亜細亜の街角
■湖の民・インダーのふるさと
Home 亜細亜の街角 | Inle Lake / Myanmer / Feb 2005

インレー湖  (地域地図を開く)

インレー湖はシャン高原に位置し,周囲を山々に囲まれた盆地湖である。大きさは乾期でも東西6km,南北15kmある。湖にはいくつもの大きな浮島が浮かび,湖上や周辺の集落には「湖の民」といわれるインダーの人々が住んでいる。

インレー湖を生み出しているのは地域の地形であり,具体的には左図のように南北に連なる二つの山並みの間に位置している。

googlemap は世界中の地図を表示するにはとても便利なツールであるが,新しいバージョンになってから個人的なウェブサイトに地図を埋め込んだ場合,地形図を表示できなくなってしまった。インレー湖の場合は地形図を表示するのがもっとも分かりやすいのでルール違反であるが画像として利用させていただいた。

地域独特の生活を営むインダーの人々の生活や湖の自然を見るためにここを訪れる旅行者は多い。また,標高が約1000mと高いので,酷暑の時期には避暑地としてもにぎわう。湖の周辺には宿泊施設が少なく,ほとんどの旅行者が湖の北に位置するニャウンシュエに宿泊することになる。

ニャウンシュエはインレー湖の玄関口に位置している。湖の周辺の村には宿泊施設がほとんど無いので,旅行者はこの町を拠点に観光する。町にはたくさんのGH,食堂,屋台,市場があり,旅行に必要なものに困ることはない。涼しい気候のため,長期滞在する旅行者も多い。

バガン→インレー湖移動

ニャウンウー(05:00)→昼食(11:30)→カロー(14:00)→シュエニュアン(16:40)→ニャウンシュエ(17:00)とバスで移動する。ミャンマーの地名は似たようなものが多く,かつ発音が難しいのでカタカナ表記に苦労する。

移動の前日に宿の従業員にバスの時間を確認し,6000Kyのチケットを買ってもらう。夜行を除くとインレー湖行きのバスは早朝しかない。念のために04:30に起こしてくださいとフロントにお願いしておく。しかし,3時頃からウトウトとはするが寝られなくリ4時に起きることにする。

宿のロビーでバスを待つ。マイクロバスはかなりいっぱいの状態で到着する。乗客のほとんどが外国人旅行者である。このバスは座席の高さが異常に高い。メインザックは立てたまま座席の下に収めることができるほどだ。

そのため深く腰をかけたら床に足が着かない。足がしっかりしないためバスの横揺れに耐えられない。また扉は開いたままなので冷たい風が吹き込んでくる。しばらくがまんしていたが休憩のときに冬服を着込む。

道路の状況は良くない。一応舗装はされているのだが,路面の凹凸がひどい。バスのサスペンションもへたっており振動がひどい。道路の巾も狭く対向車とすれちがうときは,双方とも片側の車輪をダートに出さなければならないので砂埃がひどい。山道に入るとほこりはいっそうひどくなる。

避暑地のカローで降りる乗客が多い。その先は道路も良くなり楽になる。周辺は高原になっており広い耕作地が見える。森林は少ない。風景のきれいな区間だとガイドブックに書かれていたが,乾期のせいか,たいしたものではない。

シュエニュアンの1時間ほど手前でバスが止まる。手前にワゴン車が停まっており,客引きが乗り込んでくる。「空港からの帰りなのでニャウンシュエまで500Kyで行く」と言う。この手の車に乗ると5000Kyは要求されそうである。さすがにだれも乗ろうとはしない。

シュエニュアンでバスを降りると,客引きに取り囲まれる。ゲストハウスのコミッションが目的のようだ。断り,これをT字路のニャウンシュエ側に乗合トラックバス(100Ky)がいるのでそちらを利用する。

Remember Inn

乗合トラックバスは運河に近いジプシーGHの前で止まった。料金は旧館でも5$と言われ,少し歩いてリメンバー・インに向かう。交渉の結果,コテージ風の部屋は朝食付きで4$になったのでここに決定する。

部屋は8畳,2ベッド,T/S付き,机とバスタオルが備えられており清潔である。コテージらしく部屋の内装には竹を編んで板状にした素材が使用されている。

管理棟には食堂もあり,おいしい食事にありつくことができる。初日の夕食はトマトソース味のスパゲティとアボガドで1000Kyである。どちらも十分においいしい。またツアーやトレッキングの手配も可能である。僕はインレー湖のボートツアーを申し込んだ。1隻あたり8000Ky,それを参加人数で割ることになる。

インレー湖ツアーに出発する

さすがに標高1000mの高原は夜が涼しい。長袖のフリースとトレーナーの下を着たまま寝た。それでも毛布と薄い上掛けだけでは寒いくらいだ。隣の部屋からはカゼをひいたのか,連続してせきをする音が聞こえる。

早朝の6時はまだ寒く,すぐにはベッドから出たくない。長袖を2枚重ねて食堂に行く。パンケーキ,パパイヤ,バナナ,コーヒーの朝食である。この朝食も十分に満足できるものであった。

宿で人数を集めてくれたのでインレー湖ボートツアーは,日本人2名,ミャンマー人2名となった。料金は1人2000チャット(2.5$)である。08時少し前に船頭が迎えに来たので宿を出る。ツアーの行程を整理すると次のようになる。帰着時間は16:40であった。

(1) カウンディンの定期市
(2) 浮島のトマト畑
(3) 紙すきの村,金銀細工の村
(4) 織物の村,鍛冶屋の村
(5) タバコ作りの家
(6) 船大工の村
(7) 昼食(まるで油ソバ,高くてまずい)
(8) バウンドゥー寺院
(9) ガーベイ寺院

ニャウンシュエの運河からボートに乗り込む。この運河はインレー湖と結ばれており,30分ほどで湖に出る。さすがに広い,ところどころに浮島があるだけで岸が見えない。

インレー湖は周囲を山に囲まれており,盆地のような地形である。周辺に降った雨は低いところに集まって湖を形作っている。人々は湖の岸辺に集落を作り暮らしている。

家屋の多くは高床式になっている。これは季節による湖の水位の変動に対応するためのものだろう。高床式の家屋は水上にもある。もともと平地に水がたまって湖になったところなので水位は浅く水上集落を可能にしている。

このような集落では週に1回くらいの割合で市が立つ。カウンディン村ではそのような市があり,朝からにぎわっている。売り物の中にはアンティークの仏像もある。いろいろなスタイルの仏像にこの国の長い仏心が見えるような気がする。

湖を移動するのに欠かせない燃料もドラム缶から量り売りで売られている。煮炊きに必要な薪は牛車に乗せられて集められている。日本の畳の上に敷いたら夏はとても快適と思われる竹やヤシの葉を編んだゴザも売られている。

葦(あし,よし)は屋根材にするのであろう

野菜は豊富に出回っている

この女性はすごく雰囲気がある

船のエンジンのためのガソリンもある

薪炭材は地域の重要なエネルギー資源となっている

ここの市では魚はとても少なかった

竹の表皮で編んだマット

インダーの男性は足で櫂を操作する

我々のボートに驚いて水鳥が一斉に飛び立つ

浮島を利用したトマト栽培がさかんだ

水上集落と同じ発想で水上農園も発達している。農地が少ないので人々は湖の浮島を集め,杭で固定した土地でトマトなどを栽培している。湖の水草や泥を肥料にしており,安上がりの農業である。ただし,畑の寿命は数年らしい。

ボートから見ると目線が低いのであまり水上農園の雰囲気は分からない。水上農園がたくさん出来たので近くでは間に合わなくなったのか,湖の中央部から水草を運ぶ小舟も見かけた。この水草は水上農園の肥料でもあり,浮島を強化する役割も担っている。

男性も女性も小舟を下駄のように使いこなしている

インレー湖周辺には道路がほとんど無いのでどこに行くにも小舟に頼らなければならない。男性も女性も小舟を下駄のように使いこなしている。彼らはインダー(湖の民)と呼ばれている。

彼らの小舟のこぎ方は独特である。片足で立ち,櫓を足で蹴るようにして操る。なぜこのようなこぎ方になったかよく分からない。もっとも女性は足を上げるのがはしたないとされ,坐って手でこぐ。

魚を捕るためのしかけを点検する

魚の獲り方も変わっている。漁師は大きな漏斗状の網カゴを口の広い方を下にして湖に沈める。網を使用した漁はまったく見かけなかった。網カゴには魚が入り込んだら出られなくような仕掛けはついていない。そんなことで魚がとれるのであろうか。残念ながら魚がとれた場面には出会えなかった。

電柱は丸太をそのまま使用している

紙すきの村

インレー湖周辺の村落では村ごとに家業が分かれている。そのため鍛冶屋,織物,金銀細工,紙すき,船大工などの村がある。たぶん,職業の競合を避けるための知恵だったのだろう。

タバコの材料をたたいて柔らかくする

タバコを巻いていく

家屋はすべて高床式となっている

船の通路を確保するため橋の中央部は高くなっている

観光客用のレストランかな

水草は浮島の強化と肥料として使用される

こうなると水上レストランだね

織物と鍛冶屋の村

ボートはそれぞれの家業の村を一つ一つ回っていく。織物の村ではハスの茎から糸を作るおばあさんの技に感心する。日本でも芭蕉の茎から糸を作る伝統技術がある。

その昔,多くの地域で植物繊維から糸を作る努力があったに違いない。伝統の技に感心してから,この家の子どもを撮らせてもらう。子どもたちはとても日本人に似ているのでもう一度感心する。

弟妹の世話は女の子の仕事である

村の鍛冶屋

これが矢を使用しないビルマの武器「弾弓」

「弾弓」とは中国からビルマの少数民族が使用している石などをパチンコのように飛ばす特殊な弓であるが,類似のものはインド圏にもあるようだ。持ち運びの不便な矢の代わりに小石を利用できること,パチンコに比べて威力が大きいことが特徴でであろう。しかし,弓手に石が当たるのではという心配がある。弓の中央部に付いている水鳥がそのためのガードになっているらしいが,どのように扱うのかは不明である。

ここではタバコが量産されている

タバコ作りの村では女性たちが葉巻のようなタバコを巻いている。中に詰めるものは刻みタバコではなく木片や葉片であり,外側も木の葉のように見える。このタバコは1本10Kyで出荷されるという。このような職業村には土産物屋が多く,その値段は市価の数倍である。値段の交渉をするとすぐに半額以下になるが,それでもまだまだ割高である。

水をもらってヨーヨーをプレゼントする

船大工の村

すぐ近くに山が迫っている

バウンド・ウー寺院

インレー湖の住民インダーは敬虔な仏教徒である。彼らの信仰を集めているのがバウンド・ウー寺院である。本尊は5体の仏像である。しかし,長年の間参拝者が金箔を貼り付けたため,現在では金色の雪だるまのようになっている。このご神体も女性は触れることが出来ない。

毎年10月にはこの仏像が「カラウェイ」という御座船に乗せられ,10代の美しい踊り手の船を先頭に湖周辺の村々を巡る。NHKの「地球に好奇心」で放映された祭りの映像は素晴らしかった。この次は生の「バウンドーウー祭」を見てみたいものだ。

ガーベー寺院

ガーベー寺院はTVで紹介されたため,日本でも「輪くぐり猫寺院」として知られている。寺院に入ると猫の臭いが感じられる。僧侶が小さな輪を持って猫に触れると猫は輪を飛んでくぐり抜ける芸を披露してくれる。ちゃんとくぐり抜けると僧侶は猫にエサを与える。

ガーベー寺院には立派な仏像も安置されているにもかかわらず,猫寺になってしまっているのはちょっと寂しい。いろいろと見どころの多いインレー湖のボートツアーは15:30に終了し,もとの桟橋に戻り解散となった。

インレー湖を回った感じでは水はきれいである。周辺にはけっこう集落も多いけれど,水を汚す要素はまだ少ないようだ。一部ではホテイアオイが発生しており,これは要注意だ。

南米原産のホテイアオイは非常に繁殖力が強く,南アジア全域に広がっている。水に浮いて短期間で水面をすきま無く覆うようになるため,小舟の通行は難しくなる。

日本でも新利根川沿いに特定外来生物に指定されている中南米原産の多年草ミズヒマワリが大発生していると報じられている。繁殖力が強いため在来植物を駆逐してしまうという。放置すると霞ヶ浦でも大繁殖する可能性があり,対策に悩まされている。

英語塾におじゃまする

夕陽を見るために宿の前の道を運河方向に歩いていく。ある家の中から子どもたちの声がする。家人の了解を得て2階に上がらせてもらう。ここは個人経営の塾になっていて,子どもたちが学習している。

英語の勉強をしていたのでしばらく見学する。内容は小学生には難解であり,もっと会話に重点を置いたほうが良いと思う。じきに勉強は終了したのでオリヅルを教えてあげる。紙を折るという経験が乏しいため,きれいに折るのは難しい。しかし,何とか完成したツルを手に持ち子どもたちはうれしそうだ。

まあ,かわいい

この地域の子どもたちは驚くほど日本人に似ている

写真を撮るため自転車を止めてごめんなさい

市場の風景

寒さに慣れたせいか昨夜はそれほど寒くはなかった。10時に寝ると6時に自動的に目が覚める。僕の旅行中の最適睡眠時間は8時間のようだ。

最近では日本でも10時頃に就寝するようにしている。もっとも日本では明るさにより起床時間に大きな差異が出る。夏場は4時,5時に目が覚めるけれど,冬場は6時頃まで寝ることも多い。

朝食後は近くの市場を見学する。今日は6日に1度の市が立つ日である。常設市場の外の通りではブロッコリーとキャベツが盛大に売られている。おばさんたちはブロッコリーに埋もれるようにして葉を取っている。

市場の中は多種多様な商品で溢れている。生鮮食品,特に野菜と果物のスペースが大きい。さらに,雑貨,衣類,保存食,食堂と大変なにぎやかさである。大きなアボガドは50-100Ky,オレンジは50Kyといったところである。

ピーナッツやゴマを固めたなつかしい駄菓子もある。東南アジアでおなじみの竹筒ご飯もある。竹筒にもち米か赤米」,黒米といった日本でいう古代米を入れそのまま火にかけて炊き上げたものである。

竹の固い表皮をなたで切り取ってあり,あとは手で簡単にむける。ごはんのおいしさと竹の香が一緒になり上品な食品となっている。また,中に入っている米の種類により味の幅がけっこう広い。

東南アジアを旅行するならぜひ試していただきたい一品である。バスステーションなどでもよく売られているので,僕は移動中の食料としてもよく利用している。

市場で見かけた尼僧(見習い僧)

頭の被り物から推測すると少数民族のようだ

アボガドは食べごろのものを選んでもらう

買い物中の女性

お茶,日本茶に近いようにみえる

地域の名産のトマト

木の葉やバナナの葉をお皿代わりにする

ちょうどよい所に並んでいた

運河沿いを歩く

市場から運河にかかる橋に出る。湖と反対側の水路には小舟がたくさん集まり,さながら水上マーケットのようになっている。近くにはトマトの集積所があり大きな竹カゴに入れられた湖特産のトマトが集められている。このトマトは形状からすると生食用ではなく料理用のもののようだ。

農村を見るため運河に沿ってインレー湖の方に歩く。ボート乗り場の周辺には観光用のボートが30隻ほど係留されている。湖遊覧ツアーは通常午前中に出発する。

この時間にここに係留されているということは客が付いていないということだ。2月のインレー湖の観光はオフシーズンのようだ。階段状になった船着場では女性たちが洗濯をしている。水路の水は茶色に濁っているがここでは水路の水しかない。

運河の片側は雨季には水の下になる水田のようだ。現在,水は引きつつあり,畦が見えるようになってきた。水田には合鴨が草をついばんでおり,草地となった少し高いところでは水牛が草を食んでいる。

小学校の横を通ると教室の窓から子どもたちが顔を出す。授業中だったのでジャマにならないよう写真を1枚とって素通りする。

大きな仏像が見える

行く手に大きな仏像が見える。周囲の建物が崩れたせいか仏像はむき出しである。その背後には大小のストゥーパが並んでいる。

正面に回ってみると仏像は古いレンガの壁に囲まれておりその前にはコンクリート製の飾り門が造られている。壁面の四隅には天使のように羽を付けた仏像が飾られており,この造形はなかなかのものだ。

周辺の柱に比して仏像が大きすぎるのでこれは新しく作られたものであろう。仏像の台座の壁面には2段になってたくさんの小さな仏像が配置されている。

中2階の祠には黒い仏像が置かれている。もしかしたら,これが本来のご本尊だったのかもしれない。背後にあるストゥーパはレンガの上をしっくいで覆ったもので,基壇のレンガは崩れかけている。

近くの村を訪問する

ここから村への道はスコップ等で掘り起こした粘土をそのまま並べてあるのでとても歩きづらい。村の家は木と竹で作られており,屋根は草ぶきかトタンである。水田では乾期米の作業が始まっている。手動のトラクターも使用されており,その分村の水牛はひまそうだ。

荒起こしをした田に水を入れるため面白い道具が使用されていた。縄のついた容器に水を入れ,足で振り隣の田に水を移している。簡単に見えても熟練を要する技だ。近くで写真を撮りたかったが,畦の状態が悪くて近づけない。

帰りは方角をチェックし別の水路沿いの道を行くことにした。崩れかけたレンガ造りのストゥーパやまだしっくいの残っている白いストゥーパがいくつか見かけただけで収穫は少ない。

小さな道の片側にはそれほど太くない竹林になっている。広い水田地帯に出ると見渡す限りの荒起こし状態である。水が無いので次のステップには進めないようだ。黒々とした土くれの中に苗床だけが緑に輝いている。

田に水を入れるための面白い道具

昼寝をしてから夕方の散歩に出かける

宿に戻り軽く昼寝をする。日本にいるときにはなかなか味わえない贅沢である。夕方近くになり夕日を撮りに運河方面に出かける。運河にかかる橋の手前にある家のおじさんに呼び止められる。

おじさんは僕を2階に案内してくれた。立派な仏壇があり,花と食べ物が飾ってあった。女の子が牛乳系の飲み物と中国茶を運んでくる。飲み物の方は衛生状態に不安が残る。

でも,僕はこのような状態になったときは迷わずいただくことにしている。十分に注意していても腹をこわすときはこわすものだ。それより,飲み物を断って相手の気持ちを傷つけるのがいやだ。

お茶のお礼に下に降りて子どもたちにヨーヨーを作ってあげる。さすがに一番下の子は小さいのでフーセンにする。今日も子どもたちの嬉しそうな顔を見ることができた。

ミニ・トレッキングに出かける

ニャウンシュエから東の山を巡るトレッキングがある。体力に自信が無い僕は自分なりのミニトレッキングに出かける。市場の北の道を東に向かって歩き出す。気に入ったところではおじゃまして写真を撮る。僕の歩きは気の向くままなので思いがけないもの出会える楽しみがある。

インドこぶ牛

牛の群れに遭遇する

牛の群れにも出会った。すごい埃の中で群れを追いかけ先頭に出て写真を撮る。乾期の今は草を求めて牛飼いが移動させるようだ。このような牛の群れは山に行くまでに3回見かけた。

周辺のなだらかな山は焼畑になっている

山に入ると焼畑のせいか,周囲は低い潅木が生える荒地になっている。一山を越えて下りになり,再び登りである。右足の小指がうずきちょっと心配だ。砂利の入っていない道はところどころで深くえぐれており,それをクワを使って補修している人がいる。それは無償で「功徳を積む」行為のように見えた。

山の中腹に小さな集落がある。家は高床式で竹とヤシの葉でできており,広さは10畳ほどである。この高さまで登ると眼下にニャウンシエを含む平地が一望できる。

デイゴ

リュウゼツラン?

リュウゼツランかと思ったが葉の縁に鋭いトゲがないのでサイザル麻の仲間であろうと推定する。

■調査中

ウコンが干してある

山の斜面は定常的な畑になっており,集落から下は果樹園,畑,荒地になっている。集落のある丘は黒く焼けており,その近くには小さなウコンが地面に広げられ干されている。肥料を使用していないので生産性はかなり低いようだ。

村の子どもたちはとても素直だ

男性は外で働いているのか,集落には女性と子どもだけが目立つ。バナナの木陰に集まっている子どもたちの写真を撮り,お礼にフーセンをあげると,大変が3つつくくらい喜んでくれた。

10才くらいの姉が3人の弟妹の面倒を見ている

一軒の家の床下で10才くらいの姉が3人の弟妹の面倒を見ている。ちょうど昼時になり,僕はパンを6個持ってきていたのでみんなでいただくことにする。

ベニモンアゲハかな

乾いた畑に蝶の集まる場所があり珍しく写真にすることができた。おそらく「ベニモンアゲハ」であろう。インドから東南アジアにかけての熱帯域に生息している。日本は生息域にふくまれていなかったが,戦後は八重山諸島で時々記録されるようになり,1968年ごろから土着し始めた。

アゲハチョウとしては小型である。翅は黒く後翅の中央に白の大きな斑点があり,その周囲に鮮やかな赤色の斑点が並んでいる。和名はそこに由来する。赤色の斑点だけではなく胴部も赤い珍しいチョウである。

道端の屋台で中国茶と揚げた豆腐をいただく

山から下りてアスファルトの道路に出ると照り返しのためとても暑い。宿がとても遠くに感じられたので思わず道端の屋台で中国茶と揚げた豆腐をいただく。

おばさんの作業を見ると,50cm四方の大きな固い豆腐を必要な大きさに切り,それを油の中に入れている。表面がきつね色になったら取り出す。あっさりした味で10個くらいは簡単に入る。

午後の散歩で近くの村を訪問する

セパタクローに興じる

ナマズと小魚

おいしそうだね

市場でスイカを売っていた少女


バガン   亜細亜の街角   バゴー