亜細亜の街角
ホイアンとミーソン,2つの世界遺産を訪ねる
Home 亜細亜の街角 | Hoian / Vietnam / Feb 2006

ホイアン  (地域地図を開く)

ベトナム第4の都市ダナンの南30km,トゥボン川が東シナ海に注ぐ河口に位置する小さな港町。16-17世紀には中国,インド,中東を結ぶ国際貿易都市として発展した。

それにともない中国人の移民が増える。朱印船貿易が始まると日本人も多数渡来し,タイのアユタヤ,フィリピンのマニラと並ぶ日本人町ができた。

河口といっても現在のホイアンは海からかなり遠い。またホイアン港は簡単な岸壁があるだけで水深も浅く,往時の国際貿易港の面影は薄い。現在の街並みは18世紀後半以降のものである。1999年に世界遺産として登録され,多様な文化の混じった街並みは多くの観光客を魅了している。

ホーチミン(1060km)→ホイアン 移動

ホーチミン(14:30)→ダナン(07:00)→ホイアン(09:00)と鉄道とバスで移動する。少し早めに宿を出て,文化公園の前でバイクタクシーを拾う。2kmほど離れたサイゴン駅まで10,000ドンは妥当な料金だ。

待合室のイスは50人分くらいしかなく,ベトナム鉄道を代表するサイゴン駅としてはずいぶん小さい。定刻の30分前に改札を通り列車に乗り込む。番号が表示されているので自分の車両はすぐに見つかった。

僕の乗った1等寝台車は4人1室のコンパートメントになっている。広さは180cmX180cm程度,2段ベッドが向かい合っている。ベッドの幅は60cm,糊の効いた白いシーツ,布団,枕が置かれている。

僕の寝台は下段で荷物は寝台の下に置けるようになっている。空間にゆとりがあり頭をぶつけることはない。同室の乗客は腰の悪いおばあさんとその孫の少女である。言葉はまったく通じないが手持ちの食べ物を交換したりしてそれなりに楽しい時間を過ごすことができた。

線路の幅が狭いため振動と横揺れが大きく乗り心地はあまりよくない。南部は乾季のため沿線の景色は茶色が支配的で,メコンデルタの緑に慣れていた僕にとってはなんとなく寂しい。それに対して中部は一面の水田や果樹園になり,南北に長いベトナムの気候の違いを実感することができる。

一等寝台には夕食が付いている。5時を少し過ぎた頃,係りの人が発泡スチロールに入ったお弁当を持ってくる。メニューはごはん,豚のバラ煮,サラダ,ほうれん草のスープ,水である。味はまあまあ,それを食べてしまうとすることがなく横になるしかない。冷房が効いているので布団が必要な温度である。夜中になると冷房は切れ,快適な温度になる。

6時過ぎにダナンに到着予定なので準備をする。同室のおばあさんは大荷物なので出口まで3回に分けて運んであげる。そのままうるさいデッキに待機したたがダナンに到着したのは7時少し前である。

ダナンは雨降りである。バイタクでホイアン行きのバス停まで移動する。ほどなく黄色のバスが到着したので乗り込む。家族経営のバスで強欲を絵に描いたようなおばさん車掌は40,000ドン(3ドル強、普通料金の5倍)を要求する。

普段であればそんなバスは降りてしまうところであるが,雨のためそれもできず非常に不愉快な思いをした。同じく乗り合わせた外国人旅行者とこの気違いじみた料金について悪口をいうことになる。

Hop Yen Hotel

ホイアンは曇り,1000kmほど北上したためさすがに涼しくなり,風が出ると長袖が欲しい温度である。宿情報がないのでバイタクに乗り,安宿に行ってもらう。

観光地ホイアンは宿代が高い。最初のところは15$と言われすぐにパスする。Hop Yen Hotelは8$でディスカウントの交渉はまったく無駄であった。部屋は8畳,1ベッド,T/HS付きでとても清潔である。さらに机,TVが付いており,道路に面したテラスもあり快適である。

ベトナム寺院

ホイアン中心部の旧い町並み

ホイアン中心部の旧い町並みは1時間も歩けば一通り見て回れる。観光客が多く完全なツーリストエリアになっている。これが世界遺産効果というものなのだろう。旧い家は土産物屋,カフェ,画廊,ホテルなどに改装されており,見栄えはするがそれほど見る価値はない。

画廊はとても多い。展示されている絵はホーチミンに比べてオリジナリティはあるものの,欲しいと思うものにはめぐり合えない。陶器はとてもすばらしいものが多く目の保養になる。

ベトナム風の寺院がある。門をくぐると正面に壁画に彩られた本堂がある。上段にはブッダが描かれ,下段には中国の神仙の世界が描かれている。古来から中国の影響下にあったため,ベトナム寺院は仏教と道教が混交している。屋根の両側には外向きに龍が置かれている。龍はベトナム建築には欠かせない装飾で,広東会館の龍は中心部に向き合うように配置されている。

屋根瓦は板状ではなく少しそっている。この瓦を曲面を下にしたものと上にしたものを横方向に交互に並べて,縦方向には上から下まで同じ曲面方向の瓦を重ねている。水は曲面が下になった瓦の列を流れるようになっている。これと同じ瓦は中国の貴州で再び見ることになる。

古い陶器のレプリカ

提灯は東洋的なお土産として人気が高い

夜になると幻想的な明かりとなる

刺繍工房

店頭に飾られている刺繍作品

オープンカフェ

朝の小学校

店の中で遊ぶ子ども

高校生の通学風景

路上のオープンカフェ

日傘がクールだね

日本橋はかって中国人街と日本人街を結んでいた

トゥポン川からの小さな水路が内陸に入り込み,その上に日本橋がある。江戸時代の日本橋をイメージしてはいけない。ここの橋は屋根の付いた中国風のものである。

日本人街があった頃,この橋の西側が中国人街,東側が日本人街になっていた。この橋はトゥポン川の方から眺めるのがベストであるが,そこにはなぜか張りぼての仮橋が造られており風景を台無しにしている。

トゥポン川の支流の風景

旧い町並みの南にトゥポン川がある。といってもそれは支流で本流はずっと大きい。支流の方はほとんど流れは無くたまり水のようだ。対岸には漁船が係留され,一列に並んだヤシが水面にきれいに写ってすばらしい景色を提供してくれる。

川の両岸は公園化が進行しており,重機があちらこちらで動いている。手こぎボートに乗ったおばさんが乗らないかと声をかけてくる。しかし,この風景でどこに行くというんだろう。

鏡のような水面は風景をきれいに写し出す

対岸を歩く

小さな橋を渡り対岸を歩いてみる。しばらく行くとトゥポン川の本流に出る。さすがにベトナムでも何番目かの大きな川である。支流とは風景が異なる。船大工の集落があり,引き上げられた漁船の修理が行われている。船を動かすためのレールが伸びているが,最近は使用されていないようだ。

■調査中

サトウキビの畑

■調査中

トゥポン川で採取した川砂を陸揚げする

川砂を集めている現場もある。船で運んできた砂をベルトコンベアーに乗せて運び出している。機械化が進んだのか,川砂をザルですくって集めるような光景はもうどこにも見られない。昼食後の休憩時間なのだろうか,おばさんたちはノン(ベトナム菅笠)で顔を覆って昼寝をしている。

郊外の農村風景

同じ道を戻るのはちょっとしゃくなので,川から離れ北に行くとアスファルトの道路に出る。道路の両側は一面の水田である。このような田園風景を眺めながら集落で子どもの写真をとるのはとても楽しい。しかし,お腹は空くし,朝から歩き通しなのでけっこう疲れた。水田の写真だけにとどめ,町に戻り昼食をとり昼寝に入る。

村の子どもたち

一面の水田が区画林まで続いている

籾を乾燥させている

村の中学校にて

村の寺院

ミーソン遺跡ツアー

ホイアンから「ミーソン遺跡」ツアーが出ている。ここは4-12世紀にかけて建設されたチャンパ王国の宗教建築遺跡である。チャンパの遺跡としてはベトナム最大のもので,現在も遺跡の発掘,修復が行われている。

1999年に世界遺産に登録されたので,ホイアンと合わせ世界遺産目的でここを訪れる観光客は多い。半日ツアーの料金は宿の隣の代理店では2$なのに,宿で頼むと3$である。当然,隣の代理店でチケットを買うことにする。

翌朝,宿の前で待っているとなかなか迎えがこない。家族経営のHop Yen Hotel は金に関してはとても厳しく,冷たい視線を浴びる。まあ,周辺の宿は10$を越えているところが多いので,宿代以外のところで稼ぎたい気持ちは分かるけどね。

08:20にバイクがやってきて,近くのホテルの前に停まっているバスまで行く。バスは昨日見た水田地帯の道を走り,1時間ほどで遺跡の駐車場に到着する。入園料は4$,ガイドが一括してチケットを買ってくれる。近くに管理事務所があり,ここで遺跡の概要を頭に入れる。ここから遺跡までは2km,シャトルバスが運んでくれる。

遺跡に到着するとガイドの長い説明が始まる。そんなことは時間の無駄というものだ。注意して聞いてみても覚えきれるものではない。この聖域には長い時間をかけてヒンズー教のシヴァ神を祭る伽藍が約60造られたといわれている。王たちはここに自分の伽藍を建て,そこで宗教行事を執り行ったのだろう。チャンパ王国の滅亡後この聖地は放置され,ベトナム戦争による破壊もあり,今ではその一部しか残っていない。

いろいろな遺跡を見てきた僕にとっては,ここを世界遺産に登録するほどのものとは思えない。レンガを積み上げ,たぶん漆くいで化粧を施したであろう伽藍は風化し,むき出しになったレンガは草木に覆われている。

木の根が内部まで入り込み,それを除去すると建物が崩壊するという。壁面の像の風化もひどく人の形がようやく見て取れる程度だ。これが保存状態のよい遺跡の現状である。残りのものは崩れてしまったり,半分土に還っている。

橋のところで6割の乗客は降りて船でホイアンに向かう

帰りのバスは橋のところで6割の乗客を降ろす。彼らはここから船でホイアンに戻ることになる。その後,バスは少し走り昨日の水田の近くで故障してしまった。僕は田舎の風景を楽しむためここで下車する。

知り合いになった乗客に手を振り,水田のあぜ道を北に向かう。水田のはるかかなたに村がある。その近くに用水路があり,渡るところが無いため,かなり遠回りして村に入る。犬がやたらと吠えるので追い払うための棒が欲しい。

豆を炒る

タニシの卵塊

水田を守るようにお墓がある

水牛に草を食べさせる

アヒルの養殖場

街の東側にはクアダイ・ビーチに通じる道がある。少し歩くと左側に水田地帯がある。農道が通っているのでのんびり歩いてみる。どうもホイアンの北側は一面の水田地帯になっているようだ。

集落の周辺は樹木が多いけれど,それ以外の土地はさえぎるもののない水田になっている。ところどころに水の入っていない区画がある。そこは草地になっており,おばさんが水牛に乗り,草を食べさせている。

水田では苗が50cmほどに伸びており,その茎にピンク色のつぶつぶの塊が付いている。これはタニシの卵塊だとミトーで出会ったニップさんが教えてくれたことを思い出す。

水路の横を歩いていくとアヒルの養殖場に出た。大変な数のアヒルが金網に囲まれた岸辺と水路にいる。これだけの鳥が同じ方向に移動していく様子は絵になる。

僕が歩いてきた水路には羽毛もクチバシも黄色いひな鳥がいくつかの集団になってエサになる草をついばんでいる。なるほど「クチバシが黄色いヒヨッコ」とはこういうものかと思いながら,親鳥を観察すると同じ黄色であった。

早朝の露店食堂

朝の市場

トゥポン川から商品を運び込む

魚はほとんど海のものである

ゴミ収集車

南シナ海まで歩く

6時に起きてNHKニュースを見る。滋賀県の幼稚園児殺害のニュースが報じられている。どのような悩みがあったにせよ,いたいけない子どもを,それも自分の子どもの目の前で殺害するとは信じられない。人の心の奥底には他人にはうかがい知れない闇の部分があるようだ。

いつもの屋台でフォー・ボー(牛肉メン)をいただき,川沿いの道を西に歩く。中央市場の周辺は果物,野菜を扱う露店がひしめいている。ノンを被った女性たちがここの主役なので写真の題材には事欠かない。曇っているため斜めの光が入らず写真は撮りやすい。

屋根付き市場の川に面した部分は魚を扱っている。カツオ,トビウオ,ダツなど日本でもなじみの魚が多い。氷で冷やしているだけなので,商品はさっさと売り切ってしまわなければならない。おばさんたちは真剣だ。

市場の東側には本流に架かる橋があるが,そこからの風景はさほどのものではない。なんとなく気分が動いて5kmほど離れたクアダイ・ビーチまで行くことにする。

曇っているとはいえ暑い中をひたすら東に歩く。中国寺に立ち寄ると子どもたちの声がする。となりの幼稚園の窓が見える。そばにより鉄格子の間から写真を撮り画像を見せてあげると,おもちゃを見せてくれる。握手も求められなかなか離してくれない。

道路の右側には水辺の素晴らしい風景がある。水路の向こう側に水田に囲まれたヤシの林があり,それが水面にきれいに写っている。絵のような風景にしばらく見とれていた。

大きな橋を渡るともう海岸は近い。汽水域の広い水路があり,その手前には養殖池であろうか四角に区切られた池が連続している。ホイアンから海岸までほとんど家が途切れることはなく,ホテルやレストランも多数見かけた。

クアダイ・ビーチ

クアダイ・ビーチはゴミがほとんどなくきれいな砂浜になっている。南シナ海の波は2mくらいになる。ビーチには何組かの観光客がいるだけで閑散としている。30分ほど砂浜に坐り,ただ波の動きを眺め,旅行中はめったにない静かな時間を過ごす。

その時間をジャマしに物売りのおばさんがやってくる。市価の3-4倍の値段では買う気はしない。姉弟であろうか子どもたちが砂遊びに興じている。それを眺めながら再び静かな時間を過ごす。

朝の通学風景

小学校の前で

ニッパヤシ

水牛は名前の通り水が大好きである

ベトナム寺院の門は立派だ

夕方の市場では屋台の食事がにぎわっている

トゥポン川の渡し船に乗り込む


ホーチミン   亜細亜の街角   フエ