亜細亜の街角
台風前に古見から由布島まで歩く
Home 亜細亜の街角 | 西表島・大原|Oct 2013

上原から大原にバスで移動

カンピラ荘の朝食は07時20分頃,夕食は18時過ぎである。昨日の夕食は揚げ物,刺身,串カツ,ツルムラサキのサラダ,果物,今朝の朝食はのり,目玉焼き,ハムステーキ,ごはん,お吸い物であり,質量ともに僕には十分すぎるものであった。

朝食の後は共用スペースで台風の話で時間の経つのを忘れてしまい,08時を回ってしまった。あわてて荷物をもち,宿の人に挨拶をしてバス停に向かう。後ろからバスが来たのでそのまま乗せてもらう。

バスは台風のためかガラ空きの状態であった。昨日の徒歩コースを記憶をもとにたどって最終地点は分かったが,大見樹(おおみじぇ)川は確認できなかった。バスは約1時間で仲間湾にかかる長い橋を渡り,大原港に到着した。

大原港から100mほど戻ると海岸道路に出る

予定していた民宿やまねこは海岸道路から大原港に向かう交差点の手前にある。大原港から軽い坂道を上り,交差点に出るとそこが大原集落の中心部である。近くにはスーパーもあり,素泊まりの民宿やまねこに滞在しても食料の心配はない。

民宿やまねこ

海岸通りには小さな案内板があったので宿はすぐに見つかった。というより,案内板のところで宿のおじさんに声をかけられた。民宿やまねこは素泊まりで1泊2000円である。共用のキッチン兼食堂を使用することができるので自炊は可能だ。

部屋は6畳の畳部屋であり,エアコンは1時間100円の有料である。台風が接近しているためか,シーズンオフなのか8部屋ある民宿の宿泊客は僕を含めて2人である。ここでも寝具は薄い敷布団とタオルケットである。枕はいぐさのような材料でできており,しかも小さいので横向きに寝るときはほほにこすれてちょっと感じが良くない。

食堂の壁は宿泊客の写真で埋まっている

トックリヤシ

宿の近くにはトックリヤシ(Mascarena lagenicaulis,ヤシ科・トックリヤシ属)があった。本家のトックリヤシは名前のように幹の下部が膨れて徳利のような形状になる。花の付き方,果実はトックリヤシモドキと同じである。原産地はインド洋の島であり,寒さに弱く,最低気温が10℃を切る地域では生育は難しい。

どなたかの胸像が置かれている

頌徳碑の前にはユニークがシーサーが

パパイヤの花が盛大に咲いていた

パパイア(パパイヤ,papaya、papaw、pawpaw,パパイア科・パパイア属)の原産地はメキシコ南部,常緑性の小高木である。ヤシの木と同じように頂部に成長点をもち,ヤツデのような大きな葉を幹から直接出している。成長とともに下部から葉を落とし,幹には葉痕が傷のように残る。たくさんの果実が頂部の幹からぶら下がるように付いている。この頂部の様子はココヤシと類似している。

パパイアは高さ方向に成長するとともに,幹回りも太くなっていく。しかし,幹は木質化しておらず,草本か木本か議論が分かれている。果実は楕円形もしくは球形,中心部は中空となっており,内側にたくさんの黒い種が入っている。果物というより野菜に近く,東南アジアでは未熟な青いパパイヤを千切りにしてサラダ感覚で食べている。

自然状態では雌雄異株であり雄花は長い花序になって下垂する。花は黄緑色で目立たないが,近くで観察するとけっこう味わい深い。

サトウキビ畑

サトウキビは沖縄県の主要な農産物である。農家の72%が栽培し,栽培面積の64%,農業算出額の36%をサトウキビが占めている。サトウキビの栽培型は春植え,夏植え,株出しの三形態がある。春植えは2-3月に植え付けし,翌年の3-4月に収穫する。1年で収穫できるが収量は最も少ない。夏植えは7-9月に植え付けし,翌々年の1-2月に収穫する。収穫まで1年半を要するが収量は最も多い。

株出しは春植え,夏植えの収穫後も根株を残してそのまま発芽させ,翌年の1-3月に収穫する。植え付け作業がはぶける上に発芽伸長が速く生育も促進されるため,春植えより収量は多いので2-3年続けられる。

作型別の収穫面積の割合は春植え10%,夏植え40%,株出し50%となっている。沖縄県の10アール当りの平均収量は7-8トンであり,天候や台風により大きく変動する。2010年の栽培面積は12,761ha、生産量は82万トン,10a あたりの収量は6.4トンとなっている。

コメの場合は籾もしくは精白米の生産量となるので分かりやすいが,サトウキビの場合はおそらく収穫され,葉を除去した茎重量なのであろう。この茎重量は一次加工品となる原料糖あるいは含蜜糖の生産量とは直接結びつかないので直感的に分かりずらい。

収穫時はサトウキビをを刈り取り,先端部の葉と茎に付いている枯葉を取り除き,茎だけの形にして製糖工場に搬送する。収穫後のサトウキビは切断面から酸化が進み劣化するので,速やかに製糖工場に運ばれる。

最初の工程でサトウキビを切断,粉砕して圧搾機にかける。繊維質のかす(バガス)を除いたしぼり汁に石灰を加える。これはさとうきびの微酸性を中和すると同時に,不純物を沈澱させて除去するためである。

沈澱物をろ過したあとの液を煮詰めたり真空状態で濃縮して水分を除去すると黒糖(黒砂糖)ができる。黒糖は蜜を含んでいることから含蜜糖と呼ばれており,しぼり汁をそのまま濃縮・乾燥させたものなので,サトウキビに含まれるミネラル分がそのまま残っている。

日本で使用される砂糖の約2/3は海外から輸入されたものである,日本国内には精糖(製糖ではない)工場がたくさんある。実はサトウキビの場合,栽培している国々の製糖工場でしぼり汁を濃縮し,遠心分離機でショ糖の結晶と糖蜜を大まかに分離している。

ここで取り出されたものは粗糖(原料糖)と呼ばれ,国際的に取引されている。粗糖は消費国の精糖工場で精製されて白砂糖(正式には上白糖)になる。精糖工場ではショ糖を結晶化させ,蜜と分離するため遠心分離機,イオン交換樹脂塔,真空結晶缶などの大がかりな装置が使用される。

こうして出来上がったものが白砂糖であり,ショ糖含有率約98-99%,蜜成分がほぼ完全に除去されているため分蜜糖と呼ばれている。ショ糖の結晶は無色透明であるが光の乱反射により白く見える。白砂糖は薄茶色の粗糖を漂白したわけではない。

伝統的な瓦屋根

比較的新しい琉球瓦の伝統的な家屋があったので近づいてみるとNTT西日本の交換局であった。この建物は琉球瓦の敷き方が比較的よく分かる。瓦は地域の赤土を使用しているので赤瓦となる。下に敷く女瓦と上にかぶせる男瓦があり,下のものは緩いカーブ,上のものは丸みが強くなっている。

まず軒部分に女瓦を2枚重ねて敷き,さらに間隔をおいて一枚づつ重ねていく。女瓦の合わせ目に土を被せ,男瓦を被せるように置いてゆく。3-4日後に瓦の合わせ目に漆喰を塗って固定する。漆喰の塗布は複数回行われる。

タビビトノキに花が咲いていた

仲間橋の少し手前にあるタビビトノキ(オウギバショウ)に花が咲いていた。通常,この植物のうちわ状の葉は茎のところから扇のように開いて出るが,途中にもう一つの小さな扇のようなものが付いていた。以前に見たときはおそらく花になるのであろうと推測していたら,ここのものには目立たない薄い黄色の花があった。

仲間橋

仲間川の河口は内陸まで深く切れ込んだ入江のようになっており,どこが河口なのかは判断できない。海岸道路につながる仲間橋は全長が300mほどもあり,ほとんど海の上という感じがする。橋のシンボルはイリオモテヤマネコで橋の両側の左右に4体の異なったポーズの石像がある。

橋のシンボルはイリオモテヤマネコである

向かって右側が仲間川に続いている

仲間橋の中央部から陸側を見るとこのようになっている。左側は小さな湾状の地形になっているだけで,右側が仲間川に続いている。仲間川には日本最大のマングローブの森があるが,それは仲間橋から2.6kmほど上流側になり,遊覧船以外にはアクセスの手段はない。

大富側の遊覧船船着き場

この日はバスで古見の集落に出て由布島まで歩いた。仲間川の遊覧船は翌日と計画していたら,台風23号の接近のため運休となっていた。ということで遊覧船には乗ることができず,これは少し残念であった。とはいうものの,サキシマスオウノキは古見の御嶽ですばらしいものを見たし,マングローブは浦内川で十分に見せてもらったのでそれほどこころ残りではない。

橋の大富側には小さなマングローブの群落がある

トックリヤシとヤギの風景

ハイビスカス(コーラル系)

コーラル系はフウリンブッソウゲの血を引く。八重ではなく多花性とされている。

速度の出し過ぎを注意する標語

県道215号線は仲間橋の先にある大原中学校のあたりで直角に近い角度でカーブしている。その辺りにはトックリヤシが街路樹になっており,カーブの手前には大富こども会の速度注意の看板があった。

だいぶ昔に「狭い日本 そんなに急いで どこへ行く」という交通安全標語があったが,この狭い西表島では海岸道路の始点から終点までは時速40kmで走行しても1時間半しかかからない。速度よりも動物や交通弱者にやさしい運転が求められる。レンタカーで島内を回る観光客のみなさんものんびり走ってもらいたいものだ。

トックリヤシの花と果実

トックリヤシモドキと同様にトックリヤシも通年開花し,花と果実が一緒に見られる。ネットで調べてみてもトックリヤシの果実を食用にしたという記事は見つからないので,おそらく食用には向かないのであろう。

バスで古見のサキスマスオウ群生地に移動

大原から上原方面へのバスは日に4便,逆方向も同じなのでバスを逃がすことは致命傷になる。もっとも,西表島では停留所でなくても手を上げると止まってくれるので,上原方面に歩き,バスの時間が近くなったら,そこでバスを待てばよい。

やってきたバスに合図をして乗り込む。目的地のサキシマスオウニキの群落はバス停ではないので運転手にそこで降ろして下さいと伝えるとちゃんと降ろしてもらえた。

場所は前良川(まいらがわ)の大原側であり,干潟の上に高床式の木道(遊歩道)が整備されている。木道からはマングローブがすぐ側で観察することができ,地面からだとなかなか分からない開花の様子や種子の付き方などがよくわかる。

メヒルギの実

オヒルギとメヒルギは樹木の大きさと根の形状で判断してきたが,「沖縄植物図鑑」によると葉の先端に尻尾のような細い突起が付いているものがメヒルギという識別方法が記載されていた。確かにオヒルギの葉の先端には突起がないので識別可能である。

メヒルギの種子も胎生種子でありこの状態から種子が成長していき,適当なところで離れる。種子は海水より軽いので海を漂い,運よく環境の良いところに漂着すると成長することができる。

遊歩道の下にはマングローブの森が広がる

ここは前良川の河口に近く,木道からは川岸に広がるマングローブの森を上から見ることができる。水路に近いところにはオヒルギ,ヒルギダマシが集まり,その背後は背の高いオヒルギの森となっている。

白い幹の木がサキシマスオウ

オヒルギに混ざるように幹が白く枝の曲がりくねったサキシマスオウノキが見える。さらにその背後にはクバの木のこんもりとしかたまりも見える。

遊歩道からは思うような写真が撮れない

木道の終点からは大きな板根をもったサキシマスオウノキが観察できる。しかし,上方からでは板根の迫力のある写真は到底望めない。やはり,御嶽の門から回り込んでアクセスするしかないようだ。

イシガキチョウ

海岸道路に戻ると花にイシガキチョウが止まっていた。この蝶の生きた姿を見るのは初めてなので,しばらく翅が開くのを待って撮影した。イシガケチョウはタテハチョウの仲間であり,名前のように石垣のような模様をしている。日本の分布域は紀伊半島以南・四国・九州・南西諸島であり,その範囲は温暖化により年々北上している。

三離御嶽(みちゃりうたき)入口

海岸道路を大原側に少し戻ると古見集落の三離御嶽の入り口がある。御嶽は地域の人々の聖域であり,中には男子禁制あるいはある特別の期間以外は立ち入り禁止となっているところもあるのでできれば立ち入りたくないが,サキシマスオウノキの写真は撮りたいので失礼することにする。

サキシマスオウの板根

三離御嶽の門の横から入り,拝所に一礼して右側の藪に入っていく。サキシマスオウノキの板根はそのままサバニ(土地の小舟)の舵に利用したり,樹皮は染料,薬用としても利用されてきた。そのため,西表島でもそれほど多くは残されていない。ここのものは古見の御嶽にあったおかげで伐採を免れて,現在でもサキシマスオウノキの群落として保存された。

サキシマスオウノキは天然記念物なので傷つけることはもちろん,根の近くを歩き回って地面を固くしてしまうことも避けたいものだ。こうしてアクセスした群落の中でもっとも板根の発達しているものが写真の木である。この立派な板根ならそのまま舵に使えそうだ。

あたりはサキシマスオウの森となっている

周辺はサキシマスオウノキとクバの木の森となっており,いかにも聖域という雰囲気がある。

昔はこの根でサバニの舵を造っていた

クバはビロウの仲間である

クバは土地の言葉であり和名はビロウ(ヤシ科・ビロウ属)となる。日本では九州以南の地域の海岸近くに自生しており,八重山では神が降りる木として大事にされている。大きく円形に広がった若葉はそのまま重しで形を整えうちわ(扇子)にもなるし,垂れ下がるようになった古い葉は乾燥させると蓑の材料になる。草あるいは木の葉の繊維としてはアダンとともに重要な島の資源となっている。

拝所の手前に赤い花が落ちていた

ネットの情報ではこの御嶽にはサガリバナの木があるとされているが,僕には見つけることができなかった。というより,聖域をうろうろしたくなかったのでサキシマスオウノキの写真を撮ったら,ささっと外に出てしまった。

門の近くに赤い花が落ちていたので上を見上げると,いくつかのつぼみと咲き終わったような花が付いていた。落ちた花と高いところの花では名前の確定は難しいが,ゴバンノアシ(サガリバナ科サガリバナ属)の可能性が高い。ゴバンノアシならサガリバナの近い親戚である。

前良川にかかるまいら橋から見る内陸側の風景

前良川の左岸は三離御嶽に続く森となっている

前良川の右岸にはオヒルギの大群落がみられる

まいら橋から見る海岸の風景

気根に守られているようなヒルギダマシ

古見の集落近くで収穫されたバナナを発見

集落の少し手前に畑があり道端の作業箱の中には3段ほどのバナナが入っていた。畑ではおじいさんが収穫の残差を燃やしていた。台風23号の風が吹き荒れ,枯れた植物は盛大に燃えていた。

畑の横には大きな葉を持った芭蕉が茂っているのでミバショウですかとたずねるとおじいさんは「実はなるが種がたくさんあって食べられない。着物(芭蕉布)を作るのに使用するものだよ,食べるバナナはあっちに植えてあるんだ」と教えてくれた。

ウコンの畑

畑の大部分には小さなバショウのような葉をもった作物が栽培されていた。当地の名前は覚えられなかったがどうやらウコンの仲間のようだ。ウコンを使用した健康補助食品は大いに売れており,おじいさんのところにもどんどん作って下さいという依頼があるそうだ。おじいさんはラジオをもっており,ちょうど台風情報をやっていたのでしばらく台風の話題で話がはずんだ。

おじいさんは道端のカゴからバナナを取り出し,黄色くなりかけた3本を渡してくれた。2本はその場でいただいた。いわゆる栽培種のバナナであり,商品に比べると甘みはすこし落ちるが十分にいただくことができる。西表ではかってずっと小さな島バナナが栽培されていたが,栽培バナナに変わってしまったという。

ヒギリ

畑の横に見慣れない朱色の鮮やかな花があった。これはヒギリ(Clerodendrum japonicum,クマツヅラ科・クサギ属)である。属名はクレロデンドルム属とすることもある。和名は葉が桐に似ており緋色の花を咲かせることに由来する。

原産地はインド南部から中国にかけての地域であり,日本では小笠原や琉球諸島に自生している。おそらく,暖かい八重山では周年開花すると思われる。

古見小学校と創立百年の記念碑

ハイビスカスの生垣

収穫間近なサトウキビ

しぃらにごう橋(後良二号橋)の手前にある石像

人魚姫の下には「後良橋」,カンムリワシの下にもプレートがある。橋とはちょっと距離があり,これはいったいなにという状態である。後良二号橋にはちゃんとシオマネキがシンボルになっていたので二つの石像は謎である。

後良川(しいらがわ)の河口風景

後良川の展望台

後良川の大原側には展望台があり,ここから後良川の両岸に広がるマングローブ林を眺望することができる。この周辺はすばらしいマングローブの景観が楽しめるものの,やはり干潟から間近で見る方が性に合っている。

展望台の横には「はしゆば節」と「古見ぬ浦(くんぬうら)節」の歌詞を彫り込んだ石碑がある。どちらの碑にも地域の言葉で記載されており,ひらがな表記ではまったく意味不明であるが,漢字併記になるとなんとなく意味が分かるような気になる。

石碑には訳文も記載されている「古見ぬ浦節」の歌詞は次のような意味であり,とてもきれいな内容である。

古見の浦にそびえたつ八重岳
七重八重にも重なっている美与底(みゆしく)
いつまでも眺めていたい

桜花の如く美しいぶなれしまよ
梅の花の如くかぐわしい乙女よ
いつも花の盛りのように美しい

あの人の袖からこぼれる匂いは
伽羅・沈香のようにかんばしく
永久に私に染まっていくようだ

乙女の想いは
愛しい乙女の心情は
いつまでも二人で語っていたい

展望台から見る後良川のマングローブ林

後良川の両岸にマングローブ林が広がる

水辺の近くはメヒルギが多い

マングローブは遠くから,あるいは橋や展望台の上から眺めるのではなく,近くによって汽水域の環境に特化して適応した進化の妙の造形を観察する方がよい。橋の上原側には川岸(河口)へ降りる石段があり,もちろん下に降りてみた。

ここでは水辺の近くはメヒルギが多く,その背後はオヒルギの大群落になっている。水辺の近くではメヒルギの根が複雑にからみあい,とても中に入ることはできない。それに対してオヒルギの群落は木と木の間隔が広いので歩くことはできそうだ。ただし,湿地になっているのでそれなりの足ごしらえが必要だ。

水辺から少し離れるとオヒルギが優勢となる

西表熱帯林育種技術園

後良川から少し上原方向に歩くと西表野生生物保護センターと西表熱帯林育種技術園の案内があるので山の方に向かう。正式名称は独立行政法人・林木育種センター付属の施設である。同施設のウェブサイトには次のような設置目的が掲載されている。

熱帯地方の早生樹種を育種により形質改良するため
(1) 熱帯産等樹種の育種技術の開発
(2) 海外の林木育種に関する技術指導
(3) 熱帯産等樹種の遺伝資源の保存
この3つを柱に,熱帯・亜熱帯樹種の育種研究を行うため,平成8年,亜熱帯性気候に位置する沖縄県西表島に設置された。

しかし,このサイトを見てもここの施設でどのような研究がなされ,どのような成果が上がっているのかは確認できなかった。

西表野生生物保護センター

西表熱帯林育種技術園の少し先に西表野生生物保護センター(IWCC)がある。ここはイリオモテヤマネコの保護活動の拠点として整備された施設である。多くの人々にイリオモテヤマネコをはじめとする西表島の自然について知ってもらい,野生生物や自然環境保全への理解や関心を深めてもらうことが施設の設立目的である。

現在の緊急課題はイリオモテヤマネコの交通事故防止である。2013年は11月までに6匹が交通事故の犠牲になっており,保護センターは「島速度 40 キャンペーン」を展開し,次のように呼びかけている。

西表島の幹線道路はヤマネコをはじめとする生きものたちにとって大切な,自然環境豊かな生息地の中を通っています。道路にはカエルやカニ,ヘビやトカゲ,シロハラクイナなど小さな生きものたちはもちろん,ヤマネコ,カンムリワシ,キンバト,セマルハコガメなど希少な生きものたちもたくさん現れます。

幹線道路の制限速度は40km/hです(集落内はもっとゆっくり)。集落を一歩出たら,そこはもうヤマネコの森です。どうか,生きものたちの「おうち」の中を横切っているのだ,と感じてあげて下さい。そして,生きものたちが飛び出してきても止まれるスピードで走ってあげて下さい。

特に,ヤマネコにとっては交通事故問題が深刻です。夕方暗くなる頃〜夜にかけて運転する方は注意して下さい。危険箇所にはゼブラゾーン,道路標識,移動式看板(最新の目撃情報によって移動)があります。


ここではカエルツボカビ菌が靴底に付いて流入することを防止するため,島の玄関口である大原港と上原港に消毒マットを設置している。外から訪問する方々はこの消毒マットで靴底をこすってから島に入るようにしていただきたい。

カエルツボカビ症は一属一種の真菌・カエルツボカビ (Batrachochytrium dendrobatidis Longcore et al., 1999) によって引き起こされる両生類の致死的な感染症である。野生の個体群でのこの疾病に対する効果的な対策は存在しない。

カエルツボカビ症はカエルツボカビがカエルの体表に寄生・繁殖し,カエルの皮膚呼吸が困難になる病気である。この病気は1990年代から北米西部,中米,南米,オーストラリア東部など比較的自然環境が良好な地域で劇的な両生類の減少あるいは絶滅を引き起こしてきた。この病気は世界的な両生類の生息数と世界の両生類種の30%もの種数の減少に関連していると考えられている。

現在の研究成果ではカエルツボカビは日本では30系統もみつかり,新大陸やオーストラリアなどでは1系統しか見つかっていないのでアジア起源である可能性が高い。本土の両生類は長い歴史の中でカエルツボカビに対して一定の抵抗力をもっているのかもしれない。

しかし,長い間,外界との交流が無かった西表島の両生類は抵抗力をもっていないことが懸念される。西表島の両生類は貴重な種であり,イリオモテヤマネコの重要な食料でもある。島の生態系を維持するためには予防保全の原則が適用されるべきである。

イリオモテヤマネコ

イリオモテヤマネコはベンガルヤマネコ属に分類されるヤマネコの一種もしくは一亜種である。体長はオスが55-60cm,メスが50-55cm,体重はオスが3.5-5kg,メスが3-3.5kgとなっている。標本と遺伝子の研究からベンガルヤマネコ属に含まれることは定説となったものの,独立種とするか亜種とするかは決着していない。

海洋地質学では2万-24万年前には西表島は琉球諸島および大陸との間に断続的な陸橋があったと考えられており,その時期にやってきたと推定されている。

とはいえ,肉食動物であるイリオモテヤマネコが面積290km2の西表島で生き延びてこられたことは一つの奇跡である。肉食動物は一定面積の縄張りが必要であり,小さな島では種の維持に必要な生息数が確保できないためである。その意味では西表島は肉食動物の生息する世界最小の島ということができる。

アダンの若い実

アダン(阿檀,Pandanus odoratissimus,タコノキ属)は一般的には「タコノキ」として知られている。トカラ列島以南,中国南部,東南アジアの沿岸部に分布する。和名は沖縄の方言がそのまま採用されている。太平洋の熱帯域には近縁種の P. tectorius Sol. ex Parkinson も分布している。

タコノキの仲間は幹の下部に複数の支持根をもち,このため「タコノキ」の名前が付いている。アダンはさらに太い枝が横に伸び,そこから気根を垂らし,接地すると支持根になる。このためアダンは非常に密集した群落を作り,多数の支持根で支えられているため強風にも耐えられる。

葉は茎を包むように生じ,幅3-5cm,長さ1-1.5mにもなり,辺縁部には鋭い棘をもつ。雌雄異株であり,雌株にはパイナップルのような集合果をつける。若い果実は緑色であり,熟すると橙色あるいは黄色っぽい色になる。かっては島の人の食料になったようであるが,ほとんどが繊維質であり可食部は少ない。

西表では二期作が可能だ

海岸道路

古見の集落から由布水牛車乗り場に向かう道路は道幅も広く車はどうしても速度を上げそうである。しかし,この海岸道路はイリオモテヤマネコの縄張りあるいは行動圏を分断しており,ヤマネコはしばしば道路を横断することになる。ありがたいことに,この海岸道路はずっと歩道が整備されており,歩くのには快適な環境である。

イリオモテヤマネコのフンであろうか

道路の側溝の近くにこのようなものが落ちていた。古見の集落からはかなり離れているのでイリオモテヤマネコの落し物であろう。ヤマネコは自分の縄張りのマーキングのため,目立つところにフンを残す習性があるという。

タカワラビの若い葉

大型で照葉樹のよう若葉のように硬質の葉のため西表島のシダ類ではもっとも目立つものであった。西表島に自生する大型のシダであるナンヨウリュウビンタイは川沿いのもっと多湿な場所を好むので,海岸道路を歩いていても見かけない。

ホバリングしながら蜜を吸うホシホウジャク

ホシホウジャク(Macroglossum pyrrhosticta,スズメガ科・ホウジャク亜科)は北海道から沖縄まで日本の各地に分布している。4枚の翅は体に対して小さく,ジェット戦闘機の三角翼のような鋭角三角形になっていて高速で飛行する。スズメガの仲間には時速50km以上の高速で移動するものもおり,飛翔昆虫の中でも一番速い部類に入る。

また翅を素早く羽ばたかせることで,ハチドリのように空中に静止(ホバリング)することもでき,その状態で花の蜜を吸引している姿が観察できる。ホシホウジャクは何回か見かけたが,静止して吸蜜するものは一回しか見かけなかった。

由布島

由布島は西表島・与那良川から流れ出た砂が堆積してできた砂州の島である。満潮時は300mほどの間が水に浸かるが水深は20-30cmほどであり,歩いて渡ることができる。面積は12ha,最大標高は1.5mにすぎない。

もともとは無人島であったが,終戦後に竹富島,黒島からの移住者が定住するようになる。昭和40年には25世帯,人口111人となり,小学校や公民館もあった。しかし,昭和44年,台風11号は中心気圧925hPaの勢力を保ったまま西表島を直撃した。運悪く大潮であったため高潮により島全体が冠水した。

この災害によりほとんどの住民はすでにマラリアの心配のなくなった西表島に移住し,2世帯4人だけが島に残った。島に残った西表正治おじぃは「南国の楽園」を夢見てヤシを植え続ける。台風被害から12年後の昭和56年に水牛2頭・水牛車2台の体制で由布島植物園が開園された。

平成2年には明電舎のCM放映により「南国の楽園」として観光客は急増する。島の施設は拡充され,平成22年には人口は17世帯・23人,水牛は43頭,水牛車は23台となっている。(由布島熱帯植物園・公式サイトの歴史より)

由布島に面する西表島側には「水牛車休憩所」があり,ここで由布島の入園チケット(1300円)が売られている。この料金の中には由布島の入園料,水牛車利用料金,レストランでのドリンクサービスが含まれている。ちなみに水牛車を利用せ,歩いて渡ると入園料の500円だけとなる。

僕が水牛休憩所に到着したのは15時を回っており,大原に戻る最終バスは16時50分なので足早の見学となった。台風23号の影響で強い風が間断なく吹き,ときおり雨も降るという悪天候だったので見学時間はさらに短くなった。

強い風のために海水が押しやられている

西表島と由布島の間は干潮でも浅い海水が残っているはずであるが,強い風のために海水は沖合に押しやられ,普通のクツでも問題なく渡ることのできる状況であった。

これなら歩いて島に渡れる

水牛車に乗って島に渡るとき,その横を飼育員の人が水牛を連れて歩いていた。台風接近のため明日は休園日となり,島では強風に対する備えが進められていた。

オカヤドカリとヤシガニ

由布島に到着して出迎えてくれたのはキバウミニナの殻に入ったオカヤドカリ(オカヤドカリ科・オカヤドカリ属)であった。「オカヤドカリ」はインド洋,太平洋の熱帯・亜熱帯地域に分布しており,世界で15種,日本では7種が確認されている。日本では主に小笠原諸島と南西諸島に生息している。体長は(種により)異なり1-7cm程度である。

沖縄ではオカヤドカリ科の「ヤシガニ(ヤシガニ属)」が生息しており,こちらは成長すると(体に合う貝殻が無いので)貝殻を利用しないのではっきり識別できる。しかし,この種も小さいときは貝殻を利用するので外観では「オカヤドカリ」と簡単に見分けがつかない。

「オカヤドカリ」は陸上生活にある程度適応しているものの,貝殻の中にごく少量の水を蓄え,柔らかい腹部が乾燥するのを防ぎ,陸上での鰓呼吸も可能となっている。しかし定期的な水分補給や交換が必要なため水辺からそれほど遠く離れられない。

僕はこの「オカヤドカリ」の生態から,砂浜で見つかるものは「オカヤドカリ」,海岸からある程度離れたところに生息しているものは貝殻を利用していても「ヤシガニ」と判断してきたが,「オカヤドカリ」の大きな個体は内陸の森林にも生息することが分かり,この識別基準は適用できないこともある。確実に言えることは貝殻無しの大きなものは「ヤシガニ」だということだ。

僕の判断基準では写真のものは海岸で見つかったので「オカヤドカリ」と言うことになる。成体は海岸に打ち上げられた魚介類の肉や植物(アダンの実等)など幅広い種類の食物を取る雑食性である。海岸近くにあるアダンの茂みの下の砂地に,動物が這った跡があれば,おそらく「オカヤドカリ」であろうと推定できる。

シーサーの一種かな

シーサーは一対となっており,もう一つにはタテガミがなかったので,雌雄が一対になっているようだ。

プレートにはホヤ・ベラとなっているが…

ホヤ・ムルティフローラ(Hoya multiflora,ガガイモ科・ホヤ属)であろう。ガガイモ科はキョウチクトウ科と共通の系統に属すことが明らかになったため,APG分類体系ではキョウチクトウ科に含めている。単純に学名で検索するとガガイモ科となっていることが多いので,ここではガガイモ科としておく。ホヤ属には200-300ほどの種が含まれており,南アジア,東南アジアに広く分布している。日本ではサクララン属のホヤ・ベラ(Hoya bella)が園芸植物として広く流通しているので,由布島熱帯植物園でもその名前をもってきたようだ。

ホヤ・ムルティフローラの葉は多肉質で光沢があり,花柄の付け根からたくさんの薄黄緑のロウ細工のような花が矢のように飛び出している。この花はどこが花びらでどこががくかも分からないような不思議な形状をしている。英語名は「Shooting Stars」であり,日本でも天の川,彦星という名前で流通している。

オオゴマダラの金色の蛹

由布島の蝶々園にはオオゴマダラの蛹と成虫を見ることができる。オオゴマダラ(Idea leuconoe,タハチョウ科・マダラチョウ亜科)は東南アジアに広く分布し,日本では喜界島,与論島以南の南西諸島に分布する。

日本国内では最大級の蝶であり,前翅長は7cm,開長は13cmにもなる。翅は白地に黒い放射状の筋と斑点があり,僕の観察した範囲では翅の表と裏は同じ模様である。ゆっくりと羽ばたきフワフワと滑空するような飛び方をする。

他のマダラチョウの仲間はそのほとんどがガガイモ科の植物を食草としているが,オオゴマダラの幼虫はアルカロイドを含むホウライカガミ,ホウライイケマの葉を食べる。そのため,オオゴマダラの幼虫,蛹,成虫には毒素が残っており,金色の蛹や成虫のフワフワとした飛び方は捕食動物に対して警戒させるためだと考えられる。

昭和初期のサトウキビ搾り機

このサトウキビ搾り機はいったいどのようの使用していたのであろう。時間がなかったのであわてて写真だけを撮ったけれど,後になって疑問が湧いていたので動作原理を想像してみた。

左右のローラーの軸は上下の台木に半固定され回転できるようになっている。中央のローラーの下側の軸は台木に半固定されているが,上の軸は台木に支えられているだけになっている。中央ローラーの軸上部に丈夫な木材を取り付け二方向から(おそらく人力で)回転させる。

仮に中央ローラーを時計方向に回転させたとすると,両側のローラーは反時計方向に回転するので,サトウキビを吸い込み方向に入れると,ローラーで圧搾されて搾り汁が出てくる。おそらく台木の下に置いた大きな容器で搾り汁を受けたのであろう。ローラーの吸い込み方向は左右で異なるので,手前側と奥側からサトウキビは押し込まれた。

水牛の碑

由布島の熱帯植物園が開園した時,水牛車は2台でそれを引く水牛は2頭であった。彼らが花子と大五郎であり,現在の由布島の水牛は彼らの血を受け継いでいる。開園時から苦楽をともにしてきた水牛の中にはすでに天寿を全うしているものもいるので,感謝の気持ちを表すためこの「水牛之碑」を建てたと記されている。

水牛池はもちろん立ち入り禁止である

帰りは歩きにした

帰りは水牛車を待っているのがもどかしくて歩いて西表島側に向かった。そろそろ閉園の時間も迫っているので,すれちがった水牛車にはもう乗客は乗っていない。

水牛乗り場の土産物屋は台風に備えて板を張っていた

明日は台風接近のため由布島の施設はお休みとなる。西表島側の水牛車乗り場の休憩所も,入り口に板を張って,強風で飛んでくるものに備えようとしている。さてさて,明日はどんな日になるんだろう。


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