タイの東北部は国土の30%を占めイサーンと呼ばれている。チャオプラヤ川の氾濫で肥沃な中央平原と異なり,やせた土地と塩害のため,イサーンでは年に1回,雨期にしかコメがとれない。
このためタイでも貧しい地域の代名詞となっている。コラートはバンコクから約250km,イサーンに向かう国道2号線が通っているため,イサーン入口の町になっている。
正式名称はナコン・ラチャシーマ(Nakhon Ratchasima)であるが,それでは長すぎるのかタイ人はコラートと呼んでいる。他の歴史のあるチェンマイなどの都市と同じように堀で囲まれた東側の旧市街とその西側の新市街からできている。
その境界にはお濠の地形を利用した大きな公園がある。鉄道駅やBTは新市街にある。コラート周辺にはピマーイ,パノム・ルン,ムアン・タムなどのクメール遺跡があり,遺跡見学ツアーも出ている。
プラ・コンチャイ→コラート 移動
プラ・コンチャイの宿からバイクタクシーでバス・ターミナルに向かう。コラート行きのバスは5分ほどでやってきた。通常,タイのバスはBTでチケットを購入することになっているが,近距離なので料金は車内で車掌に支払う。コラートに向かう国道24号線は片側1車線の道路を2車線にする拡幅工事の最中である。周辺の畑を削り熱帯特有の赤い土の道路ができつつある。
トウキョウ・ホテル
コラートのバスターミナルは街の中心部からだいぶ離れているらしい。地図もガイドブックも無いので,近くを走っている市バスの車掌に「トウキョウ・ホテル」行きの市バスの番号を教えてもらう。
ホテルの側面の壁には富士山と鳥居が描かれておりよい目印になった。トウキョウ・ホテルは10年前に泊まったはずなのに建物はまったく記憶に無いものであった。フロントで確認すると,昔のホテルは廃業し別の場所に同名のホテルが建てられたそうだ。
部屋は12畳ほどの広さで,ダブルベッド,T/S付き,新しくて清潔である。料金は250Bで3日泊まるからと言っても,ディスカウントには応じてもらえない。
ソンテウ
タイの庶民の足はソンテウという小型トラックの荷台を改造して旅客用としたミニバスに類似した乗り物である。運行区間が短いローカルバスのような位置づけであり,町の中だけではなく,町と郊外を結ぶものもある。また,農村部のようにバスが運行されていない地域ではバスの代行をする長距離のものもある。
ソンテウはタイ語で二列を意味しており,この呼び名は小型トラックの荷台に向かい合わせになった二列の客席に由来している。客席の間は荷物置き場となる。
タイの農村部ではちょっと遠くに行こうとするとこの乗り物のお世話になることになるが,だいたいの地元料金を知っていないと1.5-2倍ほどの料金を請求されることがある。とはいっても,地元料金が10バーツ(約30円)から40バーツ(約120円)程度のものなので,それほど警戒する必要はない。
デイゴが花盛り
デイゴ(マメ科・デイゴ属)が鮮やかな朱色の花を咲かせている木がある。日本でも沖縄にはデイゴがあり,その原産地はインドである。しかし,デイゴもいろいろな種類があるのか,沖縄のものが鮮紅色であるのに対してここのものは朱色である。
葉を落とした木の枝の先端部が総花序になっており,花で埋まっている。デイゴの花は生命の躍動をそのまま色にしたように美しいが,その末路は哀れである。盛りを過ぎた花は次第に暗赤色になり,落ちることなくしばらく枝に留まる。鮮やかな花盛りと比較すると,その落差はあまりにも大きい。
タオ・スラナーリー像
市街の中心にある女性像でヤー・モーの呼称で市民に親しまれており,普段も参拝する者が絶えない。1827年にヴィエンチャン王国のアヌウォンがバンコクに攻め入ろうとコラートを通過した際,バンコクに出向いて留守にしていた国主の妻ヤー・モー(ターオ・スラナーリー)は機転を利かせ,敵兵士たちを酔いつぶした。それに乗じてタイ軍はアヌウォン軍を敗走させ町を救った。ラマ3世はその功績を称えてタオ・スラナーリーの称号を与えた。この像は彼女を讃えて1934年に建てられた。
お濠の公園にある国王の肖像
タイで最も有名で最も敬愛を集めているのがプミポン国王である。民政とクーデターが交錯する不安定な時代,また民主化が達成されたあとも大きな政治問題が発生したとき,プミポン国王の仲裁により政治的安定が保たれた事例はいくつもある。
この名君の誉れも高い国王の即位60年を祝う大きな肖像がタイの至る所で見られた。コラートでも旧市街をとりまく濠の一画に立派な肖像が飾られている。
ちょっと珍しい二階にある寺院
宿の前は大きな通りになっており,東に行くと旧市街のお濠にぶつかる。西にしばらく行くと右手にちょっと変わった大きな寺院がある。寺院の1階は事務所エリアになっており,その上に寺院が乗っている。寺院の周りは屋根付きの廊下になっており,外側の壁面には説法図が描かれている。
寺院内にある火葬場
お寺の一画には細い煙突のような塔をもった建物がある。変わった形の寺院だなと思いながら階段を上ると鉄製の扉がある。どうやらここは火葬場のようだ。この後,注意してみると多くの寺院にこの構造の建物があることが分かった。タイでは寺院で火葬するのが一般的のようだ。
タイ寺院の仏像はすべてブッダのものである
次の大きな寺院では,本堂の2階で20名ほどの僧侶が経典を学んでいる。得度式を済ませて間もない新人僧侶のようだ。指名された僧侶は何回かつっかかえ,指導の僧侶に助けられながら経典を読んでいく。
寺院内に置かれている仏像は一部の例外を除きすべてブッダの像である。仏像の多くはタイの人々が最高の宝としている金色に塗られている。
新しいものはまばゆいばかりの金色であるが,時を経ると落ち着いたくすんだ色になってくる。その中で高さ30cmほどの小さな仏像が僕の目を引いた。後背にナーガを配した見事な造形である。
これはタンブンのセットかな
タムブンとは福徳をなす,善を行う,功徳を積むことをいう。上座部仏教国のタイでは善い行いをすれば善い報いがあり,悪い行いをすれば悪い報いがあるという因果応報の教えが庶民の間に広く浸透している。そのため,現世においてタンブン(善い行いをしたり功徳を積むこと)が非常に重要な生活習慣となっている。本来のタンブンとは下記の三つの要素がある。
(1)僧侶に布施をしたり寺に寄進する
(2)道徳や戒律を守る
(3)瞑想によって心を向上させる
しかし,現在のタイでは僧侶に布施する,寺に寄進することを意味するようなっている。上座部仏教国のタイでは檀家という概念はない。人々はどの寺院でも参拝できるし,どの寺院にも寄進することができる。そのため,ある寺院のタンブンの時期になるとこのようなお布施用セットが商店に並ぶことになる。
タイはランの一大生産地である
タイは世界一のランの輸出国であり,貿易統計では切り花全体の輸出額は年間27億バーツとなっている。おそらくその大半はランであろう。輸出先は中国,日本,米国の順になっており,この3ヶ国で全体の半分を占めている。
この子のTシャツのデザインは何だろう
何となく既視感のある絵柄だと思っていた。自分の旅行記を見直すとベトナムのハノイで見たホーおじさん(ホー・チ・ミン)が子どもを抱きかかえている肖像と類似していた。
タイ風のヤキトリは半身か丸ごとである
これはイサーンを代表する料理で「ガイ・ヤーン」と呼ばれている。1羽丸ごとの鶏を日本の焼き鳥と良く似た甘辛い味のタレによく漬け,竹串ではさみ,炭火で炙り焼きにしたものである。手羽やモモように一部を同じように下処理して炙ることもある。
「ガイ・ヤーン」を食べるときは小さな籠に入った蒸したもち米(カーオ・ニャオ)を右手で一口大にちぎり,手の中で丸めていただくのがイサーン風である。
この白いものがコプラと呼ばれる胚乳である
外国人観光客はココヤシの実のジュースだけを飲んでおしまいにするが,ジュースはただの水であり,栄養はコプラと呼ばれる白い部分に含まれている。
コプラは種子が発芽して成長するための胚乳であり,慣れた観光客はココヤシの表皮を切ってもらい,スプーンのように使用してコプラを削ってそのままいただく。ほんのり甘みと風味があり,100g中に炭水化物が24g,脂肪分が66g,さらにたんぱく質やビタミンが含まれている栄養食品である。
コプラの外側の茶色い部分は繊維質であり,その昔,日本で使用されていた「亀の子たわし」はココヤシの実の繊維を使用していた。なんといっても,燃やすくらいしか利用価値はないので材料費はとても安かったことであろう。ちなみに「亀の子たわし」は一般名称ではなく商標登録されている。
ブンタン
ブンタン(文旦,itrus maxima)は柑橘類の一種である。標準和名はザボン,英語名はPomelo である。原生地は東南アジア,中国南部であり,日本には江戸時代初期に渡来した。渡来地の鹿児島県や高知県が生産の大半を占めている。
ブンタンの特徴は果実の大きさとその果皮の厚さである。大きなものは直径25cm,重さは2kgにもなる。果皮が厚く東南アジア産のものは簡単には手ではむけない。中には容積の50%は果皮が占めるようなものもある。
柑橘類としては例外的に果汁が少なく,僕がミャンマーでいただいたものは合格であったが,フィリピンでいただいたものはパサパサしており不合格であった。ブンタンは歴史の古い栽培種であり,自然交配あるいは突然変異によりグレープフルーツ,ナツミカン,ハッサクなどの品種が生み出されている。
赤貝は軽く茹でていただく
タイでは赤貝の消費量がとても多い。海から離れたコラートの市場にもこのように大量に売られている。さすがにコラートでは手を出さないが,バンコクの屋台では気軽に注文することができる。
食べ方は軽く茹でたものを殻から取り出し,ピリ辛のタレをつけていただく。この料理は「ホーイクレーン(赤貝)・ルワック(茹でる)」と呼ばれている。大量に捕れるためか貝の価格は1kgが50バーツ程度なので,屋台の茹で赤貝もたいした値段ではない。
ムール貝
ムラサキイガイ(Mytilus galloprovincialis,イガイ目・イガイ科)の仲間であろう。ヨーロッパでは同属のヨーロッパイガイ (M. edulis) などとともに食用となり,近縁種を含めてムール貝と呼ばれている。
この呼称が世界的に広まっており,ムラサキイガイの仲間は総じてムール貝と呼ばれている。日本の一部地域ではカラスガイ(イシガイ科)やムラサキガイ(シオサザナミガイ科)などまったく別種との混称も生じている。
雷魚の照り焼き,これはおいしい
コラートの屋台で見かけた料理の中で僕がもっとも好きなものがこの雷魚の照り焼きである。白身の上品な味は,そのままいただいてもおいしいが,ピリ辛のタレを付けると絶品になる。
僧侶たちは高座の僧の説法を聞く
屋台街の近くに人々が集まっている。両側に多くの僧侶が並び,中央の高座で一人の僧侶が説法をしている。説法が終わると僧侶たちは高座の僧侶に向かい床に頭を付けてお辞儀をする。
ブッダの時代,僧伽(出家者の集団)は和合,平等の集いであり,そこには出家の年次による長幼の序が存在するだけであった。この時代の形態を留めている上座部仏教においても僧侶の序列があるのは奇異なことだ。
寺院の内壁面に描かれた幻想的な絵
この寺院の壁面には幻想的な絵が描かれている。今まで多くのタイ寺院を訪問しているがこのような絵は見たことがない。
菩提樹の下で瞑想するブッダ
ブッダは苦行林を出てナイランジャナー(ネーランジャ)川で沐浴し,ガヤー村にあるピッパラと呼ばれる大きな樹の下に一人坐して瞑想を始める。スジャータはガヤー村の娘であり乳粥の布施を行ったのはこの瞑想の直前であったという説もあり,一般的にはこちらの方が有名である。
ブッダは深い瞑想に入る。仏典には魔王配下のたくさんの悪魔がブッダの成道を妨げようと矢や石を雨あられと降らせたとある。ブッダがこれにまったくひるまなかったことから,魔王は娘たちを送り誘惑させる。しかし,ブッダは強いこころでそれらを退け,ついに悟りを啓く。これを「成道」という。
タイ式のお葬式風景
2組のお葬式の準備が行われていた。隣り合った会場では,中央に棺が置かれ,周囲は生花と何やら紋様が描かれているタイ式の花輪で飾られている。上座部仏教国のタイでも寺院と僧侶は葬式に関わりをもつが,お墓に相当するものはない。
タイでは人が亡くなると警察に出向いて死亡証明書を発行してもらう。遺体はある期間,自宅に安置されてから火葬場が付属された寺院に移送される。そこで僧侶による読経が行われる。僧侶へのお布施とお清めの料理も出される。かっては数日間の葬儀も珍しくはなかったが,近年は1日,長くても3日ほどになっている。
葬儀の最終日には高僧による説法があり,その後で遺体は火葬にされる。遺骨は容器に入れられ,一時期自宅に祀られるが,僧侶の助言する日に自然界に散骨される。死者の魂は手厚い葬儀により肉体を離れており,遺体は単なる物質に戻ったという解釈のようである。
コラート(ナコン・ラチャシーマ)動物園入り口
コラート駅にコラート動物園のポスターが張ってあった。コラート動物園はタイで二番目に大きな動物園であり,面積は82haある。料金は20バーツで休園日はない。
なかなか面白そうなので行くことにしたが,交通手段が分からない。何人かの地元の人に聞き,ようやく7kmほど離れた動物園行きのバスに乗ることができた。帰りのバスは宿の北側の通りを通るので旧市街の手前で下車することができた。
動物園の団体客
動物園には子どもたちが先生に引率されてやってくる。平日だったこともあり,入園者の大半は子どもたちであった。彼らのために無蓋の電気自動車が運行している。子どもたちはどこでもカメラを向けると笑顔で応えてくれる。
電気自動車で移動する
この電気自動車を利用して園内を移動することができる。料金は10バーツ程度であったと記憶している。
アジアゾウであろう
動物園は広い敷地の中に主としてアフリカの動物たちが,一部の猛獣を除き,檻とは無縁の環境で暮らしている。一種類の動物が占める面積は0.5haほどもある。訪問者と動物との距離も近く,かつその間の障害物も低いので十分に動物を観察できる。
おそらくこの動物園でもっとも人気が高いのは象であろう。タイでは象を神聖な動物としており,野生象が農作物を食い荒らしても彼らを傷つけることはない。せいぜい音や電気柵で驚かす程度である。
上座部仏教国のタイでは釈迦の誕生にまつわる白象の話(マーヤ夫人が白い象が身体の中に入る夢を見て釈迦を懐妊した)から,象とくに白象を神聖な動物としてきている。中国起源の十二支には象は含まれないが,タイでは猪(いのしし)の代わりに象が入っている。
ヒクイドリは特異な風貌をしている
この動物園で初めて「ヒクイドリ」を見た。オーストラリアの熱帯地域に生息する世界で3番目に大きなトリで,飛ぶことはできない。全身が黒い羽で覆われており,首の周辺だけは羽が無く,青い皮膚と赤い肉垂れが特徴的なコントラストをみせている。また,頭の上にも変わったとさかを付けている。
この特異な容貌のため火でも食べるんじゃないかということになり,「ヒクイドリ」と命名された。実際にはヒクイドリは主に果物や木の実を食べており,熱帯雨林で植物の分布を広げる役割を担っている。しかし,熱帯雨林の減少により数を減らし,絶滅危惧種として保護の対象となっている。
10mほど向こうからサイが警戒してこちらを見ている
サイの運動場の裏側を通ろうとすると向こうからサイがじっとにらんでいた。僕とサイとの間には仕切りは無く,その距離は10mほどである。どちらかというとサイの方が神経質になっているのだが,さすがにその迫力は僕にも伝わってくるので,手早く写真を撮り,足早に通り過ぎた。
ダチョウ
ダチョウは特異な進化をとげた鳥である。飛ぶことを止めて,代わりに大きな体と強い脚を手に入れた。大きなものは身長3m,体重120kg,時速70kmで20分ほど走ることができる。
原産地はアフリカであるが,同じような進化を遂げたダチョウ目の鳥類には南米のダーウィンレアやオーストラリアのエミューがある。また,ニュージーランドには体高3.5mを越えるジャイアントモアが棲息していたが,人類と出会って500年ほどで絶滅している。
ダチョウ園はフェンスで囲まれているがダチョウの体高に比して十分な高さはない。そのためあまり近づくとくちばしでつつかれる危険性がある。実際,近くで見るとダチョウもけっこうな迫力がある。
アルパカそれともリャマ
アルパカ(ラクダ科・ビクーニャ属)とリャマ(ラクダ科・ラマ属)はどちらも近縁種であり,識別は容易ではない。体はリャマの方が少し大きく,アルパカの方が人間の基準からすると可愛い顔立ちをしている。ということで,ここのものはアルパカであろうという結論になった。
アルパカは家畜であり,野生のビクーニャから派生したと考えられる。毛は極めて良質であり,かっては同じ重さの金と同じ価値で取引されてという。毛色は茶,黒,白,ネズミ色の4種類に大別される。
ハドロサウルス
ハドロサウルスの仲間は中生代白亜紀の北半球に繁栄した恐竜である。鴨のように長く平たい口吻部が特徴的な草食恐竜であり,カモノハシ恐竜あるいはカモハシ竜とも呼ばれる。ここに展示されているものはおそらく等身大のものであろう。コラート動物園にはこのような恐竜が数体展示されており,その目的はよく分からない。
青マンゴー
宿から旧市街に向かう道路沿いは商店街となっており,大きな市場もある。タイの市場は生鮮食料品や日用雑貨が溢れ,とても興味深い。特に野菜や果物をじっくり見て回ると,今まで見たことのないものに出会える。もちろん熱帯の果物を買い求める楽しみもある。
オレンジは15B/kg,パパイヤの大きな切り身は10Bである。マンゴーはこの時期まだ青いものしか出回っていない。地元の人々はこれを細長く切り塩をふってサラダ感覚で食べている。
博物館の隣の幼稚園が付属する小学校
旧市街の博物館を見学に行く。開館には少し時間が早かったので周辺を歩いてみる。博物館の裏手には小学校があり,親に手を引かれた子どもたちが登校している。日本では何か事件が起こると親が登下校に付き添うが,タイでは当たり前のことだ。
正門から中に入り,校舎の中庭で低学年生の国旗掲揚を見学する。一番手前の幼稚園クラスの生徒もちゃんと国歌を歌っている。教育現場における国旗掲揚,国歌斉唱を教育委員会が強要するわが国に対して,タイの学校におけるそれは何と自然な姿であろうか。
ミズオオトカゲの寺院
旧市街にある寺院では英語のできる僧侶と一時間ほど話をする機会を得た。日本にも寺院はあるか,日本とタイの僧侶は同じか,寺院に僧侶は常駐しているのか…などなど多くの質問を受けた。
大乗仏教と上座部仏教の違い,あるいは戒律の違いを英語で説明するのは大変である。タイには王室の寺院と一般の寺院があり,この寺院は王室のものなので火葬場などの設備は有していないとのことであった。
彼は「この寺院の名物を見せてあげる」といって寺院の外れにある池に案内してくれた。彼が指差す方向に1mほどもありそうなミズオオトカゲが寝そべっている。池の中を胴体と尻尾を左右にくねらせ泳いでいるものもいる。自然が残っており,殺生を戒める風土の中でトカゲたちは大いに繁殖しているようである。
コラートの屋台は規模が大きい
コラートでの朝食はいつも「斎(いつき)」という文字を屋号にした食堂でいただいた。ごはんがおいしいし,おかずも出来合いの何種類のものから選択することができる。夕食は屋台のバー・ミー・ナム(タイ風ラーメン)が多かった。メンは1玉では足りなかったので追加してもらった。朝食は25B,夕食は30Bの生活である。