亜細亜の街角
ラオス北部で最も旅行者に人気の高い町
Home 亜細亜の街角 | Muangsing / Laos / Mar 2001 & Mar 2003

ムアンシン (参照地図を開く)

ムアンシンに移動する

ルアンナムタ(10:00)→ムアンシン(12:30)と乗合トラックバスで移動する。ムアンシンはラオス最北部の小さな町で,周辺には多くの少数民族の村がある。宿泊設備も整備されており,旅行者の人気も高い。

フェイサイからルアンナムターに来たときのつらい体験を思い出しながらトラックバスの中ほどに荷物と一緒に乗り込む。その後どんどん乗客は増え,出発したとき荷台には23人の大人と4人の子供が詰めこまれていた。

道路は舗装されており傷みも少ない。ムアンシンまでの間に4つの集落を確認した。その中の一つで乗客が竹の子を買うために停車した。車が停まると村人の大半が物売りと見物のために集まってくる。ここでは伝統衣装が保存されており写真には絶好である。しかし,混雑のため荷台から降りれず写真にはならない。

Plan Guest House

ムアンシンの市場横のバスステーションに到着する。北に歩き出しゲストハウスを探す。2階がテラスになっているゲストハウスがある。残念ながら2階はいっぱいで1階の20,000Kの部屋になった。部屋の広さは12畳,トイレ・シャワー付き,大きなダブルベッド,机とイスがついている。

この町では電気が使えるのは18:00-21:00までなので,夕食後は直ちに日記を書き,歯を磨き,電気が消えたらそのまま寝られる体制を構築する。

朝の市場

涼しいので長袖のシャツを着て市場に出かける。朝の市場は生鮮食料を買い求める人で混雑している。売り手には民族衣装を着たアカ族の女性も多い。彼女たちの帽子と上着は少数民族のそれであるが,巻きスカートは平地のラオと同じものである。

朝の市場で見かけるのはアカ族の人たちだけである

ムアンシンの周囲にはアカ,ルー,モン,ヤオ族など多数の少数民族の村がある。しかし市場や町中で見かけるのはアカ族だけである。確かにアカ族の村は群を抜いて多いが,他の少数民族はどうしているんだろうという疑問が生じる。

中国雲南の米線と同じ食文化がある

両替商であろうか

市場には大量のスイカが持ち込まれている

ムアンシンの街角点描

中国国境までは16km

徒歩で北東に16kmの中国国境へ向かう。10分も歩くと家は無くなり干上がった水田が広がるようになる。道路のわきにスイカが大量に積んであるのを発見する。スイカを運ぶトラクターの後をつけていくとスイカ畑が見つかった。見渡す限りにスイカがころがっている。その周囲は枯れた水田なので,スイカはコメの裏作であろうと推測した。

つるを切る人,集める人,トラクターの荷車に積みこむ人,ここでも多くの人々が収穫を喜び楽しいそうに働いている。のどが乾くと水の代わりにスイカを割り,そのまま豪快に食べる。僕も大きなかけらをいただきかぶりつく。適度に甘いジュースが口の中にあふれ,乾いたのどを潤してくれる。

道路わきのスイカの集積所では,少数民族の女性たちが割れて商品価値の無くなったものを探している。運良く見つかると仲間と一緒にのどの渇きをいやすことができる。中には子どももいたのでキャンディーとフーセンをあげるとよろこんで写真をとらせてくれる。

国境にはラオスのイミグレがあり,その向こうにはゲートがある。ここを通過するのはほとんど中国人である。ラオス人も通過できるが中国に商売に行く人はいない。陸の国境という緊張感はまったくなく特別の感慨も無い。

少数民族村を訪ねるトレッキング

1日30$(この国の収入水準からして異常に高い)トレッキングに参加することにした。参加者は日本人2人とドイツ人女性のニーナさんの3人である。ガイドは26才の青年でたっしゃな英語を話す。

途中で小さな村に寄る

途中で小さな村に寄る。女性の黒づくめの服装は市場で見かけたモン族に酷似している。住民は最初は無愛想であったが,子供たちにキャンディーとフーセンをあげると写真もOKとなった。子供を抱いた母親たちは胸を隠そうともしない。

サバイディ(こんにちは)の合唱に迎えられる

ここからは登りが連続するようになり苦しい。道は斜面の中腹をはるか山の向こうまで伸びており,斜面の上と下は焼畑から回復途中の森林になっている。突然上の方から子供たちの声が聞こえる。彼らは口々に歓迎の「サバイディ」を叫んでおり,それは合唱のようにも聞こえる。

高床式の家が並ぶ

アカ族の村の標高は1350m,まず何より息を整え,水を飲むのが急務である。ここには50戸ほどの家が山の尾根に沿って並んでいる。家の作りは高床式,壁材は板か竹,屋根は草葺,床は竹で編んでいる。

子どもたちに取り囲まれる

我々はすぐに子供たちに取り囲まれる。まず写真をとることにする。3人がカメラを向けてもここの子供たちはぜんぜん物怖じせず,笑顔で応えてくれる。女性も同様である。何回かトレッカーがやってきて,写真のお礼にお土産をもらえることを知っているのかもしれない。

お昼ごはん

機を織る人,子供の集団,子供を抱いた母親,きれいな家並みなど夢中でシャッターを押す。この村の民家で持参してきた焼き豚,イワシの缶詰とカーニャオで昼食をいただく。このような形でごはんを食べるときは全部食べてしまってはいけない。残ったおかずはこの家族の食べる分になるからだ。

山一つが燃えている

帰りは長い下りの道になる。この道の周囲では大規模な焼畑が行われている。山一つが燃えており,遠くからでもゴーツという炎の音が聞こえる。火が消えた直後の斜面は焼け焦げた樹木がそのまま残っており,このような土地でどのように農業をやるのか疑問が残る。

村に戻る子ともたちと出会う

帰りに別の村に立ち寄る

いろいろな服装の人とすれ違う


ルアンナムタ   亜細亜の街角   ルアンプラバン