きてきたわけではないようだ。
クアカタの朝陽
夜はファンを止めて寝る。明け方は少し寒いような気がする。ここのベッドは固くて寝心地はそんなに良くない。06時に起きて朝陽を見に行く。海岸から朝陽と夕陽を見ることができる,これが,クアカタ観光の売りの一つになっている。海岸通りでリキシャーにつかまる。ビューポイントまで2km,10タカだという。場所が分からないのでOKを出す。
着いたところは昨日の海岸と同じようなものだ。別に朝陽が海から上がるわけではない。少し内陸側から上がり,少し海側に沈む構図になっている。
残念ながらこの日は低い雲が垂れ込め,日の出は見えなかった。周囲には100人くらいの観光客が集まっている。この人数を収容するためには相当数の宿泊施設が必要であるが,はてどこにあるのかな。
風が強く男性の真っ白いイスラム服の上着の裾がはためいている。何人かの男性は波の荒い海に入っている。何となく東の空が赤くなったところで人々は朝陽見物をあきらめ村の方に歩いていく。
僕も海岸沿いに同じ方向に歩く。漁師たちは海岸に仕掛けた人工の藻場から稚魚をすくい,洗面器の中で長さは2cmほど,細長く白い糸のような稚魚をより分けている。これは何だろう,もしかしてシラスウナギなのかもしれない。
海岸に海ガメの死体が打ち上げられている。まるで生きているようでこれから砂浜に移動しようとしているかのようだ。観光客の一人が亀の背中に足を乗せたポーズで写真を撮っている。何かとても嫌な気分だ。
一方向の風が強いためヤシの葉がこのようになっている
小学校にて
青い制服を着た子どもたちがメインストリートを歩いている。後をついて行くと小学校があった。まだ授業は始まっていない。ほとんどがベンガル系の顔立ちで,クアカタに最初に住み着いたといわれる,ラカインの子どもたちは見当たらない。
子どもたちは教室から外に出て国旗掲揚の様子を見せてくれる。バングラデシュの国旗は薄いモスグリーンの地にオレンジ色の丸が一つあるだけで,日の丸の色違いといったところだ。
人数が多いので集合写真は男女別に撮る。イスラムの社会では当たり前の習慣なので,男女の分離は簡単である。子どもたちは椿のような赤い花を手に手に持って写真を要求してくる。
通りでも集合写真
メインストリートを歩いているとズボンの上にワンピースを着込んだ2人のかわいい女の子に出会い写真を撮らせてもらう。お友だちが一人加わり3人になる。登校中の子どもたちがたくさん集まり集合写真になる。塀の前で一列に並んでくれるので,やはり女の子はフレームを作りやすい。
ハイスクールの女子学生
のんびりと田舎道を歩いていると中学校(高校)があった。ちょうど運動会が行われていた。ありがたいことに,ふだんは難しい女学生の写真をとることができた。水色の制服と白いスカーフの組み合わせが制服になっている。
集合写真はちょっと難儀する
横一列に並んでくれると全員の写真が撮れるのに,なぜか彼女たちは固まりたがる。50mの往復競争のスタートラインに10名ほどが並ぶ。スタートを合図に彼女たちはにぎやかに走り出した。
ラカインの末裔
クアカタに最初に住み着いたのは「ラカイン」の人々である。現在でもイスラム教徒に囲まれてラカインの末裔がここで暮らしている。顔立ちは日本人と似ており,明らかに東アジア系である。特に子どもたちは日本人と似ている。
同じ顔,同じ仏教徒というので親近感があるのか,集落でお茶を出してくれた英語のできる男性が,彼らの状況を説明してくれた。
彼らの暮らしていた地域にもイスラム教徒のベンガル人が住み着くようになり,仏教徒の彼らは肩身の狭い思いをしている。最大の問題は土地権であるという。人口密度の高いバングラデシュでは土地問題は根が深い。彼の言葉の端はしに民族のアイデンティティの危機感を感じた。
ラカインの仏教寺院
仏教徒のラカインの人々は寺院を建て,大きな仏像をまつっている。最大のものは村からは10kmほど離れているので,バイクタクシー(往復80タカ)で行く。のどかな田園風景の道をバイクは進む。
突然,こちらの方向にバイクの集団が向かってくる。その後ろからはたくさんの人々が歩いてくる。寺院の前の広場でムスリムの結婚式があり,ちょうど終わったところだ。ラカインの人々がアイデンティティの喪失を嘆くわけが分かる。
近くにいた管理人がカギを開けてくれたので中に入ることができた。寺院は三角の切妻屋根になっており,屋根には窓が入っているので内部は照明が無くても明るい。大きな本尊はミャンマーでよく見られるもので,接地印を結んでいる。
クアカタの夕陽
夕方は夕陽を見るため海岸を散歩する。カニの作る芸術作品は今日も砂浜の至るところに見られる。しかし,砂浜を荒らす無粋なバイクのタイヤ跡がその芸術作品を寸断している。
夕陽が傾いてくると海が金色に染まり,ただただ美しい。昨日と同じように砂浜には小舟が戻ってきて,村の人々が魚を取り外している。新しい小舟が戻ってきた。大きな台車が舟の下に入れられ,男性たちが力を合わせて舟を砂浜に引き上げようとしている。
再びクアカタの朝陽
6時に起床し朝陽を見るため再びT字路の海岸に向かう。今日は雲が少ないので朝陽が期待できそうだ。大勢の観光客がT字交差点から東に1kmほど離れたビューポイントに向かって歩いている。
空が少し茜色に染まってきた。この季節の太陽は海岸から少し陸側,ヤシ林の向こうから顔を出す。茜色の空と黄色の太陽を背景にヤシの木がきれいなシルエットになっている。ようやくクアカタの朝陽とめぐり合えた。