国内を南北に流れるメコン川によりカンボジアの国土は東西に分断されている。カンボジア国内にはメコン川に架かる橋がなく,国内の交通,物資輸送の大きな障害となっていた。カンボジア政府の要請を受け,2001年に日本の無償資金協力(総額64億円)によりコンポンチャム市郊外に長さ1360mの橋が架けられた。
橋は日本とカンボジアの友好を深めるために「きずな橋」と名付けられ,カンボジアでも日本語の名まえがそのまま使用されている。橋のイメージはカンボジアの500リエル紙幣の裏面にも使用されている。
コンポンチャムはカンボジア第3の都市であるが,これといった観光資源がないため,ここを訪れる旅行者は少ない。市内にはフランス統治時代の町並みと建物が残っており,のんびりするにはとてもよい所だ。市内の商店はほとんど中国系で,僕の訪問したときは旧正月を盛大にお祝いしていた。
コンポン・チュナン→コンポンチャム移動
コンポン・チュナン(08:00/90km)→プノンペン(09:30)(11:30/100km)→コンポンチャム(15:30)と移動する。バイク・タクシーでバス・ターミナル(BT)に向かう。8時のバスはなかなかやって来ない。
代わりに乗り合いタクシーの運転手がプノンペンまで7000Reで行くと提示してきた。悪くない料金なのでOKを出す。BTの係員は十分に注意するよう忠告してくれた。車は左ハンドルのカムリで,前に3人,後ろに4人が乗るためとても窮屈だ。プノンペンまでの国道5号線はきれいに舗装されている。
車はセントラル・マーケット西側のガソリンスタンドの近くに着いた。道路の向かい側がBTになっており,ここから旅行者が行きそうな町への便がほとんどそろっている。ホーチミンやバンコク行きの表示もある。乗客の多い路線は普通バスが,コンポンチャムのようにローカル便は小型バスになっている。
Serey Pheap GH
コンポチャムのBTからGHまでは500m足らずであるがバイク・タクシーで移動した。歩くにも場所が分からないのではしかたがない。Serey Pheap GHの2階の部屋は6畳,1ベッド,T/S付き,清潔である。料金は120B(3$),5$出しても文句の無い部屋だ。
旧正月のごちそうに招待される
コンポンチャムには中国系カンボジア人が多い。商店に入ると中国と同じように正月を祝う漢字のお札が目に付く。遠く故郷を離れても彼らは民族のアイデンティティを失っていない。
一軒の商店で旧正月を祝っていた。店の奥に敷物を敷いて親族が集まり食事である。僕もそこに坐らされて中華風カンボジア料理をいただく。デザートは不思議な味の果物である。彼らは「ヤシの実」と言っていたがこのような味は初めての経験だ。
その後,南インドでこの果物の正体が分かった。それは何回も見たことのあるオオギヤシの実であった。ココヤシより一回り小さく,ソフトボールより少し大きなものが房になっている。内部は3-4室に分かれており,それぞれ2個の果肉が入っている。実際,1個食べさせてもらうと渋皮の内側はライチのような触感であり,種子は入っていない。
早朝のメコン川
街の東側にメコン川が流れているのでまずそちらに歩いてみる。BTがある大きな通りを横切り,市場を左に見てさらに東に行くとメコン川沿いの道路に出た。右手の方向に大きな橋が見えたのでそちらに歩いていく。朝日がメコンの対岸から上り川面を染めていく。対岸の風景と川を行きかう船を入れる構図で何枚かの写真をとる。橋を背景に入れる構図もなかなかよい。
道路と川に挟まれた空き地に草葺の集落がある
橋の手前,道路と川に挟まれた空き地に草葺の集落があり子どもたちが遊んでいる。突然入ってきた外国人を大人たちはちょっと警戒のまなざしで見る。子どもたちも怖がってすぐには寄ってこない。でも写真の画像を見せてあげると大人も子どももすぐに打ち解けることができた。何人かにフーセンを作ってあげると,母親たちが子どもを連れて集まってくる。
少し先にはきずな橋が見える
日本の無償援助でできたこの橋はカンボジアと日本のきずなを深めるという意味から「きずな橋」と命名されている。橋の両側には立派な取り付け道路あり,そこを通って橋を渡ってみる。橋の上は片側2車線の道路となっており,コンクリートの板を敷いた歩道もある。中間点には3mほどせり出した部分があり,そこから下を見ると足がすくむ。
コンポンチャム側はビルや家屋が土手のすぐそばまで迫っている。反対側は樹木が多く,道路の近くを除き家はまばらである。歩測で橋の長さを測ってみた。川幅で1200歩,土手から土手までが1400歩である。
歩幅を60cmとすると1400歩は840mに相当する。橋の長さは公称1300mとなっているので,これは取り付け道路の部分を含むようだ。橋脚の高さは25mくらいとみた。現在の水面の10mくらい上まで茶色に染まっているので,そのあたりが増水期の水位と考えられる。
岸辺は近くの人たちの洗濯場となっている
集落の人々はメコン川で洗濯をし体を洗う。20mも歩くともう川岸になり,10mほど下にはメコンが流れている。岸辺の水は泥を含んでいるため少し濁っているが,岸から少し離れるとうすい青色の水になる。乾季でも川幅は700mほどもある。ゆっくりと,しかし確実に多量の水が南に移動している。
きずな橋の少し下流には中洲がある
きずな橋の少し下流側には大きな中州がありその間には竹を組み合わせた橋が架かっている。人が歩いただけでギシギシいう手すりも無いやわな橋を,地元の人たちはバイクで通行している。
家船の周囲は子どもたちの遊び場になっている
このあたりの土手の斜面はゴミ捨て場状態になっており,プラスチックの袋が散乱している。カンボジアではゴミの分別や焼却がまったく進んでいないうえ,ゴミ処分場も整備されていない。
それどころか家庭内のゴミを収集する仕組みすらまだ十分に機能していない。増え続けるゴミとそれに追いつかない行政のもたらす結果は川の土手や空き地への不法投棄になる。
大人たちは火を焚いて船の水漏れを防ぐためのタールを温めている。子どもたちは水で遊んでいる。クツを履いているため水に入れない僕は一計を案じ,ゴムひものないヨーヨーを作ることを思いついた。このアイディアは大成功で,陸と川の中でキャッチボールができた。
女の子が洗濯物を運んでくる
そのような汚染とは無関係に岸に係留されている家船の子どもたちは気温が上がると水浴びにやってくる。胸から膝までを覆う筒状の長いスカート姿はとても絵になる。
しかし,子どもたちは分流の中ほどで遊ぶのでコンパクトカメラには距離がありすぎる。ようやく洗濯をしていた子どもたちが戻ってきたので一枚撮らてもらう。
旧正月は爆竹で始まる
コンポンチャム最初の夜は旧正月を迎える大晦日のようなものだったらしい。夜通しカラオケとテレビの音がうるさくて完全に睡眠不足である。商店街に行ってみると庇のところに木の枝と紙にくるんだ何かをつるしている。にぎやかな音楽とともに中国獅子舞の一団がやってくる。
商店主が差し出した長い爆竹に火が付けられる。火をつけるのは獅子舞グループの仕事だ。爆竹は導火線に火がつくと下に落ちながら爆発する。
ものすごい音が連続する。近くにいる見物人は耳をふさいでいる。子どもたちも2B弾(注)のような花火をところかまわず投げ込んで爆発させるので危険極まりない。
注)昭和40年代の初期に流行していた爆発する花火。大きさは全長10cmほど,先端がマッチのようになっており,マッチ箱の側面でこすると着火し,牛乳ビンを破壊するほどの威力がある。あまりに危険すぎて製造中止になった。
中国獅子舞が商店を訪れる
そのような騒然としたした雰囲気の中で二人一組の獅子舞がパフォーマンスを披露する。この獅子舞は家内安全,商売繁盛を祈念するものであろう。
最後に高さ2.5mほどのところに吊るされているご祝儀を肩車の形でくわえ取り終了となる。この獅子舞はかなりの重労働なので次の商店ではメンバーを交代する。
素焼きの陶器を運ぶ牛車
朝食前にメコンの朝日を見に行く。橋の取り付け道路の下には素焼きの陶器売りの牛車が何台か置かれている。これを引く牛たちはくびきから解放され,近くで青草を食んだり,牛車に積まれた稲わらを食べている。
わらは商品のクッションでもあり牛たちのエサになっている。また御者の寝床にもなっている。工業的な陶器がどんどん入ってきているので彼らの将来は決して明るくない。
メコンの朝焼け
肝心の朝日は雲にじゃまされて全然見えない。太陽は少し昇ったところで顔を出し,メコンに赤い柱が立った。手漕ぎ舟がその柱をゆっくりと横切っていく。
中国式の飲茶の雰囲気がある
朝食を探していると中国式の食堂があった。回りにはバイクがたくさん止められ,席はほとんど埋まっている。中国茶を飲んでいるテーブルの一人が僕のために席を作ってくれた。
チキンをのせたごはんと小さなグラスのミルクコーヒーをつけて3000Re(約30B)はうれしい。コーヒーを飲み終わるとグラスをちょっとゆすぎ中国茶を入れる。暑い気候の中でもコーヒーや中国茶は不思議においしい。
枝を四方に伸ばしたインド菩提樹の木
足の向くままメコン川の南側を歩く。ちょっと変わった顔のブッダの立像のある寺院に立ち寄る。枝を四方に伸ばしたインド菩提樹の木があり,それに上っていた少年がよい被写体になってくれた。
イスラム地区を歩く
ここを過ぎてダートの道に入ると,そこはイスラム色の強い地域になる。たぶん彼らがチャムの人々であろう。イスラム寺院もあり女性はスカーフ,男性はイスラム帽が普通になる。この地区がイスラム一辺倒かというとそうではなく仏教徒もまざって仲良く暮らしている。
ヤシ酒の移動販売
道路を歩いているとヤシ酒の移動販売をしているおじさんを見かけた。カンボジアでよく見かけるオオギヤシの花房を切ると樹液が染み出してくる。それを容器で受けておくと翌日にはアルコール度の低いヤシ酒になる。
彼はそれを竹筒に入れて家々を回っている。あとくちがさわやかで酒の弱い僕でもコップの半分ほどは飲めそうだ。カンボジアでは小さな子どもまで平気で飲んでいる。