亜細亜の街角
変わりゆく国境の町
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国境の町ポイペト

ポイペトはタイのアランヤ・プラテートと向かい合うカンボジアの国境の町である。外国人にも国境が開かれているので,ここを通りシエムリアプやバッタンバンに向かう旅行者は多い。

国境という地理的条件があるため,職を求めカンボジア各地から多くの人々が集まり,「治安が悪い町」というレッテルを貼られているが,数年前に比してかなり改善されている印象を受ける。国境の近くのホテルにはカジノが併設されており,ツアーの観光客も宿泊している。

この日は宿(06:30)→モーチットBT(07:10)(07:40)→アランヤプラテート(11:45)と移動する。宿の前からNo.3のバスに乗ってモーチット(北BT)に向かう。今日のバスは冷房車だ。冷房が効きすぎており,長袖を着ていないと耐えられない温度だ。料金も20Bと一般車の2倍以上する。

アランヤプラテート行きのバスも冷房の効き過ぎで寒い。 12時少し前にアランヤプラテートに到着し,バスで一緒だった韓国人とトクトクをシェアして国境に向かう。

タイ側のイミグレを通過し,カンボジア側でアライバル・ビザを取得する。パスポート,ビザ申請書,写真1枚に20$を付けると10分ほどでビザのシールが押されて戻ってくる。

変わりゆく町

3年ぶりに訪れたポイペトの町は少しずつ町の体裁を整えつつあった。木造のバラックのような建物がコンクリート製のそれに変わってきている。

イミグレから記憶を頼りに3年前と同じ「Reah Smey GH」に向かう。料金は150Bである。部屋は6畳,1ベッド,T/S付きで十分清潔である。

この町の食堂はムチャクチャに高い。。夕食はごはん,モツ煮込み,ライチジュースで55Bというひどい金額を請求された。モツ煮込みの味は外観と同様にひどいものだ。

変わらないのは子どもたちの笑顔である

ねえ,君はカメラに近づきすぎるよ

この子はクメール風の顔立ちだね

大八車で運ぶ

この子の後ろは古着の山である

大量の古着が集められ端切れでバッグなどが作られる

メインストリートの北側の通りの様相も変わっていた。小さなバラックのような商店街は取り壊され,新しい建物に変わっている。ゴミが散乱していた通りもきれいになった。家の前で遊んでいた子どもたちの姿はもう見当たらない。

ポイペトの町にはよく軒先にジーンズの古着を山のように積み上げた光景を目にする。ジーンズを解体してそれからバッグを作る家内工業である。バッグの外側にジーンズのポケットがそのまま付いていたりしてちょっとユニークである。カンボジアではよくこのバッグを持ち歩いている人を見かける。

民家を利用した学習塾の子どもたち

この町にはまともな学校がないのか,民家を利用した学習塾をよく見かける。ここではは小学校高学年の子どもたちが真剣に学習している。歩道にはみだしている低学年の子どもたちは遊びの延長のようだ。彼らの服装はこざっぱりとしており,子どもと教育にお金をかけられる層が確実に増えてきている。

カンボジアでも学習熱は高くなってきたようだ

お食事の最中に失礼

メインストリートの1本北側の通り

メインストリートの1本北側の通りを国境方向に行くとトタンやシートを壁材にした半分スラムのような家が並んでいる。町はそこから北の方向にどんどん広がっている。

雨期の浸水に備えるためか,家は1mほどの高床式になっている。生活用水は大きな水がめを使用し,飲料水は近くの水道からプラスチックの容器に入れて運んでくるようだ。下水はまったく整備されておらず,たれ流し状態である。

クメール顔の子どもたちはとても写真好きだ

このような環境でも子どもたちは元気に育っている。もっとも,ユニセフの「子ども白書」によると,カンボジアでは新生児が5才までに死亡する確率は1000人あたり82人にのぼる。

このあたりで遊んでいるクメール顔の子どもたちはとても写真好きだ。集合写真を撮って画像を見せてあげると,一人もしくは二人の写真を撮ってという要求が来る。近くの子どもたちも集まってきて収拾がつかなくなる。

町を歩いていると次々に写真希望者が出てくる

写真の時は直立不動となる

ほら,カメラを見るのよ

彼女の座っているのは大きな水がめである

小学校を発見

教室はこんな風になっている

町外れに新しい小学校ができていた。コンクリート作りでオレンジ色の瓦で葺いてある。ここでも子どもたちが新しい机で学んでいる。そろそろ終業時間なのか先生のいない教室があったので学習風景を写真にとる。

授業が終わると終礼がある

授業が終わると生徒たちは中庭に集合し国旗を降ろす儀式が始まる。年長の生徒が子どもたちを整列させ,週番が国旗をゆっくりと降ろす。儀式が終わると子どもたちは小さな集団になって家に帰る。

人数が少ないとヨーヨーを作ってあげられる

変わった風船を商う

これも売り物なのかな

屋台の食べ物

魚の燻製や焼き魚はイサーンと同じ文化だ

女の子はこの年頃から商売を手伝う

中央の果物はロンガン(龍眼)である

年長の女の子は弟妹の世話をする

屋台の風景

仲良し3人組

朝の寺院

今朝の朝食はとなりの食堂でいただく。白いごはんにロースト・チキンを乗せた東南アジア版のチキンライスである。これに具の無いスープがついて40B,味はまともなのでこの町では満足しなければならない。

ロースト・チキンにはたくさん骨が含まれており,知らずにがぶりと口にすると異物感に驚くことになる。食堂の主人は分厚い札束を持って,従業員に指示を出している。客も多いのでけっこう繁盛しているようだ。

国境近くには新しい寺院ができている。中に入ると大理石の床にゴザを敷いて大勢の人々が手を合わせて読経をしている。中央の高座には一人の僧侶が読経をリードしている。右側の一部は一段高くなっており20人を越える僧侶が2列になって食事をしている。この日は何か特別な日だったのかもしれない。

カンボジアの読経は日本のそれと異なり,音の高低があるのでまるで音楽のようにも聞こえる。人々の読経の声は一つの音になって広い空間に響きわたり,目を閉じていると音の波に引き込まれそうになる。

近所の子どもを呼んで一緒に写真を撮る

立派な建物はカジノかホテルである

カジノの前で団体客が通りを眺める

国境近くには付属のカジノをもつホテルがたくさんある。中に入ってみるとほどよく冷房が効いている。なぜか警備員から帽子をとるように注意を受けた。

無人の電子絵合わせ,数字当てあるいはスロットルマシンの人気は低い。ディーラーが介在するカードゲームやルーレットには,朝早くからたくさんの人々が群がっている。

このホテルには韓国人の団体が宿泊しており,カジノでは韓国人や日本人が主役となっている。韓国人の団体はそろそろ移動のようで,玄関に並べられたたくさんのスーツケースが大八車に積み込まれる。何人かのツアー客がタイに向かう人々の列を写真に収めている。

ここがタイとカンボジアの国境

カンボジア側からタイに向かう荷車

国境のカンボジア側から近代的なビルの間の道路を空の大八車を引いた人々がタイを目指して国境を越える。タイ側では税関が目を光らせているので売り物になるものは積んでいない。

中に子どもがたくさん乗ったものがある。この子たちを連れて国境を越えていったい何をするのであろうか。ちょっと前は多くの子どもたちがタイ側に売られていった国境であるが,さすがにこれはちがうでしょうね。

タイ入国待ちの荷車の行列


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