新ライチャウからディエン・ビエン・フー方面に30kmほど行ったところにある小さな村である。川に平行して幹線道路が東西に走り,道路沿いには民家が並んで集落を形成している。急ピッチで土地の造成が行われており,川沿いの斜面は削られ赤茶色の姿をさらしている。
集落の西側に生鮮食料品や日用品を扱う数軒の商店と露店がある。宿はリゾートホテルが1軒あるだけ,食堂も数軒あるがいずれも異常な高さである。特別な興味や目的が無い限り,来るべきところではない。
ここから中国・雲南の那発に通じる道がある。左の大きさのgooglemap では地名は出てこないが,一本の道路が国境を越えてつながっていることが分かる。中国(雲南省)側の国境の町が「那発」である。
この町では6日毎の市が立ち周辺の少数民族の人々が集まってくるので,孟拉から日帰りで訪れてみた。国境線は川になっており,道路は橋を越えてベトナム側に向かっていた。この周辺の路上が定期市の露店で埋め尽くされていた。
3年前に那発を訪れたとき,「ベトナムから国境を越えて那発の市に来ていたきれいな民族服の少数民族の人々」の写真を撮った。
今回はプリントを持参し,彼女たちに会いに行くためパソを訪れた。バイタクに乗りあちこちと訪ねてみた。しかし,同じ民族服の人々に会えたものの,本人たちには会えなかった。
新ライチャウ(30km)→パソ 移動
新ライチャウ(10:00)→1100mの峠→パソ(11:15)とバスで移動した。新ライチャウのBSでパソの位置を再チェックし,やはりディエン・ビエン・フー方面だと判明した。パソなどという小さな村へのチケットはBSでは売っていない。今日も車掌と交渉で料金を決めなければならない。
BSで1時間ほど待つとディエン・ビエン・フー行きのバスがやってきた。距離はおよそ30kmなので10,000ドンか15,000ドンと想定していたら,あっさり車掌に15,000ドンを徴収された。
バスは標高900mのライチャウから1100mの峠を越え,一気に350mのパソまで下る。気温もずいぶん上がる。バスは西側の市場のあたりで僕を降ろしてくれた。
Lan Anh Hotel
市場の周囲には小さな家屋がまばらにあるだけで,とてもホテルがあるとは思えない。どうやらバスの中から見えたホテルが唯一の宿のようだ。距離が分からなかったのでバイタクに乗りホテルに向かう。
Lan Anh Hotel は立派な門のついたリゾートホテルである。メインの建物は木造で外観,共有スペースともなかなか感じが良い。しかし,客室はそれに比例しなかった。受付ではちゃんと英語が通じ,料金は8,10,15,20ドルに分かれていると説明される。
8ドルの部屋を見せてもらうと,ベトナムに入って以来もっともひどい部屋で5ドルでも高すぎる。なんとか10万ドンにしてもらったが,通常の場合,訪れる価値は無い。部屋は6畳,1ベッド,T/S共同,清潔である。ドアと太い丸太の柱の間に10cmほど隙間があり,その気になれば中が覗ける。
とりあえず昼食をホテルでとる。さすがリゾートホテルだけあって高い値段のメニューが並んでいる。注文した3万ドンの焼きソバは細いメンの油漬けでとても食べられた代物ではない。ほとんど残してしまい,パンを2個食べて昼食にする。
などとホテルの悪口を書いたが,2日目の夕方日本人の団体が到着した。サパからディエン・ビエン・フーに向かう一行である。夕食を済ませるともう寝る時間が近くなる強行軍である。ツアーもなかなか大変だ。
日本語のできるガイドが付いていたのでバクハからハジャンにかけての旅行事情を聞いてみた。確かに現地の警察の許可証が必要らしい。面倒な手続無しで旅行ができるなら行ってみたかったが,やはりだめのようだ。那発でとった写真を見せ,何という少数民族かとたずねてみた。ガイドはしばらく写真を眺め,たぶんザオ族の支族だろうと教えてくれた。
川の風景
幹線道路に並行して川が流れている。平地が少ないので対岸は斜面を削って土地を造成している。造成地のところどころに1mほど高くなった島がある。まさしく赤土の海に浮かぶ島である。人が住んでいるため削れなかった部分が残っているのだ。
上流側から見ると,川の両岸とも赤茶色の造成地となっており,その向こうにこのあたりでは1本しかない橋とマイクロ・ウエーブの中継鉄塔がある。背景には大きな山がそびえており,その風景は上流側も同じである。
幹線道路を西に歩き,宿から10分の市場に向かう。こんなところにも政府の立派な建物がある。市場はとても小さく,屋根のある商店が3-4軒,その前に野菜を商う露店があるだけだ。市場の先は赤土の造成地になり,大きな水たまりは水牛の水浴び場になっている。
市場から中国国境のナムクムに通じる道路が分岐している。このあたりも一面の造成地である。これだけ削れば雨季には赤土が川に流れ込み,川の風景も一変するだろう。
橋を渡り少し上流(西)側に歩くと,山村の風景になる。川から連なるゆるやかな斜面では焼畑が行われている。対岸の斜面からも煙が上がっている。どこに行っても周辺の斜面は無理な焼畑のため相当傷ついている。
近くの斜面は焼畑となっている
宿に戻りシャワーを浴びて一休みをする。シャワールームの横はテラスになっており,川の景色が楽しめる。ただし,テラスの端には手すりが無いので,まちがうと下に転落する。夜にトイレに行くときなどは要注意だ。
休憩後は宿の東側を歩いてみる。造成地が終わるとようやく普通の川の景色が楽しめる。川の両側は山になっており,道路の片側は急な斜面もしくは切り立った崖になっている。
川は地形に沿ってゆるやかに蛇行している。水はまだ赤土が流れ込んでいないため意外にきれいだ。焼畑の跡地は植生が回復せず,山の斜面は緑と茶色のまだら模様になっている。
雨期になったら赤土が流出して赤い河になることだろう
学校帰りの小学生が自転車に乗ってやってくる
学校帰りの小学生が自転車に乗ってこちらに向かってくる。この先には学校があるのだろうか。道路沿いにはところどころに家がある。多くは瓦屋根,土壁で床上げはしていない。
写真に対してはとくに拒否反応は無い
生垣の向こうで子どもたちが遊んでいる。写真に対してはとくに拒否反応は無い。一人は民族的な柄のかわいいプリーツスカートをはいている。彼女は気軽に個別の写真にも応じてくれた。
バナナの茎の芯の部分を輪切りにして家畜の飼料にする
隣の家の前では女性がバナナの茎の芯の部分を輪切りにしている。たぶん家畜の飼料にするのであろう。一定の厚さで切るため,専用の刃物を使用している。輪切りにされたものは大きなオニオン・スライスに似ている。いつの間にかさっきの女の子がそばに立っている。彼女の家はこちらだったようだ。
夕暮れの風景
大きな稜線がシルエットになる
何軒かの家に立ち寄りながらのんびり歩いていると,いつの間にか西の空が赤く染まっている。大きな稜線がシルエットになり,ピンクと青みがかった灰色との境界がくっきりと見える。市場に戻り暗くなる前に夕食を済ませ,宿に戻らなければならない。
夕暮れの風景
茜色の空を背景にきれいなシルエットになっている
水牛が我が物顔で道路を歩く
4時に目が覚め,それからうつらうつらの状態で朝を迎える。村の夜はとても静かだ。寝るときは少し暑かったが,夜半から温度が下がり布団にくるまって気持ちよく眠った。
明け方,近所の犬が一斉に吠え出した。一匹が吠えると連鎖反応が起きるようだ。朝の気温は長袖のフリースでちょうどよい。昨日の午後,腕時計の温度計が40℃になっていたのがウソのようだ。ホテルで食べた朝食のオムレツはやはり油が多い。どうもここの料理は油の使い方に問題がある。
ままごとのような食器洗いをしている
市場の方に歩き出すと水牛の群れが平然と歩いている。飼い主は見当たらないので勝手に食糧調達に行くところかもしれない。家の前で3人の女の子がままごとのような食器洗いをしている。朝陽のため少し赤っぽい写真になったが,笑顔がよくて素敵な一枚となった。
軽くガスがかかり幻想的な効果が出ている
外は十分明るくなっているが山が近いので太陽はまだ見えない。近くの斜面は稜線の樹木が茜色の空を背景にきれいなシルエットになっている。これがこの村で見た最高の景色である。
市場に戻り,バイタクの運転手と20km離れたナムクムの往復料金を交渉する。往復プラス2時間の自由時間で料金は6万ドンでまとまった。2kmあたり5000ドンは妥当な金額である。はたして那発でとった写真を本人に届けることはできるであろうか。
少数民族の一団と出会う
橋を渡るとその先は簡易舗装になっている。少し走ると道端でモンの人々たちが農産物を仲買人に売っている。4人の女の子が混じっており,いずれもきれいな民族服を着ている。
バイクを止めてもらい写真を撮ろうとすると大人の陰に隠れてしまいうまくいかない。最初の一人をとり,画像を見せ,フーセンをプレゼントすると残りの3人もようやく打ち解けてくれて,写真に納めることができた。
川の上流に向かっていく
道路は川沿いに国境まで続いている。那発で見た国境の川はこの川の上流部であった。ちなみにこの川はパソから南東に向かい,紅河に平行するダー川となりハノイの北東で紅河に合流する。
パソから離れると自然が豊かな川の風景になる。バイクを止めて人がやっと通れるほどのつり橋の写真を撮る。パソから14kmのところに写真と同じ民族服を着た女性のいる集落がある。集落の人に写真を見せると中に知り合いがいるようだ。
ベトナム側の国境監視所
バイタクの運転手はまったく英語ができないので,彼らの話し振りから推測するしかない。国境までの間にもう一つ集落があり,どうやら山の上の村らしいということになった。
とりあえず国境まで行ってもらう。街路灯が並び立派な国境管理の建物がある。それ以外は木造の家屋がまばらにあるだけだ。国境はまだ先であるが外国人はこの先には行けない。
ベトナム人は辺境カードを持っていれば国境を越えられる。バイタクの運転手は山の上の集落に行くのであれば追加の5万ドンを払えと言う。僕は合計で10万ドンを提示し,それで合意に達した。
目指す民族の集団を発見する
山の道に戻る途中,農産物を仲買人に売る交渉のため村人が集まっている。同じ民族服の女性たちもいるのでバイクを止め,写真を見てもらう。しかし,これはという情報は得られなかったようだ。
山の中の少数民族の村を訪問する
バイクは山の道を登り出した。勾配が急で2人乗りのため速度は上がらない。周辺の山はほとんど人の手が入っている。ところどころに段々畑があり,残りは斜面がそのまま常用の耕作地になっている。
道は山の中腹を縫うように続いており,どこまで行っても禿山のような風景は変わらない。ようやく目指す村に到着した。20軒ほどの集落である。外で作業をしている女性に写真を見せると,この集落にも写真の人々はいないようだ。10万ドンの写真配達はこうして不首尾に終わった。
あきらめて集落の写真を撮ることにする。貯水槽の近くに女の子が2人遊んでいる。カメラを向けても嫌がりはしないが,近くによると背を向けてしまう。
ここの住居は高床式ではない
そこで魔法のフーセンを取り出すとすぐにお友達になり,家を案内してもらう。板壁の内部は土間になっており寝台があるだけだ。家の前で集合写真を撮り,残りの子どもたちにもフーセンをプレゼントする。
魚とり|一種のレクレーションのようだ
午後は再び川沿いの道を東に歩く。流れの中に石を並べその下流側で魚とりをしているグループがある。大きな布を広げ上流側を並べた石で固定する。下流側は小石で押さえ,何人かで下流側から魚を追う。うまくすると小魚が布の部分に入り込むという簡単なものだ。
大の大人が嬉々として魚を追う姿はちょっと微笑ましい。布を持ち上げ魚が入っていると,オーッというどよめきが聞こえる。この日も暑かったので川には何組ものグループが入っている。川岸の砂利を取った跡の水たまりで魚をすくっているグループもいる。
トウモロコシを乾燥させる
昨日の家の前を通ると,おばさんは同じようにバナナの茎を輪切りにしていた。今日はちがった服を着た女の子もそばにいる。もう一度,笑顔のモデルになってくれたのでヨーヨーをプレゼントする。
その様子を斜め前の家の人が見ていたようだ。おじさんに手招きされてそちらに行く。さっそくお茶が出るので,ありがたくいただく。庭はコンクリートになっており,トウモロコシが乾燥のため広げられている。
ここにも2人の子どもがおり,トウモロコシを集めている。さきほどの女の子がヨーヨーを持ってやってきたので人数分を作らざるを得ない。この情報は隣にも漏れ,何人かの子どもたちがやってくる。大きい子にはヨーヨーを作り,小さな子にはフーセンをプレゼントする。これで笑顔の集合写真を撮ることができる。
子どもたちがここに案内してくれた
子どもたちが近くの施設に案内してくれた。平地の少ないこの土地に20m四方くらいのコンクリート敷きの墓地があった。ここに眠っているのはベトナム戦争時代に中国から義勇兵として参戦してきた人々と記されていた。
この義勇兵の人たちはこのようにていねいに葬られているが,300万人を数えるベトナム人の犠牲者の多くは,ただ土中に埋められただけであったという。子どもたちに案内のお礼を言って帰路につく。帰り道,昨日と同じように大きな山の端に夕陽が沈んでいく。