亜細亜の街角
ラホールの町の美しさはパキスタン人の誇り
Home 亜細亜の街角 | Lahore / Pakistan / Aug 2004

ラホール  (地域地図を開く)

インド国境まで24kmのところに位置するパンジャヤ−ブの州都,人口410万人のパキスタン第2の都市である。ムガール帝国の時代には,多くの宮殿やモスクが建てられ大いに繁栄した。アクバル大帝の時代には城砦が築かれ,城壁に囲まれた旧市街ができた。

現在,街の主要部は旧市街の南側に広がっている。そこにはイギリス統治時代に建てられたゴシックやビクトリア様式の建物が多い。1981年に旧市街の北側のラホール・フォートとシャリマール庭園が世界遺産に登録された。

ラワールピンディ→ラホール移動

ラワルピンディ(08:15)→ファイザバード(09:00)→ラホール(14:20)と280kmを豪華バスで移動する。ラワルピンディからの長距離バススタンドはファイザバードにある。新市街のGTSモスクの横にあるVARANバス(料金8Rp,30min)でファイザバードに向かう(イスラマバード行き,タキシラ行きもここから出ている)。停留所から他の乗客と一緒にぬかるみのひどい道を歩いて,バススタンドに到着する。

ラホールに行きたいと言うと発車間際の豪華バスを紹介してくれた。料金は190Rpと高いだけあって車体も座席も立派,冷房も効いて快適である。出発してじきに高速道路に入る。窓の外には緑豊かな田園風景が広がっている。

パンジャブはパキスタンとインドの穀倉地帯である。窓越しに写真を撮ろうとしたら道路脇のユーカリの木がじゃまする。こんなところになぜユーカリなんだと思いたくなるが,この木は高速道路の全区間にわたって植えられていた。

バスはラホールのどこかのバススタンドに着いた。手元の地図と照合しようにも場所が全然分からない。周囲の人々にたずねてもさっぱり要領を得ない。あきらめてオートリキシャー(三輪タクシー)で行こうとすると,100Rpとか80Rpという声がかかる。

バススタンドにたむろする性質の良くない運転手は相手にしないで歩き出す。次の運転手は50Rpというので「リーガル・チョウク」までお願いする。20分強の時間でリーガルに到着し,さて宿はどこかなとあたりを見回していると自動小銃をもった警官があそこだと教えてくれた。

唯一の安全な安宿

ラホール駅前の泥棒宿は旅行者の間では有名である。天井や壁が動いて,侵入されたという話は多い。今では唯一の安全な安宿とされているのは,リーガル・チョウクにある「Internet Inn」である。通りから入った路地にその宿はある。

怪しげで狭い階段を上ると,3階にネット・ルームがあり,そこでチェックインができる。6人ドミ(125Rp)はベッドの間隔が狭い。宿泊客は日本人と欧米人の旅行者である。ベッドはまあまあ,T/Sは清潔である。窓がほとんど無いので,風が通らず部屋の中は蒸し暑い。

旅をしていると,どこかの街で,あるいはどこかの宿で出会った人と再会することがよくある。ラワルピンディの宿で一緒だった日本人が翌日現れた。また,この部屋で一緒だった人とは,レー(ラダック)で再会することになる。

日本人2人連れは「睡眠薬強盗」の被害にあい,警察に何回か行ってきたと話していた。知り合いになったパキスタン人にマンゴー・ジュースをおごってもらい,意識を失った。睡眠薬は致死量だったので生命の危険があったとのことである。旅先では用心するに越したことはない。僕はもっぱら子どもやおばさんと知り合いになるので,そういう意味では犯罪に巻き込まれるリスクは低い。

この宿には日本人が何人かいたので3日目の夕食は自炊ということになった。といっても僕はお金を払ってお呼ばれしただけであった。ドミの上のフロアにキッチンと敷物の部屋があり,そこでいただくことにする。もちろん,ちゃぶ台のようなものは無いので,床に皿が並ぶことになる。

日本のカレールーを使用したナスカレーはけっこういける。しかし,この頃,僕の腹具合はかなり危機的状況から少し良くなったところだったので量に関しては自重する。

初日の夜の21:30から宿のスタッフの案内で地元の公民館のようなところで行われた歌謡ショーを見に行った。政府の主催なので無料と勧められ,ドミのメンバーがほとんど参加した。

会場ではパキスタンの国旗が渡され,歌が盛り上がると全員がそれを振り回す。やはり女性が出てくると盛り上がる。特にパキスタンが歌詞の中に含まれた歌では,熱狂が最高潮に達し,小さな国旗はボロボロになる。

ドミの部屋は風があまり通らないので蒸し風呂状態の中で寝ることになった。天井のファンは頼りなげに回っているだけで風は感じられない。これほど部屋の中が暑いと感じたのはラオスのビエンチャン以来だ。

きれいな町並み

ラホールの町の美しさはパキスタン人の誇りである。「ラホールより美しい町はラホールだけだ」と言われているが…。確かにラワルピンディよりずっときれいな町だった。英国植民地時代の優雅な建築物が並んでいる,教会,郵便局,博物館,駅舎…などである。それに普通の商店も個性的な建造物になっている。道路も広いし歩道も整備されている。少なくとも宿に近いこの一画には前評判に対して合格点があげられる。

ラホール駅

宿の安全と言われた水を飲んだせいか,下痢が始まった。大事をとって朝食を抜いて,バスで駅に向かう。ラホール駅とその前の庭園はいかにも英国風であった。それでも庭園の真ん中にミサイルを誇らしげに展示しているのは,軍事優先のパキスタン風というべきである。

利用客が少ないためか,キップの窓口ではみんな列を守っている。赤帽のおじさんたちもひまそうにしており,カメラに応じてくれる。

駅の南側にはバススタンドとミニバスのスタンドがある。行き先表示が全くないため勝手が分からない。おまけに人通りも多く,大混雑である。何人かに聞いてようやく「ラホール・フォート」行きのバスがみつかった。

駅前の自転車置き場

パキスタンの塔

駅から3-4kmしか離れていない「ラホール・フォート」にバスで行くのにずいぶん苦労した。着いたのは「General Bus Stand」のようだ。そこは駅前の3倍くらいの規模と複雑さである。帰りのバスが心配である。

古い城壁を見ながら歩いていくと,右側の広場の向こうにパキスタンの塔が見える。高さは60mあり,地元の人々のピクニックエリアになっている。50mくらいのところに展望台がある。しかし,今日はエレベーターは動いておらず,歩いて登らなければならないので断念した。

この建物は入り口が分からなかった

バートシャヒー・モスク

バードシャヒー・モスクはラホール門の正面にあり,世界最大級のモスクと形容されている。入り口で靴を預け,ムガール風の正門をくぐると,赤砂岩の板が敷き詰められた1辺が100mほどもある広い中庭がある。周囲は同じ赤砂岩の壁に囲まれ,正面に同じ色のモスク本体がある。

かってはここを埋め尽くすような大礼拝が行われていたのであろうか。優雅な3つのドームと四隅のミナレットの先端部のチャトリが,赤褐色の世界で白いアクセントを添えている。広場の四隅には巨大なミナレットが配されており,全体的にとてもバランスのよい建造物である。

強い陽光のため石の表面は熱く,僕の足裏では耐えられない。幸いモスク本体までは巾1mほどの布が敷かれている。モスクの内部は風が通り,その涼しさにほっとする。

観光スポットだね

この建物の入り口はやはり分からない

記念写真に便乗する

ラホール門はラホール城の入り口にあたる

ラホール・フォートの正門というべきものが「ラホール門」である。ラホールのシンボル的存在なので中も見学したかった。しかし…,例によって入場料はパキスタン人が10Rp,外国人は200Rpである。

たまたま同じドミに泊まっているヨーロピアンにここで出会った。彼もこの入場料に大いに怒り,中には入らなかったそうだ。これに比べて,ラホール博物館の展示物は質量ともにすばらしく,入場料の100Rpは納得できるものだった。

驟雨の風景

バートシャヒー・モスクから出ると雲行きが怪しい。モスクとラホール門の間にあるあずま屋に避難する。風が吹き雨が降り出した。熱帯のスコールのような激しい雨である。

地元の人々も集まり,10m四方ほどの狭いあずま屋は人であふれる。雨は1.5時間ほど降り続け,その間ここは人々の避難所になった。中にはこれ幸いと商売をする人,狭いスペースで横になる人もいる。外では子どもたちが水たまりではしゃいでいる。

雀のお宿

雨の後は

雨が上がっても水は簡単には引かない。水たまりを避けながらバスタンドに向かう。バススタンドの周辺の道路は冠水しており,車は盛大な水しぶきを上げながら走っている。

危惧していたとおり,帰りのバスを探すのに30分を費やす。線路横の道路は20cmほどの水に浸かっており,とても歩ける状態ではない。駅前の広場や道路も水に浸かっており,バスの乗り換えに苦労する。

歴史のありそうな建物が多い

4つの郵便ポスト

ラホール博物館

大雨のおかげで夜は涼しかった。夜中の2時に腹具合の悪さで目をさました。まずい,完全な下痢状態である。痛みや発熱はないので病原性のものではなさそうだ。朝まで1時間おきにトイレに通うことになった。

安全を考え,午前中はラホール博物館に行くことにする。入場料はパキスタン人の10倍の100Rpである。このくらいの格差はがまんできる。カメラ持ち込みは禁止されており,ザックと一緒に入口の横で預けなければならない。

この博物館の展示品は部屋ごとにテーマがあるようだ。細密画と絵画はそれほどのものではない。ムガールから英国時代までの銃剣類はさして興味がわかない。

モヘンジョダロとハラッパからの出土品は,ちょっと断片的な展示だ。ガンダーラ美術は充実しており,「断食するブッダ」と「悟りを啓くブッダ」は必見である。悲しいことに写真は禁止なので僕の手元に二つの像の写真はない。ネットで探して引用させていただく。

旧市街に向かう

旧市街は迷路

午後は旧市街を探検してみた。幹線道路を外れるとまるで迷路のようになっており,「探検」という言葉がぴったりだ。街中なのに荷車を引くための牛がたくさんいる。

レンガを敷いた道のそこら中に牛ふんが散らばっている。売り物の山羊が背伸びをして飼い葉桶の草を食べている。道が途切れているので目的の方向に進むことができない。

大きな通りに出て一安心である

ようやく大きな道路に出てもそこがどこなのか分からない。いくつかのモスクを見学し,腹具合のこともあり,当初の目的を達成できないまま宿に戻った。リンゴジュース,ヨーグルトなど腹に良さそうな食品を飲食したが,さて明日はどうなることやら。

インド国境

ラホール駅前(11:30)→市場(12:20)→ワガ国境(12:40)と移動した。翌朝,腹具合は回復の兆しを見せ,これならばインド国境を越えられそうだ。駅前からNo.4のバスに乗り国境を目指す。着いたところはワガではなく露店の市場であった。

ほどなくワゴン車がやってきて,「ワガ」と叫ぶので乗り込む。定員の2倍は乗せた車は東に向かい,じきにワガに到着する。道路の左の店で余ったパキスタン紙幣をインド・ルピーに交換する。

その後,右側のイミグレの建物に向かう。イミグレでドルからインド・ルピーへの両替を勧められてもレートが悪いので止めた方がいい。ざっとの計算で5%ほど悪いレートになっている。


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