サマール島中部の西海岸にある町で人口は10万人,サマール州の州都である。サマール島の商業や物流の拠点となっている。町はアンティアオ川が西海岸にそそぐ南側に広がっており,淡水の確保が容易だったためなのか16世紀の後半にはスペイン人による植民が始まっている。
サマール島の中心とはいえ,飛行機や船によるアクセスは難しく,ルソン島最南端とレイテ島を結ぶフェリーと幹線道路を走るバスががほとんど唯一の交通機関となっている。マニラからレイテ島に向かう長距離バスを利用することができるが,おそらく24時間くらいはかかるだろう。
一昔前は地域の漁業の中心地であったようだが,乱獲とマングローブ林の破壊がたたり,現在はカルバヨグにその地位を奪われている。
カルバヨグ(07:00)→カトゥバロガン(09:00) 移動
06時過ぎにチェックアウトして隣のバススタンドの食堂で朝食をとる。ごはん,ウリの炒め物,コーヒーで33ペソであり,この地域の物価は安い。聖週間のハイライトとなる聖金曜日から一夜があけて,交通は
いつも通りに戻ったようだ。カトゥバロガン行きのローカル・バス(80ペソ)は2+3の一列5人掛けである。荷物スペースがないので混んでくるとかなり窮屈なことになる。
町を出てもほとんど海を見ることはできない。陸側にはときどき水田とヤシ林の風景が現れる。集落では井戸の周りで女性たちが洗濯をしている感じのよい場面を何回か通過した。集落の民家は板材もしくは泥で壁を造り,屋根はニッパヤシのものが多い。切妻屋根は一様に片側が長くなっており,なんとなくバランスが悪い。
Travellers Home
バスは2時間ほどでカトゥバロガンのバスターミナルに到着した。周辺の状況が分からないので自転車トライシクルでキカイズ・ロジングに行ってもらった。しかし,そこは閉鎖されており,運転手は「Travellers Home」に連れて行ってくれた。150ペソの部屋は3畳,1ベッド,トイレとシャワーは共同で清潔である。250ペソの部屋はベッドがダブルになるだけで似たようなものだったので,安い方を選択した。
シャワーで汗を流してから洗濯をどうしようかと考える。宿のおじさんに聞くとランドリーが近くにあるということなので洗濯物を持って出かける。ズボンが入っているので1.4kg,39ペソとなった。東南アジアではよく洗濯物1kgでいくらというランドリー・サービスが多い。僕は旅行中の洗濯はほとんど自分でするが,ズボンなどの大物が入るとお願いせざるを得ない。
トライシクルが多い
街中の移動手段は自転車タイプのトライシクルである。外国人の僕が利用しても1kmで5-10ペソである。需要に対して供給が多く,このように一列に並んで停まっている光景も多い。
北側突堤|水深があるので泳ぎ達者な男の子が集まる
カトゥバロガンの港には2つの突堤がある。北側の突堤は先端部が傾斜して水面下に続いている。これはフェリーが着岸するためのものである。周囲は水深があり,泳げる子どもたちの遊び場となっている。
突堤から水面までは2mほどあり,子どもたちは思い思いのポーズで飛び込みを決めている。もやい綱を固定する大きな金具からロープが水面まで降ろされており,子どもたちはそれを伝って突堤に上がる。
北側の海岸を望む
北側の突堤から町の北側の海岸が眺望できる。海岸の平地が狭いのか,海上の方が住み良いのか,かなりの水上集落が集まっている。背後の山は樹木が少ない。かってカトゥバロガンは地域の漁業の中心地であったが,乱獲に加え爆薬物や毒物を使用した破壊的な漁業のためすっかり漁場は荒れてしまった。
おそらく,かってはこのあたりを覆っていたマングローブもほとんど見かけない。これでは地域漁業の再生は難しいだろう。沿岸漁業の再生には後背地の山に植林し,マングローブの森を再生するという地道な努力が必要なのだ。
南側にはバスターミナルを挟んで南側突堤が見える
陸側では二つの突堤の間はバスとジープニーのターミナルになっている。ここでタクロバン行のバスについてたずねると,早朝は1時間に1本はありそうだ。ランドリーの洗濯物を早朝に受け取ると08時頃のバスに間に合いそうだ。
少し大型のバンカーボートが接岸している
バンカーボートは漁船だけではなく,近くの島に移動するときの足にもなっている。このような船で行き当たりばったりに近くの島まで行ってみるのも面白そうだ。
アウトリガーがじゃまなので舳先に板を渡して乗り降りする
南側突堤は漁業関係者のためにあるようだ
南側の突堤は漁業関係者のためにあるようだ。大きな船が接岸する設備は無く,魚市場があるだけだ。突堤の南側は階段が水面まで続いており,そこで魚の水揚げが行われる。ここに停泊している漁船の数はけっこう多い。
おそらくチャーター便であろう
南側突堤の周辺には近くの島に向かうと思われるバンカーボートが何隻も停泊していた。バンカーボートに乗ってこれからでかけるグループもいる。集合写真を撮っているところをみると観光客のようだ。
この船をチャーターして近くの島に遊びに行くところなのだろう。船の大きさに比して乗客が多いのでちょっと心配だ。観光客らしく僕がカメラを向けていることが分かると,手を振って応えてくれた。
付け根の浅いところは小さな子どもたちが多い
南側の突堤の陸側は岩の多い浅瀬になっており,こちらは泳げない子どもたちや,親子連れが海水浴を楽しんでいる。写真を撮ると大勢の子どもたちが画像を見ようと上がってくる。これではカメラにとってかなり危険だ。少し距離をとり,触れないようにして~画像を公開する。
大型の定期バンカーボートが出港していく
この辺りでは最大級のバンカーボートが突堤から出航した。客船となっているので中央部には日よけのテントが張られている。このくらいの船ならば50kmくらいの航海には耐えられそうだ。実際,大型フェリーで結ばれていない島の間はこのようなバンカーボートが唯一の交通機関となっている。
写真写りのよいギンカガミ
午前中の遅い時間だったので魚市場はほとんど終了していた。ギンカガミ(スズキ目・ギンカガミ科・ギンカガミ属)は写真写りのよい魚であり,ついつい各地で撮ってしまう。
太平洋,インド洋の暖かい海域に生息しており,西日本では干物などで食用にされるという。なんといっても平べったい魚なので可食部分は少ないことだろう。円形に近い特異な形状なので和名のギンカガミはおそらく「銀鏡」であろう。英名は「moon fish」となっている。
しばしば口にした鯵に似た魚
この鰺に似た魚はビサヤ諸島では良く見かけた。フィリピン定住者のブログの中ではよく鰺の話が出てくるので鰺ということに決定した。フィリピンの食卓にでる魚の中でも多いとも書かれているのできっと大衆魚なのだろう。
フィリピンで魚をずいぶん食べた。調理法でもっとも多いのはスープである。スープといっても三平汁のように魚や野菜が入っている食べるスープである。その中でもっとも多かったのはカツオであった。鰺はほとんど食べた記憶がなく,いま考えるとあそこの食堂で食べたものが鰺ではなかったと思い出す程度である。
州庁舎の前はきれいな公園になっている
州庁舎の前は整備された公園になっており,この町ではもっともきれいな一画となっている。中央にはオベリスクが立っており,これはサマールの歴史に関連した4つの大きなイベントが題材となっている。
それらは1899年から1902年のフィリピン・アメリカ戦争,1649年の対スペイン蜂起,1696年のイエズス会の来訪,1841年のスペイン女王によるサマールの独立宣言である。しかし,フィリピンの歴史についてそれほどの知識のない僕にとってはまったく知らない出来事ばかりだ。
なんとかくサクラを思い出させる満開の木がある
公園に満開の木があった。羽状複葉の葉を隠すほどの花である。雰囲気としては桜に似ており,亜熱帯の植物とはしてはなんとなく違和感がある。つぼみはピンクであり,花が開いた状態では真っ白になる。いちおうネットで調べてみたが,手掛かりが少なくまったく分からなかった。
州庁舎はコロニアル風の重厚な建物である
フィリピンの州庁舎はなぜかコロニアル風のものが多い。ここのものも白亜のどっしりとした建物であり,個人的には好きな部類に入る。
昼食はジョリビーでいただく
昼食はフィリピンの国民的ファストフード店であるジョリビーでいただく。ジョリビーはフィリピンのほとんどの大きな町に出店されており,机のない宿に泊まったときは日記を書くのによく利用させてもらった。
今日はハンバーガー,コーク,フライドポテトの組み合わせで60ペソである。ここではちょっとしたものを食べるとすぐに100ペソくらいの出費になるが,ごはん食を取り入れていることもあり,マックを軽くしのぐチェーン店となっている。
南側の海岸には海の上に魚を干すための設備がある
午後は町の南側を海岸沿いに歩いてみた。それほど面白いものはないが,漁師町の雰囲気を楽しむことはできる。海岸から突き出した,竹で組まれた設備はおそらく干物を作るためのものだろう。沿岸にはずっと続いており,いずれも骨組みだけの状態である。
最初は闘鶏場とは思わなかった
バイクやサイクルリキシャーがたくさん停まっているところがあり,道路を挟んだ陸側には何かイベントが行われている建物がある。近づいてみるとイベントはすぐに分かった。ここは闘鶏場であった。周辺では飼い主が他の鶏と睨み合わせ闘争心を高めている。建物の中に入るには30ペソが必要であった。
建物中央に闘鶏のリングがある
内部は直径5mくらいの闘鶏場があり,周囲には観客席がある。VIP席もあり,この国では闘鶏が非常に盛んであることが分かる。闘うとき鶏の蹴爪には刃物が取り付けられので,闘鶏場の周囲はガラスと格子で仕切られている。
二羽の鶏が紹介されると,賭け屋が注文をとる。この異様な雰囲気には圧倒される。もちろん観客席に座っているのは男性ばかりだ。フィリピンの女性はこんなものに血道を上げている男たちを困ったものだと思っているだろうね。
闘鶏は鶏にとっては文字通り命がけの闘いとなる。負けた鶏は立ち上がる気力もないほどのダメージを受ける。その後は肉になるとどこかのサイトに書かれていた。
おそらくルヌアナン・ビーチであろう
闘鶏場の先には海水浴場がある。砂浜ではなく小石の多い干潟のようなところだ。土曜日にもかかわらず人出はずいぶんまばらだ。
このような環境はマングローブの植林に適しているので,用途転換を計るべきだ。そして,一部をちゃんと整備して海水浴場にしたほうがずっと地域のためになるだろう。干潟のような環境とはいうものの海辺の生き物はずいぶん少ない。
帰り道で|まあ,かわいい
帰り道をちょっと急いでいた。あと20分くらいで夕日の時間帯になるからだ。でも,子どもたちに出会うとついつい長居をして写真を撮ってしまう。一人を撮ると,二人,三人と子どもが増えるので時間がかかるのだ。でも,子どもたちの写真は僕の旅行にとっては最高の思い出になるので,手抜きはできない。
時間がないので竹の干物台の上から夕日の写真を撮る
夕日の時間帯は刻々と迫ってくる。とても中心部の突堤までには間に合わない。海辺につながる建物があったので,中を通してもらい,竹の干物台の上から写真を撮る。
さすがに土足では気が引けるので,裸足になって先まで行く。夕日の沈むあたりに雲があり,それほどの夕日とはならなかった。家の人にお礼を告げて町に戻った。