亜細亜の街角
活気に溢れるベトナム最大の商業都市
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ホーチミン(サイゴン) (地域地図を開く)

人口500万人を抱えるベトナム最大の商業都市,メコンデルタで産出されるコメの輸出港として繁栄し,フランス統治時代に南部の中心都市として急速に発展した。南北分断時代はサイゴンと呼ばれていたが,統一後はホー・チ・ミン市と改名された。

現在でもハノイが政治の中心であるのに対して,ホーチミンは経済の中心となっている。中心部の美しい町並みはフランス統治時代に都市計画に基づいて造られたものである。歴史的な建造物,博物館などが数多くあり,観光資源には事欠かない。


ミトー(70km)→ホーチミン 移動

ミトー(08:10)→ホーチミン(09:50)とバスで移動する。宿でBTまでのバイクタクシー料金をたずねたところ,受付の女性はタクシーの手配と勘違いして電話で呼んでくれた。ベトナムで最初で最後のタクシー利用である。BTまでは3-3.5km,料金は30,000ドンとバイクタクシーの2倍はするが,それでもエアコンが入った車で快適な移動ができたのでよしとしよう。

BTのカウンターでチケット(18,000ドン)を買いバスに乗り込む。ミトーに到着したとき下車した国道に出て北東に進む。道路の周囲は家が途切れることは無い。9時頃から交通量が多くなりバスの速度は著しく遅くなる。乗客の要求により何回も停車する。バスはチョロンBTに到着した。

回りの人にベンタイン市場行きの市バスについて聞くとNo.1だということが分かった。彼が指差した方向に歩いて行くと,BTの外の路上でNo.1と表示されているバスが見つかった。

市バスの料金は2000ドン,車掌に「ファングーラオの近くで降ろしてくれ」と頼むと,ちゃんと合図をくれた。Tran Hung Dao Blvd通りから少し北に歩くとファングーラオ通りに出る。

ファングーラオ通り

10年ぶりに訪れたファングーラオ通りはあまりに変わっており,旧い記憶とまったく結びつかない。通りの両側はカフェや旅行代理店が並び,それらのほとんどが新しい建物である。シンカフェの前から客引きに案内されて,シンカフェの斜め前,通りから少し奥まったところにあるHai GHに到着する。

家の間口が狭いので2階の部屋の間取りは複雑で風通しは悪い。5$の部屋は6畳,1ベッド,T/S付きで清潔である。部屋が狭いため扇風機とテレビは壁に取り付けてある。窓はなくドアを閉めると換気はとても悪い。それほどよい部屋ではないがこの近辺で5$の部屋ではしかたがない。

困ったことにカンボジアで歯の被せ物がとれてしまった。ホーチミンなら大丈夫と考え,宿の近くにたむろしているバイタクの運転手に聞いてみた。1kmほど離れたところに病院があるという。ただし,そこまでの料金は2$だという。東南アジアでは外国人に高い料金を請求するのは当たり前のことであるが,ベトナムのそれはちょっと異常だ。

シクロ,バイタク,長距離バスなど運転手との直接交渉となると5倍くらいの料金は平気で要求する。ある程度,地元料金を確認しておかないと彼らの思う壺になってしまうので要注意である。

ファングーラオから離れると適正料金に近づき,10,000ドンで行ってもらうことにする。Tran Hung Dao Blvd通りに出てすぐのところに病院はあった。距離にして500m足らずである。

ここは総合病院で歯科はその中にある。レントゲンを撮り,しばらく待たされてから受付に呼ばれる。被せ物を見せ「ホーチミンにはあと2日しか滞在できない」と伝えると,特別室に連れて行かれ治療を受ける。

かみ合わせのチェックをしないのでちょっと当たる感じであるが,この程度ならばそのうち慣れるだろう。料金は26.5万ドン(18$)とこの国の物価水準からすると高額である。

フランス統治時代の遺産となるチークの並木道

ベトナム建国の父ホーチミンは現在でも尊崇の対象である

ベトナム鉄道の起点となるサイゴン駅

なま ぬるい水シャワーで汗を流し,サイゴン駅にダナン行きのチケットを買いに行く。およそ2kmほどの距離である。文化公園の南側のロータリーを北西に進む。ホーチミンにはロータリーが多く,そこにたくさんの道路が集まっているので方位計がないとすぐに途方に暮れることになる。

バイクが多いためロータリーに限らず道路を横断するのは大変だ。信号が赤でも右折するバイクは突っ込んでくるし,横断歩道の向こう側でも右折車に要注意だ。歩行者が渡り終わるまで待ってくれるなどと考えると確実に事故に遭う。

2つのロータリーをクリアしてようやくサイゴン駅前の通りに出る。このあたりには陶器を扱う店が多い。ベトナムの普通の食器をお土産にするのもおもしろそうだ。

サイゴン駅(Ga Saigon)はとても小じんまりとしている。手前にチケット・カウンターの建物が,その後ろに待合室がある。急行・特急列車の運行表があるので,それで列車をチェックすることができる。

窓口で列車名,行き先,ソフトベッド(1等寝台)と書いて出すと,窓口のアオザイを着た女性がコンピュータで検索してくれる。最初の列車の寝台は満席だったので,少し早い時間に到着する特急にする。

料金の54万ドン(36$)にはちょっと躊躇したが,ベトナムの思い出にOKを出した。アオザイ女性がキーボードをたたくとすぐに発券される。チケットには外国人と表示されているので外国人料金なのかと思っていたら,後日同じブースに乗り合わせたベトナム人も同じ料金であった。

駅前には蒸気機関車が展示されている

駅前で客待ちをしているタクシーの列

駅前には陶器を扱う店が集まっている

バイクの溢れる町

ヒマそうなシクロ

結婚式のデコレーションは華やかになってきた

戦争博物館

正式には戦争証跡博物館という。サイゴン名所の一つ旧大統領官邸の北側にあるので文化公園などと一緒に見に行くのがよい。博物館はこの種の施設としては例外的に外国人旅行者が多い。

中庭にはベトナム戦争で実際に使用された兵器が展示してある。ほとんどが米軍のもので,175mm自走砲には「もっともベトナムを破壊した兵器」という説明文がついていた。

建物内にはベトナム戦争に関わる写真や報道資料が展示してある。米軍に同行取材した写真も多い。ライフ誌の表紙を飾った解放戦線(ベトコン)捕虜の写真は僕も記憶にある。戦火を逃れて川を泳ぎ渡る母子,ナパーム弾で焼かれ国道を逃げ惑う少女,そしてソンミ村の虐殺…。

あの戦争で米軍は5,8000人の戦死者を出したが,ベトナム人の犠牲者は300万人(うち200万人は民間人)と言われている。また,枯葉剤の散布による先天的異常児の統計データやなまなましいホルマリン漬けなど戦争の後遺症についても展示されている。

経済発展にわくホーチミンの若い世代にとって戦争は過去の歴史になっていることだろうが,いまなおその影響で苦しんでいる人も多い。僕に展示資料を説明してくれた博物館の見習いスタッフは,ベトナム戦争が若い世代にきちんと伝わっていないと嘆いていた。

戦争博物館|M41型戦車

ベトナム戦争時に米軍が使用していた無傷の「M41ウォーカー・ブルドッグ軽戦車」が展示されていた。ベトナム戦時の米軍主力戦車は「M48パットン」「M551シェリダン」であったが,ヨーロッパやアフリカ北部のような大平原と異なり,山がちで森林や湿地の多い地形ではあまり役に立たなかった。軽量のM41型は小回りが利くので多少は役に立ったのかもしれない。

戦争博物館|M107型自走砲

博物館では「ベトナムをもっとも破壊した兵器」という紹介文があった。M107型175mm長距離自走砲は大口径の榴弾砲であり,最大射程距離は約30kmである。一般的に榴弾砲は野戦砲の主力であり,多連装ロケット弾のような新しい武器が登場してきても各国陸軍の主要戦力の一つである。

榴弾砲は移動するとき牽引車が必要であり,自走榴弾砲は戦車のように自力走行が可能にしたものである。空輸可能という条件のためコンパクトに設計されており,砲弾は2発しか搭載できず,そのため砲弾を運搬するトラックとの組み合わせで使用される。

北ベトナムの主力兵器も榴弾砲であり,こちらの移動は機械力だけではなく人力も使用されていた。もっとも,ベトナムの国土をもっとも破壊したのは砲弾や爆弾ではなく「枯葉剤」の散布であろう。これにより広範な自然が完全に破壊されてしまった。

戦争を知らない世代

都市部ではあまり子どもの写真は撮れない

運動公園の子どもたち

朝方に文化公園に行くと中学生や高校生が体育の授業を受けている。統一後,立派な校舎はできたがグランドのスペースが無いので公園を使用しているらしい。授業中の女生徒は集団のせいか気軽に写真に収まってくれる。

運動公園の子どもたち

運動公園の子どもたち

運動公園の子どもたち

運動公園の子どもたち

運動公園の子どもたち

路上のアトリエ

オリジナルをまねた複製

ベトナムの工房で制作される絵画の多くは写真や元の絵を複製したものが多い。ここに紹介した2枚の絵画もその流れにある。オリジナルではないとはいえ,ときには欲しいなと思うものに出合うことがある。我が家にはアジアの各地でお土産として買ってきた絵やバティック絵画があり,もう壁面がいっぱいなのでこれ以上,買うわけにはいかないのがちょっと残念だ。

透かし彫りの技法を使った工芸品

超絶的な刺繍技術による作品

レイロ通りにはコロニアル風の建物が多い。それらはホテル,公共施設などとして現在でも使用されており,街の景観をワンランク上のものにしている。その空間をヨーロピアンの団体がシクロの隊列を組んで移動していく。

素晴らしい刺繍の店も発見した。もらったパンフレットからすると,ここは有名な刺繍専門店らしい,店内に案内され,刺繍とはとうてい思えない精緻な作品を見せてもらい,ただただ感嘆した。

中国にも両面刺繍という優れた技術があるが,この店のものはそれをしのぐ超絶的な技術を駆使した芸術品である。それでいて値段は高いもので2000$程度である。ブランド品にはまったく興味の無い僕でも一枚欲しくなる。

■調査中

ベンタイ市場

ファングーラオの北側の通りをまっすぐ東に歩くとベンタイ市場前の広場に出る。市場の建物は駅舎のようにどっしりとしており,内部はきれいな市場になっている。観光客相手の商売が多いせいかここの物価はとても高い。栄養補給のための8個入りチーズ(1.5$くらい)を買おうとすると2個で5$というひどい値段なので他をあたることにする。

GPO(中央郵便局)は外観も内部もとても重厚である

サイゴン川に沿った大きな通りを横断するのは大変だ。バイクの洪水に巻き込まれ往生しているときにシクロに助けてもらったことから,GPO(中央郵便局)まで乗ることになった。シクロは乗客を前に乗せるので町をゆっくり見られるという利点がある。しかし,けっこういい値段だし,個人的には街を見るなら歩くのが一番だ。

GPOはフランス統治時代からまったく変わっていないのではと思われるほど外観も内部もとても重厚である。正面にホーチミン主席の肖像がかかっているのは植民地時代と異なるところであろう。日本への絵葉書の料金は7000ドンであった。

ノートルダム大聖堂

GPOの北側にノートルダム大聖堂がある。そちらに歩いていくと手前の花壇のあたりでアオザイ姿の女性がカメラに向かってポーズをとっている。これはとばかりに僕も一枚撮らせてもらう。次の瞬間,彼女たちの口から日本語が出てきたので驚く。アオザイは貸衣装で,そのための記念写真だという。なるほど,女性にはこんな楽しみ方もあるんだ。

大聖堂にビジターが入れる時間は午後3時からと決まっている。30分ほど近くで時間をつぶし,欧米人の旅行者と一緒に中に入る。巨大なアーチ型の天井が奥まで続いており,最奥の祭壇にはキリストとマリア像が飾られている。

両側の壁には聖書を題材にしたステンドグラスが配され,その間には聖人像,キリストの生涯を題材にした像やレリーフが配されている。内部の照明はほのぐらく,ステンドグラスが鮮やかに輝いている。

旧米国大使館

マジェスティック・ホテル

サイゴン川の北東側には躍進するベトナム経済を象徴するような近代的な高層ビルが立っている。少し北東に歩くと有名なマジェスティック・ホテルが見えてくる。

僕の好きな作家の開高健(かいこうたけし)は朝日新聞社臨時特派員として戦時下のベトナムで,南ベトナム政府軍に従軍して最前線で取材を続けた。彼を含む外国の報道機関が宿泊していたのがこのホテルである。

ベトナム戦争後は改修されたと聞くが,コロニアル風の外観は当時のままである。彼が亡くなったのは1989年,59才の誕生日の直前である。僕もそろそろその年齢に近づいている。

シティーホールとホーおじさん

レイロ通りを東に歩いていくと立派な市庁舎が見える。その手前は公園になっておりホーおじさんの像がある。ここはちょっとした撮影ポイントである。像の斜め前に三脚を置き動かない人がいる。フレームのじゃまだなと思いながらも,しばらく様子を見る。

彼は日本人のプロカメラマンでホーおじさんと市庁舎を重ねた写真を撮りたいが,市庁舎の上の旗がうまくたなびいてくれるタイミングを待っているとのことである。やはりプロの仕事は大変だ。

サイゴン川の風景

ベトナムでTCを両替するならベトコムバンクに限る。他の銀行でも両替は可能だが手数料は2-2.5%と高い。少し離れていてもサイゴン川の近くにあるベトコムバンクを目指す。もっとも今ならばクレジットカードのキャッシュ・アドバンスの方がはるかに利用しやすく,手数料もそれほどではない。TCの時代はもう終わりを告げている。

ベトコムバンクに到着すると入口が閉まっており,午後1時まで昼休みだという。近くに混んでいる食堂があったので昼食をいただく。ごはん,ナスの肉詰め,トウフの肉詰めの3品で9,000ドンである。このあたりが地元料金というところだ。

両替を済ませ近くを散策してみる。サイゴン川と合流している大きな水路は工事の最中で鉄板で囲われている。合流部には台船に取り付けられた巨大なクレーンが動いている。サイゴン川には多くの貨物船が接岸し,川を行き来する船も多い。

ビンタイ市場

観光客の集まる中心部から少し離れた中華街チョロンにあるビンタイ市場周辺は僕のような市場大好きな旅行者にとっては必見の場所である。現在ではベンタイ市場前のバスロータリーから1番バスに乗って終点まで行けば30分程度で行くことができる。市場の周辺には多くの商店や露店がひしめいており,写真の題材には事欠かない。

ビンタイ市場の風景|

ビンタイ市場の風景|サワー・ソップ

正式な和名はトゲバンレイシ(英名:サワーソップ)である。この果物はフィリピンで「グヤバノ」という現地名を教えてもらったが,この名前ではネットで検索しても何も出てこなかった。英名のsoursop は「酸っぱい浸したパン切れ」を意味する。原産地は中南米,熱帯アフリカとされている。同じバンレイシ属の釈迦頭とはごく近い近縁種である。

果実は楕円形で長さは20-30cmほどで,緑色の果皮の表面には少し硬いトゲが一面に生えている。果肉は白く,私が食べたものは上品な甘さと酸味をもっており,繊維質の食感はそれほど気にならなかった。文献ではリンゴ,バナナ,パインアップルを混ぜた様な風味と香りがあると記されている。繊維質が食感を悪くしているのでジュースやシャーベットに加工されることも多い。

ビンタイ市場の風景|

ビンタイ市場の風景|お茶とコーヒー

ビンタイ市場の風景|ノンを売る少女

ビンタイ市場の風景|ヒマそうなシクロ

■調査中

■調査中

市場の風景|

子どもたち

子どもたち|ピースサインがいっぱい


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