亜細亜の街角
先を目指す心が萎えてしまった
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ラブハンバジョー  (地域地図を開く)

ラブハンバジョーはフローレス島の西端にある漁村であり,コモド島へのツアーの起点となる町なので,ジャワやバリから遠く離れているにもかかわらず,旅行者はけっこういる。地理的にはロンボク,スンバワ,コモド,フローレスと島が連なっており,ラブハンバジョーはスンバワ島のサペとフェリーで結ばれている。

フローレス島を回る計画であったが,マタラムでだまされて4万ルピアのサペ→ラブハンバジョー間のフェリーチケットを25万ルピアで買わされてしまった。これは金額以上に精神的なダメージが大きく,またラブハンバジョーの宿の対応も良くないし,コモド島へのツアーもずいぶん割高であったことも重なって,フローレス島を回る気が消え失せてしまった。結局,ここから同じルートでロンボク島に戻ることにした。

詐欺にひっかかった顛末記

スンギギのブラマ社でサペ行きのチケットを購入した。ブラマ社のコーチでマタラムに向かい,バス会社の事務所でバスチケットと交換してもらう。少し距離のある東のバスターミナルまでバイクで送ってくれたおじさんが「バスターミナルでは何も買わないように」と忠告してくれた。この忠告を軽く聞き流したため,あとで泣きを見ることになった。

英語のできる男性がバスに乗り込んできて,サペからコモド島を経由するフェリーのチケットを売り込みに来た。僕はこの種の話をまったく信用しないのでいらないよと断った。バスターミナルの食堂で昼食をとっていると,隣に座った男性が英語で話しかけてくる。僕は行き先がサペであり,そこからフローレス島のラブハンバジョウー向かうことを話すと,コモド島には行かないのかと言う。

コモド島はラブハンバジョー発のツアーに参加するつもりだと話すと,彼はサペからコモド島経由でラブハンバジョーに向かうフェリーがあるよと教えてくれた。ネット情報ではそのフェリーは廃止されたことを知っていたので,そのフェリーはすでに廃止されているよと答えると,それは古い情報で現在は就航しているよ,私はフローレスに住んでいるので確かな情報だと念を押された。

彼はバスの車内でもフェリーのチケットは買えるし,人気の高いチケットなので早めに手当した方がいいとどこまでも親切である。この記事の読者はすでにお分かりのことだろう。最初にバスの車内で売り込みにきた男性と,食堂で情報を教えてくれた男性はグルなのだ。僕がチケットの料金をたずねると24万ルピア(2400円)くらいだという。それでは買っておくかと言ったのが運のつきであった。だまされるときの精神状態はこんなものだ。

バスの車内にやってきた最初の男性が呼ばれ,見せてもらったチケットはフェリー会社の名前が入っており,手書きでサペ,コモド,ラブハンバジョーの文字が記されていた。しかし,実際にはこのチケットはサペ→ラブハンバジョーのものであった。サペに到着すると小屋のおじさんが乗客のチケットをフェリーのものと交換している。それを見ると4万ルピアのラブハンバジョー行きのものであった。

「おじさん僕のチケットは高速フェリーのものだよ」と文句を言っても,まったく取り合ってもらえなかった。フェリーターミナルの係員も「あんたは騙されたんだよ」とにべもない。被害額は2000円に過ぎないが,僕のプライドはずいぶん傷つけられた。教訓は二つ,マタラムのバスターミナルで英語で話しかけてくる人たちはいっさい信用してはならない,チケットはビマまでで充分でありフェリーチケットは原則としてフェリー乗り場で買うこと。

マタラム→ラブハンバジョー 移動

この間の移動経過はマタラム(15:00)→ラブハン・ロンボク→フェリー(17:30-19:30)→ポト・タノ→ビマ(03:00)(04:00)→サペ(06:30)→フェリー(09:00-17:30)→ラブハンバジョーである。マタラムを出発したバスはラブハン・ロンボク港からそのままフェリーに乗せられる。荷物は施錠された荷物室に入っているので,乗客はバスから出て,フェリーの甲板から風景を眺めることができる。

ロンボク島のリンジャニ山の上部は雲と手前の山にさえぎられた見えない。この手前の山も火山活動で生まれたものなのか,なだらかな稜線がはるか先まで続いている。フェリーが動き出してすぐのときに,雲が切れてリンジャニ山の頂上のほんの一部が顔を覗かせたと思ったら,そうではなかったようだ。

スンバワ島のポト・タノに向かうフェリーとすれちがったので,おもしろい構図の写真となった。出航してから1時間余り,夕日の時間になるとロンボク島は黄金色の背景にシルエットを浮かべるようになり,リンジャニの山頂と雲がシルエットとなる。

バスでスンバワ島を横断する(19:30→03:00)

フェリーは19:30にスンバワ島のポト・タノ港に到着する。バスに乗り込みそのまま島を横断する。このマタラム発のバスはビマが終点となる。到着時間は夜中の3時である。

ビマ→サペ間を小型バスで移動する(04:00→06:30)

ここからサペ港に向かうミニバスが出ている。ミニバスはすぐには出そうもないので,バスが見える食堂で朝食をとる。マタラムを出てからフェリーの中でカップメンを食べただけなので,久しぶりのまともな食事である。動き出したミニバスは周辺を回って乗客を集める。僕の席の窓は半分しかガラスが入っておらず,冷たい風が吹き込んでくる。荷物を風よけにして少しはましな状態になる。

サペのフェリー港で待たされる

ミニバスは山道を疾走し06:30にサペ港に到着する。建物の前に置かれた大きな縁台の上にはフェリー待ちの人々が座っている。人々の顔つきが少しずつ変わってきていることに気付く。サペに到着すると小屋のおじさんがバスの乗客のチケットをフェリーのものと交換している。

それを見ると4万ルピアのラブハンバジョー行きのものであった。ここで僕にとっての「サペの悲劇」が発覚する。コモド島経由の高速船などは架空の話であった。インドネシアで出会った大多数の人たちは善良で旅人には親切なのに,一握りの嫌な人たちのため旅の印象が大きく損なわれることは悲しいことだ。

フェリーから眺めるサペの港

それでも気を取り直してチケットもあるのでとりあえずラブハンバジョーまで行くことにする。フェリーに乗り込んでから,動き出すまではいやな時間帯であった。繰り返してあんなくだらない詐欺にひっかかった自分に対する怒りが込み上げてくる。この怒りが「たかだか2000円の損害じゃないか,旅先ではよくあることだよ」という理性の声をかき消してしまう。困った性格だね。

ラブハンバジョー行きのフェリーが動き出す

フェリーが動き出すと少しは気がまぎれる。港の後背地の山は茶褐色であり,ロンボク島までの緑がしたたる風景とはずいぶん落差がある。赤道直下にありながらスンバワ島からフローレス島の西側にかけてはオーストラリア大陸からの乾燥した風の影響を受けている。

甲板はこんな状態だ

甲板にはベンチ型のイスが用意されている。空きスペースではゴザを広げて小さな商売をする人もいる。

ひまなので子どもたちにオリヅルを教える

甲板の一部は50cmほど高くなった座敷になっている。人々の生活スタイルからするとこちらの方が好ましいのか,混雑していた。なんといっても足を伸ばして横になることができる。

僕もこのスペースに荷物を置いていた。退屈なので近くの子どもたちにオリヅルを教えてあげる。母親たちはいったい何をしているんだという表情で眺めている。だいぶ手伝って鶴が完成し,両手を広げて「バード」と説明するとどうやら分かってくれたようだ。

ロンボク島のリンジャニ山が見える

スンバワ島からフローレス島に移動しているのに,ロンボク島のリンジャニ山が海面から美しい姿でそびえている。ロンボク島からスンバワ島に移動するときは大きすぎて分からなかったが,この辺りからなら成層火山特有のなだらかな裾野をもった山容が分かる。

スンバワ島を過ぎると乾燥地帯になる

スンバワ島とフローレス島の間にはたくさんの小さな島があり,その中でもっとも大きなものがコモド島である。おそらくあれだろうと推測することはできるは確信はない。小さな島々は一様に茶褐色の姿を見せており,植生には乏しいようだ。

コモド・インダー

ラブハンバジョーの港には17:30に到着した。港からまっすぐな道沿いに何軒かの宿がある。しかし,設備と値段は釣り合っておらずかなり難儀して,結果的にはだいぶ歩くことになった。コモド・インダーは家具屋の二階になっており,宿は副業のようだ。部屋は6畳,2ベッドでT/Sは共同である。朝食がついているものの7万ルピアの料金は高く感じる。

フェリーが到着する

06時に起床する。昨夜は21時に就寝したのでロンボク島からの移動による睡眠不足は解消された。06:40にスタッフが各部屋の前に置かれたテーブルの上に朝食を並べていく。パンケーキが2個と紅茶であり,小食の僕でも物足りない。

ラブハンバジョーの港からはコモド・ドラゴンの棲息しているリンチャ島へ行く船が不定期ながら出ている。うまく何人かで船をシェアできれば訪問するつもりだ。港に行くと大きな船が到着し,桟橋に接岸していた。

唯一の交通機関なので乗客は多い

今日は週1便のバリ行きのフェリーが出るので片側の桟橋は下船する人と乗船する人で大変な混雑である。ここからバリ島まではおよそ500km,僕はフェリーとバスを乗り継いで移動したが,このような直行便があれば移動はずいぶん楽になる。しかし,この週1便の定期船の情報はバリ島では入手できなかった。

このような漁船でコモド島に向かう

桟橋の左側には大小の船が係留されている。ダイビングの船にはぼちぼち人が集まっているが,コモドやリンチャに行きそうな船にはまったく乗客はやってこない。これでは今日のツアーはあきらめざるを得ない。

これも目刺しというのかな

もう一つの桟橋に停泊しているサペ行きのフェリーをチェックしてから,近くの魚市場を見学する。ここでは生の魚は多くはなく,保存食となる干物がメインとなっている。比較的値の張るものは生で売られ,安価なものは干物になるようだ。

彩りの干し魚

近くには竹の台の上に大小の魚が開きの状態で干されている。ここでは日本と同じように腹から開いているが,地域によっては背中から開くところもある。あらゆる魚が干物にされるので台の上には大小さまざまな,彩りもさまざまな魚が並んでいる

子どもたち

市場や周辺で子どもたちの写真を撮ったのでお礼にヨーヨーを作ってあげようとしたら水が無い。市場の外にある商店で水をもらい,ようやく作ることができた。宿に戻る途中でブラマ社の事務所に立ち寄り,チケットの料金を確認した。ラブハンバジョー(フローレス島)→マタラム(ロンボク島)の通しのチケットは25万ルピアであり,これは来た時より4万ルピアほど高い。やはり,3分割して個別に買った方が安くつきそうだ。

小学校の校庭に子どもたちが出ている

ついでにKANAWAという旅行代理店に立ち寄り,リンチャ島へのツアーにたずねてみた。明日は3人が参加するツアーがあるという。乗客は近くの島にいるのでその島経由になるという。15時に詳細が確定できるというので,その時間に再訪すると船代は25万,その他の諸費用は20万と告げられた。諸費用の中には公園内の入場料も含まれているという。45$とは現地では大きな出費である。

宿は良くないし,来るときは詐欺にあったし,すっかり先を目指す気持ちが萎えてしまった。さらに,コモド島あるいはリンチャ島にアクセスする船もガイドブックに記載されているものより2-3倍になっており,すっかり嫌気がさしてしまった。ということで2か月ビザはまだ3週間ほど残しているが,ロンボクに戻ることにした。

ほとんど遊んでいるようなものだ

コモド・ドラゴンをあきらめたので翌日はフェリーとバスを乗り継いでロンボク島に戻ることになる。この日は近くの集落を歩いて人々の生活や子どもたちの写真を撮ることにする。宿の近くの小学校では子どもたちが校庭に出て土砂運びをしていた。小さな鍬のような道具と,バケツ,ビニールシートだけで作業しており,効率は非常に悪い。効率最優先社会の日本人の視点で眺めると大半の子どもたちはほとんど遊んでいるようなものだ。

真面目にバケツに土砂を入れているグループ

こちらのグループは比較的まじめに働いている。それにしてもこの程度の作業に子どもたちを動員するとはいったいどうなっているのかと疑問に思う。

学校の校舎にも子どもたちが残っている

旅行会社ではほとんど情報が得られない

小さな魚は丸干しにされる

小さな町を歩く

コーランを読む

コーランを学ぶための寺子屋のようなところもあった。イスラムの啓典であるコーランはアラビア語のものしかなく,しかもそれを音読しなければならない。アルファベットのインドネシア語で育った子どもたちにとって,アラビア文字を読むことは大変なことだ。子どもたちは意味は度外視して,ひたすら音読できるようになる訓練を積んでいる。このような学習をするときはちゃんとスカーフを着用するきまりがあるようだ。

ちょっと親と似ていないものもいる

インドネシアでは家禽の半分はアヒルではないかと思うくらいアヒルが多い。アヒルはマガモから人為的に作り出された家禽であり,ヨーロッパを起点にに世界中で飼育されている。ニワトリと同じように年間150-200個ほどの卵を産み,肉にもなる。

日本で見かけるものはほとんどが白色でくちばしが黄色のものであるが,東南アジアや中国南部では背中がこげ茶のものやより薄い茶色のものもいる。そのため,ここのヒナのように母親と似ていないものもいる。もっとも,家禽化により卵を抱卵しない個体もあるので,ここのヒナの一部は仮親によって孵されたものかもしれない。

片側安定装置の船

ラブハンバジョーの港に停泊している漁船の一部は片側だけの安定装置をもっている。スンバワ島のサペで見かけたものは両側に非常に長い安定装置をもっており,ここではそのようなものと,片側に安定装置をもったもの,安定装置のないものまで混在している。フローレス島周辺は中国南部,ベトナム北部,ミャンマーなどにルーツをもつさまざまな民族が暮らしており,しかも混血しているので漁船の構造一つをとっても多様なのかもしれない。

水を汲んで運ぶ

ここでは水道はあまり普及していない。水道のある家の軒先には大勢の女性たちが水汲みのために集まっている。彼女たちの周囲にはポリタンクやバケツなどが並んでおり,一人あたりは2-3個の計算になる。インドネシアの水道普及率は都市部で90%,農村部では70%程度である。

水道の無い地域では水場から生活水や飲用水を運ばなければならず,それは女性や子どもたちの仕事になっている。そのような水は必ずしも衛生的ではなく,世界人口70億人のうち約2割はきれいな水にアクセスできない状況にある。水という「人間の基本的ニーズ」すら充足されない地域では,消化器関連の感染症で多くの子どもたちが命を落としている。

道路の下の集落

港の近くに小高い丘があり,そこがビューポイントになっている。坂道を登って行くとそこにも水道に集まる人々の姿があった。この人たちは道路を渡り,斜面の下にある集落の人々である。集落の家屋は高床式であり,トタン屋根は二段傾斜になっている。

左の写真ではちょっと分かりづらいが,切妻屋根の両端部に破風板の先端を伸ばし交叉させたものが取り付けてある。これは伊勢神宮にある千木(ちぎ)と同じ構造である。千木のように屋根の棟先に聖なるシンボルを取り付ける文化は,東南アジアではよく見られるので,この集落の人々のルーツ探しには役に立たない。

ここが港のビューポイントらしい

丘の道からは港の一部を眺望することができる。ラブハンバジョーの西側には大小の島がひしめき合っており,複雑な地形が読み取れる。

ここは港を見下ろせるカフェ

町の通りに面したカフェから港全体を眺めることができる。海に向かって桟橋の左側は漁業関係者の地域となっており,眼下には海に突き出した大きな魚干し場がある。海岸にはほとんど平地がないのでこのような施設を造ることになった。

周辺には大小の漁船が停泊している。漁船の半分は左右に張り出した安定装置はもっていない。残りのものは片側あるいは両側に安定装置をもっており,中には両側に3mほども突き出した安定装置をもっている。このタイプはスンバワ島東岸のサペにもたくさんあった。

夕日の風景を探す

カフェの上から夕日の撮影ポイントを探す。6月の太陽は正面から30度ほど右側の山の端に沈んでいく。太陽を避けるようにして正面の風景がもっとも夕日の色を表現できる。しかし,どうしても建物の一部がフレームに入ってしまうので,左の画像では下側をカットしている。

船に明かりが灯る

日が落ちると風景はオレンジ系から赤紫系に変わっていく。この風景の寿命は10分ほどであり,カフェの上から数枚の写真を撮ったが,コンパクトカメラでのオートフォーカスはこのような状態では正確には機能できない。


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