エーヤワディ川の東岸にあるビルマ族最初の統一王朝,バガン王朝(1044年-1299年)の古都。エーヤワディ川周辺に点在していたピュー族の小集団がその基礎となり,アノー・ヤター王が周辺諸部族を征服し1044年に王国を確立した。
1057年には南部ビルマのタトンに遠征し多くのモン族捕虜を連行した。この遠征によりモン文化がもたらされ,ビルマ語をモン文字で表記するようになった。仏教においても在来の大乗仏教はタトン伝来の上座部仏教にとってかわられた。
その後,地域のモン族文化は衰え,ビルマ文化がそれに代わるようになる。1190年にセイロン直伝の上座部仏教がもたらされ,その影響で王朝の最盛期にバガンでは5000を越すパゴダや寺院が建立された。これらはすべてレンガ造りで,その上に化粧漆くいが施されたものも多い。
レンガを作るため土地は掘り返され,レンガを焼くため膨大な量の森林が伐採された。その結果,土地は乾燥化し,現在では潅木が生えるだけの茶色い風景が続いている。また仏教建築物とともに多くの土地や奴隷が奉納された。寄進地からは収税ができないため国家財政は急速に消耗した。
1277年からの10年間に元の侵攻により,バガン王国は元に隷属してかろうじてその存続が認められたが,東部の山岳地帯から進出してきたシャン族により滅ぼされた。
バガンには現在でも2000以上の建造物が残っており,アンコールワット,ボロブドールと並ぶ世界三大仏教遺跡に数えられる。しかし,遺跡の風化,原型を無視した修復作業など多くの問題点を抱えている。またこれだけの文化遺産が世界遺産に登録されていないのも奇異なことだ。
遺跡のあるオールド・バガンから北東に7kmほど離れたニャウン・ウーに宿泊施設が集まっており,ここが観光の起点となる。市場周辺から2本の道路がオールド・バガンと結んでおり,その道路の周辺には多くの遺跡が点在している。
また,オールド・バガンの南にはニュー・バガンの村があり,そことニャウンウーを結ぶ南側の道路もある。バガンの見どころはだいたいこの道路とエーヤワディ川に挟まれた地域に含まれている。ニャウンウーを出てオールドバガン,ニューバガンを経由して戻ってくる一周ルートは15-20kmもあるので自転車を借りて回るのがよい。
また,バガンには多くの似たような寺院や遺跡があるので地元の観光マップ(500Ky)を買って,それを参照しながら回るといい。そうしないと,あとから写真をチェックしても,「ここはどこだったっけ」ということになる。
マンダレー→バガン 移動
マンダレー(09:00)→昼食(11:00)→ニャウン・ウー(16:30)とバスで移動する。07時に食堂に行くと同宿の日本人学生がやってきた。彼は軽いぜんそくの気があり,車の排ガスとほこりで喉が苦しいという。やはり旅行は健康第一である。
僕はというと,マンダレーに来るときバスのステップで足を滑らせてケガをした左足の脛は大分よくなってきた。右足小指のクツズレは皮が固まってきて痛みは感じなくなった。
ナイロンホテルの前で乗合トラックバスを待つ。運転手にトゥエーヤガンBSに行くかとたずねると500Ky(約50円)でOKが出た。しばらく走っていると他の乗客はいなくなった。そこからBSまでは僕のためだけに走ってくれたようだ。バガン行きのバスはすぐに見つかった。
チケット売り場にはバスの乗務員が案内してくれる。ナイロンホテルで買うと6500Kyのチケットがここでは4200Kyである。さすがに手数料を2.5$も払う気にはならない。出発時間まで待合室のベンチで待つことにする。少年僧が托鉢のポーズで僕の前に立つ。お布施の強要である。20Kyを差し出すと次の旅行者のところに向かう。
そういえば昨日のサガインでも同じような場面があった。このような形で托鉢をする宗派があるのかもしれない。尼僧も同じようにやってきた。昨日のガイドのオンマーさんから尼僧の厳しい生活状況を聞かされていたので今回は100Kyを差し出す。
バスは定刻に出発した。マンダレーから南の道路状態は良い。かなり高速道路化が進んでいる。バスは日本製の中古車で,ヨーロピアンの体格からすると座席は小さすぎる。
このバスは沿線の人々の足になっており,入れ替わりたくさんの地元の人が利用するため停車回数が多い。バガンが近づくと急に道路が良くなる。チェックポストがあり外国人はここで入域料の10$を徴収される。バスはニャウンウーの市場まで行ってくれた。この周辺に宿はたくさんある。
さすがはミャンマー最大の観光地だけあって宿は高級ホテルから安宿までたくさんそろっている。市場の少し南側にあるエデンGHの屋上の部屋は4.5畳,1ベッド,T/HS付き,エアコン付きで清潔である。料金は朝食付きで4.5$である。屋上の部屋といってもペントハウスのような立派なものではなく,屋上に4部屋を建て増しをしたというところだ。
部屋の前は広いテラス(屋上)になっており,朝食はそこのテーブルでとることになる。メニューはいつもトースト,目玉焼き,オレンジ,コーヒーの組み合わせだ。ヨーロピアンの旅行者は日差しをものともせずよくそこで本を読んでいる。
尼僧の托鉢
早朝の気温は16℃,毛布1枚では少し寒いくらいである。それに対して日中は日陰でも30℃になる。早朝に市場周辺を歩いていると30人ほどのピンクの僧服の尼僧が托鉢に回っている。彼女たちは托鉢用の容器は持たず,頭の上にお盆のような容器を載せている。
上座部仏教においては男性のみが僧侶になることができる。僧侶は食事の支度をすることが禁じられているので,托鉢によりごはんや調理済みのおかずを受け取る。
しかし,尼僧(正確にはビルマ上座部仏教の女性出家者)は自分で調理することが義務付けられているので,受け取るのは生のコメである。彼女たちは小さな容器に托鉢を受け,頭上のお盆に移す。
小学校を訪問する
宿で一日500Kyでレンタルの自転車を借る。欧米人の利用者が多いため自転車のサドル位置はずいぶん高いものになっており,僕は一番小さな自転車を借りることになった。
ニャウン・ウー経由でオールド・バガンを目指す。往復で15-20kmの行程になる。いちおう舗装されている道路は,自転車にとっては大きな凹凸があり,お尻にこたえる。左側に小学校が見える。子どもたちが校庭で遊んでいるので中に入る。
子どもたちの服装は,下は緑色のロンジーか長ズボン,これは制服ののようだ。それに対して上は私服である。旅行者にはちょっと涼しいくらいの温度でも,彼らは長袖を2枚着ている。写真に対する警戒感は無い。みんないい笑顔である。朝礼のために子どもたちが校舎から出てきて,校舎の方に向かってクラスごとに列をつくる。
シュエジーゴン・パゴダ
ニャウン・ウーにあるシュエジーゴンは12世紀初頭に完成した巨大なパゴダである。中心に巨大な金色のパゴダがあり,その周囲に小さなパゴダと仏像を納めたビルマ式建築物が配置されている。
高さは49mといわれており,四角形の基壇の上に円錐形のパゴダが置かれている。写真で確認するとパゴダの頂点から基壇の角まではほぼ45度のラインなので,基壇の一辺は70m近いことになる。上から下まで金色で,最近塗りなおされたものなのか,目がくらむばかりである。
この地域の名所なので何組かの日本人ツアー客と出会った。僕より少し年配の人たちがガイドに連れられて周囲の建物を回っている。旅の楽しみをどこに求めるかは個人の自由であり,限られた時間の中で多くのものを見るにはやはりツアーが適している。
僕が個人旅行をしていると話すと彼らからは一様に「どうやって移動するのですか,宿はどうやって見つけるのですか,危険なことはないですか」という質問が返ってくる。「移動はバスがちゃんとあるし,たいていの町には安宿がありますよ」と答えるようにしている。
ニャン・ウーとオールド・バガンを結ぶ道路沿いにも多くの遺跡があり,のんびり見ているといくら時間があっても足りない。それでもパゴダや寺院があると,止まって,見学して,写真を撮る。多くのものは管理が行き届かず,風化が著しい。一方で「まるで新築」のようなパゴダも見られる。こうなってしまうと,本当に興ざめとなる。
ティーローミンロー寺院
ティーローミンロー寺院(1218年完成)は高さ47m,2層の基壇の上にパゴダを配したバガン独特の様式である。入口付近は漆くいが残っており,かってはパゴダ全体が白く輝いていたのではと推測する。内部は回廊になっており,四面に仏像(金銅像)が配されている。正面の仏像は味わい深い。2階のテラスには上ることができない。
オールドバガンのタラバ門
オールドバガンの東の入口はタラバ門である。門の両側にある2体の精霊の像に迎えられて中に入る。オールドバガンには多くの遺跡が集まっている。左手にタッビニュ寺院が大きな姿を見せ,その手前にいくつかの寺院が固まっている。
タベットキャーの肩越しに見るアーナンダ寺院
シュエグージー寺院は2階のテラスに登ることができる。ここからの眺めはちょっとお勧めである。南にはタッビニュが,東にはタベットキャーの肩越しに,アーナンダ寺院が美しい姿を見せている。
アーナンダ寺院
アーナンダ寺院(1301年完成)はバガンでもっとも均整の取れた美しい寺院といわれている。漆くいで化粧された寺院本体,その上の金色の仏塔がユニークであり,他の寺院と容易に区別がつく。北の道路から入ると両側に陶器屋が店を出しており,その向こうに金色の仏塔が見える。
しかし,周囲の塀と木々のため近くから全体像を撮るのは難しい。寺院全体の写真は南側からとった方がよい。寺院内部には回廊があり,東西南北にブッダの立像が配されている。薄暗い照明の中に浮かび上がる仏像はひときわ神々しい。石の床に坐り,しばらくお姿を拝見する。
マハボーディ寺院
マハボーディ寺院はインドのボーダガヤにある本家のマハボーディ寺院を模したものである。バガンではこの形状の寺院は他にない。方形の基壇の上に背の高い仏塔を乗せた構造で,東に面している。
仏塔の四面には多くのくぼみがあり,それぞれに仏像が納められている。基壇の壁面も同様である。基壇の西面は階段状に奥行きがとってある。漆くいが残っている壁面には,金色の仏像が納められている。
10年前に泊まったエーヤー・ホテルは改装されており,川と本館の間にコテージがたくさん出来ている。料金はミャンマー人は6500Ky(約7$),外国人は40$というひどい2重価格になっている。
10年前の記録をチェックしてみると5$となっていた。そのときはマンダレーから15時間かけて船で下ってきた。当時は一眼レフのカメラを持ち歩いていたので,望遠で河岸の様子を写真にした。有名寺院の入口付近には多くの土産物屋であふれている。いずれもひどい観光地値段で,2000Ky程度の品物に5000-6000Kyという値段を提示される。
ミンガラゼディ
ミンガラゼディは黒ずんだレンガがむき出しの武骨なパゴダだ。基壇の上のテラスに上ることができ,その高さからバガンのビューポイントになっている。
急な階段を上ると,それほど広くないテラスに出る。著名なビューポイントになっているので,明るい時間帯にも人は多い。ここからはパゴダが林立するパガンの大地が俯瞰できる。
東を向くと左から大きな寺院建築の博物館,タッビニュそっくりのゴードーパイリン,白い漆くいの大きな姿を見せるタッビニュ,金色の仏塔が輝くアーナンダ,白い5層のテラスをもつシュエサンドー・パゴダが目に入る。
さらに,その向こうには褐色のピラミッドのようなダマヤンジー,遠くにかすむダマヤザカの金色のパゴダも眺望することができる。西を向くとエーヤワディ川が悠然と流れ,その向こうに低い山並みが連なっている。
シュエサンドー・パゴダ
夕日の時間にはまだ少し間があるのでいったんミンガラゼディから降りてシュエサンドー・パゴダに向かう。ミンガラ・ゼディから見たときは真っ白く見えたが,近くによるとかなり漆くいがはがれている。各層のテラスを縦に貫ぬく急な階段を登り最上階のテラスに出る。ここからの眺望がバガンでもっとも素晴らしいと思う。
北にはタッビニュ寺院とアーナンダ寺院がきれいに見え,その右側には一面にパゴダの森が広がっている。東には巨大なダマヤンジーが横たわり,南には多くのパゴダにまじりミンガラゼディがひときわ高い姿を見せている。西には巨大な博物館とゴードーパイリンが遠望できる。
ミンガラゼディに戻り夕日を眺める
夕陽の時間帯になると,大勢の観光客が集まりエーヤワディ川に沈む夕陽を眺める。でも,本当にきれいなのは夕陽に染まった東側のパゴダである。
しかし,季節のせいか,気候のせいか,期待していたほどパゴダ群は赤く染まってくれなかった。また,道路沿いに張られた電線も景観を損ねている。ちょっと残念である。
しかし,そのまま夕日の風景を鑑賞しているわけにはいかない。光が少し残っている間に6kmほど離れたニャウンウーに戻らねばならない。暗くなってきた道をわき目もふらずに自転車をこぎなんとか宿に戻ることができた。
Kyay-min-gha 寺院
2日目も自転車を借り,バガンの東側を見ることにする。昨日走ったバガン・ニャウンウー道路の東側にあるアナウラタ道路を行く。この道路沿いにも多くのパゴダがあるが,どれも特徴が無いので,あとからふり返っても何を見たのかはっきりしない。
「Kyay-min-gha」寺院は2階のテラスに上れたので記憶がしっかりしている。通常のパゴダとパゴダを頂いた寺院の複合施設になっている。テラスに上ると,タッビニュが大きくきれいに見える。
Oak-kyaung-byi 寺院
となりの「Oak-kyaung-gyi」寺院は門の一部が新しくなっており,パゴダも新しい金色に塗られている。周辺の風景になじむにはまだ時間がかかりそうだ。
この寺院の内部はちょっと雰囲気がよい。壁画の一部は残っているし,薄暗い照明に照らされた仏像も趣がある。10人ほどのミャンマー人女学生が一心に祈っている姿が印象的であった。
タッビニュ寺院とアーナンダ寺院の遠景
「Kyay-min-gha」寺院は2階のテラスからタッビニュが大きくきれいに見える。バガンの人々は可能な限り高い建造物を目指していたようだ。寺院の上に仏塔を置くだけではなく,方形の基壇の上に仏塔を頂いた寺院を配し,より高みを目指したのが12世紀中頃に完成したタッビニュ寺院である。
高さ61m,バガンで最も高い寺院であり,バガン独特の様式である。高さに加え,白い漆くいの壁と独特のフォルムのため,バガンのランドマークになっている。
漆くいがところどころで黒ずんでいるところが,時の流れを物語っている。時の流れをリセットするような修復は,遺跡あるいは古い建造物の価値をひどく損なう。このくらいの状態が望ましいというものだ。
観光名所のため周辺には土産物屋が多い。冷たい飲み物を飲みながら巨大な建造物を眺める。少し離れた所から見ると,上部はバガンによくある寺院で,それを基壇の上に乗せた構造がよく分かる。
ダマヤンジー寺院
ダマヤンジー(12世紀中期)はバガンで最も大きな寺院である。外観は他の建築物とはまったく似ていない。未完成のまま放置されたため「幽霊寺院」とも呼ばれている。
ダマヤンジーの周囲は開けており,荒涼とした赤茶色の大地にそびえるレンガのピラミッドは,バガンを代表する景色のひとつである。内部は2重の回廊になっており,いくつかの仏像が置かれている。
牛車の家族を撮りキャンディをプレゼントする
ここから南東側の遺跡は手が入っておらず荒れたものが多い。砂の多い土を踏み固めただけの道を自転車で進む。ときどきタイヤが砂につかまり,ハンドルがとられる。
一家4人を乗せた牛車がゆっくりとこちらに近づいてくる。自転車を止めて遠・中・近の3枚の写真をとる。お礼に4個のキャンディーを御者のおじさんに手渡す。
ダマヤジカ・パゴダ
ダマヤジカ(1196年)は五角形の基壇を持つ立派なパゴダである。古い写真では基壇の上のパゴダもレンガがむき出しになっていた。最近補修されたのかパゴダは金色に輝いている。
まあ,基壇の部分がレンガなので,全体としては古い建築物のイメージは損なわれていない。金色のパゴダが人を呼ぶのか,ミャンマー人の参拝客が多い。
基壇の上のテラスに上ってみる。中央の大きなパゴダの回りに,寺院様式のパゴダが配置されている。レンガは太陽に焼かれ,耐えられないくらい熱い。日陰の床を伝って周囲を眺める。残念ながら周囲のパゴダは修復ではなく,まったく新しく造られたものが多く,見るに耐えない。
男性が残り少ない水をタンクに入れる
舗装道路に出て北に進む。右手に土手があり,その向こうに乾期のためすっかり小さくなった,ため池がある。水タンクを積んだ牛車がやってくる。男性が残り少ない水をタンクに入れる。もしかすると,この光景はバガン王朝の時代から続いているものなのかもしれない。
Ley-myet-hna Group
「Ley-myet-hna Group」は石碑があったのでそれと分かる。寺院様式パゴダの入口は石段になっており,その上にはビルマ様式の屋根が造られている。さすがに屋根は木造なので,後から加えられたものと思う。
入口の手前には円柱状の石が等間隔に並んでいる。石には円形の窪みが加工されているので,柱の台の役割をもっていたと推定する。
帰り道でもたくさんのパゴダを見かけた。多くのものは入口が封鎖されており,公開されていない。それにしてもわずか200年の間にこれだけの建築物を造った社会のエネルギーを感じずにはいられない。しかし,大量のレンガを焼くために,おびただしい樹木が使用されたことだろう。
パゴダを維持するため費用,人員も大きな負担となったことも想像に難くない。モンゴルの攻撃で,バガン王朝はその幕を閉じた。森を失ったバガンは乾燥しきった赤い大地に変わり,守る人のいないパゴダは風化するのにまかされてきた。