バッタンバンからトンレサップ湖の南を通りプノンペンまで国道5号線が走っている。トンレサップ湖がトンレサップ川になるあたりにコンポン・チュナンの町がある。このトンレサップ川に面した小さな町には数百隻の家船が集まっており,水運や漁業で生計を立てている。
川に面した道路沿いの200mくらいが町といえるたたずまいで,その外は農村あるいは漁村の風景となる。川沿いを歩いていると舟に乗らないかという誘いがかかる。手漕ぎのボートは1時間2$程度なので川の風景を楽しみたい方はこれに乗るのもよい。
バッタンバン→コンポン・チュナン移動
バッタンバン(08:00)→プルサット(09:50)→コンポン・チュナン(11:50)と移動する。バッタンバンからプノンペンまでキャピトルGH(プノンペンの有名安宿)のバスが運行されている。
宿でチケットを購入するとピックアップの車が来てくれる。通常は4$の料金であるが,中国の旧正月のため5$を徴収される。カンボジアのバス料金と中国正月がどのように結びつくのか納得がいかない。
キャピタルバスはこの国では得がたい大型のエアコン・バスである。8時ちょうどにバスは動き出し,いくつかの場所で客を拾い,国道5号線を東に進む。周辺は乾いた水田がどこまでも続いている。そのはるかかなたに防風林のような林が見える。集落の近くは木が多く,緑豊かな田園地帯となっている。道路は荒いアスファルトながら完全に舗装されている。
プルサットを過ぎしばらくして昼食休憩となる。出来合いのおかずの中から,鯉のような川魚のぶつ切りが入ったスープとごはんをいただく。食後はちょっとうたた寝をして,起こされたらコンポン・チュナンに到着していた。
リシセン(Rithisen)・ホテル
バス停からリシセン・ホテルまでは3km(実際には1.5kmほど)もあると言われ,バイクタクシーで移動する。リシセン・ホテルの3階の部屋(200B)は8畳,1ベッド,T/S付きで清潔である。テラスからはトンレサップ川の風景を見渡せる。
乾季のトンレサップ川は川幅は200mほどで北西から南東方向にゆるやかに流れている。宿の前は屋台が並び,夕方からは地元の人が涼を求めてやってくる。下流側には数え切れない家船が並び水上の集落を形成している。夜になると家船には灯りがともり,ほとんど固定式の住居になっている。宿の裏手は湿地になっており,左手には高床式の住居が並んでいる。
トンレサップに合流する川に架かる橋
宿を出て南東方向に少し歩くと家並みは途切れ,トンレサップに注ぐ川が入り江のようになっている。その少し手前は土地が高くなっており,そこから川を埋め尽くすような家船団地が眺められる。支流の川には竹と板を組み合わせた橋が架かっており往きには1B相当の通行料が徴収される。
トンレサップ川にはたくさんの家船が浮かんでいる
家船の多くは丸太を組み合わせた台の上に通常の家屋を乗せたもので,川の水位が上下しても浮力があるので問題は無い。個々の家船は杭で固定されており,備え付けの小舟で自由に行き来できる。子どもの頃から櫓を操っているので,小学生でも立派に小舟を動かすことができる。夕暮れ時になると家船の向こうに日が沈みちょっとした景色になる。
川岸の家は数mもの高床になっている
川岸の家は地面から5mほどの高床式になっており,踊り場の付いた階段を上らなければならない。メコン川からトンレサップ湖まではほとんど高低差が無い。このため雨期に水位が上がったメコンの水はトンレサップ湖に逆流する。
そのときはトンレサップ川の水位も大いに上がり,コンポン・チュナンの周辺も水没する。その対策として岸辺の道路は4-5mほど周辺より高くなっている。増水期にここを訪問するとまったく異なる風景が見られることだろう。
ここでも薪割は日常の必須仕事になっている
子どもたちは家の床下で遊んでいるいることが多い。写真に対する拒否反応はほとんど見られない。乾期用なのか,1mほどしかない低い高床式の家のそばでおばさんが薪割りをしている。
高床式の家でフーセンを作ってあげる
回りでは3人の子どもたちが遊んでいる。写真のお礼にフーセンをふくらませてあげるとその喜びようは大変なものだ。近くのお友達も集まってきて,フーセンをしっかり抱えている集合写真となる。
この辺りはだいぶ水が引いている
トンレサップ川に注ぐ小さな水路に沿って歩いてみる。コンクリートの浅い堰があり,その向こうは広い遊水地になっている。遊水地の回りで写真を撮っていたら15才くらいの少年が舟を漕いできたので乗せてもらう。遊水地の水位は50-150cmほどで丈の高い草が水面から顔を出している。
遊水地の風景を堪能する
遊水地の水は少しずつ引いており,一部では田植えが始まっている。しかし,これから4ヶ月は乾季が続くので現在植えられた苗はちゃんと稔るのであろうか。40分ほどで遊水地を一回りしてくれた少年にいくら払うべきか悩んだ。結局15B相当のリエルを渡すと彼はちょっと驚いた表情を見せた。まるでお金をもらえるとは思っていなかったかのようだ。
岸の家船では魚の売買が行われている
川岸から頼りない渡し板と竹の通路を通り,家船にたどりつく。普通の家船は浮台の上に家が乗せられ,歩くスペースは限られているが,となりの家船は家屋がなく広いスペースになっている。
子どもたちにオリヅルを教えていると,中型の船が横付けされ,周囲は急に騒がしくなる。船はいくつかに仕切られ,その中は魚の生簀になっている。
魚を船から上げて分別する
男たちは生簀の上の板を取り外し,手網で魚をすくい出す。広いスペースのある家船の床には長方形の枠木が置かれ,魚はその中にあけられる。この家船は魚を分別するための作業場らしい。
魚の分別は主に女性たちの仕事である。魚の種類と大きさが分別の基準である。お金になる魚は分別カゴに入れられ,残ったものは一まとめで大カゴに入れられる。
トンレサップは漁業資源の豊かな淡水湖である
トンレサップは世界でも有数の漁業資源の豊かな淡水湖である。船から上げられた大量の魚はその豊かさを示している。ここで分別された魚は岸辺の仲買人が買い取り,流通ルートに乗る。
トンレサップ湖はカンボジア人が消費するたんぱく質の約3分の2を提供しており,人口の15%が生計を湖に頼っている。この湖の環境を守ることはカンボジアの安定には欠かせないのだが,周辺の森林伐採による土砂の流入,乱獲による漁業資源の減少など,深刻な問題も出ている。
小さい子も魚をさばいている
水揚げされた魚は鮮度の落ちないうちに氷で冷やすか,さばくかしなければならない。あちこちでうろこを取ったり,内臓をとる作業が行われている。小学校低学年の女の子も大きな包丁やうろことりの道具を使って母親を手伝っている。
もう少し早い時期であればコンポン・チュナン名物のプラホック(小魚を塩漬けにして発酵させたもので日本の味噌のような調味料として使用される)造りが見られたかもしれない。そのときもこのような光景が見られるのであろう。
小魚を塩漬けにして発酵させた調味料
「プラホック」はカンボジア人の食生活には欠かせないもので,日本のミソと同じように調味料として使用される。もっとも,ミソは植物由来なのでそれほどクセはないが,プラホックは魚を発酵させたものなのでその匂いは強烈だ。市場でもプラホックの店の周辺では独特の匂いが漂っており,すぐにそれと分かる。
プラホックはコイ科の小魚の名まえである。この小魚が材料となっているので,それから作られる調味料もプラホックと呼ばれるようになったのだろう。この小魚はトンレサップ湖である時期に大量にとれる。人々はこれを買い求め一家総出でプラホックを作る。
現在は市販品がかなり出回るようになったが,昔はそれぞれの家でプラホック作りが行われていた。年頃の娘さんはこのプラホック作りをマスターしなければ結婚できないというくらい,重要な家事の一つであった。
プラホックは小魚を塩と一緒にカメに漬け込んで発酵させるものであるが,とにかく手間ひまがかかる。小魚のうろこを取り,内臓をとって水洗いする必要がある。魚が傷まないようにするため,作業はごく短時間で終了させなければならない。
そのため子どもたちもこの作業に参加させられる。写真の女の子がさばいている魚はけっこう大きいのでプラホックではなく,そのまま食べることになることだろう。塩と一緒にカメに漬け込み,当座の作業は一段落する。人々は牛車にカメを乗せ,家路につく。
カメの中で発酵が進むと魚の水分が出てくる。これを取り出したものが魚醤(ぎょしょう,タイではナンプラー,カンボジアではトゥック・トレイと呼ばれる)となる。魚醤の場合は地域により甲殻類を使用することもあり,その文化は東南アジアから日本にかけて見られる。
別の家では小魚を干していた。魚の干物は保存食料として人気があり,カンボジアの市場でもたくさん見かけた。トンレサップでは単純な日干しではなく,串刺しの形でまとめ,煙でいぶして燻製のようにしたものも多い。こちらはちょっと高級品といったところである。
高床式の家でヨーヨーとフーセンを作る
岸辺から離れた道沿いにもたくさんの高床式の家が並んでいる。一軒の家ではしごのような階段を上り子どもたちの写真を撮る。水をわけてもらい水ヨーヨーを作ってあげる。写真のお礼として4個のつもりが,子どもたちが集まってきたので2軒の家で8個を作ることになった。
子どもたちは大はしゃぎで周辺の人々に新しいおもちゃを宣伝してくれる。小さな子どもを連れたお母さんたちもやってくる。さすがにヨーヨーでは遊べないのでフーセンにする。
もち米をバナナの葉でくるむ
次の家では水に漬けたもち米と緑豆,豚の脂身をバナナの葉で厳重にくるみ,大鍋でゆでる食べ物を作っている。中学生くらいの女の子が細く裂いた竹の皮でバナナの葉をしばっている。妹はまだこの作業には早いのか,作業を見ている。
作業が一段落したところでオリヅルを教えてあげる。おそらく折り紙は初めての経験であろう。それでも僕のする通りに紙を折っていく。難しいところを手伝ってあげると立派なツルが出来上がる。姉妹は母親に誇らしげに見せている。
アンドールセイ村は焼き物の里として知られている
コンポンチュナンから5kmほど離れたアンドールセイ村は焼き物の里として知られている。しかしバイクタクシーの運転手に「アンドールセイ」といっても彼らは首をひねるだけである。
地面に壺の絵を描きそれを作るしぐさをすると「アンドゥン・ルセイ(Oundoung Rosey)」と言い直された。外国語をカタカナで表記するのはかように難しい。行き先が分かったところでバイタクで片道いくらとたずねると一人が3000Re,もう一人が2000Reと言うので安い方を採用する。
この村の家屋は板壁とトタン屋根となっている
アンドゥン・ルセイ村は緑の多い農村地帯にあった。肝心の焼き物はラテライト(紅土)色の素焼きで特に見るべきものは無い。おまけに製造工程もほとんど見られず期待外れである。それでも周辺には乾いた水田,オオギヤシの木,素朴な高床式の家屋など絵になる風景が広がっている。