ハリドワールから北へ24km,ガンガーの聖地リシケシュがある。ここでは,下流の濁水からは想像もつかないような,きれいなガンガーが流れている。ヒマラヤ山中の聖地というイメージが先行するが,実際にはデリーからバスで6時間しかかからず,移動はさほど難しくない。
巡礼者の多くは下流のハリドワールで沐浴し,リシケシュは修行者の町となっている。サフラン色の衣を着けた修行者サドゥーの姿をよく見かける。ヒンドゥーの聖地として寺院も多く,ヨーガを学ぶためのアーシュラム(道場)もたくさんある。そこには多くの旅行者も滞在している。
デリー→リシュケーシュ 移動
デリー(09:00)→リシュケーシュ(15:00)と264kmをバスで移動する。スリナガルから1泊2日でデリーに戻り,ニュー・デリー駅の西側にあるメインバザールの安宿でに2日間休養してからガンガーの源流部へ移動する。一泊220Rpの安宿で気持ちよく眠り,近くの食堂でジャガイモの炒め物,トースト,チャーイ,目玉焼きの朝食(60Rp)をとる。旅行者の多い地域なので味付けは洋風化している。
チェックアウトしてメインバザールの入り口まで歩き,オートリシャー(三輪車のタクシー)を探す。インドではタクシーやオートリキシャーはメーターが無かったり,使用しないので目的地を告げて値段の交渉をしなければならない。最初のオートリキシャーの運転手の言い値は70Rp以下には下がらず交渉は決裂した。二番目の運転手は50Rpとなり,ISBCバススタンドまで行ってもらう。
少し苦労して見つけたリシュケシュ行きのバスは,いつものように年代物である。料金は116Rpである。インドのローカルバスには荷物室が無い。座席の間にメインザックを置き,横になって坐ることになる。
バスは片側1車線,もしくも2車線の道路を苦労して走る。インドの道路にはあらゆる種類の乗り物が走っており,その大半がバスよりずっと遅い。バスはクラクションを盛大に鳴らしながら追い越しをしていく。対向車も同じようなことをするのでひやりとする場面が何回かある。
運転手の技術と忍耐は相当のものだ。バスが急ブレーキをかけたとき後ろから水が飛んできてかかった。後ろを振り向くとボトルの水がかかったようだ。しかし本人は「バスが…」と言い訳をしている。インド人は絶対に謝らない人種だとよく言われている。現地の滞在が長い日本人の文章を引用すると次のように記されていた。
インドにはあやまるという文化はない。文化,人種,宗教,言葉…,何もかもが異なる雑多な人々が暮らしているインドではあやまるということは負けを意味するようだ。「I'm sorry」とは絶対に言わず,まずは口実の講釈が始まる。さらに追求しても「そうかもしれない」とまでは言うことはあっても,「I'm sorry」と言うことは最後までない。
なるほど,個人の問題ではなくインド文化の中には「あやまる」ということが欠如しているのだ。知識では知っていたが「文化」にまで言及されると,なんとなく説得力がある。
昼食はダルカリーにした。伝票をチェックすると65Rpになっている。ターリーが45Rpの店でどうしたらそんな値段があるのだとメニューを提示しながら抗議すると,ウエイターはなにやら訳の分からない言い訳をする。
これもインドらしいところだ。相手がどう考えようと,ともかく自分の都合のよい理由を並べ立てる。従業員を相手に議論をしても始まらないので,マネジャーのところに行って話しをすると,あっさり40Rpに下がった。ハリドワールは大きな町で寺院のような家が数多く見られた。乗客の大半はこのバススタンドで下車する。ここから30分でリシケシュのメインバススタンドに到着する。
Guarav GH
リシケシュではバススタンドの前に手ごろな宿が見つかった。Guarav GHの3階の部屋(170Rp)は6畳,Wベッド,T/S付きで清潔である。窓からはバススタンドが見え,夜になってもその水銀灯の照明のため暗くならない。これはちょっと困ったことだ。
3階なのにアリがよく姿を表す。リンゴを食べて芯をビニールの袋に入れて床に置いておいたら,翌朝になるとアリが行列を作っていた。あわてて,袋を捨てて,室内に残ったアリを始末した。アリはベッドの上まで歩き回っているので毛布とシーツを点検することになった。
部屋の外はテラスになっており,そこからバススタンドに出入りするバスがよく見える。発車時間が近くなったバスは入り口というより道路に出てきて客を集める。バススタンドの中にいても結果は変わらないのにご苦労でもあり,近所の交通のジャマでもある。
というのはここからメインストリートまでの道は,バス同志がギリギリですれちがうことができるくらいの広さしかない。その道でバスが客待ちするのであるからかなりの迷惑だ。
車掌は大声で行き先を告げており,この声は部屋の中にいても十分に響いてくる。周囲の騒音が日本に比べて格段に大きいので,話し声もそれに負けないように大きくなる。インド人の地声が大きいのはこのような理由によるものであろう。まあ,この車掌の大声は混雑しているバススタンドで目的のバスを探すときかなり重宝することになる。
宿からトリヴェーニー・ガートまでの風景
バススタンドの前の宿は早朝からうるさい。客寄せの声,クラクション,人々のざわめきが開いた窓から入り込んでくる。ここは東にも山があるので,6時を過ぎてようやく明るくなる。
宿から幹線道路に出て,左に7-8分歩くと右にトリヴェーニー(トリベニ)・ガートがある。ガートまでの通りの両側は土産物や布地を扱う商店街になっている。地形的には宿の前の通りをまっすぐ進むとガートになるが,適当な道は無い。
幹線道路から逆U字の道をたどりガートに出る道がもっとも分かりやすい。幹線道路から右に折れる道は両側に巡礼者目当ての商店が両側に並んでいるので,すぐそれと分かる。
ガートの近くに何軒かの食堂がある。聖地ということでベジタリアンの食事しかない。僕の場合,ジャガイモ,ダルカリー,焼きそばしか選択肢がなかった。
今朝はたまたまゆでたジャガイモの皮をむいていたので,大1個とチャーイで朝食にする。ジャガイモの塩ゆではサモサの中に詰めるためのもので,インド人はそのまま食べるようなことはしない。店の主人はチャーイと合わせて,適当に値段は10Rpと宣言した。
ガンガーの聖地
ガートでは沐浴を済ませた家族連れが石段に腰を下ろしていた。晴れ着のためカメラを見せるとすぐにOKが出る。リシケシュはガンガー上流部の聖地である。ヒマラヤの雪解け水を集めた川は想像以上に大きなものであった。
バラナシィでは汚れのひどいガンガーも,この聖地では僕も浸かってもいいかなと思うくらいきれいだ。本流は水量も多く流れも早いので,中州によって分流された手前の流れがトゥリベニ・ガートになっている。
一般の人々はほとんどハリドワールに行くので,ここは訪れる人も少なく静かなたたずまいをみせている。川霧が朝日に映えてなかなかいい感じだ。
リシケシュは「ヨーガ発祥の地」としても知られている。ガートの上流には立派なつり橋があり,その周辺にはたくさんのヨーガ道場がある。宿や食堂も多く旅行者はどうやらそちらの地域がお好きらしい。
このガートにはほとんど旅行者がやってこない。その代わりサドゥーと呼ばれる修行者は数多く集まっている。一部のサドゥーは経典を読んでいるが,残りの人は何をするでもなくのんびりと一日を過ごしている。これでは修行者というより遊行者である。
灯明の儀式
トゥリベニ・ガートでは夜7時から灯明の儀式が行われる。その少し前からバラモンの人々が灯明の準備を開始する。机の上に金属の蜀台が置かれる。油をしみ込ませた小さな綿のかたまりが蜀台に乗せられる。火がつけられると勢いよく燃え出す。
男たちは川に入り,ガンガーに向かって灯明を掲げる。続いて後ろの参列者を祝福するように炎を向ける。金属の蜀台はすぐに熱くなるので,介添え人がガンガーの水を手にかける。周囲の照明は消され,暗い川面に灯明が映し出される。
シヴァ神を祀る
ヒンドゥー教においてはガンガーはシヴァ神の賜物である。ガンガーの聖地リシケシュにはシヴァ神を祭る多くの寺院や小さな祠がある。
小さな祠が大きなバニヨンの根本に置かれている。石の台の上には中央に主神のシヴァ,左にガネシュ(シヴァの息子),右にブラフマー(宇宙の創造者)が配置されている。中央手前の石はリンガムといいシヴァの象徴の一つである。人々は花を捧げ現世での幸せを祈る。
中には名前の特定できないものもある。例えばシヴァ神の神妃は一般的にパールバティであるが,シヴァ信仰が地域の神々を飲み込んでいった過程でウマ,ドゥルガーなど百を越える神妃ができてしまったので特定は難しい。リンガと一緒の女神はパールバティとしておくのが無難である。
デモの子どもたち
上流のつり橋に行こうとして乗り合いのリキシャーに乗った途端,子どもたちの行進に出会った。まだゆっくり動いている車から飛び降り,彼らの後をついていく。
近くの広場にはいろいろな制服の子どもたちが集まっている。何人かをまとめて撮り,画像を見せてあげると大いに喜ばれた。おかげでこの町の女生徒の制服コレクションができた。15分ほどで彼らは横断幕を先頭に通りを歩き出した。
上流のアーシュラムに向かって歩く
少し歩くと車の通行が可能な立派なつり橋が見える。そのすぐ横には渡し船が運航している。橋から上流側を見るとガンガーが山並をぬって流れてくる図式になり,とてもよい風景だ。
橋を渡ると下流側は,多くの寺院が集まっており,にぎやかな一画となっている。何人かのサドゥーに昼食代をねだられた。土産物屋ではガンガーの水を詰めた銅の容器があったので,記念に購入する。
橋の上流側は川原に大きな岩があり,サドゥーの服が干されている。クツを脱いでガンガーに足を浸してみる。冷たくて気持ちがいい。岩の上に坐って,しばらく聖地の川を眺める。
葬列が行く
ガートの近くの幹線道路で葬送の行列を見かけた。ヒンドゥーでは女性はお葬式には参加できない。棺と一緒に歩いていくのは100人を越える男たちだけだ。火葬場はガンガーから離れた寺院の一角にあった。
人々は大きな薪を運んできてやぐら状に積み上げる。遺体が乗せられ,さらに薪が積まれていく。バラモンの指示により遺族の手で火がつけられる。1時間後,まだ火は燃えているのに参列者は帰っていく。ここでは遺灰をガンガーに流すことはないようだ。
朝の炊き出し
早朝にガートに行き朝食のジャガイモとチャーイをいただく。これが見納めと聖地のガートをゆっくり見学する。この3日間を楽しく過ごさせてもらったお礼に,手持ちのコインをサドゥーやおもらいさんに渡す。
一軒の食堂の前に多くのサドゥーやそうでない人が並んでいる。列の先頭には薄いチャーイの大鍋とパンの容器がある。どうやら朝の炊き出しを待っているようだ。配給が始まると人々は争うこともなく一人一人喜捨を受け取っていた。
これがカバディなのかな
つり橋の手前に学校が見えたので立ち寄ってみた。生徒たちが校庭に出て何かに興じている。インドで盛んなカバディというスポーツである。実際の試合を見るのは僕も初めてなので注意深く観察する。
鬼ごっこと格闘技を合わせたようなもので,攻撃側の一人(中央青いズボン)が守備側の陣地内に入り,相手にタッチして無事に自陣に戻ってこられると攻撃側の得点になる。逆に攻撃側がつかまり自陣に戻れなくなると守備側の得点になる。