ヤンゴンから西に200km,エーヤワディ川のデルタ地帯にあるミャンマー第4の都市。水運の発達したこの地方は古くから周辺諸国との交易も盛んで,イスラム世界の影響も受けている。パセインから東に36km,ベンガル湾に面したチャンタ・ビーチに行く人がときおり訪れる程度で,旅行者は少ない。
2008年5月2日,この平和なエーヤワディ・デルタをハリケーン・ナルギスが襲った。
「国立情報学研究所・デジタル台風」から引用すると次のようになっている。
ナルギスはエーヤワディ・デルタの中心部を海岸線に沿うように横断し,ヤンゴンを直撃した。ベンガル湾の中ほどで一時期勢力を衰えたが,上陸直前に急速に発達した。最大瞬間風速は60m/sを超えていたとと推定されており,非常に強い勢力をもっていたことが分かる。
ナルギスはミャンマーにとっては最悪のコースをたどってしまったことにより,被害はデルタの全域と最大都市のヤンゴンに及んでいる。死者,行方不明者の数は日を追って増加しており,7万人に達すると推計されている。また,被災者は240万人とみられている。
エーヤワディ・デルタは海抜ゼロメートルに近い平坦な低地であり,潮位の高いときにサイクロンに襲われた。サイクロンによる風の吹き寄せと気圧の低下により高潮が発生した。高潮は雨により増水した川を遡上していき,デルタの全域に大きな被害をもたらした。
エーヤワディ・デルタの南西端の地域がもっとも被害が大きいと報道されており,ボガレイ(Bogale)では,95%の家屋が倒壊し,人口約19万人のうち1万人以上が3.6mの高波に飲まれて死亡したとのことである。そこから90kmほど北西にあるパセインの町が無傷であるとは考えられない。
それでも軍事政権の救援本部がパセインに設置されたこと,国境無き医師団の救援物資がパセインに運び込まれ,そこからボートで被害の大きな地域に運ばれたことなどから,パセインは少なくとも壊滅的な被害は受けていないと考えられる。旅行中に出会った多くの人々が無事であることを祈る。
ヤンゴン→パセイン移動
宿(09:00)→タゴン・エアハイウエーBS(10:10)(10:40)→パセイン(14:30)とバスで移動する。ヤンゴン市内から郊外のバススタンドに行くのはいつも大変だ。今日はNO.51の市バスに乗りビギン・ナウBSを目指す。しかし,早くもルートをまちがえて,その後はタクシーのお世話になる。
僕がパセインに行くと言うと,タクシーの運転手は「そのバスはタゴン・エアハイウエーBSから出ているのでそちらに行きますよ」行き先変更を告げられた。こちらとしては「行って下さい」とお任せするよりしかたがない。
このBSはヤンゴン川の西側にあり,タクシーの運転手の話ではスーレーから24kmもあるという。タクシー代は2500Kyについた。地元の人たちは他の交通機関を使用しているのであろうが,英語が通じないこともあり旅行者にとっては難しい移動であろう。ちゃんと郊外BS行きの市バスを走らせてもらいたいものだ。
タゴン・エアは大きなバススタンである。タクシーの運転手がパセイン行きのバスを探してくれた。今日のバスは滋賀観光のものでエアコンが動いている。パセインまでの4時間のうち3時間は道路状態も良く快適である。残りは工事中の区間もあり振動が激しい。パセインのBSは町から3kmほど離れており,乗合トラックバス(200Ky)が町まで行ってくれる。
Taan Taan Ta GH
パセインの宿は「Golden Dove」にしようとしていたが,そこは「Taan Taan Ta GH」に変わっていた。中国系の名前のようで漢字にすると「単単大」ということになる。部屋は6畳,Wベッド,T/S付き,清潔である。朝食付きで5$は妥当なところだ。
翌日の朝食はトースト2枚,目玉焼き,オレンジ,ケーキ,コーヒーの組み合わせである。ヨーロピアンの女性旅行者はケーキを紙にくるんでおやつにするようだ。こういったところは彼女たちはとてもしっかりしている。この食堂の机は夜の日記作業にも使用することができとても具合がいい。
街を歩いてみる
ミャンマー第4の都市とはいえ,パセインの中心部は1km四方ほどしかない。西にはパセイン川が流れ,川と平行に2本の南北道路が走っている。僕の泊まった「Taan Taan Ta」は町の中心部にあり,その西側には川まで市場が広がっている。市場の北側にはシュエモットー・パゴダがあり,これがランドマークになる。市場の南側には商店街がある。
中国式の獅子舞
市場沿いに歩いていると鳴り物の音が聞こえる。中国式の獅子舞が商店を回っている。2人一組で派手な色彩の獅子を操っており,さらに2人が太鼓と鉦を担当している。彼らは商店を回り商売繁盛を祈願し,なにがしかのご祝儀を集めている。見物人が多い,子どもたちは獅子舞の後をついて移動する。このおかげで,何枚かの子どもたちの写真が撮れた。
店先で一家を撮る
市場は写真の題材が豊富にある。残念ながら建物にさえぎられて内部は薄暗い。フラッシュは使いたくないので写真を撮るには条件が悪い。市場の周辺には露店が出ており,花,果物,野菜など品物は豊富だ。何か珍しい食材はないかと探してみたが特に見当たらない。
シュエモットー・パゴダ
中心部にあるシュエモットーの巨大な金色のパゴダは街のどこからでもよく見える。小さな町に似つかわしくないような大きなパゴダである。仏前に添えるためのものであろう,入口にはたくさんの花屋が店を出している。
ここの大パゴダも改装中で下の3分の1はシートで覆われている。このパゴダの最上部の法輪には,数百の宝石がちりばめられているそうだ。ミャンマーの人々は,国の最高の宝でパゴダを飾ることに情熱を傾けている。
中央パゴダを囲んで小さなパゴダと建築物があり,その内部にはまばゆい金色で飾られた壁面に多くの仏像が安置されている。仏像はビルマ式の白い肌と金色の衣をまとった坐像で,一様に接地印を結んでいる。
涅槃に向かおうとするブッダと,それを見守るアーナンダ,このパゴダで最も印象に残った仏像である。中央パゴダの周りでは楽器が奏でられ,当番の男性がマイクを通じてお経を読み上げている。まばゆい金色の洪水のせいか,音の多い空間のせいかビルマの寺院は何となく落ち着けない。
パゴダの外には参拝者のための花屋が並んでいる
シュエモットー・パゴダにお参りに来る人を目当てに,パゴダの入り口付近には何軒かの花屋が店を出している。かわいい女性の売り子がおり,夕日に染まった彼女の顔はタナカを塗らない部分がちょっと赤くなっている。この季節のためだろうか,売られている花はほとんどがキクの類である。
フルムーン・デイの市
一部の上座部仏教国では満月の日をフルムーン・デイとして休日にする習慣がある。ミャンマーでもその習慣がある。今日はフルムーン・デイにあたるため,パセイン川沿いの道は夕方から車両の通行が禁止される。
そこにはたくさんの露店で埋め尽くされる。野菜,果物,花などに混じって食べ物の店が出ており,食べ歩きが楽しい。ゆでとうもろこしは1本50か100チャットである。店の少女は母親を手伝って皮むきをしたり,火の具合を調整している。
小麦粉を水で溶いて,具を入れた正体不明の焼き物をいただく。味は悪くない。となりのヨーロピアンはおかわりをしている。ここの店でも少女が手伝いをしているので,ヨーヨーを作ってあげる。
周囲のお店の人々が集まり,ヨーヨー作りを見ている。もうひとつを作って,先ほどのトウモロコシ屋の少女に届けてあげる。もう夕陽が傾く時間になり,売り子のおばさんたちの顔が赤く染まっている。
パセイン川の夕日
ミャンマーを縦断した大河エーヤワディは,河口付近で数本の川に分かれ広大なデルタ地帯を形成している。町の西側にはその一つにあたるパセイン川が流れている。
かってパセインは川を通じてベンガル湾,アンダマン海と結ばれ,インドと東南アジアを結ぶ海洋貿易の中継点として栄えた。現在は町を結ぶ大きな船がときどき来るだけで,船着場は小舟がもやわれているだけだ。
フルムーン・デイの市を見学していても,夕日の時間帯になると反対側を向いて夕日を眺めることになる。残念ながらここからの夕日はそれほど感動的なものではなかった。夕日が沈んでからわずかな時間は残照が空を淡い茜色に染め,それを背景にして小舟がゆっくりと移動していく。
夜のシュエモットー・パゴダ
フルムーンデーのためか暗くなってからも,シュエモットー・パゴダにお参りに来る人は多い。パゴダの最上部から明かりを灯した籠がするすると下りてくるというパフォーマンスもある。仏像の前には参拝者が持ち寄った多くの灯りがともされ幻想的な空間になっている。
水のタンクを押す
夜はファンを回したままで寝た。夜中に寒くなりファンを止め朝まで良く寝ることができた。起きて灯りを付けようとすると停電である。7時からの朝食はローソクの灯りでとることになる。朝一番に水タンクが乗った車を押す女性たちを見かけた。
僕の泊まった宿は水道が使用できたが,パセインの町では水道がそれほど普及していないようだ。2人の女性が大きなタルに水を入れてどこかに運んでいる。家庭の中で必要な水を確保することは,女性の大切な仕事の一つだ。
時計塔
今朝は街の北側を歩いてみる。時計塔を過ぎると道は悪くなる。全般的にパセインの道は悪く,サイカーもこれでは大変だ。
中学校+高校を訪問する
町外れの道を歩いていくと中学校があった。教室の前はオープンの廊下になっており子どもたちが並んでいる。ミャンマーの国歌とおぼしき歌の斉唱で迎えられた。
男子は白いシャツに濃い緑のロンジーが制服となっている。女子は白いシャツに緑のスカートである。女子は全員頬にタナカを塗っており,男子も半数は塗っている。この中学校では今日は授業が無く自由時間のようだ。教室は板張りになっており,生徒たちは裸足である。生徒たちの半数が外に出たので一緒に敷地内を歩いてみる。
校舎は一つではなく別のところには上級生がいる。この年齢の女学生はもうロンジーを着用している。東屋で集合写真を撮り最初の教室に戻り,オリヅルを教えてあげると希望者が多くちょっと大変である。さすがにこの年齢になると僕の手本をまねてほとんど自分で折ることができる。折り上がったところで記念写真をとると何人かはVサインである。
道路の横は用水路
この辺りは水が豊で道路の横は用水路になっている。乾期の今はほとんど水の流れは無く,水質も汚れている。男性が水路に入り投網を打っている。子どもたちが共同で水をせきとめ魚とりをしている。水をかいだし布にあけると魚がとれる。
このような集団でもちゃんとリーダーがおり,へまをした子はきつく叱られていた。写真のお礼にキャンディーを1個づつ渡す。子どもたちは手も洗わずキャンディーを口に入れる。
パセインは日傘の産地としても知られている
街に戻るとカラフルな日傘が何軒かの店先に飾られている。大きさは直径80cm,柄の長さも80cmほどで雨からは身を守れそうも無い。この街の名物のようだ。店の中を覗くと女性が骨のところに飾りを付けている。
街の中には外国からの援助を受けている小学校がいくつかある。もちろんミャンマー文字はまったく分からないので,英語の表示がある場合だけその内容が分かる。
手押しポンプの水を水槽に貯めて水を供給する仕組みがあり,水槽には吹田ロータリー・クラブの寄贈と書かれている。ユニセフのプロジェクトに参加した学校では,日本人を含めた訪問者の記録をもとに校長から説明を受けた。
渡し船でパセイン川を渡る
パセイン川にはいくつかの小さな船着場があり,そこから対岸に行く渡し舟が出ている。川幅は300mほど,流れがほとんどないので手漕ぎのボートでもすぐに対岸に着く。僧侶を乗せた二本の櫓を使用する前こぎのボートとすれ違う。このこぎ方はベトナムのメコンデルタのそれと同じである。
対岸からはパセインのパゴダがくっきりと見える。ビルマ式の屋根をもった寺院の先端部が十数個飛び出ており,シュエモットー・パゴダの敷地がずいぶん広いものであることが分かる。
パゴダの右側はコンクリートの製の家屋が密集している。パゴダの左には薄い青色をしたやモスクも川沿いに見える。仏教国ミャンマーにあっても,海岸あるいは川沿いの町にはイスラム教が根を下ろしている。
対岸にはヤシや他の木々に囲まれた平和な集落がある。中学生くらいの女の子が集まっている家におじゃましてオリヅルを教えてあげる。不慣れのためか折り目が合わない。それでもちゃんと形になるのがツルのすごいところである。
ヒンドゥーの祭り
対岸からエンジン付きボートで戻る。行きの手漕ぎボートは200Ky,帰りは20Kyと料金の格差が大きい。街でにぎやかな行列を見かけた。ヒンドゥー教の祭りのようだ。パセインにはたくさんのインド系の人が住んでいる。サリー姿の女性を含む多くのインド系の人々が行列と一緒に歩いている。
壺の火をかざした先頭の男性が行列の行く道を浄める。供物や香炉の火を持った男性たちがそれに続く。いずれも上半身は裸,裸足で黄色のドゥーティをまとっている。
花束を抱え花輪で飾られた男性は背中の皮膚にカギを通し,それで山車を引っ張っている。これはインド式の苦行である。車輪がついているとはいえ,これは大変なものだ。
山車の上にはシバ神のもつトリシュルという武器の先端部が飾られているので,この祭りはシバ神に捧げるものなのであろう。その後に続く男性たちも頬に鉄の串を刺している。驚いたことに女性たちも黄色の衣をまとい頬に鉄串を刺しているではないか。行列は待ちをねり歩き,篤志家の家で寄進を受けどこまでも歩いていく。
再び渡し舟で対岸に渡る
翌日はバスの時間が12時になってしまったので,前回より南側にある船着場から渡し船に乗って再び対岸に行く。パセイン川には堤防がなく岸辺まで家が続いている。対岸は一面のヤシの木が茂っており,土地は現在の水面から1mほど高いだけである。船着場は水面から木で組んだスロープになっている。
川から少し内陸の道を歩いてみると家の前で家族が干した小魚をより分けている。子どもたちも大人と一緒に半分遊び感覚で仕事をしている。カメラを向けると子どもたちが集まり集合写真になる。かわいい子どもたちなのでタナカ無しで写真にしたいものだ。
洗面器のような器でごはんを食べている
近くの家では子どもたちが洗面器のような器でごはんを食べている。写真を撮ると母親がちょっと心配そうに奥から顔を覗かせている。
子どもをあやしながらちゃんと手は動いている
川から少し内陸の道を歩いてみると家の前で家族が干した小魚をより分けている。子どもたちも大人と一緒に半分遊び感覚で仕事をしている。カメラを向けると子どもたちが集まり集合写真になる。かわいい子どもたちなのでタナカ無しで写真にしたいものだ。
かき氷を買いに来た麦わら帽子の少女
麦藁帽子を被った女の子がかき氷を買いに来たので,家に案内してもらう。写真のお礼にヨーヨーを作ってあげる。このところ水を入れる容器で苦労していたので,今朝は仕入れたプラスチックの専用カップを早速使ってみる。