カンボジア西部にトンレサップ湖という東南アジア最大の淡水湖がある。この湖の北側にアンコール遺跡で有名なシエムリアプ市,南側にバッタンバン市がある。現地ではバッタンボンと発音するらしい。
ポイペトからカンボジアに入った旅行者の9割はシエムリアプをめざすが,僕はベトナムビザを取得するためバッタンバンに向かった。フランス統治時代の建物が残るのんびりした町で,なかなか居心地が良い。
この田舎の町にもデジタル化の波が押し寄せてきている。町にはたくさんのインターネットの看板出した店をを見かける。ほとんどがPCを5台ほど並べただけの小さなものだ。ダイアルアップのため少し遅いが料金は1時間15Bと格安である。日本語IMEがインストールされているPCは僧侶に占拠されているので出直すことにする。
ポイペト→バッタンバン移動
ポイペトの市場の近くにアンコール旅行社というバス会社があり,シエムリアプやバッタンバン行きのバスを運行している。ただし,料金はバッタンバン行きで8ドル(320B)と高い。
ピックアップ・トラックなら荷台で100B,後部座席なら150-200Bと割安である。乗用車による移動サービスはバスに客をとられたのか見当たらない。バタンバン行きのピックアップを見つけ交渉に入る。1台目も2台目も後部座席がとれない。しかたがないのでこれも旅の経験と荷台に坐っていくことにする。
ところが荷台は荷物と乗客があふれ,足の踏み場も無い状態である。荷物多数と乗客20人以上の状態でトラックは動き出す。日差しは強いし,前の車の土ぼこりもひどい状態だ。
シエムリアプとの分岐点にあたるシソポンで乗換えとなる。次の車の混雑ぶりはさらにひどいものだ。荷台のへりに腰をかけていると衝撃で振り落とされそうになる。僕の荷物の上にも人が坐り,あとで調べたらノートや本がかなり傷んでいた。
汗とほこりと疲労の果てにようやくバッタンボンに到着したときは正直ほっとした。なじみのローヤル・ホテルにチェックインして,まずシャワーをあびて生き返る。部屋は10畳,1ベッド,T/S付き,とても清潔でこの町のお勧め宿である。
カンボジア風のお葬式
バッタンバンに到着したときにぎやかな行列が通過していった。鐘と太鼓を先頭にしてたくさんの人々が続いている。中に白装束の人が混じっていたのでお葬式であろうと推測した。ホテルでシャワーを浴びて外に出ると,鐘と太鼓のメンバーだけが街を回っていた。
後をついていくとお葬式の会場がある。親族の人々は白装束に白い頭巾姿で訪問客を迎えている。訪問客は白系統の普段着が多く,中には幅広の白いハチマキをしている人もいる。親族の人々が呼ばれ,棺の回りでなにやら説明を受ける。
手前では食事のテーブルが用意されている
参列者はテーブルに坐り,食事をしている。僕もテーブルに呼ばれ酒食のもてなしを受けたが,酒はとても強い蒸留酒なのでなめるだけで勘弁してもらった。
町の中央部をサンケイ川が流れている
サンケイ川はバッタンバンの中心部を流れ,街を二分している。乾季のため水位はかなり低い。鉄製の骨組みでできている橋げたに,小さな流木や枯れた草が引っかかっている。そこは水面から5mほど高いところで,このあたりが去年の最大水位であろう。川は子どもたちのかっこうの遊び場所である。土手を降りてカメラを向けるとみんな大はしゃぎでポーズをとってくれる。
僧侶を乗せた舟はこちらの岸に向かって動き出す
川の対岸を歩いているときおもしろい渡し舟を発見した。両岸にロープを張り,それに舟を固定するロープを取り付ける。こちらの岸から木製のドラムを回して舟の舳先に取り付けた引き綱を引くと僧侶を乗せた舟はそろそろとこちらの岸に向かって動き出す。
僕はこちら側から向こう岸まで乗ってみた。渡し舟一家の少年が同乗してくれる。ほとんど揺れも無く滑るように対岸に達する。少年が先に降り引き綱を引いて舟の舳先を川岸に引き上げる。200-300mも歩くと橋があるので,この渡し舟の利用客がそれほど多いとは思われない。それでも,市場で買物をして荷物をもっているときなどは重宝するのかもしれない。
少年が牛を川の中に入れ,体を洗っている
近くでは少年が牛を川の中に入れ,体を洗っている。乾季のほこりにまみれた牛たちはきれいになって土手を上っていった。
キワタ(Bombax ceiba)
科名:Malvaceae(アオイ科)
属名:Bombax(キワタ科)
和名:キワタ
英名:cotton tree,tree cotton
キワタ(木棉)は、アオイ科(クロンキスト体系や新エングラー体系ではパンヤ科)キワタ属の落葉高木である。和名のキワタは「木に生る綿」の意味であり,漢字では木棉となる。原産地が熱帯アジアということでインドキワタ,インドワタノキなどとも呼ばれている。
旧正月用のロウバイかな
反対側の土手の上には長さ3mほどの木の枝を束ね水桶の中に浸してある。水桶は100個ほどもあり,数人の人々がポンプで水を汲み上げかけている。枝からは新芽が顔をのぞかせ,一部には黄色の花が咲いている。この花は日本でいうとロウバイのようなもので,旧正月の時期に家々を飾ることになる。
ホールチキン
ニワトリの丸焼きである。タイの東北部では竹串に挟んで1羽づつ焼いていたが,ここでは太い鉄串に数羽を刺して一度に焼くスタイルである。この方法だと鉄串を回転させると全面がきれいに焼ける。このような焼き方は中東でよく見かけた。
市場の外のにぎわい
サンケイ川の土手沿いの道に面してニュー・マーケットがある。二つの切妻屋根の建物からなり,内部では生鮮食料品以外のものが扱われている。生鮮食料品は建物を取り囲むような露店で売られており,早朝と夕方の時間帯は大変な混みようである。
ベトナム領事館でビザを取得する
バッタンバンにやってきた目的はベトナムビザを取得するためである。市場の前の道を北にまっすぐ行くと左側にベトナム領事館がある。この領事館では1時間ほどでビザを取得することができる。
開館時間の8時に合わせて領事館に行くと,門は閉ざされている。周辺を歩いてから再度来てみるとやはり門は開いていない。警備所のスタッフが呼び鈴を鳴らしなさいと教えてくれた。
門のくぐり戸が開き領事館の中に入る。申請用紙に必要事項を記載し待つこと5分で領事が現れた。ノーネクタイの気さくな人で,ソファーに坐り書類をチェックする。そしておもむろにビザの期間は1ヶ月ですよと告げられる。
僕のベトナム旅行日程は約50日なので,なんとか2ヶ月ビザを出してくれるよう交渉する。スケジュール表を見せ,ビザ延長の面倒さを説明すると50日ビザを出してくれた。有効期間は申請用紙に記載した日付の通りである。料金は30$,これは1ヶ月ビザと同額である。親切な領事に「ベトナムを楽しんできます」と告げ,握手をして領事館を出る。
大勢の僧侶が一列に並ぶ
敬虔な上座部仏教の国カンボジアにはタイと同じように多くの寺院がある。早朝の托鉢風景もタイと同様である。ベトナム領事館の手前にある寺院では何かイベントがあるようだ。テントが張られ,周囲にはイスがたくさん用意されている。
準備が整うとテントの中には数名の僧侶が入り,100名ほどの白いブラウスと巻きスカート姿の女性が席につく。一組の夫婦があいさつをする。どうもこの夫婦が新しい建物をお寺に寄進し,今日はそれを記念する行事のようだ。
人々は持ちきれないほどの供物を寄進する
あいさつ,演説,テープカットのあと,女性たちは移動し,イスが2列に並べ替えられる。しばらくすると托鉢用の容器を抱えた僧侶が大勢やって来てイスに坐る。
さきほどの女性たちは競って僧侶に品物を手渡す。飲料水,インスタントラーメンが主流で,お金を渡している人もいる。僧侶の托鉢用容器はすぐにいっぱいになり,残りは肩から下げる袋に入れられる。それでも収まりきれない品物はビニール袋に入れられ僧侶の前に置かれる。
バッタンバン駅
カンボジアにはわずかながら鉄道が運行されている。バッタンバンとプノンペンを結ぶ路線もその一つである。次の目的地コンポンチュナンに列車で行こうと計画していていたので鉄道駅に情報を集めに行く。
外国人料金はずいぶん高い
キップ売り場の上には英語で「プノンペンまで16,500Re,06:40出発」と書かれている紙が貼ってある。1$=4150Reなのでプノンペンまでの料金は4$程度である。
貨車ではなく客車である
しかし,改札を出て線路にある貨物車両を見てその古さとひどさに愕然とする。これでは客車も相当なものであろうと考え,列車の移動はあっさりあきらめる。
駅の近くのにも集落がある
線路沿いに少し歩くと集落がある。カンボジアの集落には例外なく子どもたちが多い。この国の合計特殊出生率は4人を越えている。1.25まで下がって社会問題になっている日本とは比較にならない。その代わり新生児の15%は5才の誕生日を迎えられない。
オリヅル教室を開く
この集落の広場でたくさんの子どもたちの写真を撮る。お礼にオリヅルを作ってあげる。子どもたちは縁台の回りに集まり,四角い紙から立体的なツルができる様子を顔を近づけて見ている。出来上がった作品を受け取った子どもたちはとてもよい笑顔である。
昔懐かしい鉄橋
サンケイ川対岸の南側を散策する。川には鉄道用の鉄橋がかかっている。ほとんど使用されていないので,レールはさびついている。
線路の内側に板が敷いてあり渡ることができる。板が傷んでいるので枕木の上を歩くようにしたがちょっと怖い。子どもの頃は板の無い鉄橋をみんなで渡ったのに,今では下を見ると足がすくむ。
この子たちは仏教徒かな
カンボジア風の高床式の住居があったので小さな集落を訪問する。床下では女性たちが軍服のスナップ・ボタンを取り付けている。他の家でも同じような作業が行われている。
小学校高学年の女の子は昼食の支度に,菜っ葉を切っている。まないたが無いので手のひらに乗せており,これはちょっと危ない。写真を撮っていると近所の子どもたちが集まってくる。写真のお礼はフーセンにする。タイ製のフーセンは厚みがありかなり丈夫だ。
キノコを栽培する
別の集落を歩いているとペットボトルに土を入れている家があった。しばらく見ていると裏手の小屋に案内してくれた。小屋の壁には土の入ったたくさんのペットボトルが横にして積まれている。何本かの口の部分には白いきのこが出ている。この家の商売はきのこ栽培であった。
ライス・ペーパーを作る
コメから麺を作る家内工場もある。東南アジアでは小麦メンとコメのメンの両方がある。個人的には小麦メンの方が好きだが,材料の関係からかコメのメンの方が優勢である。
コメは乾燥状態では粉にできないようだ。水に漬けたコメを碾き臼ですりつぶして液状にしたものを蒸し器の上に張った布の上に薄く塗る。十分に蒸されると紙状になるので布から外して乾燥させる。これでライスペーパーができあがる。これをシュレッダーのような機械に入れるとメンが出来上がる。