亜細亜の街角
■かってモン族の王国が栄えた古都
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バゴー  (地域地図を開く)

ヤンゴンから80km,かってモン族の王国が栄えた古都。全長55mmの巨大な涅槃仏があるシュエターリャウン・パゴダ,ミャンマーでもっとも高いシュエモードー・パゴダなど由緒あるパゴダが数多くあり,ヤンゴンから日帰り観光地として訪れる人も多い。

涅槃仏については次のようなエピソードが残されている。この涅槃仏は10世紀に造られたとされている。しかし,バゴー王朝の滅亡後は忘れさられてしまった。英国植民地時代の1881年に鉄道工事の調査中に,樹木に覆われた状態で発見された。

その後,修復作業が行われ,現在の姿になったという。1906年に鉄骨造りの屋根つきの建物ができた。本体はレンガで造られ,漆喰で仕上げられている。

ニャウンシュエ→バゴー 移動

シュエニュアン(12:30)→バゴー(05:00)と大移動する。夜行のバスや列車は嫌いだがミャンマーではしかたがない。ヨーロピアンと一緒にニャウンシュエの市場の北側にあるゲート付近で乗合トラックバスを待っていると,ワゴン車が500チャットでシュエニュアンに行くという。

まあ,妥当な価格なのでそれに乗る。シュエニュアンからヤンゴン方面のバスは,タウンジー発のものに途中乗車することになる。バスは何台も通るのでその度に茶店のスタッフに確認をとらなければならない。

30分ほど遅れて目的のバスが到着する。富士急行の中古バスで,この国では上等の部類に入る。バスの運行に関してはヤンゴンまで18時間という情報しかなく,バゴーに何時に着くのかまったく分からない。バスは走り出してからすぐに停車し,2時間かけて部品を交換する。

山越えの道路の周囲には自然林はどこにもない。赤茶色の大地に潅木がしがみついているような,焼畑後の2次林特有の景色が支配している。乾期は焼畑作業のシーズンで山のあちらこちから煙が上がっている。人口が少ないときは自然と調和していた焼畑も,人口が増えると土地を劣化させる農業に変わっていく。

ターズィに着いたときはもう夜になっている。食事休憩はちゃんとあるので,ぜいたくを言わなければ食事に困ることはない。真夜中に休憩があった。この時間にもドライブイン(道路の横に店があるだけ)は営業しており,しかも子どもまで働いている。

ミャーナンダGH

早朝05時,少しうとうとして気がつくとバゴーに停車していた。バスを下りて,宿はどうしようと思っているとちゃんと客引きが現れ,近くのゲストハウスに連れて行ってくれた。

ミャーナンダGHはT/S付きの清潔な部屋で料金は4$,エアコンまで付いているが,僕には不要だ。代わりに朝食をつけて欲しい。宿の屋上は街のビューポイントになっている。けっこう大きな町で新しい建築物も多い。東を見ると遠くに高さ114mのシュエモード・パゴダがかすんでいる。

裏通りを歩く

人々の生活が直に見られるので,裏通りを歩いのは楽しい。おばさんがやっている小さなお店がたくさんある。商っているのはタバコや食べ物が多い。このお店では油であげた豆腐があった。

日本の厚揚げとアブラゲの中間的な食品で,甘辛いたれをつけて食べるとけっこうおいしい。スイカの切り売り屋も多い,一切れ25-50チャットである。暑い気候のこの国ではとても重宝していた。

子どもたちの姿も多い。しかし,写真にかなりの警戒感をもっており,男の子も女の子もカメラから逃げ出す。好奇心の強い男の子がカメラを避けるのはとても珍しいことだ。

共同井戸では絵になる水汲みの様子を撮ろうとしたら,背中を向けられてしまった。その反面,おばさんたちはたくましい。一枚とって画像を見せてあげると,近所の人を呼びとめ,あなたもとってもらいなさいと勧める。

油であげた豆腐の店

なにか残っていないかな・・・

お茶に呼ばれる

裏通りを歩いているとときどき「まあ,お茶でも飲んでいきなさい」と声がかかる。急いでいるとき以外は家に上がらせてもらう。この家には2人の娘さんがいた。姉は中学生,妹は小学生くらいだろう。

姉は外で洗濯をしており,妹はアルバムを見せてくれた。盛装の彼女が写っており,すばらしくきれいに仕上がっている。この国でも,日本の七五三のような習慣があるのかもしれない。お茶のお礼にヨーヨーを作ってあげる。慣れない手つきでヨーヨーをつく仕草がかわいい。

珍しい外国人がいるというので近所の子どもたちが集まってくるので,一人ひとりを撮影して画像を見せ,ヨーヨーを作ってあげる。こどもたちにプレゼンをあげるときはできるだけ公平に扱うことが獣である。みんなにあげられないなら止めた方がよい。

なにかのお供え物であろうか?

ミャンマーの人々は本当に気さくである

大多数は仏教徒であるが南東部にはイスラム教徒も多い

バゴー駅周辺

農業用のエンジンを積んだトラック

アーナンダ寺院

バゴーの見どころはシュエターリャウン・パゴダの涅槃仏とシュエモードー・パゴダである。それらは街の中心部の西と東にある。宿に出入りしているサイカー運転手にせがまれて乗ることにする。

ふだんはこの程度の距離は歩くことにするが,バゴーの滞在時間が短いため,そして入域料10$を払わずに見ることができるといううまい話が出てきたためである。料金は3時間で2000チャット(2.5$)と割高である。まあ,入域料のことを考えると妥協できる。

サイカーは庶民の足である。自転車の横に客用の座席を取り付けたサイドカーがなまってサイカーになったという。タミル人の運転手は最初にアーナンダ寺院に立ち寄った。

アーナンダはブッダの一番弟子で,ブッダ入滅後の第1結集ではブッダの説法をまとめた。ミャンマーではアーナンダの名前を冠した寺院が多い。直方体の基壇の2面にアーナンダの立像があり,その上にパゴダが乗る構造である。

シュエターリャウン・パゴダ

シュエターリャウン・パゴダは1000年前の巨大な涅槃仏が安置されており,観光名所となっている。名前はパゴダになっているが仏塔は見当たらない。入口はミャンマー独特の2頭の獅子に守られている。

獅子以上に手ごわいのは,チケットセンターである。外国人料金(入域料)は10$,サイカーの運転手が先に入り,チケットの検札人がいないタイミングで手招きしてくれる。ちょっとドキドキしながら中に入る。

参道になっている寺院建築の奥に体育館のような建物がある。入り口に大きさに関する表示がある。長さ55m,高さ16m,顔だけでも7mある。さすがに大きい,ただただあきれるほどの大きさである。でも,お顔はやさしいし,周囲の空間も好ましい。

オウギヤシに登る

ミャンマーには「さとうヤシ」が多い。ココヤシよりずっと小さくうちわのような葉が特徴である。花房を切りその先に容器を取り付けておくと一晩で200〜400ccの白い液体がたまる。その液は数時間で発酵してアルコール飲料になる。

アルコールの濃度はビールの半分程度,少し酸味があり暑いときはさわやかな飲み物である。賞味期限はその日だけ,時間をおくと発酵が進みすぎ酸っぱくなる。容器を回収するときに花房をさらに少し切ると,翌日の朝には同じように収穫できる。ほとんど地元消費用であるが,市場でもときどき竹筒に入ったヤシ酒を見かける。

村の鍛冶屋

装甲車のような頑丈なバスが走っている

物入れの袋はずいぶんひもが長い

シュエモードー・パゴダ

街の東はずれにあるシュエモードー・パゴダは高さ114m,ミャンマー3大パゴダの一つに数えられている。関所のようにメインの道路をふさいでそびえている。ここも残念ながら改装中で,無粋な竹のおおいが被せられている。入口の両側に置かれた巨大なガードの獅子像も竹で囲われている。

このパゴダには趣のある仏像が多い。多くの人々がそれぞれの仏像に向かって手を合わせている。観光客も少ないので静かな空間を楽しむことができた。

パゴダの周囲には多くの仏像が安置されている

目にまばゆい金色である

女性はこのように横座りで祈ることが多い

仏像の守護神のように見える

この仕掛けは意味不明だ

肌の白い仏像はビルマ風である

仏教に帰依する王族であろう

現世で功徳を積むことを勧めているのかな

同じ印を結んだ三体の仏像

立派な建物に安置されている

参拝に来ていた女性,とても細い

中学生かな

頭に乗せて運ぶ

バゴー川の東側の市場

決してきれいとはいえないバゴー川の東側に市場がある。商店街の前には野菜,果物,魚などの生鮮食品の露店が並んでいる。露店がかなりのスペースを占拠しているので,夕方の混雑時はおちおち写真を撮っていられない。インレー湖に比べてバゴーは果物が高い。ニャウンシュエでは1個50チャットだった大きなアボガドがここでは100チャットになる。

僧侶の列が托鉢のため町を歩く


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