プノンペンからメコン川を200kmほどさかのぼったところにある小さな町。イルカ・ウオッチ以外にはこれといった観光資源はないが,とても居心地のよい町なので,ここを訪れる旅行者は多い。そのため,欧米風のカフェが何軒かできている。新しい安宿が多く長期滞在者も多い。
コンポンチャム(11:50)→クラチエ(16:00)→とバスで移動する。国道7号線が整備され,乗客は料金の安いバスに移ったため,プノンペンからの船便は廃止された。2001年当時のボート料金は8$,所要時間は5.5時間,これに対してバス料金は200B(5$)で所要時間4時間である。これではバスに軍配が上がるのは当然だ。
10時少し前にバスターミナル(BT)に行く。暑さのため500mが遠く感じられる。定刻の10:30を過ぎたころ係員があと45分と告げに来る。バスは12時少し前にほぼ満席状態で出発した。荷物室には自転車が2台入れられたので,僕のザックは車内持込となる。
道路状態は問題ないけれど次第に気分が悪くなる。「エッ,車に酔った?」,そんなバカな。汗がどっと吹き出す。座席に身を預けひたすら耐えるしかない。吐き気もしてきたのでビニール袋も用意する。
昼食休憩となり,外に出て側溝のところで吐く。胃液しか出てこなかったが少し楽になった。スプライトを飲むとさらに気分は落ち着いてきた。気分が悪くて吐き気がするのに炭酸水と驚かれるかもしれない。
あまり知られてはいないけれど,スプライトのような炭酸水は吐き気を抑えるのに有用である。タイではお医者さんが吐き気を訴える子どもに「炭酸水を飲みなさい」と言うらしい。その効果があったのか,バスに乗り,長袖のシャツを着て目を閉じるといつのまにか眠っていた。
クラチエにはBTがない。バスは町中の空き地に停まる。前回泊まったスターGHに行くと満室だと断られた。スターGHの南側に新しい宿ができていたのでそこに泊まることにする。
外観同様きれいな部屋だ。広さは10畳,2ベッド,T/S付き,TV付きで清潔である。料金はバーツに換算して160Bと格安である。とにかく横になりたい。チェックインもしないで2時間ほど寝るとようやく気分が良くなる。
中央市場|売り手も買い手も女性が多い
夜になると周辺はとても静かになりよく眠れた。宿の向かいに中央市場があるので,朝は04:30頃から人々のざわめきが聞こえる。バルコニーに出ると早朝の市場が見える。
南側の道路の両側には生鮮食料品の露店が並び,大変な混雑である。朝食前に市場を回ってみる。何枚か写真を撮り画像を見せてあげようとすると,「画像がこわれています」という表示が出る。今朝撮った何枚かの画像はすべてダメのようだ。
宿に戻りメモリーの画像をストレージに移し,初期化してみる。残念ながらこのメモリーはその後も100枚を過ぎると同じ現象が再現した。メモリーセルの一部が故障しているようだ。幸いメモリーは2枚持ってきたので事なきを得る。
朝食はスターのカフェでいただく。店は昔に比べずいぶんモダンになった。そのぶん値段も上がり,パンケーキとラッシーで90Bとはちょっとしたレストランの値段である。若い女性マネジャーに聞くと,経営者は3年前に変わったとのことだ。
メコン川沿いの道
メコン川沿いの道路を歩いてみる。4年前にスピードボートが停泊していた場所にはもう何もない。近くにはいかだの上に家を乗せた浮き家があり,四手網が取り付けられている。乾季のメコンは水量こそ少なくなっているものの,水はずいぶんきれいに感じられた。
4年前に比べて新しい家がずいぶん増えている。チークと思しき大木が道の両側に続いている。メコンは水量が少ないため砂州が大きく張り出し,その向こうに家船が停泊している。南の集落はちょっとさびれたような感じを受けた。それでもテレビが普及し,人々は家の中にいることが多い。学校の時間帯のため子どもも少なく写真の題材探しに苦労する。
かってこの辺りにはスピードボートの船着き場があった
小学校の校舎の前で
近くに小さな市場と学校がある。1-6年まで2クラスづつの小さな学校だ。低学年のクラスは先生がいなかったので,指で「シーツ」としながら写真を撮る。休み時間になると子どもたちが集まりすぎて良いフレームにならない。
一周忌のテーブルに集う
街に戻るときある家の庭にテーブルとイスが置かれ人々が飲食している。ちょうど喉が渇いていたので冷たい水を飲ませてもらう。するとテーブルの人々から坐るように言われ,ごはんをいただくことになる。大きな雷魚の姿焼きは,ローカルのタレを少し付けるととてもおいしい。チキンの入ったトムヤム・スープもすばらしい味だ。このおいしさには口内炎も気にしてはいれない。
テーブルのメンバーの中に少し英語ができる人がいたのでこの催しについてたずねてみた。「ダイ,ワン・イヤー」という単語が含まれていたので答えは一周忌ということになる。カンボジアでも日本と同じような習慣があるのかと感心する。帰りはバイクで送ってもらった。このおじさんはお礼のお金をどうしても受け取らない。丁重にお礼を述べて宿に戻る。
住居は高いところに並ぶのは洪水を避けるためなのかな
特製のジョウロで野菜に水をまく
市場の東側を少し行くと家がまばらになり,湿地と畑が多くなる。多くの家は高床式,床と壁は竹を編んだマット,トタン屋根になっている。一軒の大きな家におじゃまする。
ここは3世代,15人の大家族が暮らしている。中は大きな部屋と3つの小部屋に仕切られている。ベッドはないので板張りの床にじかに寝るようだ。家長と2人の孫の写真を撮り,フーセンを作ってあげる。タイ製のフーセンの人気は高い。
近くの畑ではおばさんが野菜の苗を植えている。土はカラカラに乾いており,水が蒸発しないようにしばらくはむしろをかけている。隣の畑では2つのじょうろを肩からつるした青年が,だいぶ大きくなった菜っ葉に水をかけている。水は近くのため池から汲んでくるとはいうものの,かなりの重労働である。市場に並んでいる野菜はこのような労働の成果なのだ。
鉄の玉を転がして基準線からの近さを競う遊びのようだ
クラチエはメコンの東岸にあるのでメコンに夕日が沈む
夕方になってからメコンの夕陽を見に行く。クラチエはメコンの東に位置しているので川越しに夕陽を眺めることができる。川岸にはたくさんの屋台が出ており,ビールを楽しんでいる地元の人も多い。
アルコールの飲めない僕はミックス・ジュースを注文し,正面に沈んでいく夕陽の風景を楽しむ。クラチエでもっとも豊かな時間が流れるひと時である。昼間の暑さはやわらぎ,わずかな川風が気持ちよく感じられる。このひと時を楽しみたくて再びクラチエにやってきたようなものだ。
土手の木は根がむき出しになっている
メコン沿いに北に歩いてみる。中山学校は少し立派になっている。MSF(国境無き医師団)の事務所があったところは赤十字に変わっている。急ピッチで国づくりが進められているカンボジアでは4年の変化はかくも大きい。
土手は現在の水面から10mほども高いところにあるにもかかわらず,土手の道はところどころで路肩がえぐられている。土手に生えている大木の根も大きくえぐられている。増水期のメコンの力は大変なものだ。
お姉さんと一緒に
北の集落はほとんど変わっていない。板張り,草葺もしくはトタン屋根の小さな家が並んでいる。この集落は子どもがとても多い。10才以下の子どもたちはほとんど無条件に撮ることができるが,それより上の年代の女の子はちょっと難しくなる。今日も暑く,2時間も外にいるとある種の疲労を感じる。宿に戻りシャワーを浴びてもまだ頭が熱いような気がする。