亜細亜の街角
25時間をかけてロンボク島に戻ってくる
Home 亜細亜の街角 | Mataram / Indonesia / Jun 2009

マタラム  (地域地図を開く)

ロンボク島西部に位置し,ヌサ・トゥンガラ州の州都,人口は34万人の町である。マタラムはアンペナン,マタラム,チャクラヌガラの3地区から構成されている。マタラムの地名はジャワ島のジョグジャカルタの古地名であり,サンジャヤ王朝のもとでプランバナン寺院群を建造した古マタラム王国にちなんでいるのだろう。

もっともマタラム王国はヒンドゥー教の古王国(8-9世紀)とイスラム教の新王国(16-18世紀)があるので要注意である。ジャワ島のヒンドゥー王朝が滅亡した時,一部の人々はバリ島に逃れ,バリ8王国の基礎を築いた。ロンボク島の西側はバリ王朝の支配を受けたことがあり,そのときにマタラムの地名が使用されたのではと推測する。

ラブハンバジョー→マタラム 移動

ようやくgoogle map を自分のサイト内に貼ることができるようになった。操作は信じられないくらい簡単なので,その背後には高度の技術が働いていることだろう。貼り付けの方法は,「google maps ブログに貼る」で検索すれば見つかる。

右端がフローレス島,そこから西にリンチャ島,コモド島,スンバワ島が並んでる。ラブハンバジョーはリンチャ島との狭い海峡になっているところにあり,ここからフェリーで二つの島の北側を通りスンバワ島の二重湾になったサペ港に移動する。

ロンボク島までの経過はラブハンバジョー(09:00)→サペ(17:50)→ビマ(20:00)→ポト・タノ(08:00)→ラブハン・ロンボク(08:30)→マタラム(10:30)である。25時間の長旅であった。

07:15にチェックアウトしてフェリー乗り場に向かう。チケット売り場の手前にはなぜかチケットを売る人がいる。正規の料金4万ルピアに対して彼らの値段は6万ルピアである。不慣れな旅行者は彼らからチケットを買うのかもしれないが,小スンダ列島ではチケットはすべて窓口で買うことを徹底させるべきだ。さもないとマージン付きの高いものを買うことになる。

ラブハンバジョーからロンボク島のマタラムまでの通しのチケットは4万ルピアほど高い。もっともチケットを個別に買うのは面倒だという場合はそれを代行してもらったと考えればよい。

チケット売り場の係員は乗客の名前をすべて控えているので時間がかかる。船は来た時と同型であり,今回も座敷の席を確保した。フェリーから眺めると町のすぐ背後まで山が迫っていることが分かる。

サペに向かうフェリー船内

座敷の席は足を伸ばして横になることができるので楽だ。しかし,となりのおばさんたちに僕の領土は浸食され,2時間後には足は伸ばせなくなった。女性たちはイス席よりも座敷の床の方が落ち着けるようだ。おそらく,床にすわる生活スタイルなのだろう。通路あるいは床のスペースに布を敷いて座っている人も多い。

ささやかな商売をしている

バナナを並べて商売をしている3人のおばさんがおり,ちょうど食事時だったので一枚撮らせてもらう。インドネシアでは油紙(現在のものは紙パックと同じようにポリエチレンで防水処理されている)に包む携帯食が一般的だ。発砲スチロールを使用するよりは相当環境負荷は小さいだろう。

おそらくこれがリンチャ島

出航は09:00,左の写真は09:45である。フローレス,スンバワの間には大きな島は2つしかないのでおそらくこれがリンチャ島であろう。面積は198km2であり,石垣島より少し小さく,利尻島より少し大きいことになる。この島にもコモド・オオトカゲが生息しており,国立公園の一部となっている。

カップ麺と調理麺く

インドネシアには「ミー・クア」という日本のラーメンに近い麺文化がある。イスラムの国なのでチャーシューは御法度であり,代わりにつみれ(フィッシュ・ボール)は入っている。そのインドネシアには日本発のカップ麺が新しい文化として入ってきている。小さな女の子が食べているカップ麺には「Pop Mie」と書かれている。

おそらくこれがコモド島

左の写真は12:20頃のものである。これがコモド島であろう。面積は390km2であり,種子島より少し小さい。2000人の人々が居住しており,とりあえずはコモドオオトカゲ (Varanus komodoensis) と共生している。

コモドオオトカゲの主要な獲物は野生のイノシシや鹿である。2mを超える大型種にもかかわらず長距離走が可能であり,獲物を追い詰めて捕食する。コモド島やリンチャ島以外の島にも棲息しているが,開発による生息環境の破壊や獲物である鹿の減少により生息数は減少している。

夕日の時間帯にスンバワ島に近づく

夕日が前方の山に沈むころ,スンバワ島のサペに到着する。フェリーの所要時間はおよそ9時間である。

サペ港

夕暮れのサペ港には来た時と同じように大勢の人が集まっている。往路はここでフェリーチケットの詐欺にあったことが発覚し,ずいぶん沈んだ気持ちで港を眺めていた。帰路の精神状態はそのときよりも格段に良くなっている。港に待機しているミニバスに乗り込む。このミニバスは(フェリーに合わせ)18時に出発し,20時にビマのバス・ターミナルに到着した。

目の前にバス会社の事務所があり,今回はDuuia Mas 社にお世話になる。マタラムまでのチケット代は15万ルピアと期待値より1万ルピア高い。夕食をとりたいところだがバスは5分後に出発するという。荷物はバスの横の荷物室には入れてもらえなかったので手元に置くことになった。

ポト・タノでフェリーを待つ

バスは乗客を集めるために止まり,都合よく10歳くらいの女の子が小さな焼きトウモロコシを運んできたので2本(2000ルピア)いただく。当座の空腹はこれでいやすことができた。うとうととしたらバスが停車した。03時に食事休憩らしい。

サブザックの中のメガネを探すと見つからない。一番前の席で中のものを全部出してみてもない。これにはちょっと慌てた。冷静に寝るときのことを考えるとメガネを入れるときビスケットの袋に触れたことを思い出した。ようやくビスケットの袋の中に隠れているメガネを発見した。ここの食事代はチケットに含まれていた。これで1万ルピア高いわけが分かった。06時にスンバワ島の西端にあるポト・タノに到着した。

ポト・タノ港の朝焼け

1時間ほどフェリーの待ち時間があり,その間に朝焼けの港の写真を撮る。フェリーにはバスに乗ったまま乗船し,乗客は上のフロアに移動する。乗客のいない間,バスは施錠される。

ポト・タノ港の灯台

フェリーが動き出すと前方に灯台のようなものが立っている。近くにくると灯台にしてはちょっと最上部の形が違うようだ。周辺は緑の少ない風景が続く。

ロンボク島に到着する

フェリーは1.5時間でロンボク島に到着する。今日は雲が無くロンボク島の全貌が見えるが,この距離からでは手前の山にジャマされてリンジャニ山は頂上付近が見えるだけだ。ロンボク島に到着すると下の甲板は車でいっぱいなので港まで歩き,そこで再乗車する。マタラムに移動するときはきれいな水田地帯を通過した。火山島なので豊かな土壌に恵まれ,適度の雨があれば高い生産性が期待できる。

Victor 1

10:30にマタラムのバス・ターミナルに到着する。マタラムの中心部までは3kmほどあるのでバイクタクシー(1万ルピア)のお世話になる。土曜日のせいか宿は混んでおり二軒に断られ,Victor 1 で部屋がとれた。6万ルピア(いちおう朝食付き)の部屋は8畳,2ベッド,T/S付きでとても清潔である。

ブラマ社のオフィス

マタラムにはガルーダのオフィスがあるので帰国便を7月4日に変更する。フライト時間が0時をまたぐので到着日が5日,つまり5日の00:30の便であることを確認しておいた。しかし,結論からいうとチケットは4日の00:30のものとなり,空港で一悶着が起こることになった。今回の旅行はなにかとトラブルが多かった。

次はブラマ社のオフィスに行き,翌日のウブッ行きのシャトルバスを手配する。往路もブラマ社を利用しているので2万ルピアの割引になり,ついでに宿へのピックアップ・サービス(1万ルピア)もお願いする。

マユラの水の宮殿

マタラムでの二つの用事を片付けたのでベモに乗ってマユラの「水の宮殿」に行く。ここは宿からは1kmほどであるが,ブラマ社のオフィスからは5kmほど離れている。近くで降ろしてもらうと「水の宮殿」はすぐに分かった。敷地は道路を挟んでメル寺院と向かい合っている。

この宮殿は1744年にバリ8王国の1つであるカラガスン王朝が建てた人工池に浮かぶ宮殿である。とはいうものの宮殿のイメージはなく,池の中央にある寄合所という感じである。実際にこの建物は「バレ・カンプン(村の集会所)」と呼ばれており,裁判所あるいは会議場として利用されていた。

最高神が祀られている塔

水の宮殿は池越しに見てふむふむということで終わりである。それに対して付属のヒンドゥー寺院はけっこう見るべきところがあった。上記の写真の左側に樹木に隠れるように小さな祠があり,その左奥にヒンドゥー寺院がある。

左の写真の塔はヒンドゥーの三大神(ブラフマー,シヴァ,ヴィシュヌ)が統合された最高神が祀られている。これはデンパサールのジャガッナタ寺院の塔と同じものである。ただし,この塔の最上部には金で彩られた人のようなものが見える。これは何だろうね。

水の宮殿付属寺院で祈る人々

水の宮殿付属寺院では最高神が祀られている塔に向かって手を合わせている人々がいる。塔の前には竹で組んだ供物台がある。今日は参拝する人が少ないのか,供物台の上は寂しい状態だ。

たくさんのカーラに守られている

バリ・ヒンドゥーの寺院と同様に玉座に座る神はいない。とはいえ,玉座は儀礼により神々が降臨する神聖なものである。ここの玉座にはヤシの繊維で葺かれた立派な屋根が付いておいる。側面には多くのカーラが刻まれており,悪霊から守っているようだ。

ナーガであろう

玉座の上る石段を守っている像はガルーダかナーガか判断が難しいが,石段の手すりの部分が蛇の胴体のようになっているのでナーガであろう。

プルメリア

近くには黄色系のプルメリアが咲いていた。普通は高い木になるので花弁の内部を覗き込む角度の写真は難しい。この旅行でも何回か紹介しているが,やはりこの清楚で艶めかしい花ははぶけない。

メル寺院

「メル寺院」はロンボク・ヒンドゥーの総本山とされる寺院であり,バリでいうと「ブサキ寺院」に相当する。敷地内には3つのメルと呼ばれる独特の形状をした塔がある。中央のものがシヴァ神を祀った11層のメル,両側にはヴィシュヌとブラフマーを祀った9層のメルとなっている。メルの特異な形状についてはアグン山を模したものであり,古代の山岳信仰を引き継いだものだという説が一般的だ。

メルの屋根に相当する部分はヤシからとった丈夫な繊維が利用されている。敷地内ではそのような繊維を整形している人々がいた。この技法はスマトラ島のブキティンギで見たミナンカバウの旧王宮の屋根と同じものだ。この繊維が利用されるのはヤシの葉や茅に比べると丈夫で見栄えが良いからであろう。

マタラムの街並み

マタラムは新旧の街並みが同居しており,古い街並みの地区は落ち着いた感じがある。馬車は観光用ではなくまだ地元の人の足として活躍している。

この子はよく笑っていた

宿の周辺の地区は古い落ち着いた街並みとなっており,このようなところは歩いて楽しい。一軒の家では何かイベントの準備が行われているのでおじゃました。床に敷いた布の上で男性たちが座り,軽食とお茶をごちそうになった。

子どもたちが何人かいたのでヨーヨーを作ってあげる。すると,数が増えて合計7個になった。これで打ち解けると写真の要求がくる。集合写真のあとは個別写真となる。この子は笑い上戸であり,こんなふうになってしまった。

井戸の風景

井戸端で子どもに行水をさせている家もあった。この井戸は敷地内にありいちおう門が付いているので,声をかけてから中に入る。マタラムは都市なので水道も普及しているはずだが,ここでは井戸が生活用水の手段として生きている。


ラヴハンバジョー   亜細亜の街角   ウブドゥ 1