亜細亜の街角
ハードに観光していた
Home 亜細亜の街角 | Ubud / Indonesia / Jun 2009

開会|会場を浄める

旅行案内所のビナ・ウィスタでは島内ツアーおよび夜の芸能プログラムのまとまった情報を入手することができる。ウブッの周辺では多くの芸能の催しがあり,ビナ・ウィスタの情報一覧表には毎日7か所くらいの催しが記載されている。その気になれば毎晩異なった芸能を鑑賞することができる。料金も5-10万ルピアの範囲であり,ほとんどのものは8万ルピア以内である。

今日は月曜日なので「Sadha Budaya」の「Legong Dance」に決定する。場所はウブッ王宮のオープン・ステージとなっている。その他にも各地でケチャ,バロン,ワヤンなどを鑑賞することができる。日中は色彩に溢れているウブッ周辺も夜間は暗い空間となり,その中ではステージの華やかさとガムランの音色が際立つことになる。

welcome dance

会場はウブッ王宮,開始時間は19:30である。オープンステージなので空模様と相談しながら「今日は見に行くか」ということになる。チケットはビナ・ウィスタでも会場の入り口でも購入することができる。特に定員というものはないようなので,良い席を確保しようとするなら30分ほど前に行くのがよい。

会場は王宮の中庭であり,建物の入り口に当たる門の前に緋毛氈(フェルト)が敷かれている。この上で舞踊が行われ,観客はその周囲から見学することになる。前列は座り,後ろはイス席のことが多い。ガムランの楽隊は緋毛氈を挟んで門の両側に並んでいる。踊り子は王宮の門から現れ,ひとしきり踊り終わると同じ門から退出する。

最初におばさんが聖水を入れた容器を持って現れ,会場を浄め,祝福する。ガムランの導入演奏があり,最初の踊りは数人の女性が優雅に舞い,周囲に花びらを振りまく「Gabor」から始まる。観客に「よくいらっしゃいました」と挨拶をするような踊りなので「welcome dance」とも呼ばれる。本来はプスパ・レスティ(Puspa Wresti)といい,寺院の儀式で神の降臨を迎え入れるための踊りである。

ガムラン奏者

ガムランの奏者は30人ほどでおそろいの衣装に身を包んでいる。バリ男性の正装とはウダン(頭に巻く布),サロン(腰に巻く布),サプッ(サロンの上に巻く帯),サファリ(上着)であり,オダラン,祝い事,お葬式などTPOに合わせて色や柄が決まっているようだ。ガムラン演奏の場合はお祝いごとに準じているのかウダンは金糸の入った華やかなものであり,上着は小さな襟のついた色物である。耳にプリメーラの花をつけているのはバリ流の美意識であろう。

バリス

本来のバリスはオダランのような寺院儀礼で行われる戦士の踊りであり,複数の男性が同じ衣装で参加するものであった。バリの男性はバリスが踊れるようになって一人前と云われるほど重要なアイテムであった。

観光客用の芸能プログラムでは一人の男性(多くは少年)が演じる舞踊となっており,独特の指の動きや足さばきは女性の踊りとはずいぶん異なっている。激しい動きの間にわずかな間があり,それほど明るくない会場でもきれいな写真になる。

レゴン・クラトン

レゴン・クラトン(Legong Kraton)はバリ舞踊の中で最も華やかで美しいものであり,王宮舞踊として伝えられてきた。三人の華やかな衣装の女性によって演じられる物語であり,「BALITRVELAND」には次のように説明されている。ジャワ島のダハ王国の皇女ランケサリは森のなかに迷い込んだところをラッサム王に助けられる。美しいランケサリにラッサム王は求婚するが,ランケサリにはすでに許婚がいたため拒否する。

これに激しく怒ったラッサム王はダハ王国に侵略を決めるが神鳥ガルーダが現れ,「この戦いに敗れ死んでしまう」と予言するが,ラッサム王は決意を変えず戦いに向かう。この中で「チョンドン」と呼ばれる侍女とガルーダの二役を演じる踊り子がグループ一の花形で見事な踊りを披露する。

僕には三人の踊り手の役どころは理解できなかった。三人のうち一人は赤系の衣装,二人は緑系の衣装を身に付けており,赤系の衣装の女性の出番が多かったので,おそらく彼女がトップ・ダンサーなのであろう。今回のプログラムのハイライトとともいうべきパートである。しかし,悲しいかな素人の知識ではなにがどうなっているのか分からず,きれいで優雅なダンスという印象しかない。

オレッグ・タムブリリガン

プログラムには写真付きで踊りの内容が記載されているが,どうも僕のチェックが甘いのか,レゴンのあとに続く女性の踊りは識別が難しかった。このパートは(おそらく)オレッグ・タムブリリガンであろう。比較的新しい創作舞踊であり,ミツバチの求愛を表現しているとされている。

ミツバチは社会的な昆虫であり,一つの群れ(巣)で産卵できるのは女王蜂だけである。新しい女王が誕生すると古い女王は働き蜂の1/3ほどを引き連れて巣箱から出ていく。新しい女王は羽化後,1週間ほど経つと交尾のため一度だけ巣の外に出る。新女王は他の巣のオス蜂が集まっているところに出向き,数匹のオスと交尾する。ミツバチの求愛はこの時だけの行動であり,新女王は生涯の産卵に必要な精子をため込んで巣に戻る。

仮面舞踊(トペン・ダンス)

バリでは仮面を被って演ずる舞踊がたくさんあり,一般的に仮面舞踊(トペン・ダンス)と呼ばれる。神秘的な性質をもっており,寺院における儀礼などでも奉納される。今回のプログラムは老人の仮面を着けた踊り(Topeng Tua)であり,踊り手がゆったりとした動きで,老人のしぐさを表現する。しかし,レゴンの華やかさに比べるとずいぶん地味である。

出演者の挨拶

日が落ちると急に涼しくなる

6月末のインドネシアは冬にあたる。日が落ちると昼間の暑さはウソのように涼しくなる。長袖のジャージーを着て,シーツを被り気持ちよく寝ることができる。

06時に起床するとまだ薄暗く,06:30になってようやく外に出るかという気になる。今日も雲は多いが昨日より状況は良さそうだ。部屋の前のテラスでのんびりと朝食をいただく。僕の朝食時間帯は07時頃なので,旅行中はなにかと食堂探しに苦労する。ここではその頃にちゃんと朝食が出てくるのでありがたい。

ウブッ市場|色鮮やかなお供え物

ビナ・ウィサタに行き島内ツアー情報を確認する。今日も「キンタマーニ・ブサキ寺院」ツアーは出ているので申し込む。料金は14万ルピア,所要時間は09-16時であり,下記のポイントを回る。ツアー料金には寺院などの入場料は含まれていないので個人的に支払うことになる。
(1)ゴアガジャ(石窟寺院)
(2)ティルタ・エンプル寺院(聖なる泉のある寺院)
(3)ペネロカン(バトゥール湖ビューポイント)
(4)ブサキ寺院(バリヒンドゥーの総本山)
(5)ブキット・ジャンビル(アグン山と棚田のビューポイント)
(6)クルンクン(ゲルゲル王朝の都)

ウブッ市場|朝食の露店

出発までは1時間弱あるので近くのウブッ市場を見学する。この市場は観光化されたウブッにありながら,まだまだ庶民の暮らしを支える役割を失っていない。この時間帯はここで商売をしている女性や他の人たちが朝食を買い求めにやってくる。そのため,ごはんとおかずを並べた何軒かの露天が出ている。

ごはんは竹で編んだ大きな容器に入れられている。日本のおひつは余分な蒸気は外へ逃がし,必要な水分を逃がさないのでごはんがおいしいとされている。それに対して東南アジアではごはんの食べ方やおかずとの関係でごはんの水分はより少なくする必要があり,このような理由から通風性のよいものが使用されているのだろう。

ウブッ市場|お供え物の製造販売

バリ島では一般の家庭,寺院,商業施設などあらゆるところで「チャナン」と呼ばれるお供え物を見かける。ヤシの葉で編まれた小さなお皿の上に色とりどりの花が盛られている。

バリの女性たちは毎朝,家庭によっては夕方にもこの供物を敷地内の決まった場所に置き,神々に捧げる。しかも,そのような場所は一箇所ではないので,毎日ぼう大な数の供物が必要となる。市場ではそのような需要を賄うだけの供物が売られている。売り子のおばさんは露天の台の上でお供え物をひたすら作っている。

ゴア・ガジャ|全景

09時少し過ぎに運転手がやってきた。今日のツアーの参加者は2人かと思っていたら,途中で2人,ゴア・ガジャでさらに2人が加わり総勢6人のツアーとなった。一行の国籍はオーストラリア,ニュージーランド,ヨーロッパとなっている。バリ大好きの日本人は個人ツアーか日本語ガイドのつくツアーを利用しているようだ。

僕はこのような現地ツアーにはよほどのことがないと参加することはない。やはり,自分で公共交通機関を利用し,のんびり見学するのが性に合っている。とはいうものの観光化の進んだバリ島内をベモで移動するのはけっこう大変である。ジャワ島からフェリーでギリマヌッに到着し,そこからバスとベモを乗り継いでデンパサールに移動するときはずいぶんいやな思いをした。

ゴア・ガジャ|容器から水が落ちている

ゴア・ガジャはプリアタンから東に4kmほどのところにあるヒンドゥー教の遺跡である。11世紀に造営されたと考えられており,バリでは珍しい石窟寺院である。現在はその最奥部にリンガが祀られている。洞窟の左右にはいくつもの横穴があり,造営当時は仏教の石窟僧院のように僧侶の瞑想や修行の場となっていたと推察されている。

ジャワ島ではヒンドゥー教と仏教が共存していた時期があり,バリでも仏教の影響の強いヒンドゥーの時代があったのかもしれない。石窟寺院は平地から立ち上がった北向きの岩の斜面に開窟されてもので,その手前は整地され,沐浴場がある。この時期も現在と同様に水に対する信仰があり,6体の女神像が持つ容器から水が流れ落ちる施設となっている。現在もわずかに水がたまっており,魚が泳いでいる。

ゴア・ガジャ|石窟

石窟の入り口には寺院の入り口上部にあるカーラのような恐ろしい形相の魔物像が彫られており,石窟に入るときはこの魔物に飲み込まれるような構図となる。この魔物が何を題材にしているのかはいくつかの説があり確定していないようだ。石窟の入り口の両側にはラクササ像が置かれており,近くにはお堂やメルもあるが,造営当時のものかどうかは分からない。

ゴア・ガジャ|本尊は三体のリンガ

石窟の内部は狭い通路となっており,その両側には同じような大きさの横穴が穿たれている。これは仏教の僧侶が瞑想や生活のために利用した空間と類似している。大きさはずいぶん異なるが,このような構造はインドの石窟寺院にも見られる。通路の最奥部に小さな空間があり,その右側には三体のリンガが,左側にはガネーシュの像が置かれている。

ゴア・ガジャ|巨大な板根

ゴア・ガジャの背後は森,道路を挟んだ前面は水田となっており,時間があったので森を歩いてみた。巨大な板根をもつ木があり,ちょうど子どもが座っていたので大きさの比較のため一緒に撮らせてもらった。近くには石切り場もあり,巨大な岩や,一部を加工した石がころがっている。眼下には木立の間からひょうたん型の沐浴場のような施設が見え,観光客の姿も見える。僕は森の雰囲気が感じられたのでもう十分と集合場所に戻る。

ティルタ・エンプル寺院|ラクササ像

ゴアガジャから30分ほどでティルタ・エンプル寺院に到着する。ところがパンフレットにはタンパック・シリン(Tampack Siring)と記載されている。帰国後にチェックするとタンパック・シリンとはこのあたりの地名のようだ。

ティルタ・エンプル寺院|聖なる泉

ティルタ(聖なる水)・エンプル(泉)の名前の通り,この寺院には湧水量の大きな泉があり,その水は聖なるアグン山から地下水となって流れてきていると信じられている。地形から考えると僕にはバトゥール湖が水源となっているように考えられる。山に降った水の一部は地下水となり,20kmほど離れたこの地に噴き出している。

写真のタイトルは「聖なる泉」としたが本当の泉は水の落ち口の奥にある大きな池であり,そこからの水が流れ出ている。この本当の泉の写真を撮れなかったことはとても悔やまれる。水はとてもきれいであり,僕も口に含むことができる。人々は寺院の参拝の後にここで沐浴する。大人の腰ほどの深さの水は底に敷いた玉砂利のせいか,うっすらと青色に輝いている。

ティルタ・エンプル寺院|聖なる水で浄める

この聖なる泉にまつわる伝説もあり,水には不思議な力が宿っているとされ,多くの人々が参拝に訪れ,その後に沐浴をする。12個の水の落ち口が並んでおり,人々は向かって左から順に水を浴びながら移動していく。

ところがこの寺院が観光地となってしまったため,多くの観光客が訪れ無遠慮に沐浴風景の写真を撮るので,大きなイベントがあるときは例外として,この泉で沐浴する人は非常に少なくなっているという記事を観光案内のサイトで見つけた。僕自身にも覚えがあることだが,宗教儀式の写真を撮るときは一定の節度が必要であろうと反省した。

ティルタ・エンプル寺院|水面のお花畑

沐浴する人々はヤシの葉で編んだ容器に花びらを入れた供物を水の落ち口の周辺に捧げる。一部の花びらは水面に落ち,水の流れに乗って一箇所に集まる。そこはまるで水面のお花畑のようになっている。

ティルタ・エンプル寺院|丘の上にあるスカルノの別荘

この日はなにか特別の日なのかかなりの参拝者がいた。月齢に関係しているのかと考え2009年6月30日の月齢カレンダーをチェックしてみた。ネットの世界はこのような調べ物をするときにはとても便利である。「月齢カレンダー」のサイトにアクセスし,年と月を入力するとその月の月齢を図示してくれる。この日の月齢は7.3であり新月(月齢0)や満月(月齢14)とは無関係であった。寺院の境内からは丘の上の建物が目に入る。これは故スカルノ大統領の別荘であったが,現在はどうなっているのか分からない。

農園|トーチ・ジンジャー

11:30頃にどこかの農園に到着した。どうやら観光農園のようだ。それなりに珍しい植物があり,収穫物の販売所もある。トーチジンジャー(ショウガ科・エトリンゲラ属)は英名そのままである。原産地はインドネシアの多年草である。

ショウガとしては特別に華やかで大きな花をであり,世界の温室では人気の高い植物であると記されている。葉と花が別々の茎となり,花茎はまっすぐ立ってその頂部に球状花序をつける。花と同色で外側に開いているものは苞である。若い花は刻んで薬味として利用されるという。

農園|カカオの木

農園|サラック・ヤシ

インドネシア語で「Salak」という果物である。カタカナ表記はサラク,サラッ,サラックと固定していない。僕はサラックを常用している。長い間,この果物はどのような植物になるのか疑問であったが,今回の旅行で初めて果実がなっているところを見ることができた。ということでサラック・ヤシの紹介は今回の旅行でも3回目である。

サカラヤシは茎が短く,1本の茎から1本の葉柄が出ている。葉柄の下部には長い鋭いトゲが密生しており,果実は葉柄の下のところにかたまって実る。この果物はサラックと呼ばれており,外皮は赤褐色で鱗状になっているためスネークフルーツともいわれる。この外皮は手で簡単にはがすことができ,内部には白い果肉がある。酸味や渋みがあり個人的にはさほど好きな果物ではない。

キンタマーニ|外輪山からの眺望

バトゥール湖およびバトゥール山のビューポイントであるペネロカン(標高1500m)は多くの観光客が集まるところであり,物売りのしつこさはバリでは一番というところだ。運転手は気をきかせて物売りのほとんどいないところで車を止めてくれた。雲が外輪山の一部にかかっているものの満足する景色であった。惜しむらくは景色が大きすぎて全体をフレームに収めきれない。

バトゥール山は複式火山であり,過去の大きな噴火により直径が11kmほどのカルデラとなっており,中央に新しいバトゥール火山(1717m)がある。周囲は外輪山に囲まれており,東側はバリ島の水がめの一つであるバトゥール湖となっている。細かく見るとカルデラも2段構造になっており,新火山の周囲はもう一段陥没している。

アグン山のビューポイント

13時少し前に車はアグン山を背景に棚田の広がる風景を眺望できるレストランに停車した。ところがランチの値段が8万ルピア,これに20%の税金・サービス料が付加される。さすがに9.6万ルピアの昼食は法外であり,我々の一行は誰も注文を出さず,そのままここを後にした。

アグン山(2567m)はきれいな裾野をもつ成層火山であり,カルデラはないので水がめということにはならない。さきほどのバトゥール山からは20kmほど東あり,その東側にも火山と思われる地形が見られる。バリ島も火山により生み出された島なのだ。

ブサキ寺院|背景のアグン山がよく見える

ブサキ寺院はアグン山から6kmほど南西にあり,バリ・ヒンドゥーの総本山という格式の高い寺院である。「母なる寺」とも呼ばれ,バリで最大かつ最も重要な寺院である。ブサキ寺院には多くの寺院が集まる複合寺院のため,オダラン(寺院の創立祭礼)がサカ暦の1年(210日)に55回もあるので,4日に1回はブサキ寺院のどこかでオダランがある。

参道はまっすぐアグン山に向かう上りの道となっており,両側には土産物屋が軒を連ねている。参道の終わりは石段に続いており,さらに上りの道が続いている。その両側はいくつもの寺院の境内となっている。バリ最高の格式ある寺院なので参拝のためには正装でなければ寺院の門をくぐることはできない。ツアーの一行はアグン山に向かう道を登り,ビューポイントから引き返すということになる。

ブサキ寺院|たくさんのメルを見ながら上る

石段の道の両側には多くの寺院があり,塀越しにたくさんのメルを見ながら登ることになる。いくつもの寺院の門があるが,正装でなければ中に入ることはできない。登るにつれてそのような寺院を上から見下ろすことができる。

ブサキ寺院|プングペガン寺院

普段着で上ってきた観光客の終点はこの上のプングペガン寺院の割れ門に続く石段のまでとなっている。

ブサキ寺院|ビューポイントからの眺望

プングペガン寺院の手前は整地された空間となっており,そこから南方向に180度の眺望を楽しむことができる。ガイドブックには条件が良ければ20kmほど先の海まで見渡すことができるとあったが,雲がとれない天候ではさすがに無理だ。それでも緑豊かなバリの風景は十分に素晴らしいものであった。

ブサキ寺院|恐ろしげな仮面が集合している

帰り道は周辺を眺める余裕があり,門から境内の写真を撮りながら歩いて行く。この道の周囲はすべてブサキ寺院というわけではなく,農家や畑のエリアも含まれている。土産物屋もあり,そこでは恐ろしい表情の仮面が集合していた。悪鬼を思わせる仮面はとても僕の感性ではグロテスクさしか感じられない。こんなものが売り物になるのかなあ。

ブサキ寺院|ピンジャカンの応用

道端に模型飛行機のプロペラのような羽をつけた道具が置かれていた。どうやらこれも売り物のようだ。バリ島では水田の小鳥を追い払うための「ピンジャカン」という道具がある。おそらく現在でも水田を注意深く探せば見つかるはずだ。原理は風の力で小さな風車を回し,それに連結した竹材が共鳴板を打ち,カラコロと音を出すようになっている。この軽やかで心地よい音は一昔前のバリ島の田園に響いていた。

僕が初めてバリ島の映像を見たのは「日曜特集・新世界紀行(1987-1992年)」というドキュメンタリー番組であった。民放としては珍しいまともな教養番組であり,世界各地の文化,伝統,遺跡,自然などを紹介していた。番組の中ではウブッの人々の暮らしあり,水田ではピンジャカンが音楽を奏でていた。類似品を間近に見ることができてちょっと感激である。

クルンクン|パレ・カンバン

ツアー最後の訪問地はクルンクン(スマラプラ)の王宮である。到着時刻は15時を少し回っていた。バリ島は14世紀から16世紀の初めにかけてジャワ島のヒンドゥー王朝であるマジャパイト朝に支配されていた。この王朝がイスラム勢力の圧迫を受けるようになると多くの貴族や僧侶がバリ島に移住した。この人々が打ち立てたのがゲルゲル王朝であり,その都はクルンクンに置かれた。

その後,王国は分裂しバリ8王国の時代となり,オランダが全島を支配するまで続いた。クルンクンという地名はオランダ時代のものであり,近年になって旧名のスマラプラに戻された。19世紀末からバリの王国が次々とオランダ軍により滅亡あるいは支配下に入り,最後に残ったスマラプラ王国も1908年のププタンで終焉し,王宮はこのとき破壊された。

クルンクン|王宮の門

現在のクルンクンには大きな人工池に浮かぶバレ・カンバン(王室の休息所)とクルタ・ゴザ(裁判所)およびかっての王宮の門が残されている。また,ププタン記念碑とされる細身の円錐形の塔がかっての悲劇を思い起こさせてくる。

クルンクン|クルタ・ゴザ(裁判所)の壁画

クルタ・ゴザ(裁判所)の天井と壁面にはスマラプラ王国時代の天井画や壁画が残されている。これらはヒンドゥーの神々や神話の世界を題材として王宮の装飾絵画として発展したものである。この王国時代の絵画は「カマサン・スタイル」と呼ばれている。平面的な表現でありバリ細密画の元となった。

オランダ統治時代にはヨーロッパの芸術家が訪れるようになり,遠近や陰影の手法がもたらされた。その影響でバリ絵画は大きな変化を遂げることになり,そこから,「バトゥアン・スタイル(1930年代)」,「ウブッ・スタイル(1930年代)」と呼ばれる新しい様式が生まれた。バリの絵画はその後も「ヤング・アーティストスタイル(1950年代)」,「プンゴセカン・スタイル(1970年代)」などの新しいスタイルが出てきており,現在でも変化の途上にあるといってよい。

テガランタン方面に歩いて行く

滞在3日目も天気はあまり良くない。雲が取れないようようではサンセット・ツアーは明日に延期した方がよさそうだ。もうなじみの朝食を取りながら今日はウブッの北にあるテガランタン方面に歩いて行くことにする。宿を出てビナ・ウィサタのところまで行くと,昨日のツアーの運転手に呼び止められ,夕日ツアーに誘われた。しかし,天候次第だよとしか答えようがない。実際この日は17時の時点で完全な曇天となり夕日はとても望めそうもなかった。

王宮の脇を通り北に向かう道路と交差する東西方向の道はない。バリでは北に火山列があり,そこから南に向かってゆるやかな傾斜となっている。山から下る川は深い谷を刻みながら,南に流れ下る。このような地理のため東西方向の道路は限られている。

しばらく家並みが続き,高校の敷地内で写真を撮る。ここの高校の正門近くにもちゃんとサラスワティの像がある。女子学生は気楽に写真応じてくれた。近くにはいくつかの寺院があり,目だったのはガネーシュの像である。他のヒンドゥーの神像は見かけないので,バリではガネーシュに商売繁盛などの特別のご利益を期待しているようにも感じられる。

寺院の中には玉座をもつお堂があり,その周囲はこれでもかというくらい精緻な石像で飾られている。バリの石像の素材は砂岩や凝灰岩であり,どちらも柔らかくて加工しやすいが,それでもこれだけ細かい加工を見せられるとただただ頭が下がる思いだ。湿度が高いので一部の石像は苔に覆われており,それもまた格別な趣である。もっとも最近は目の細かいセメントで造られているものも多いというので,感心する前にチェックが必要だ。

水田の風景に癒やされる

歩道が途切れるあたりから水田が見えてくる。このあたりも南から順に家が立ち並ぶようになり,風景はどんどん変化しているという。北に向かって傾斜しているので水田は棚田ということになるが,一枚の面積は広く,感じとしては小さな段差のある水田である。

一部の水田には赤いウキクサが大量に発生しており,水面を覆っている。緑色のボタンウキクサもけっこう多い。赤いウキクサは田植えの済んだところにもたくさん浮かんでいる。しかし,その隣りの水田では見当たらなかったので,どうやらこのウキクサは管理の問題らしい。

柘植の笠や帽子を被った女性たちが田植えをしている。少し傾斜があるところなので一枚の水田は相対的に小さくなり,かつ形も土地に合わせて不定形となっている。このようなところでは機械化は難しい。苗は苗床からブロックで取り出し,このとき葉の先端を少し切り落としている。根が定着するまで葉の成長を抑えようとしている。苗の間隔はおよそ20cm,複数の苗を一緒に植えている。

バリのディープ情報

このページの文章を作るにあたり,バリ島の文化や習慣,見どころなどについて詳しく紹介しているいくつかのサイトを参照した。より詳しい情報を知りたい方は下記のサイトにアクセスしていただきたい。


ウブドゥ 1   亜細亜の街角   ウブドゥ 3