亜細亜の街角
エーヤワディー川東岸の交通の要衝
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ピイ  (地域地図を開く)

エーヤワディー川の東岸にあり,ヤンゴン,マンダレーと道路や鉄道で結ばれる交通の要衝。アラカン山脈を越えてラカイン州に向かう道路もここから伸びている。周辺はこの国有数の穀倉地帯となっている。

ヤンゴン→ピイ移動

宿(08:45)→ソバジーゴン(09:45)→High way BS(11:05)→ピイ(17:00)とバスで移動する。情報が古かったため,最高裁まで歩きソバジーゴン行きのバスに乗る。しかし,すでにソバジーゴンはトラックバス乗り場になっていた。

英語が少し話せる人々の情報を総合し,ノット・オハラ(ハイウエーBS)までタクシー(2000Ky=約200円)で行く。この金額はピイまでのバス代と同じである。BSに到着するとタクシーの運転手はピー行きのバスを探してくれた

バスは日本製の中古の観光バスだ。バスの入口で料金を払い,座席表にサインすると座席番号が記載されている乗車券がもらえる。

バスの窓からBSに乗り入れている市バスの番号をチェックするとすべてNo.43になっていた。もっともミャンマーの数字はミャンマー文字で記載されているので対照表がないと読み取れない。

バスの側面の大きな窓は開かない。その上の欄間のような窓が開くだけである。これでエアコンが無いのだから中はサウナ状態になる。

同じ日本製のバスでも市バスとして使用されていたものなら窓が開くので助かるのに。ヤンゴンの町は日本製の中古バスの展示場のようになっており,僕にもなじみの関東バスや西部バスの社名をそのままにしたバスが走っている。

道路は一部が有料区間となっており,大部分はセンターライン無しの片側1車線である。車がようやくすれ違える道路に自転車が多いのでバスは控えめにホーンを鳴らしながら走る。

かなりの区間は線路と並行しており,その向こうには枯れた水田が広がっている。一方,水のあるところでは少し伸びた稲が緑色の景色を作り出している。トイレ休憩の町では姉妹がバスの乗客に喜捨を求めている。閉鎖的なミャンマーにあっても貧富の差の拡大はこのような光景に表れている。喜捨をしようかしまいかと迷ったが,僕はこの姉妹にお金を出すことはできなかった。

パンガ・バGH

ピイのバススタンドに到着するとサイカー(自転車のサイドカー)の運転手が集まってくる。「街までは3マイルもあるので1200Kyだ」などとふっかけてくる。幸い近くに乗合トラックバス(50Ky)が停車していたので,このトラックの荷台に板を並べただけの野蛮な車で町に向かう。

パンガ・バGHは朝食付きで3$,部屋は6畳,1ベッド,T/S共同,2階の入口でクツを脱ぐようになっているので清潔感がある。部屋の中には仏壇があり,水と花が置かれている。

ピーの町で最初にゲストハウスを始めたと云われている宿の主人はとても親切で居心地はよい。夜は停電となり9時頃からうたたねをしてしまった。電気は10時半に回復し,夜なべの日記作業となった。

サイカーは近距離用の乗り物である

空き地で営業する食べ物屋

韓国料理のチヂミのようだね

大きな木には精霊が宿っていると考えられている

宿から200mも歩くと「エーヤワディー川」の岸に出る

GHの建物は木造なので通気性がよい。寝る頃にはすっかり涼しくなり,夜半にはトレーナーを着込むことになった。蚊もいないので気持ちよく眠ることができた。06:30に起床し朝の散歩に出かけようとしたら,宿の主人が「朝食は?」と聞くので,「いただきます」と答えるとすぐに支度に取りかかってくれた。大きなパパイヤの1/4,トースト2枚,目玉焼き,小袋に入ったインスタント・コーヒーは量が多く2杯楽しめた。

宿から200mも歩くと「エーヤワディー川」の岸に出る。川はミャンマーの最北部に発し,国土を2分してアンダマン海に至る。僕は今まで「イラワディ川」と発音してきた。現地語の発音をカタカナで表記するのは難しい。

自然の川岸が船着き場となっている

ミャンマーの大動脈は乾期の今でも水量はけっこう多い。岸辺にはたくさんの船がつながれており,人々は頭に荷物を載せて運び出している。意外に多いのは燃料用の薪である。

地物のスイカはラグビーボール形である

スイカ販売所の家族は食事中であった

エーヤワディー川の川岸に商品を並べる

川岸にはたくさんの売り物の壺が並べられている。ミャンマーでは町中に置かれた素焼きの壺をよく目にする。中には飲用水が入っている。素焼きの容器に水を入れておくと少しずつ染み出す。染み出した水が蒸発するとき気化熱を奪い水温を下げるので,人々は暑い乾期でもちょっと冷たい水をそこかしこで飲むことができる。暑い気候と仏教でいう「功徳を積む」という考え方が結びついた生活の知恵である。

船から物品を運び出すのはすべて人力である

船の周囲には女性たちも集まってくる

荷物は頭上に乗せて運ぶ

バランスをとるのが難しい

牛車は川の中に入っていく

重い荷物は牛車に乗せる

川岸を登る牛車

岸辺はぬかるんでおり,荷物の積み下ろしにとても車は利用できない。人力と牛車だけが頼りである。牛車の車輪は大きいので川の中に乗り入れることができる。

牛車が船に横付けされ荷物が乗せられる。御者は牛を操り土手の斜面を斜めに登ろうとする。しかし,牛2頭でも簡単には登れない。牛には気の毒だが絵になる光景だ。

川岸の砂地を牛車が移動する

エーヤワディー川は穏やかな表情を見せている

川岸近くの食べ物屋

川岸道路にいろんな姿の仏像がある

川岸道路横の集落|子どもたちとはすぐ仲良くなれる

川沿いの道路の表通りは普通の家が並んでいる。しかし,その裏の土手の斜面には高床,草葺の家が密集しており,最近になってこの町に流入してきた人々が暮らしている。

子どもの数が多く,すぐに彼らに取り囲まれる。写真に対する拒否反応はなく,せがまれてずいぶん撮らされた。子どもたちはタナカを呼ばれる木をすりつぶした粉を顔に塗っているので,おしろい粉を適当に塗ったような顔になっている。

川岸道路横の集落|白いお化粧の子どもたち

川岸道路横の集落|どちらの表情もおもしろい

川岸道路を歩く女性はとても絵になる

川岸道路近くの学校にて

スラムの近くには小学校があるのでおじゃまする。1階と2階に教室があり,全部で12クラスである。階段のところにいた生徒に2階の教室に案内される。先生がいないので,「シーツ」と声を制しながら写真を撮る。

子どもたちは小さく,かつ幼い感じがする。どの子の顔もタナカのため白っぽい。一通り見学したら英語のできる女の先生につかまり,もう一度回って説明を聞くことになった。

托鉢の風景,10時なのでそろそろ寺院に戻る頃だろう

この荷物を頭に乗せた少女も絵になるね

■パゴダ

花に囲まれた仏像

大パゴダに仏像が納められている

ここの大パゴダは六角形である

ピイの街並み

ピイの町にもモスクがある

カエンボクかな

女性の食事風景

アウンサン将軍の金色の騎馬像

シュエサンドー・パゴダはヤンゴンのシュエタゴン,バゴーのシュエモードと並ぶミャンマーの三大パゴダの一つである。宿から街の中心のロータリーに出て,東側の丘に向かう。

ロータリーには金色のアウンサン将軍像がある。ラングーン大学在学中に学生運動に参加し,卒業後はビルマ独立運動の指導者となった。第2次大戦後は独立運動に没頭したが1947年に暗殺された。

ビルマ独立運動のシンボルとして今でも人々から慕われており,彼が生きていれば戦後のビルマは全く違ったものになっていただろう。歴史のいたずらか,彼の娘スー・チー女史は民主化運動を率い,長い間軍事政権の軟禁下に置かれている。

精霊の住まいなのであろうか

シュエサンドー・パゴダ
高さ5mはありそうな2頭の獅子像

シュエサンドー・パゴダ
ミャンマーの三大パゴダの一つである

シュエサンドー・パゴダは町を見下ろす東側の丘にある。東西南北に参道があり,石段が頂上に続いている。石段の両側は壁か柱になっており,その上には屋根が覆っている。

丘の上部から見ると階段状の屋根が連なっており,ところどころにミャンマー形式の塔屋根がしつらえてある。この構造はミャンマーの多くのパゴダに共通のようだ。

足の弱い人のためにエレベーターも用意されている。北の入口の前には高さ5mはありそうな2頭の獅子像が置かれている。日本の神社の狛犬と同じポーズであるが,こちらのものは派手な色彩が施されている。

シュエサンドー・パゴダ
最上部の法輪も立派だ

シュエサンドー・パゴダ
大パゴダを中心に多くの装飾が並ぶ

丘の上に出るとそこはバゴダの林となっている。中央の巨大パゴダをたくさんの小さなパゴダが取り巻いている。パゴダはすべて金色で熱帯の強い陽光の下で輝いている。周囲にはいくつかの建物があり多くの仏像が安置されている。白い肌と金色の衣がミャンマー独特のものだ。

シュエサンドー・パゴダ
均整のとれたお顔の仏像

シュエサンドー・パゴダ
祈りの空間

シュエサンドー・パゴダ
このお姿はマハムニ仏に類似している

シュエサンドー・パゴダ
丘の上からピイの町を眺望する

ここからの眺望もすばらしい。緑の多いピイの町が見渡せる。ヤシの木より高い建物はどこにもない。緑の中からところどころに金色のパゴダが突き出している。西側にはエーヤワディー川の水面が光っている。川にかかる近代的な橋も遠くに見える。

シュエサンドー・パゴダ
ふもとから石段を覆う屋根が続いている

バナナは未熟な状態で収穫される

竹で編んだカゴを売りに出かける

19時過ぎになると川岸の屋台が盛況となる

これは日本のタコ焼きなのかな

笑顔で写真を撮らせてくれた

夕方の7時半なんだけど

熱帯のミャンマーでも2月はいちおう冬なんだね

空き地の朝食屋台はにぎわっていた

野菜屋さんはおそらく8時前から営業している

バナナは太めで小ぶりのものが主流だ

魚は干したものと鮮魚がならんでいる

なかよし三人組

お母さんはたくましいね

インド系住民の結婚式はヒンドー教によるものである

鳥の声で目覚めるともう6時である。やはり冬なのかまだ薄暗い。バンコクのように朝から水シャワーというわけにもいかない。宿で昨日と同じ内容の朝食をいただく。

8時少し前に宿の主人に「今日はマンダレーに行きます」と告げると,電話でチケットを手配してくれた。主人は「チケットは市内で買えるけれど場所は分かりづらいのでサイカーで行きなさい」と近くのサイカーを呼んでくれた。

サイカーは歩いて5分くらいのところにある普通の民家に到着し,そこでチケットを購入する。マンダレー行きは日に何本あるかは分からないが,17時発の夜行である。

この辺りにはムスリムとヒンドゥー教徒が住んでいる。近くにいる鼻筋の通った子どもたちはムスリム帽を被っているのでムスリムと分かる。子どもたちは写真に対してとても素直に反応してくれる。

少し歩くと屋根の上にたくさんのミナレットを配したモスクがありその近くには市場がある。野菜や日用品を扱う露店の中にバナナの店がある。ここでは黄色く色付いたものとまだ青いものが同居している。隣には魚の店が2軒並んでいる。片方は生の魚を扱い,片方は干物専門である。

ヒンドゥー寺院からはにぎやかな音楽が聞こえてくる。中に入ると結婚式が執り行われていた。新郎新婦とも結婚式の盛装でとても絵になる。神殿の前で2人を囲んで親族が次から次へと記念写真に収まる。ごはんをごちそうになり,写真もたくさん撮ることができてご機嫌である。

魚の多くは淡水産のものである

上座部仏教徒の在家の人々には食の禁忌はほとんどないようだ

今日は学校がお休みなのかな

売り物は米粉であろう

スイカの赤い色が鮮やかだ

川の水を汲み上げて散水車に入れる

町の通りを掃除する

コメはこのようにして乾燥する

エーヤワディ川にはピイとラカイン州を結ぶ立派な橋が架かっている。川沿いに南に歩き橋を目指す。農家の庭先にはシートが広げられ,籾を乾燥させている。

昔の日本のようにハザで稲束ごと乾燥させる風景は見られない。ポンプに直結している給水管から川の水を汲んでいる散水車もある。乾季のほこりを抑えるにはこれしかないだろう。

10時を回っており托鉢も終わりであろう

エーヤワディー川の川岸,荷上げ風景

橋の近くでは貨物船が接岸しており,白い袋を頭に乗せた男たちが渡し板を通り荷物を運び込んでいる。おや,道路に停められているトラックの後部には「福島県いわき市」と書かれているではないか。

この位置からは橋が良く見える。川を渡るため10本か11本の橋脚があり,その上を真っ直ぐな橋が架かっている。しかし,橋の取り付け道路は土手から20mも高いところにある。川沿いの道路から左の斜面を登ってみたが下りるところがない。

親近感のある僧侶の像

10時を過ぎると気温はどんどん上がる

この地域で唯一のエーヤワディー川に架かる橋

今では珍しい鉄骨が支えるロングスパンの橋である

結局,取り付け道路のコンクリート斜面から飛び降りてようやく道路に出る。道路は片側1車線でその両側に歩道がある。歩道はコンクリートブロックが敷かれているが,その下は何も無い空間になっている。ブロックのすき間からはるか下の水面が見えるのはちょっと怖い。町の方向にはシュエサンドー・パゴダが丘の上に金色の姿を見せている。

川とは思えないほど水面は滑らかである

橋の反対側には貯木場がある

橋の全長は歩く時間(18分)から計算して1.5km,川幅も1kmはありそうだ。対岸の左側には太い木材をつないだ筏がある。直径50-80cmほどもあるみごとなチークである。

チークの世界貿易ではミャンマーは大きなシェアを占める。しかし,この国でも森林保護のためすでに原木の輸出は抑制されている。貴重な資源を監視するためであろうか,いかだの上には粗末な監視用の小屋が作られている。

長い竿を操って新芽を切り落としている

少年が木に登り,長い竹ざおの先に鎌を付けた道具で若芽の部分を切り落としている。下では母親が落ちてきた新芽を拾い集めている。僕が食べるマネをすると彼女はうなずくので,これはどうやら食べるためのものらしい。後日,市場でこれと同じものを発見し,なるほどと一人うなづくことになる。

小学校の先生はとても若い

橋の終点付近からは村が見えるのになかなかそこ行く道は見つからない。こわごわと橋を監視する軍人に聞いてようやく道に出る。熱帯特有の赤い土の道路を歩いていくと小さな小学校がある。残念ながら昼休みのため生徒は自宅に戻っており,高校生に見える若い女教師が留守番をしている。

対岸の村|学校から戻った子どもたち

それではと,少し先の村の方に歩き出す。雑貨屋の前に子どもたちが集まっている。制服姿のままタナカで頬や鼻を白くしたかわいい子どもたちは,喜んで旅人のカメラに納まってくれた。

近くの家におじゃまする。家は高床式で床と壁は板張り,屋根はトタンである。家の柱は50cmはある黒塗りの立派な丸太がそのまま使用されている。村の道では小学生の一団に出会った。白いタナカを除くと,彼らの顔立ちは驚くほど日本人に似ている。


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