亜細亜の街角
■川が造ったデルタは川により浸食される
Home 亜細亜の街角 | Barisal / Bangladesh / Mar 2005
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ボリシャルはバングラデシュを流れる3つの大河が合流し,ベンガル湾の河口に形成した広大な三角州に位置する。川は多くの支流に分かれデルタを気ままに流れる。その一つ一つが利根川のように大きいので,日本では想像ができない風景に出会える。

ちょっと散策しただけでは何も無い町である。しかし,この町の見どころは川にあると思う。クリトン・カーラ川が近くを流れ,そこには大きな船着場があり,たくさんの巨大な船が係留されている。あの伝説の「ロケット・スチーマー」も近くの専用ガートから出ている。

ジョソール(160km)→ボリシャル 移動

モニハルBS(08:00)→昼食休憩(12:00)→ボリシャル(13:10)とバス(150タカ)で移動する。バングラデシュをバスで移動する場合,一つの町に複数のバススタンドがあることもある。リキシャーに乗る前にホテル等でBSの名称を確認しておくほうが良い。

ジョソールでも国境から到着したBSとボリシャルへのBSは異なっていた。モニハルBSは宿からかなりの距離でリキシャーの値段は7タカであった。バスの横に机があり,ここでチケットを手に入れる。

バスの座席は3+2の一列5人掛け,きゅうくつである。バスは08:00発であるが町を一周して乗客を集めるため,実質的な出発は30分以上遅れる。道路状態が良いので,バスは快調に走る。サスペンションも効いておりおおむね快適である。

それでも舗装道路部分はバスがなんとかすれ違える程度の幅しかない。そこに人,自転車,リキシャー,遅いトラックなどがそれぞれの方向に,それぞれの速度で動いているため,バスはクラクションをひっきりなしに鳴らしながら走る。

アリ・インターナショナル・ホテル

ボリシャルのBSから町の中心部まではリキシャーで10タカ,地元の人が聞いてくれたので相場に近い値段であろう。宿は「アリ・インターナショナル・ホテル」にする。部屋はいくつかのグレードがあり,エアコンとテレビのない部屋は200タカとお得値段である。10畳,1ベッド,T/S付き,十分清潔で机までついている。

宿の2階はメイン・ストリートに面したテラスになっている。車も少ないし,いかにもバングラデシュの田舎町という雰囲気が漂っている。それでもメインストリートには日本企業の看板もいくつか見える。この街も道路の上の空間には電線が乱雑に張られている。

電線が錯綜している

リンゴはさすがにノー・サンキューである

チャーイは旅人にとってもありがたい飲み物だ

こんなものまでリキシャーで運ぶ

おそろいの色だね

立派な教会

メインストリートの南側を歩いてみる。屋台あるいは間口半間ほどの店でチャーイ屋が営業している。インド圏ではチャーイは最高の飲み物だ。暑い気候に熱いチャーイがよく似合うという構図である。男たちがパンをかじりながらチャーイをすすっている。カメラを向けるとちょっとびっくりした顔をしている。店をやっている少年だけはにこやかに笑っている。

港町のボリシャルにはキリスト教の教会が多い。キリスト教は,海からもたらされたものであろう。メインストリートからちょっと入ったところに白亜の教会がある。すらりとしたびんろう樹の木に囲まれており,南国らしい風景を演出している。

写真写りのよい建物である。教会の内部には立派な祭壇やマリア像が無いので,プロテスタント系の教会である。礼拝用のイスもなく,床に坐って子どもたちが楽器で遊んでいる。

この子はカメラ目線になってくれない

一番目の結婚式

乾期は結婚式のシーズンである。バングラデシュでは,きれいな色の布でくるまれたゲートが結婚式の印しである。僕は何回か勝手に入らせてもらったが,拒否されたことは無い。

ムスリムの社会にあっては,結婚式も原則として男女別々で行われる。そのため式場には新郎の部屋,新婦の部屋そして招待客が飲食する広間が用意されている。

当たり前のことだが僕は女性用の部屋に入るときは関係者の許可をもらうようにしている。花嫁は赤いドレスに身を包み,介添えの女性は化粧崩れを直すのに余念がない。彼女はプレゼントされた貴金属をすべて身に着け輝くばかりの盛装である。

花婿はひな壇の上でくつろいだ様子で,親族か友人と一緒に食事をとっている。彼らの前には大皿に盛られたごちそうが並んでいる。

バングラデシュでは料理を自分の皿にとり手で食べるのが普通だ。結婚式のごちそうでもその例外ではない。敷物にごはん粒が落ちるのも気にしないでみんなもりもり食べている。

ドキュメンタリー作家の辺見傭が書いた「もの食う人びと」という本の中には,ダッカの駅前で食べたごはんの話がのっている。

一皿5タカの食事は実はこのような結婚式から出た残飯だった。骨付き肉にかぶりつこうとしたところで地元の人に教えられて,皿を放り出したと記されている。

確かに,結婚式の会場で出されている食べ物は出席者の人数よりかなり多いので,残飯が出るのは当然である。大皿にあるものは手がついていないので問題ないであろう。

辺見さんの経験した残飯は,自分の皿に取ったものを残したものなのだ。彼の経験は1992年なので,まだこのような商売は行われているかもしれない。

広間では招待客が盛大に飲み食いしている。ここでも男性主体のテーブルと女性主体のテーブルに分かれている。招待客は当然着飾っているので,女性でも簡単に写真に応じてくれる。

それどころか子どもとの写真を撮ってくれと要求が多く何枚かを撮らされた。敬虔なイスラム教徒らしく黒のベールと黒のムスリム服の女性も写真OKであった。

二番目の結婚式

どちらも笑顔がいいね

はい,こんにちわ

船着き場と川の風景

バングラデシュは川の国である。西からのガンガー(ポッダ),北からのブラマプトラ(ジョムナ),東からのメグナという3つの大河が,国土を島のように分割している。特にジョムナ川は国土を東西に分割しており,橋が一つしかない。3つの川はダッカの南で合流し,対岸の見えない巨大な川となってベンガル湾に注ぐ。

土砂の堆積によってできた河口のボラ島やハティア島は佐渡島ほどもある。ボリシャルから南は大河の分流が何筋もの川となって流れている。そのためクルナやボリシャルは海から100km以上内陸にあるにもかかわらず,巨大な客船がダッカとの間を運航している。

ボリシャルの町の近くにも大きな川があり,船着場もある。あの古色蒼然とした外輪船ロケット・スチーマーもその近くから出る。現在の主役は三層のデッキをもつ大きな船である。

何隻かの大きな船が横腹をこすり合わせるくらいの間隔で停泊している。船に渡るには巾50cmくらいの渡し板を通らなければならない。これはちょっと怖い。

船着場からは対岸に渡る乗り合いの小舟がひんぱんに出ている。中には簡単な帆を使っているものもある。僕も小舟に乗り,バングラデシュらしい川の風景を楽しむ。ガートの使用料が1タカ,小舟が2タカである。

舟は20人くらいは乗れそうだ。船頭が前後に2人いて,前が二丁櫓,後ろが一丁櫓で漕いでいる。周囲はほとんど動きの無い灰色の水が広がり,対岸には低い緑がわずかな盛り上がりとなっている。

渡し船で対岸に渡る

レンガの世界

小さな食料品店もある

弟妹のお守りは女の子の仕事となる

釘などは重さで販売する

きれいな制服の学校

対岸はバングラデシュらしいのどかな村になっている。船着場の近くの学校では運動会が行われていた。女の子の制服はピンクか赤,白いV字形の肩掛けがすてきだ。

生徒たちがみんな外に出ているので写真は撮り放題だ。しかしここでも近所の男の子や青年たちがフレームの中に入ってくる。悪気は無いのだろうが本当にじゃまな存在だ。運動会の開始まであと1時間と言われ,近くの村を歩いてみることにする。

しかし,さきほどの男の子たちが後を付いて来る。「帰りなさい」と何度言っても全く効き目が無い。一人をつかまえてお仕置きのまねをするとようやく離れて行った。地ガキに限らず20才前後の青年たちもしつこくつきまとう。ガイドにやとったつもりは無いので放っておいてくれと何度言ったことか。

川を見に行くと子どもたちに写真を要求される

女子生徒もからも同じ要求がくる

頭に乗せて運ぶ

カサの日陰でレンガを砕く

幼児の額横の黒い印は魔除けの意味をもっているようだ

レンガを運ぶ

村の手前で子どもたちに出会う

感じの良いレンガ道を歩く

道はレンガを敷いたものになり両側は感じの良い林になっている。村は水路の両側に開けており,バングラデシュらしいたたずまいをみせている。3月の陽光はすでに強く,人々は水路で水遊びに興じている。女性たちは洗濯である。

子どもの写真を撮り,礼儀として画像を見せてあげる。家族の人々がそれを眺め,感心する。そしてみんなが集まり集合写真となる。写真のお礼はフーセンにする。プレゼントを受け取るときの子どもたちの笑顔がたまらない。

水路は人々の生活の場となっている

二つ目の学校を訪問する

最初の学校に戻ろうとすると,道で会った女の子が別の小学校に案内してくれた。授業は行われていなかったので写真を撮らせてもらう。イスラムの国らしく教室の左側は男の子の席,右側は女の子の席になっている。

1クラスの人数は40人くらいである。先生が現れ,職員室に連れて行かれ,この国ではよくある質問をされる。帰るとき生徒たちが外に出てきて集合写真になる。

川に戻るとレンガ船が到着していた

頭に上げるときだけは補助が必要である

近くでは女性たちが働いている

運動会の学校では競技が始まっていた

もとの小学校に戻ると,運動会が始まっていた。学校関係者と思われる人に,テントの張られた来賓席に坐らされた。これでは,写真にならない。ピンクの制服の女子が一列に並び,スタートの合図を待っている。しかし,なかなか合図はない。この間の緊張した子どもたちを写してここを後にする。

教科書を抱えた子どもたち

船着き場は満員状態である

バングラデシュでもこの黒づくめの服装は珍しい

工事現場|ほとんどの作業は人力で行われる

ガートの風景

水辺は子どもたちのかっこうの遊び場になっている

再び対岸に渡る|歩き出すとすぐに集合写真となる

午後はもう一度渡し船で対岸に渡る。今回は右の方向に歩いてみる。小さな集落があり岸辺では子どもたちが水遊びに興じている。乾期でも水量は多くきれいな水だ。

水着などはあるはずもないので,みんな服を着たままで水につかっている。子どもたちの集合写真を撮ろうとすると大人が入ってくる。ということで子どもたちだけの写真を改めて撮らせてもらう。

川岸は細かい灰色の粘土で覆われており裸足になると砂地よりも感触は良い。水面より1mほど高くなっている岸辺の一部は盛大に崩れている。ここは川の恵みを川が奪い去ろうとしている現場となっている。

この川はメグナ川の小さな支流の一つである

水浴びに来た子どもたち

川が造ったデルタは川により浸食される

バングラデシュでは堤防という概念は無い。利根川より大きな河川が国土を網の目のように流れているので堤防を造るのはどだい無理な注文である。川は自然の流れにまかせ,増水期には洪水を繰り返す。ひどいときには国土の2/3が水に浸かるという。

ヒマラヤの雪解け水と世界で最も雨量の多いアッサムやメガラヤの水が合流するこの国では,人々は水に抗する術をもたない。イスラム社会でよく耳にする「インシャラー(神の御心のままに)」が水と人との関係を的確に言い表している。

一方で膨大な水の流れは河口の地形を変えていく。自然の大きさ,自然の時間軸からするとその変化はゆっくり,かつ小さな規模のものでもその上で暮らしている人々にとっては大きな脅威となる。

ここの川岸でも土が崩れ,少しずつ川に飲み込まれていく。川が造ったデルタは川により浸食される。流された土はまたどこかに堆積してデルタや島を形成する。

川の国バングラデシュでは浸食と堆積は日常のことである。土地が流されてしまったと嘆く人もいれば,まだ所有権が確定していない新しい砂州や島に移住する人もいる。人の営みに関わり無く,川はただ流れ続ける。

風景に占める船はとても大きい

船の解体現場

岸辺に鉄製の老朽船が置かれている。ここは船の解体現場である。となりのクレーン船以外はほとんど手作業で解体が進められている。船体をいくつかのブロックに切断し,クレーンで吊り上げようとしている。カメラを向けると作業者が舷側から身を乗り出してポーズをとる。

レンガ工場|粘土を掘る

三角州の上にできたバングラデシュには地下資源がほとんどない。岩石ですら北部の一部にしかなく,あるものは川が運んできた泥だけだ。人々は粘土質の泥を掘りレンガを作る。

レンガ工場|粘土を練り型枠で成型し乾燥させる

大きな穴から粘土がクワのような道具で掘られ,それを頭に乗せたカゴで運んでいく。粘土の一時置場は巨大な山になっている。作業者は一輪車に粘土を乗せ,釜の中に入れる。釜の中では金属棒により土がこねられる。この工程だけは動力が使用される。

こねられた粘土は一輪車で運ばれ,型箱に入れられ型押しされる。粘土を入れる,表面をならす,ひっくり返して外すという単純作業が延々と続く。型押しされた粘土は日干しにされる。表面には製造会社のロゴが浮き出ている。

レンガ工場|一ヶ所に集めて覆いをして火を入れる

日干しレンガが適度に乾燥した時点で,人々は一ヶ所に集めピラミッドを造る。これらの日干しレンガは巨大な窯で焼かれ赤いレンガになる。レンガは主として建物の壁材に使用される。また,砕かれたレンガは道路を造るとき,砂利の代わりに使用される。

午前中に訪れた川岸では人々が赤いレンガを砕いている。岸辺には船が横付けされ,工場からレンガを運んでくる。編み籠の中に30個ほどのレンガを入れ,それを頭の上に乗せて川岸に運んでいる。レンガを砕く作業は手作業で,使用する道具はカナヅチしかない。

カナヅチが振り下ろされると細かい破片が飛び散り,その一部は作業者を直撃する。手元が狂うと自分の指をつぶす危険な作業だ。大き目のカサが杭に縛り付けられている。しかし,それで日差しが完全に防げるわけではない。

レンガ工場|支払クーポンが手渡される

町に戻るとなにかのデモ隊が行進していた


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