ジョソールからクルナにかけての一帯は,17世紀初頭までプラタパディティヤという藩王国が支配していたが,ムガール帝国の侵入より滅亡する。英国統治時代,ジョソールは地域の行政の中心地となり,行政都市として発展した。インドからバングラデシュに陸路で移動するとき,最初の町となるので,気が向いたら立ち寄るのもよい。
インド国境で当面のタカは両替しておいたが,ドル建てのTCを両替しようと銀行を回り,3軒で断られた。ようやくある銀行で両替をしてくれたがおよそ45分を要した。ここに限らず,バングラデシュではTCの両替は相当苦労すると覚悟しておいたほうがよい。キャッシュはどこでも問題なく両替できる。
コルカタ→国境→ジョソール 移動
シアルダー駅(08:35)→バンガオン(11:00)→国境(11:30)(12:30)→バスステーション(13:10)→ジョソール(14:30)と列車とバスなどで移動する。3日間一緒だったおしゃべり好きのドイツ人旅行者と別れてタクシーでシアルダー駅に向かう。サダルで客待ちをしているタクシーは80Rpとふっかけてくるが,こちらが50Rpと強く言うとその値段になる。
すでに朝のラッシュが始まっており,渋滞も出ている。コルカタの交通事情は悪く,歩いているといつ車やリキシャーに引っ掛けられるか分からない。逆にタクシーの視点からすると,歩行者やリキシャーが行く手をジャマしており,クラクションを鳴らしたくもなる。
シアルダー駅はハウラーよりずっと小さい。チケットの窓口がいくつかあるので適当な窓口で「バンガオン」と言うと正しい窓口を教えてくれる。チケットはコンピューターからプリントされる。チケットには行き先と料金17Rpが記載されているが,発車時間とプラットホーム番号は自分で探さなければならない。これはいつも大変だ。
インド人の乗客に聞くと電光掲示板に表示されるという。電光掲示板にはヒンディーと英語で表示されているがどの列車のものかはよく分からない。幸い同じ方面に向かうインド人の2人連れと一緒になったので彼らと行動をともにして座席を確保することができた。レール巾が広いので座席は3+3の一列6人である。車窓には茶色く乾いた水田と緑一色の乾期米の水田が混在している。
終点のバンガオンに到着する。降りる人を待たずに次の乗客が乗り込んでくるので,乗車口付近は大混雑になる。このような無用の混乱はインドの交通機関でよく見られる光景だ。
駅の横には国境に行く乗合オートリキシャー(20Rp)が待機している。インドルピーあるいは米ドルからバングラデシュ・タカへの両替は,バンガオン駅や国境で可能である。
ジョソールの街まで両替は無いのでここで両替しておくのが良い。僕も1000Rpを両替しておいた。レートは1Rp=1.37タカなので悪くない。
ベナポール国境は小さなゲートがあるだけだ。インド側にはカスタムは無くイミグレの建物に入る。飛行機の機内でもらったEDカードは陸路国境では使用できず,新たなカードを作成する。
職員は60cmほどもある巨大なノートに内容を転記して最後にサインが求められる。パスポートとEDカードが上級の職員に渡されスタンプが押される。バングラデシュ側はカスタムを通過し,EDカードを作成し,なぜか出国の窓口に提出する。およそ1時間で出入国の手続きは完了する。
インド人と一緒にリキシャー(5タカ)で2kmほど先のバススタンドに移動する。その間はたくさんの手続き待ちのトラックが列を作っている。バススタンドからはけっこう立派なバスが1時間強で国境とジョソールを結んでいる。道路はそれほど悪くないのに振動はひどい。
バングラデシュでは町の中心部とバススタンドが1-3km離れていることが多い。ジョソールでもBSから町までリキシャー(7タカ)のお世話になる。この7タカはおそらく地元価格より少し高い程度だ。
この国は観光客が少ないので,法外な料金,例えば地元価格の5倍を要求するというようなリキシャーはほとんどいない。インドに比べると料金の交渉はずっと楽だ。
Hotel Magpie
ベナポール国境からバングラに入ると最初の町がジョソールである。これといった見どころもないのでここに泊まる旅人は少ない。あまり選択の余地は無いので,宿は「Hotel Magpie」にする。
250タカ(1タカ=1.7円)の部屋は10畳,1ベッド,T/S付き,清潔である。タカを1.4で割るとインドルピーに換算できるので,この宿は180Rpに相当する。フロントはしっかりしているし,カギも問題は無い。
街を歩く
宿の周辺が街の中心部になっている。表通りの建物はレンガ造りで,その上に白いしっくいが塗られている。モスクは定期的に塗り替えられるせいか白さを保っている。しかし,商店の壁はかなり変色している。通りには電柱がそれほど多くないにもかかわらず電線は乱雑に空間を占拠している。
小さなコミュニティ
表通りの商店は隣同士が密着しているので間は抜けられない。それでもところどころに裏に通じるゲートがある。このようなゲートは夜になると安全のため閉じられる。ゲートの内側はブロックとしてまとまった居住区になっている。中に入ると子どもたちが集まってくる。
かわいい集合写真になるところが大きな男の子がでしゃばっていいフレームにならない。子どもの数はすぐに20人を越え,そのうち何人かが居住区の中を案内してくれる。
きれいな服を着た女の子は一人で撮ってよと要求する。このような居住区内ではあまりはしゃぎすぎると大人から出て行ってくれと言われることになるので要注意だ。
このぶどうは生食用でありよくお世話になった
果物屋ではオレンジかマスカット系のぶどうくらいしか食べられそうなものはない。リンゴはとても食べる気にはならないし,やしの実ジュースも繰り返し飲みたいとは思わない。今日はオレンジを2個(15タカ)をいただく。
水路を埋め尽くすホテイアオイ
宿の近くに水路にかかる橋があり周辺には果物屋,食堂が集まっている。橋から見ると巾20mほどの水路はホテイアオイに埋め尽くされており,100mほど先にようやく水面が顔を出している。
クリケット少年,宿の近くのコミュニティの空き地にて
カリーの選択
ファンを回しながら寝る。夜半から弱に切り替え,トレーナーを着る。毛布無しで寝てちょうどよい温度だ。寝るときはホテル内のTVの音が,明け方は車の音が気になる。
朝食は宿の向かいのこぎれいな食堂でチャパティ,オムレツ,チャーイを注文する。食べやすいチャパティだったので全部いただいてしまった。代金はしめて16タカ,ローカルフードは驚きの安さである。
バングラデシュの主食はカリーである。この国のカリーはお皿にごはんを盛り,その上にカレーをかける日本のものとはだいぶ異なる。ごはんプラス小皿に乗せられたスパイスで煮込んだ単品のおかずというスタイルである。
簡単にいうとスパイスを使用して調理した食べ物はすべてカリーということになる。バングラデシュに滞在中に出会ったカリーの選択肢はビーフ,マトン,チキン,魚,野菜しかない。滞在初日の夕食はビーフ(16タカ)にする。
大きな金属皿にはごはんが盛られ,小皿には肉だけが乗せられている。インド流ではこれを右手で食べるのがルールである。僕もスプーンとフォークが無い時は,このルールに従っていたが,バングラデシュではかなりの確率でスプーンが出てきた。
手づかみで食べるのには抵抗感はまったくないが,地元の人たちが利用する食堂で,食器を洗っているのを見るとげんなりすることが多い。水道から流れる水を使用しているのだが,床に食器を置いて洗っている。
また,テーブルを拭く布,日本でいうと台ふきんにあたるものがテーブルの足元,床から20cmほどのところに置かれている。まあ,このくらいで強い拒否反応を示していたらバングラデシュの田舎は旅行できない。
水で洗う
街の南にある鉄道駅に向かってのんびりと歩いてみる。道端に木製のベッドがたくさん置いてある。加工工場があり木材から板材や足材を作っている。木材は芯の部分と外側では色が異なり,薄茶色とこげ茶色の模様になっている。カンナがけは2人1組でしている。削りクズをみると日本のものよりもずっと粗くかつ厚い。
しばらく歩くと駅に着く。とくに面白いものはないので,線路をまたぐ連絡橋で向こう側に渡る。連絡橋の上から見ると,大きな池があるのでそちらに行く。そこは人々の生活の場である。
洗濯,食器洗い,沐浴が同じ池で行われている。周辺にはゴミが散乱している。乾期のため水は少なくなり,どんどん汚れていく。日本では信じられないような不衛生な水を使い,ここの人々は生きている。
配給の行列
駅からの帰り道に人がたくさん集まっている。机に坐った男性に何かを申告しているようだ。男性は台帳に何かを記入している。人々は手に袋をもっているので何かの配給なのかもしれない。
イスラムの国では女性の写真は難しい。しかし,この国では,それほど拒否反応は強くない。まず子どもの写真をとり,画像を見せてあげると,ほとんど問題なく撮れるのでありがたい。
リキシャー
街中での庶民の足はリキシャー(三輪自転車,客は後ろに乗る)である。インドではリキシャワラーとの値段交渉でとても疲れた。しかし,バングラデシュではほとんどぼられることはなかった。1kmで5-7タカといったところだ。もっとも地元の人たちがどのくらいの料金で利用しているかはよく分からない。
農村から出てきて働けるのはリキシャーくらいなので,その数はすごい。この町でも,朝と夕方のラッシュ時にはチリンチリンとベルを鳴らしながら,ほとんど途切れることなくリキシャーが行きかう。
リキシャーとぶつかるとさすがにケガをするので,この時間帯は道路を横断するだけで一苦労である。身なりの良い女性たちはほとんど歩かない。リキシャーが彼女たちの足になっている。
女学校を訪問する
バングラデシュでは写真を撮っていると大勢の子どもたちに取り囲まれる。特定の被写体を狙っている僕にとっては天敵のような存在だ。いくら追い払ってもついてくるので処置無しである。大人からは10分に1回くらいは声がかかる。「国は,職業は,年齢は...」,定型的な質問にうんざりする。
地元の青年たちは外国人対して友好的である。彼らに連れられて女学校を訪問した。若い女性の写真はどこの国でもそう簡単ではない。
ところが中庭では何かのイベントが行われており,写真はフリーであった。このようなチャンスはそうあるものではない。よろこんで集合写真を何枚か撮らせてもらう。
同じ学校の敷地に小学校と中学校があり,こちらの方はイベントに関係なくて校舎に入っている。休み時間になったのか一部の生徒が外に出てきた。一枚撮って画像を見せてあげると,「私も,私も」と希望者が引きをきらない。はいはい,みんな撮ってあげますよ。集合写真で見ると子どもたちの顔立ちは,インド系と東アジア系が混在していることが分かる。
道路工事現場
街の西側を歩いていると,道路工事が行われていた。道路の片側が300mに渡って掘られている。機械は全く使用されていない。使われているのはスコップ,クワそれにザルだけである。
男性はもっぱら土を掘り,女性は土をザルに入れて頭に載せて運ぶ。今は休憩時間のようだ。カメラを向けると近くの人がみんな集まってきて大集合写真になる。
ブロック化された居住区
この街の居住区はブロック化されていることがある。入口がひとつしかなく,内部は中央の広場の周りに家屋が配置されるという構造だ。このようなところに入ると,まず好奇心旺盛な男の子に囲まれる。写真を撮って画像を見せてあげると女の子も寄ってくる。
竹を編んだ材料を使った壁の前は光の具合がちょうどよい。ごはんとカリーを入れた金属製の容器を持ち,弟にごはんを食べさせている女の子は神妙な顔つきで写真に収まる。
姉に抱き上げられた弟は不安そうな表情だ。小さな女の子を抱えた母親が次のモデルになる。後は写真の希望者が多くたくさんの集合写真になった。
女性たちは写真に多大の興味を示すが,男性は家の中におり外に出てこない。子どもたちは自分が写っている画像を見て歓声を上げる。個別写真では直立不動,集合写真では少し個性的なポーズになる。きれいな服を着た中学生くらいの娘さんも個別写真のモデルになってくれた。
バングラデシュの大半を占めるベンガル人はコーカソイドに属するが,この辺りではかなり東アジアの血が混ざっているような顔立ちである。
年長の何人かにヨーヨーを作ってあげる。小さな子どもたちにはフーセンをあげる。さすがにこの人数分は作れないので残りの子どもたちにはキャンディーを配ることにする。先を争わずに1個づつ受け取ってくれるのはこちらも気分がよい。
ジョソールからバスでベナポール国境に向かう
この時点でジョソールからインドに戻ったわけではない。バングラデシュを一回りしてジョソール経由でインドに戻ったときの写真である。こうしておくとコルカタ→国境→ジョソールとその逆の移動の様子が分かってもらえると思う。