ウブッはデンパサールの北20kmほどのところにある小さな村であるが,現在では近隣のプリアタンやマスなどを含めた地域全体がウブッと呼ばれることが多い。ウブッのスペルは「ubudo」ではなく「ubud」であり,現地の発音はウブッに近い。バリの芸能・芸術の中心地として急速に観光化が進んできた。
20年前に訪れたときはまだ緑豊かな村であり,夜のバリ舞踊を見た帰は暗い夜道を歩いて帰ったものだ。現在では「Jalan Monkey Forest」や「Jalan Raya Ubud」は土産物屋やホテルが立ち並び,夜でも明るい通りになっている。観光化の波は押しとどめようもないが,その中でもウブッ本来の豊かな田園はまだ残されており,今でもほっとできる風景や人々と出会うことができる。
レンバルのフェリー港
09:45にブラマ社の宿の前に到着した。乗客は僕を含めて二人である。これではシャトルバスは赤字だろう。バスは30分ほどでレンバルのフェリー乗り場に到着する。すでに下の甲板には車が入っているので,その間をすり抜けて上部船室に移動する。
狭い水路のような湾を抜ける
レンバルの港はロンボク島南部から西に伸びる半島の付け根のところにあり,船はU字を描くようにして湾から外に出る。湾内は半島でインド洋から遮られているため波は穏やかであるが,半島を過ぎると波が出てきて船は左右に揺れるようになる。ときどき大きな波がぶつかり,その振動が伝わってくる。視界がよくなくバリの聖山アグンはかすんでいる。
フェリー内は座敷の人気は高い
船内はけっこう混んでおり,なんとか座敷でスペースを確保することができた。生活スタイルからであろう,子ども連れの女性はほとんど座敷に集まっている。
4時間ほどでバリ島に到着する
バリ島のバタンバイには14:30くらいに到着したが,港湾施設が混雑しているため30分ほど待たされた。港を出たところにブラマ社の事務所がある。シャトルバスは16:30に出るというので1.5時間ほど待つことになる。ここから出るシャトルバスの乗客はやはり二人であった。運転手はギヤ・シフトが面倒らしく2速で走り続けるためエンジン音がうるさい。
ウブッまでの景色はそれほど良いところはない。ブラマ社のウブッ事務所はモンキーフォレストの東側にあり,中心部のビナ・ウイスタまでは1.5kmほど離れている。バイタクの運転手は1万ルピアと主張するので首を横に振ると,「いくらなら乗るんだい」と聞いてくる。これは彼らの常套手段であり,ある程度地元価格を知らないと高い金額を自ら提示することになる。僕が5000だねと答えるとその値段になった。
アノム・バンガロー
バイタクで通過したモンキー・フォレストはブティック,土産物屋,宿屋などが立ち並び20年前の面影はない。それでもクタに比べるとにぎやかさの中にも落ち着きがあり,往時のよさはまだ失われていない。アノム・バンガローはすぐに見つかった。敷地内には母屋と3棟の独立した宿泊施設がある。僕の部屋(朝食付きで5万ルピア)は8畳,2ベッド,トイレ・シャワー付きで清潔である。
天井はなく屋根と梁がそのまま見える。その上を暗くなるとトッケイが走り回るのはご愛嬌だ。06時に起床,あたりはまだ薄暗い。6月のインドネシアは冬にあたり,長袖のジャージーを着て,シーツを被り気持ちよく寝ることができた。この宿を経営しているのはガイドブックの写真のおばさんから息子さんに移っているようだ。
朝食をお願いするとパン,オムレツ,果物,コーヒーという立派なものが出てきた。オムレツの味はすばらしいし,果物もずいぶんたくさんある。このような朝食を部屋の前に置かれたテーブルでとることができ,朝からとても幸せな気分である。洗濯物は隣のランドリーにお願いする。1kgで1.5万ルピア(150円)はバリ島では妥当なところだろう。
ビナ・ウィサタ
旅行案内所のビナ・ウィスタは立派な建物になっていた。ここで島内ツアーおよび夜の芸能プログラムのまとまった情報を入手することができる。もっともここは旅行会社のようになっており,今日はこのツアーが出るよと勧誘が盛んだ。しかし,天気が良くないので今日は近場を歩くことにする。芸能鑑賞は毎日数か所で行われており,滞在中に3つくらいは見れそうだ。
ウブッ王宮(Puri Saren Agung)
ジャラン・ラヤ・ウブッを挟んでビナ・ウィスタの向かいにウブッ王宮がある。ここはT字の交差点になっており,南に向かう通りが「Jalan Monkey Forest」である。この交差点がウブッの中心部ということになる。この交差点から1kmほど東にアンドンの交差点があり,そこからから南に向かうとプリアタンとなる。
プリアタン王宮からなんとなく西に向かうとモンキー・フォレストに出るので,この一周すると3-4kmの道を歩くとウブッの全体像をつかむことができる。もちろん気になるところでは寄り道をしたり,脇道に入ると必ず新しい発見があるのも楽しい。まず,近くのウブッ王宮を見学することにする。通りに面したカーラとラクササ(魔除けの魔人像)が守る門をくぐり,王宮の敷地内に入る。入場料はない。
サラスワティの石像
王宮の敷地内にはみごとなサラスヴァティーの石像があった。地元の発音は「サラスワティー」のようだ。ヒンドゥーでは芸術,学問を司る主要な女神であり,(あまり知られてはいないが)三大神の一人であるブラムマーの神妃とされている。
日本では七福神に含まれる弁才天(弁財天)として親しまれている。2本の腕には数珠とヴェーダ(バラモン教の経典),もう一対の腕には琵琶に似た弦楽器を持ち,クジャクもしくは白鳥を乗り物としている。バリ島では勉学の女神と位置付けられており,学校の校庭や正門近くにはよくサラスワティの石像が飾られている。また,王宮の西側にはサラスワティ寺院がある。
西洋の影響がこんなところにも
王宮の敷地内にはギリシャを思わせる彫像もある。個人的にはずいぶん場違いな感じを受ける。しかし,プリアタンで見かけた同様の踊り子の像は意外と周囲の風景に対して違和感はなかった。
ガルーダかな
この像はおそらくガルーダであろう。ロンボク島のマタラムでも同じような彫像を見ており,そのときは背後に続く階段の手すりが蛇の尾のようになっていたのでナーガであろうと判定したが,前の部分はこの像とそっくりなのでガルーダだったのかもしれない。
あらゆるところに魔人像が並ぶ
王宮,寺院,一般の家屋,商業建築物などあらゆるところに魔除けおよび災厄を退けるための「ラクササ」という石像が置かれている。魔物や悪霊を寄せ付けないためラクササは力強い体と恐ろしげな顔つきとなっている。
同一の起源をもつかどうかは分からないが,このような魔除けの像あるいは造形は日本にもよく見られる。寺院の門の両側を飾る仁王像,神社の狛犬,鬼瓦,沖縄のシーサーなどはすべてこの範疇に入るものだろう。
この造形はタイの仏教寺院にもある
内側の門に付いている扉は金色の神像がレリーフのように取り付けられており,それはタイの仏教寺院でよく見かけたものである。
木の上に小さな祠がある
王宮の横を北に向かう「Jalan Suweta」を歩いてみる。「Jalan Raya Ubud」の北側はそれほど観光化は進んでおらず,場所によっては水田の風景なども見られる。「Partai Golkar」と表記のある寺院があった。さすがにウブッの一部とはいえ,この辺りになると観光客の姿は少なくなる。
この寺院にはバリには珍しい三角屋根の建造物がある。その両側には普通の門があるので,この三角屋根のものが正門という位置づけなのだろう。近くには大きな榕樹の上に祠が取り付けられている。まるで大きめの鳥の巣箱のようだ。
玉座に向かって水をかける儀礼
木の根元にも祠が設けられており,その上部はイスの形をしている。この木の近くには屋根のついた塔状の建造物が並んでおり,やはり屋根の下はイスの形状となっている。バリ島では山は神々がその玉座として造ったと言い伝えがあり,それはヒンドゥー以前にジャワ島にあった山岳信仰を引き継いだものであろう。
ブダンダによるバリ・ヒンドゥーの正式儀礼により,神々は一時的に塔状建造物の玉座に降臨し,儀式の終了とともに山に戻るとされているの,このような主のいない玉座はふだんの儀式の中心となるものである。一人の女性が供物と聖水の器をもって現れ,それぞれの玉座にむかって指先につけた聖水を振りまいている。
これも見事なガルーダの像だ
ここにも見事なガルーダの石造がある。ガルーダの下にも正体不明の動物の頭部があり,バリの石造は人々の想像力を最大限に働かせた造形に満ちている。
竹製の風鈴
バリには多くの素朴な生活用具があり,それらは観光化とともに民芸品として土産物になっている。左のものは日本の感覚から「竹製の風鈴」と表現した。ココナッツの殻を二つに切り,そこから何本かの竹筒をぶら下げる。竹は異なった長さになっており,先端部は音を良くするため下半分が竹べらのように切り取られている。
ココナッツの殻の中央から竹の部材が吊り下げられており,その上部には竹筒に当たるように円盤状の木片が取り付けられている。吊り下げられた竹の部材が揺れると,木片も揺れ,周辺の竹筒に当たり柔らかい音を出す。しかし,本来は他所の家を訪問するとき,門や軒下に吊るしてあるこの道具から下に伸びている竹片を振って音を出し,来訪を知らせる優雅なドア・チャイムであったようだ。
立派なお堂
「Jalan Suweta」の周辺には他にも多くの寺院があり,一つ一つをていねいに見ていくわけにはいかない。中には集落の寺院なのか個人宅の寺院なのか分からないようなものもある。寺院内にある屋根のある塔状の建造物にはオープンタイプで玉座があるものと壁面が囲われているものがある。正式な呼び名が分からないので前者を「玉座」,後者を「お堂」と呼ぶことにする。
この寺院のお堂は立派なものであり,内側には本尊が収められているように見えるが,文献によると何もないらしい。この構造も玉座と同じ考えであり,神々は山におり,儀式によりお堂の中に降臨するという考え方らしい。
彩りの供物
立派なお堂の近くには彩りの供物が置かれていた。木鼓(もっこ)の音がするので路地に入ってみる。木鼓は丸太の長手方向の一部に穴を開け,内部をくりぬいた太鼓であり,楽器だけではなく,音が遠くまで届くことから通信手段としても利用されていた。
個人宅内にある一画には多くの供物が集められていた。すでに儀礼は終了しており,食べられる供物は回収され,残りのものは燃やされることになりそうだ。この一画の写真のお礼に子どもたちにヨーヨーを作ってあげると食事が出てきたのでありがたくいただく。ごはんとチキンという取り合わせはインドネシアではもっともよくいただいた食事の一つである。
Jakan Monkey Forest
ここで水のボトルを忘れたことに気づき,宿に戻る。午後は南に向かう「Jakan Monkey Forest」からプリアタン方面を歩いてみた。「Jakan Monkey Forest」は昔の面影はほとんど残っていない。こぎれいなブティックや土産物屋,スパなどが軒を連ねている。20年前と大きく異なっているのは車とバイクの多さである。交通が激しいので道路を横断するのが大変と感じるほどだ。
土産物屋の店先
土産物屋の店先を何軒か覗いてみると売れ筋の商品が分かる。
最近のバリ絵画
最近のバリ絵画にはこのようなものもある。大胆に金色をあしらい,まるで狩野派の屏風絵を見ているような感じを受ける。
スパの店先にある水盤
スパの店先にある水盤に花びらや葉を並べてすばらしい絵を見せてくれた。水に浮かべる絵とは秀逸な発想であり,バリ人の感性の豊かさを感じる。僕はまだスパなるものを経験したことがない。本来は療養目的の温泉をさす言葉であるが,最近では大規模な入浴施設やエステ的な要素を取り入れたものなどがあり,バリのものは写真を見ている限りではエステに近いようだ。ともあれ,見事な水面の造形を写真にする。
この店先の供物も凝っている
商店などの店先に置かれているお供え物は彩りも鮮やかでバリ人の美意識の高さを感じる。もちろん,本家のインドにも神々に対する供物はあり,同じように花も利用される。しかし,バリのように供物自身に美を求めるという考えはなく,明らかにそれはバリ人の感性によるものだろう。
モンキー・フォレスト
「Jalan Monkey Forest」の終点はちょっとした森になっており,尻尾の長さを除くとニホンザルに似たサルがたくさん住んでいる。彼らは近くのお堂に備えられている供物を目当てによく森の外までやってくる。森の奥にも寺院があり,通りから少し降りたところには料金所がある。そういえば20年前もここは有料だったような気がする。
料金所の近くにはサルにあげるためのバナナが売られている。この森には200頭ほどのサルが住んでおり,人々の餌付けにすっかり慣れていることだろう。中には観光客の持っているバナナや他の食べ物を奪い取るものも出てきているのではと想像する。インドではしばしばハヌマーンの略奪現場を見ている。
水田の風景が残されている
モンキー・フォレストには入らず東に折れ,プリアタンを目指す。この道の周辺にも土産物屋が進出してきている。それでもところどころにはバリ本来の水田の風景も見られる。ちょうど稲の開花の時期であった。田植えで植えられた苗は成長するといくつかの茎に分けつする。さらに成長すると茎から穂が顔を出す。これが出穂(しゅっすい)である。日本では田植え後90日くらいで出穂する。じきに花が咲く。稲の(自家)受粉はほんの2-3時間で完了し,花はすぐ閉じてしまう。そのため花が見られるのはほんの一時期だけである。
ワリンギンの木
プリアタン王宮の道標となっている大きな「ワリンギン」の木が見える。ワリンギンはバリの呼称であり,一般名称は「榕樹,ベンガルボダイジュ,ガジュマル」となる。ベンガルボダイジュ(Ficus benghalensis)とインドボダイジュ(Ficus religiosa)は同じクワ科の類縁種の植物であり,形態も似ている。しかし,インドボダイジュは仏教の聖木,ベンガルボダイジュはヒンドゥー教の聖木と色分けされている。
「ワリンギン」はバリ島では神木とされているが,インドネシアの国章の中にも含まれている。ガルーダの中央にある盾の右上のものがベンガルボダイジュ(インドネシア語ではberingin)である。枝から垂れ下がる多数の気根が地面に達すると幹に成長することから,多くの民族や文化を気根に例え,インドネシアの統一を表すシンボルとしている。
プリアタン王宮(Puri Agun Periatan)
プリアタンの王宮は「Jalan Raya Peliatan」を挟んでプリアタン王宮とプリ・カレラン(北の王宮)に分かれている。プリアタンはバリ芸能の中心地とされている。国際的に高い評価を受けている「グヌン・サリ」と「ティルタ・サリ」という二つの舞踊団があり,そのどちらもプリ・カレランに属している。
この二つの舞踊団の創設者がプリ・カレランの当主であった故マンダラ氏である。彼はガムラン音楽とバリ舞踊を国際的な評価を受けるまでに洗練されたものに育てた。現在でもプリアタン王宮およびその西側のバレルンステージでは火曜日にレゴンダンス(少年少女),木曜日にケチャ,金曜日にレゴンダンス(ティルタ・サリ,),土曜日にレゴンダンス(グヌン・サリ)の公演が行われる。
木彫りのギャラリーにて
プリアタンはまた木彫りでも有名なところであり,ところどころに工房もあり,木を削っている姿を見ることができる。アンティークの木彫りの店の前にはナーガに乗った身分の高い人々の一団があった。この造形は16世紀にジャワ島のヒンドゥー王朝が倒れ,その一部がバリ島に逃避した時の様子を彷彿とさせる。
バリ島の木彫りのレベルは高いく,一点物の高級品は(値段相応になるが)趣深いものが多い。現在のバリ島の木彫り商品は高級品と量産品に区分される。土産物屋の店頭に並べられているのはほとんどが大量生産の品物であり,その多くは家内工業のような工房で生産されている。このような人々の収入は1日当たり数ドルというレポートがCIFORという森林環境NGOから出されている。
店頭に大量に並べられているかわいい木彫りのネコ,カエル,果物などはそのようにして生産されたものである。職人の収入が安いとはいえ,彼らの生活を支えているのも事実であり,木彫りのための用材の確保(相当量は他の島から輸入している)と合わせ,持続可能なものであり続けてもらいたいと願う。
ペナタラン・タンデ寺院(Pura Penataran Pande)
プリアタン王宮のから北に向かって歩いているとペナタラン・タンデ寺院があった。これほど立派な寺院がガイドブックに載っていないのはちょっと問題であろう。まあ,それくらいウブッの周辺には村や個人の寺院がたくさんあるということでもある。バリの石像の多くはとても柔らかい砂岩が使用されているので,このように精緻な加工が可能になっている。逆に柔らかさのため風雨による浸食を受けやすく,石像といえども耐久消費財となっている。
子どもたち
通りに面した家のベランダにソファーが置かれており,女の子が二人で遊んでいる。カメラを向けるとピースサインで応えてくれた。画像を見せてあげると大喜びで,家の中にいる子どもたちを呼んできた。総勢6人になる。もちろんこの子たちがみんなこの家の子どもということではないだろう。写真のお礼にヨーヨーを作ってあげるともう一度大喜びされ,何枚かの写真を撮ることになった。
このスタイルの木彫りはたくさんあった
現在のバリ島の木彫りのお土産でもっとも人気があるのは猫のようだ。多くの店頭には猫の像が並べられている。これを見るとバリ人は猫好きのように感じられるが必ずしもそうではないようだ。一般的にはイスラム教徒のジャワ人は猫好き,ヒンドゥー教徒のバリ人は犬好きとされている。個人的な体験では村を歩いているとやはり犬の方が(大きいこともあり)よく目につく。バリ人に言わせると「本当は犬の方がいいんだけれど,観光客には猫の木彫りが人気なので作っているだよ」ということになるのかもしれない。
ロータリーにはこんな像も
「Jalan Raya Peliatan」を北上すると「Jalan Raya Udud」との交差点に出る。この北側の地域をアンドンというので,ウブッに住んでいる日本人はここをアンドン交差点と呼んでいるようだ。この交差点はちょっと変則のロータリーとなっており,大きな「弓を引く人(正式な呼称は不明)」のモニュメントがある。この像は比較的新しいものだという。モチーフの由来は調べきれなかったが,雰囲気はラーマーヤナ物語のように思われる。
ダラム・プリ寺院|火葬が行われている
アンドン交差点から西に折れるとこの地域の幹線道路「Jalan Raya Udud」となる。ここを1ブロック歩くと交差点の手前にダラム・プリ寺院がある。ここはまだプリアタンの一部であり,死者の霊を祀る寺院とされている。通りから2mほど高くなった石垣があり,入り口は交差点を回り込んだ西側にある。入ったところは広場になっており,右に二層屋根で壁の無い大きな建物,正面に割れ門と玉座のあるお堂がある。
広場の中央には石造りの方形の基壇があり,それが常設の火葬場となっている。この構造は大小の差はあるもののインドの火葬場とほぼ同じである。そこでは火葬が行われていた。基壇の上に竹やぐらが組まれ,その下に棺が置かれている。火勢はそれほど強くなく,やぐらの上に取り付けられた屋根状の骨組みも焦げることはなかった。
ダラム・プリ寺院|お葬式に集まる
人々は周辺の石垣や段差のあるところに腰を下ろして眺めている。もちろん地元の参列者は正装である。日本の葬式に比べるとバリ島のものには暗さがない。それは死をどのようにとらえているかという宗教観によるものであろう。仏教やキリスト教においては死は生の終焉であり,葬式は生きている人と亡くなった人を分ける儀式である。
それに対してバリ・ヒンドゥーでは輪廻が信じられており,死は輪廻という連続した生の中の一つの節目であり,新しい生の始まりととらえられている。ここでは死は故人との永遠の分かれを意味するものではなく,身近な新しい生としてつながっていくものと考えられている。このように輪廻の考え方では死は新しい旅立ちととらえることができるので嘆き悲しむ必要はないのであろう。
お葬式の供物
何を意味するものかは分からないがユニークなお供え物があった。このお供え物の背後には小さな祠のようなものが置かれている。
子どもたちはちょっと退屈
火葬の儀式には子どもたちも正装で参列し,壁の無い大きな建物の床に座っている。火葬は時間がかかるので子どもたちはじきに退屈する。二人の女の子が手をお互いに打ち合わせる遊びをしていた。これは日本の「手遊び」と同じである。お互いのタイミングをとるために歌いながら行ない,僕の知っているものは「せっせっせ ぱらりとせ 夏も近づく 八十八夜 トントン…」で始まる茶摘み歌であった。
日本各地でいくつかの替え歌もあったようだ。テンポは最初はゆっくりであるが次第に早くなり,そうなると手の動作はなかなか大変になる。スマトラ島でも同じ遊びを見ており,インドネシアでは広く行われているもののようだ。この子たちの写真を撮ると,退屈していた子どもたちはみんな集まってきて集合写真や個別写真を撮ることになった。
骨を拾う
火葬が終了すると遺骨は波型のトタン板の上に集められ,参列者はそこから遺骨を拾い集める。日本のように箸はないので手でつまむことになる。このような光景を近くで見たり,写真を撮ってもまったく苦情は出ない。バリのお葬式はとても明るく開放的である。この遺骨を拾う儀式は地元のカメラマンもずいぶん熱心に撮っており儀式のハイライトの一つのようだ。
ヒンドゥーにはお墓は無いはずだが…
拾われた遺骨はちょっと立派な小さな棺のようなものの前で浄めの儀式もしくは先祖への挨拶をしてから,衆人注視の中ですり潰され遺灰になる。この儀式も地元のカメラマンもずいぶん熱心に撮っていた。これでお葬式は滞りなく終了し,参列者はそれぞれ家路につく。遺灰は内輪の儀式を経てバリの海に散骨されるのだろう。