亜細亜の街角
中央アジアの雰囲気をもつ国境の町
Home 亜細亜の街角 | Peshawar / Pakistan / Aug 2004

ペシャワール  (地域地図を開く)

アフガニスタンの国境まで50kmのところにある北部辺境州の州都。中央アジアの雰囲気を色濃く漂わせている。パキスタンとアフガニスタンの北部国境地域はトライバル・エリアと呼ばれ,部族の掟で律せられるところになっている。

この地域に居住しているのは,アフガニスタンの主要民族となっているパターン(パシュトゥーン)人である。しかし,なぜそこが「トライバル・エリア(部族社会)」と呼ばれるのであろうか。

ウィキペディアによると,「部族(tribe)とは,特定の地方ないし地域内に生活し,共通の言語・人種・文化などをもつ小規模な集団。民族と同義で用いられることもあれば,民族より小さい単位としてとらえるむきもある」と定義されている。

パシュトゥーン人は立派に「民族」の定義に当てはまるのに,なぜかパキスタンのある地域に居住する人たちだけを「部族」とされている。その理由はこの地域の人々が国家という近代的なシステムの枠外で暮らしているからであろう。

ベルギーにはオランダ語を使用するフラマン人とフランス語を使用するラロン人が同居しているが,彼らのことをフラマン族,マロン族とは決して表現しない。一方,多民族国家のアフガニスタンに居住しているパシュトゥーン,ハザラ,タジク,ウズベクなどの民族を呼ぶときには,ハザラ族なという表現は散見される。

国家に属さない文明化されていない集団,あるいは近代化されていない国家を形成している民族という意識が部(種)族という表現に表れている。アフリカの民族紛争においても「部族」という言葉はよく使用される。やはり,部(種)族という表現にはなんらかの差別的なニュアンスが含まれていると考えざるをえない。

一昔前は「原住民」という表現も普通に使用されてきた。これなどはまさしくヨーロッパ人が植民地の人々を指すために使用した差別用語であろう。例えばアーリア人がインドに侵入したとき,それ以前からインドに居住していたドラヴィダ人のことを「原住民」とは言わない。

現在では「先住民族」が一般的な用語として使用されている。このパキスタンの北部国境地域に居住し,ちょっと特殊な社会形態を保っている人々にも適切な表現が欲しいものである。しかし,そのような言葉は見つからないので,便宜上「部族」という用語を使わせてもらう。

パキスタンの北部国境地域に含まれているペシャワールも住民の大半がパターン(パシュトゥーン)人である。ペシャワール市街と幹線道路はパキスタンの法律が適用されるが,それ以外の地域では部族の掟が法律となっている。

外国人がふらふらと迷い込んでしまうと危険なことになりかねないので,パキスタン政府は警察官の護衛無しにはそのような地域に立ち入ることは禁止している。僕もGTロードを歩いていたとき,ちょっと横道にそれたら,「ここは外国人は立ち入り禁止だ」と注意を受けた。

アフガニスタン内戦により,国境の向こうに暮らしていたパシュトゥーン人が大量に難民となって流入した。街にはアフガン紙幣の両替店がたくさんある。この状況は米軍の侵攻によりタリバーン政権が倒れた後もそれほど変わっていなかった。変わったのはアフガニスタンの紙幣が大きな旧紙幣から新紙幣に変わったことぐらいだ。僕も記念のために新紙幣を両替してもらった。

町は東の旧市街と西の新市街からなり,その間を派手な装飾の小型バスが結んでいる。旧市街の北を走るGT(Grand Trunk)ロードはデリー,ラホール,ラワルピンディ,ペシャワールを結ぶ古代からの幹線道路である。


ミンゴーラ→ペシャワール 移動

ミンゴーラ(07:50)→ペシャワール(11:40)→新市街(12:40)と175kmを移動する。ミンゴーラのバススタンドは町の中心部から歩いて数分のところにある。雨上がりのためぬかるんだ入口のところにワゴンが止まっており,車掌がペシャワール,ペシャワールとわめいている。

この車(75Rp)に乗ったのはまちがいであった。少し幅広のワゴンとはいえ一列に男4人はきゅうくつ過ぎる。ほとんど身動きできない状態である。ただでさえも暑いのにこう窮屈では耐えられないほどだ。

何ヶ所かのバザールを通過してワゴンはGTロード沿いのペシャワールのバススタンドに到着した。ここから新市街へと移動しなければならない。近くの三輪タクシーやタクシーの運転手は新市街まで100Rpだと言う。

このようなことはバススタンドでは良くあることなので相手にしないことだ。とりあえず近くの店で7UPを買い求め,いただくことにしよう。ここのものは十分に冷えており,10Rpの甘露であった。さて,ミニバスをつかまえて,新市街に移動することにしよう。

GTロードにはパキスタン名物のキンキラバス(料金5Rp)が走っている。パキスタンではトラックとミニバスは過剰な装飾で覆われている。日本でも1970年代に「トラック野郎」という映画がヒットした。この映画では派手な絵が描かれた長距離トラックが準主役となっていた。

パキスタンの大型トラックの装飾はその比ではない。装飾にかける費用も現地の感覚からすると大変なものだ。車両価格の半分は装飾代になっているのではと思われるほどである。

装飾を担当する専門工場もあるし,専門職人もいる。ミニバスはトラックほどではないにしても,派手な外観をしている。車掌に「サダルストリート」と確認してから乗り込む。バススタンドは市街地からかなり離れているようだ。

New Mehran Hotel

予想より長い時間をかけてスネリ・マスジットに到着する。ここは新市街のランドマークになる。目指す宿「New Mehran」はその向かいにある。部屋(80Rp)は4.5畳,1ベッド,T/S付き,ベッドは清潔とは言いがたいが泊まれるレベルである。

部屋を決める時には気が付かなかったが,僕の部屋には電源コンセントが無かった。いまどきのホテルでこのようなことがあるとは…。これには困った。仕方がないのでネット屋でメールをチェックする時間にデジカメのバッテリーをチャージすることにした。そのため連日,ネット屋に通うことになった。

新市街を歩きながらネット屋を探した。最初に入ったクリーンズホテルの近くのネット屋の通信速度は非実用的な遅さであった。ヤフーのメールボックスにたどりつくまでに20分を要し,しかもそこで停電になり,何もできないまま出ることになった。

宿の西側のものは十分な速度で,日本語も対応していた。このパキスタンの外れの町でネットをすることができるとは,便利な世の中になったものだ。

ミシンの修理店

煮豆はパキスタン北西部の定番料理である

ナツメヤシの実(デーツ)がおやつとして重宝される

ナンを運ぶ少年

バザールの雰囲気

バザール近くのモスクで礼拝をする

中央郵便局は近代的な建物である

バザールで見かけた人々

巨大なメロン

ペシャワールでは巨大なメロンをよく見かけた。表皮の色と模様,中身の色からすると,ハミ瓜の系統なのかもしれない。大きいものになると50cmサイズのものもある。

売り場のおじさんに一番大きいものを持ってもらう。おじさんも大きいがメロンも大きい。屋台ではよくこのメロンを切り売りしている。何回か食べたことがあるのに味の方はよく思い出せない。確か甘みはそう強くなく,あっさりした味だったような気がする。

バザール点描

バザールの雰囲気がよく分かる

一休みもしくはおしゃべりを楽しんでいる

モスクは目立つところにあることが多い

カラフルな鳥かご屋

装飾品の店

街中にロータリーのような空間がある

オールド・バザールの雑踏

昨夜は雨が降ったおかげで気持ちよく眠れた。宿の前からキンキラのミニバスに乗り,旧市街で降ろしてもらう。ペシャワールの旧市街は全体がバザールになっている。道路は真っ直ぐではなく枝道も多い。今朝までの雨のため,道路は泥だらけになり歩くのに苦労する。

バザールの人々は気さくで陽気だ。パターン料理なのだろうか,直径1mほどの平たい浅い鍋(フライパン)で,肉とトマトを炒めている。同じ大鍋に内臓の煮込みがあるし,豆が山盛りになっている。隣には大きな金属の壺に入ったヨーグルトがある。

白いひげ,白いイスラーム帽のおじいさんが干したヤツメヤシを商っている。おじいさんが一つ取って差し出す。上品な甘さがあり,良いおやつになるだろう。商店や露天の一つ一つにバザールの顔がある。何回も「ハロー」と声がかかり,店に立ち寄ると,主人は子どもをチャーイ屋に行かせる。チャーイかカワチャーイが届けられる。

こうして午前中だけでも数杯のお茶を飲むことになる。特に布地屋からの招待が多い。彼らは商品を勧めるのではなく,四方山話をして解放してくれる。ペシャワールはチャーイ文化圏の西の外れにある。ここから西のアフガニスタンでは「カワチャーイ」が飲まれている。これは緑茶に砂糖とカルダモンを加えたものだ。あっさりとしており,独特の風味がある。

緑茶に慣れた日本人は最初少し違和感を感じることだろう。旧市街のあちこちに,緑色のポットと,真ちゅう製の大きな湯沸しを備えたお茶屋があったら,それがカワチャーイ屋である。値段は場所にもよるが1杯4Rpである。

バザールはまだまだ続く

旧市街の二つのモスク

ガンジ・アリ・カーンモスクでは英語の上手なイマームが中を案内してくれた。入口は1間ほどしかないのに,階段を上がると広い空間になっている。大理石製のプールに水が張られ,その回りは祈りの前に身を清める場所になっている。

彼は自分が若い頃旅をしたときのパスポートの記録や,373年前に建てられたというモスクの歴史と修繕前の古い写真を見せてくれた。

マハバット・カーンモスクは旧市街で一番有名なモスクで,異教徒も中に入ることができる。10年前に訪れたときは,その美しさと厳粛な雰囲気に圧倒された。入口でクツを脱ぎ,階段を上がると,大理石の祈りの場がある。

残念ながらモスクの前にはテントを張るための支柱が建てられ,美しいモスクの景観は損なわれていた。それでも巨大なミナレットと,大小のドーム,小さなミナレットを組み合わせた建物はすばらしい。

テントの作る日陰にはメッカに向かって祈る人,横になって昼寝をしている人が混在している。モスクは我々が考えるほど堅苦しい空間ではないようだ。

ナンとチャーイ

市外に出ると外国人には危険地帯となる

旧市街の城壁の一部は残されている

ミニバスの装飾工場を見にきたが・・・

再びバザールを歩いてみる

チャプリー・カバーブ

宿の周辺には「チャプリー・カバーブ」の店がある。これは羊あるいは牛のミンチ肉にタマネギや香辛料を加えて練り上げたものを,ギーの油で揚げたものである。北西辺境州の名物料理なので初日の昼食にトライしてみた。

この店の主は口ひげしか生やしていない。パシュトゥーン人ならば盛大な頬ひげを蓄えているのでパンジャーブ人なのかもしれない。注意してみると口ひげだけの人もけっこう見かける。パシュトゥーン人ばかりの町というわけではないようだ。

パキスタン北部では煮豆を扱う屋台などで巨大な鍋をよく見かけた。ここの店も直径1mほどもありそうな巨大な鉄鍋を使い,油がたまるように少し斜めにして調理している。見たところ普通のハンバーグに見えるが,やはり油で揚げたものである。

僕が1個注文すると,奥のカウンターに坐らされた。油っぽい料理は新聞紙に置かれて出てきた。う〜ん,ここには皿というものがないのか。この肉料理はナンと一緒にいただく。

もう一人の客を見ると,ちぎったナンで器用に肉をつまんで食べている。僕もそれをまねてやってみるが,経験が不足しているのでそれほどスムーズにはいかない。スパイスとタマネギを使用いているのでピリ辛,ジューシイでおいしい。これで15Rpである。安くておいしいので翌日も通ってしまった。

この町にはもうひとつ小鍋を使い,その上でヤギの内臓とトマト,香辛料を入れて煮込んだ「カラーヒ・ゴーシュト」という料理もよく見かけた。残念ながらこちらはちょっと怪しそうだったので止めておいた。今にして思えばちょっと残念なことをした。

高級ジュース店

自動車やバイクの部品店

女性の買い物客

スネリ・マスジット

スネリ・マスジットで夕方の祈りが始まった。僕の泊まっている宿はすぐ前なので,人々にお祈りを呼びかけるアザーンが良く聞こえる。時間をチェックしてみると1日5回,04:00,13:00,17:30,19:15,21:00である。

ペシャワールでは異教徒の僕がモスクに入っても何の問題もない。この日もお祈りの時間に後ろから撮らせてもらった。かなり暗くなっているがさすがにフラッシュは使えない。人々の動きが止まる瞬間が撮影タイミングだ。

カワチャーイ屋

キンキラミニバスに乗って旧市街に向かう

街の交通機関の主役は派手な飾りをつけたミニバスだ。GTロード沿いのハジーキャムには大きな修理工場があり,数百台のミニバスが並んでいる。僕は装飾トラックの専門工場がここにあると聞いてやってきたのであるが,あったのはミニバスの修理工場であった。これは失敗であった。

街を走っているバスの本数も半端ではない。宿の前では少なくとも2分に1台はバスが来る。乗り降りで時間がかかるとすぐに4台くらいが並んでしまう。宿の前を走るバスはほとんど旧市街を通るので移動はとても楽だ。今朝も5Rpを払い旧市街に向かう。

野菜売りの少年

パン焼きの風景

カントメント駅前に展示されてるミニSL

馬車も現役で活躍している

このミニバスはもっとも華やかな装飾であった

サダル・バザールの南側

サダル・バザールの南に線路がありその向こうにも街は広がっている。女性服の飾り付けをする店が並んでいる。スパンコールやビーズを男性職人が丁寧に縫いつけている。

染物の店では簡単な絞り染めをしているのを見学する。カメラを持っているとじゃまな男の子が集まってくる。「名前は?」「年齢は?」「どこから来たの?」などなど...,この種の定型的な質問に答えているとキリがない。でもときどきかわいい女の子に出会えることもある。

子どもたちの写真を撮る

ずいぶん毛並みのよい羊である

頭をマッサージする


ミンゴーラ   亜細亜の街角   ラワルピンディ