亜細亜の街角
台風23号,24号のため24時間缶詰め状態となる
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台風23号は沖縄と八重山の間を通過していった

台風23号は10月4日に進路を西寄りに変え,最大勢力960hPaに成長しながら沖縄本島の南海上から宮古島の北海上を進んで行った。八重山に最接近したのは5日の夜半過ぎとなった。6日早朝には台湾の北あたりを通過し,中国大陸に向かうようだ。

6日の午後に大原港の安栄観光のデスクで7日の波照間行きの運航状況を確認すると現時点ではなんとも言えないとのことであった。大原→波照間は12:30の出港であり,当日の11時までに案内所に来て確認をとるように告げられた。

常識的には23号の影響は問題ないであろうが,23号の後を追うように24号が足早にやって来て,こちらは7日に沖縄本島を横断し,8日には対馬海峡を抜けて日本海に向かった。

台風は高気圧の縁を回る風にあるいは上空のジェット気流(偏西風)に流されるように移動する。したがって進行方向に高気圧が張り出していると頭を押さえられる形で停滞する。

23号はいったん進路を遮られ,西に張り出した太平洋高気圧の縁を回り込んで中国大陸に向かった。太平洋高気圧の配置が換わらなければ,24号も23号と同じコースをたどるところであった。

西表島では台風24号の直接的な影響はなかったが,海上のうねりが大きく6日の時点ではまだ7日の午後便の運航については様子見ということである。

10月4日夕方|まだ定期船は運行されていた

由布島からバスで戻り,大原港の様子を見に行くと石垣島からの高速船が入港していた。この時間でも風はかなり強いが,高速船の運航の可否は主として波の高さである。

17:10|風は強く天気は悪い方に向かっているようだ

17:25|最後の船が入港する

10月5日08:00|まだ嵐にはなっていない

10月5日の午前中はまだ台風の強風域には入っておらず,雨の心配もあまりなさそうだ。食料は昨日のうちに買い込んでおいたので,丸1日宿に閉じ込められる事態になっても心配はない。もっとも停電にでもなれば話は別だ。いちおう,乾電池で30時間ほど動作する非常灯を持参しているが,暗くなってからの停電はさけてもらいたい。

県道沿いの民家の庭にあるサガリバナの木

午前中は大原の周辺を歩くことにした。豊原方向に歩き出すと県道沿いの家の庭にサガリバナの木があることに気が付いた。この家は雨戸が閉められ,門も閉じられていたので庭には入れない。道路から確認する限りでは確かにサガリバナの垂れ下がった花序とわずかばかりの薄いピンクの花が確認できた。

サガリバナの木はとても丈夫で簡単に育てることができるという話を上原の宿の人がしていたことを思い出した。なるほど,あるところにはあるものだ。これで,木の下に小さな池を造ってくれると,落ちた花の風情も楽しむことができる。

大原郵便局のマスコットはイリオモテヤマネコ

板戸を閉めた伝統的な家屋

沖縄の伝統的な家屋は台風による風と暑さ対策が基本となっている。沖縄は夏から秋にかけて台風の通り道になるため,特に風対策は重要である。そのため。家の造りは木造の平屋であり,風で屋根が飛ばされないようにするため屋根は低くなっている。また,家屋の周囲には石垣を巡らせ,強風が吹きやすい北側と南側にはよく防風林が囲んでいる。

家の中は畳張りもしくは板張りとなっており,ふすまを外すとすぐにたくさんの人が集まることのできる空間となる。戸口を広く取り,風通しのよい空間は暑い夏でも涼しくすごくことができる。さらに,暑さと湿気対策として床下や天井などには竹を組んで通風性を確保している。

ベンガルハヤズカズラ(キツネノマゴ科)

民家の壁面を覆っており多数の花が咲いていた。夏の暑さ対策としてはゴーヤがすっかり有名になったが,ベンガルハヤズカズラ(Thunbergia grandiflora,キツネノマゴ科・ツンベルギア属)もこのように壁面を覆うように茂ってくれるなら,緑のカーテンになりそうだ。花の色も薄いブルーなので涼しさを演出してくれる。

名前にベンガルが入っているにもかかわらず,原産地は熱帯アフリカとされている。沖縄ではフェンスや石垣を覆う姿がしばしば見られるが,日本国内では珍しいようで,「ベンガルハヤズカズラ」で検索すると191件しかヒットしなかった。

■調査中

サンタンカ

サンタンカ(山丹花,アカネ科・イクソラ属)であるが沖縄ではしばしばサンダンカ(三段花)と呼ばれる。僕もごろの良いサンダンカと覚えてしまい,自分の記憶を修正するのに苦労した。

花は赤系統のものが主流であり,他に黄色系統のものもある。サンタンカはデイゴ,オオゴチョウとともに沖縄県の三大名花に名を連ねている。個人的な好みではプルメリアとハイビスカスを加えて,沖縄県の五大名花としてもらいたいところだ。

午前中は定期船が運行していた

台風の接近により石垣島と大原港を結ぶ高速船はさすがに運休だろうと考えていたら,意外にも午前中は運航していた。周辺に島のない上原航路はしばしば欠航となっても,大原航路は竹富島,小浜島,黒島,新城島が防波堤の役割を果たしてくれるので運航されることが多い。上原航路が欠航の場合は船会社が大原から上原までバスを出してくれる。

ターミナルの近くに大原周辺の観光地図があった

この地図は大原や大富の周辺を歩くのに役に立ちそうである。台風が去った翌日,移動日の午前中に大原から仲間川のマングローブの森が見えるところまで歩いて行こうとしたが,最後のところがジャングル状態になっており断念した。

アダンの実は熟すと赤くなる

09:30|天気はめまぐるしく変わる

先ほどまでは黒い雲が上空を覆っていたのに,青空が見えるようになった。風は変わらずに強い。

突堤の上から港湾施設を眺める

防波堤の先端には小さな灯台がある

左が上地島,右は下地島であろう

大原港の南東8kmくらいのところに2つの小さいな島がある。上地島(かみぢじま),下地島(しもぢじま)と呼ばれているので,北側が上地島,南側が下地島なのだろう。この2つの島をまとめて新城島(あらぐすくじま)といい,離れた2つの島からなることから現地の方言で「離れ」を意味するパナリまたはパナリ島とも呼ばれる。う〜ん,結局なんと呼べばいいのだろう。

防波堤で釣りをしている人もいる

09:40|風は強いが晴れ間もある

この雲はなんとなく中心に向かって渦を巻いていく台風の雲のような感じを受ける。

港のプレハブ小屋は風対策ができている

台風の強風はこのようなプレハブの小屋などは簡単に吹き飛ばしてしまう。海から遮るもののない港に設置されているプレハブ小屋は数個のコンクリートブロックにしっかり固定されている。

アレカヤシ

アレカヤシ(コガネタケヤシ,Dypsis lutescens,ヤシ科・Dypsis属)の原産地はマダガスカル,アフリカの熱帯雨林地域である。ヤシ科にはアレカ属(Areca, 和名ビンロウ属)があり,当初はアレカ属に分類されていたためアレカヤシの名前が残っている。国内では矮小種が観葉植物として流通しており,一般的にアレカヤシとして認知されている。原種は10m以上になる高木であり,竹稈状になる。(wikipwdia)

竹稈とは丸くて,中空があり,節がある状態である。この形状は幹に相当する木質部を最小にして,かつ外力に耐えるようにするには理想的な形状である。つまり,少ない投資で背の高い幹を作ることができるので植物間の高さ競争では優位に立てる。幹の木質量が少ないので,成長期の竹は2-3か月で15-20mも伸びることができる。もっとも,アレカヤシはヤシの仲間なので,幹の内部が中空ということはないだろう。

パパイヤの花はけっこう可憐だ

パパイア(パパイヤ,Papaya、papaw、pawpaw,パパイア科・パパイア属)の原産地はメキシコ南部,常緑性の小高木である。ヤシの木と同じように頂部に成長点をもち,ヤツデのような大きな葉を幹から直接出している。成長とともに下部から葉を落とし,幹には葉痕が傷のように残る。たくさんの果実が頂部の幹からぶら下がるように付いている。この頂部の様子はココヤシと類似している。

通常は雌雄異株であり雄花は長い花序になって下垂する。花は黄緑色で目立たないが,近くで観察するとけっこう味わい深く可憐である。パパイヤは「西表島4(前ページ)」でも紹介したが。アップの写真が撮れたので再度紹介する。

ヤエヤマクマゼミ?

大きさから推定してヤエヤマクマゼミと推定したが,体色は薄いようであり,まったく自信はない。

仲間橋のシンボル

午前中は仲間橋を渡って大富側の展望台から仲間川のマングローブ林を遠望することにしよう。

西表島開拓移民先駆者マザカイの碑

ハブカズラも光が当たるときれいな緑になる

パパイヤの葉が強い風にあおられている

伝統家屋の屋根瓦(琉球赤瓦)

琉球赤瓦はカーブの緩い女瓦と丸みの強い男瓦の二種類が組み合わされる。最初に女瓦を下から順に一枚ずつ重ねていき,次に女瓦の合わせ目に土を被せ,男瓦を被せるように置いてゆく。3-4日後に瓦の合わせ目に漆喰を塗って固定する。

家庭菜園の冬瓜

トウガン(冬瓜,Benincasa hispida,ウリ科・トウガン属)はつる性一年草であり,野菜として栽培されている。原産地はインドから東南アジアにかけての地域であり,トウガンの名前は中国語の冬瓜(トングワ)からきている。

冬瓜の名前にもかかわらず,日本では夏の野菜となっている。沖縄でもそろそろ収穫の終わりの時期になっているようだ。実は楕円形で80cmにもなるが,成分のほとんど(96%)は水分である。水分の多いスイカでも水分含有量は90%程度なので,トウガンの水分は際立って多い。

センニチコウ(千日紅)にやって来たアゲハチョウ

■調査中

ハイビスカス・カーネーション

ハイビスカス・カーネーションは園芸品種のコーラル系,フウリンブッソウゲの血を引く多花性のハイビスカスの総称である。寒さにはやや弱いが,丈夫で挿し木も容易である。

肉牛の飼育も行われている

仲間川の河口近くには平地があり,肉牛の飼育も行われている。台風が近づいているので牛たちは牛舎の近くに集められている。大きな体に似合わず牛たちは警戒心が強く,僕が近づくとじっとこちらを見る。特に仔牛をもつ母牛の警戒心は強い。

ツマグロスズメバチがどうして花にやって来るのかな

ツマグロスズメバチ(Vespa affinis)は日本では宮古島以南の先島諸島に生息している。体は赤褐色,腹部の第1,2節は黄赤色であり,第3節以降は黒色という分かりやすい種である。僕はそれまでスズメバチは肉食であると思っていたので,その仲間が花にやって来るのは奇異な光景に写った。

調べてみるとスズメバチの幼虫は肉食であるが,成虫は主として終齢幼虫の巨大に発達した唾液腺から分泌される栄養液を餌としている。栄養液の不足分や終齢幼虫がまだ育っていない時期には糖質を多く含む花蜜,樹液などを摂取している。

ツマグロスズメバチも幼虫の餌にハエ,アブ,バッタなど各種の昆虫を狩り,成虫はマンゴー,パイナップル等の熟果を訪れたり,カイガラムシなどの甘露を摂取する。ということで,成虫が花を訪れるのは普通のことのようだ。

タビビトノキの防風林

ここの防風林はずいぶん続いていた。いくつかのものは花序を出しており,花を咲かせるようだが,日本では花粉を媒介する動物はいないので実を結ぶことはないだろう。

原産地のマダガスカルではエリマキキツネザルが花にやってきて花の苞(ほう)をむしりとって中の花を露出させ,鼻先をその中に突っ込んで蜜を舐めるという。蜜の量は多く,この時期のエリマキキツネザルの主食になる。

花の苞(ほう)をサルがむしり取らなければ花が露出しないということなので,タビビトノキは花粉の媒介者にエリマキキツネザルだけを指名し,共進化したものと考えられる。参考までにタビビトノキの種子は黒で,真っ青な繊維にくるまれているとのことである。

トックリヤシモドキの人工林

サトウキビ畑の一画にトックリヤシモドキの人工林がある。トックリヤシモドキは街路樹にするくらいしか利用法はないので,このような人工林があるのは珍しい。いったいなんのためなのか聞いてみたいものだ。

この人工林の目的は?

仲間川の集落に近い展望台からの眺望

大富側のサトウキビ畑の道をまっすぐ行くと展望台があり,そこから仲間川のマングローブの森を眺めることができる。とはいうもののここからの眺望ではあのあたりにマングローブの森が広がっているなと分かる程度であり,それほど訪れる価値はない。

ここからさらに細い道をたどっていくと仲間川を見下ろす第二展望台がある。しかし,そこまでは片道1時間の行程であり,今日の空模様では無謀というものだ。

サトウキビの植え付け

帰りの道でサトウキビの植え付けを見ることができた。10月の植え付けなので収穫は翌々年の2-3月頃になる。サトウキビは栄養繁殖ができるので成長した茎をいくつかに切って土に埋め込み,発芽させる。芽は節のところに付いているので,1節もしくは2節を含むように茎を切断する。1節のものを一芽苗,2節のものを二芽苗と呼び,一般的には二芽苗を用いることが多い。

サトウキビの苗

ここの畑では二芽苗が使用されていた。写真で見ると節のところに芽があるのが分かる。中には芽のないあるいはつぶれてしまった節もあり,茎を切断するときは芽をちゃんと確認している。

苗を横に置き土をかぶせる

機械を使った作業は二人一組で行われる。運転手はトラクターをまっすぐ進ませ,後ろの人は苗を取り出し1本ずつスロットに落とし込んでいく。一緒に肥料の散布されるようだ。苗は横に寝かされ,機械はその上に土をかけている。畑の両端には棒が立ててあり,運転手はそれを目印にトラクターを動かし,棒のところに着くと,棒を横にして長さを測り,次の次の植え付けラインのところに棒を立てる。

18カ月で収穫が可能になる

このサトウキビは年が明けたら収穫される。夏植えのものは収穫まで1年半かかる。

長命草は畑でも栽培されている

正式な和名はボタンボウフウ(peucedanum japonicum,セリ科)であり,日本では暖かい地域の海岸近くに自生している。沖縄県ではほとんど島ごとに呼び名が変わるり,長命草(チョーミーグサ)が分かりやすい。長命草の名前は「1株食べると1日長生きできる」とされたことに由来する。

名前の通りビタミンやミネラルを豊富に含み,古くから料理や民間薬として利用されてきた。最近では高い抗酸化作用があり,排尿促進や血流改善などにも有効であることが明らかになり,健康食品としても紹介されている。

沖縄では刺身のつまやヤギ汁の具,天ぷらや小鉢の飾り付けに使用され,しばしば目にすることになる。もっとも八重山では道路わきに雑草のように生えており,歩いていると毎日複数回見ることになる。

オクラの花

オクラ(Abelmoschus esculentus,アオイ科・トロロアオイ属)は本土でもなじみの食材であるが花を知っている人はそう多くはない。アオイ科の植物らしく綿やむくげのような花を咲かせる。

和名はアメリカネリ(全然聞いたことがない)といい,オクラは英語名(okra)である。現在はオクラとして全国区の野菜であるが,全国に普及する昭和50年代以前から食べられていた地域では「ネリ」という日本語で呼ばれていた。僕もまったく聞いたことがなく,和名がアメリカネリといわれてもまったく通じないだろう。

シャコガイ

シャコガイはザルガイ科・シャコガイ亜科 (Tridacnidae)に属する二枚貝の総称である。熱帯から亜熱帯海域の珊瑚礁の浅海に生息し,オオシャコガイは二枚貝の中で最も大型となる種である。幼生はサンゴ礁に着生すると再び移動することなく,長い時間をかけてその場で成長していく。

石垣島空港の水槽で飼育しているオオシャコガイは殻の上部を上に向け,殻を半ば開き,その間にふくらんだ外套膜を見せている。別名がオウギガイ(扇貝)となっているように,白色で肉厚の貝殻は扇形であり,太い五本の放射肋が波状に湾曲している。

シャコガイは外套膜に光合成を行う褐虫藻を住まわせ,生存と成長に必要な栄養素の多くを褐虫藻の光合成生産物に依存している。同時に水管を使って吸い込んだ海水を濾過し,プランクトンを摂食する。しかしこれは補助栄養なのであろう。

シャコガイといえば最大種のオオシャコガイが有名であり,寿命は100年以上,最大のものは殻長2m近く,重量200kgを超えることがある。しかし,オオシャコガイの分布は熱帯域であり,八重山諸島では小柄な個体がわずかに生息している。しかし,縄文海進期(約6000年前)には海水温が高く,沖縄各地で巨大なオオシャコガイが生息しており,巨大な殻が見つかっている。

沖縄ではシャコガイを常食しており,同属でもっとも小さいヒメシャコガイの評価が高い。貝類は殻が付いた状態で重さを測ることが多いと思われるが,シャコガイは殻が厚く,重さに比して可食部は少ないので可食部の重さで計算すると価格はとても高いという。

南太平洋域にはこの貝が無防備な人間を海底で待ち構えて捕え,丸のみにするという伝説がある。しかし実際にはオオシャコガイは閉殻筋(殻を閉じるための筋肉で一般に貝柱と呼ばれる)の動きは遅いため,人間の足を挟むほど殻を急激に閉じることはできない。

仲間第一貝塚

仲間橋の大富側には「仲間第一貝塚」の石碑がある。横にある碑文には次のように記されており,西表島ひいては八重山には新石器時代でありながら土器を使用していない不思議な時代があったようだ。しかも,その時代に他の先進文化地域との交流があったといのだから,さらに驚きである。

仲間川河口に形成された本貝塚は今から1000-2000年前の貝塚で,土器がまったく見られず,石器が多いのが特徴です。この遺跡から出土した遺物には,石器,貝製品,角釘,開元通宝,青磁片,貝殻類,獣魚骨,焼石,などがあります。石器の種類には石斧,■石,凹石,磨石などがあります。陸・海・川産の貝殻類,猪,ジュゴンの骨,焼石などが出土していることから近くの山・川・海で狩猟や採集によって得られた食料を焼石を用いて調理したと考えられます。

午前中で散策は終了し次の24時間は宿に籠る

5日の午後から6日の朝まではずっと宿で過ごした。台風23号は中心気圧960hPaと沖縄周辺でさらに発達し,進路は宮古島の北100kmであるが西表島全体が25m以上の暴風圏に入った。シャワー室の窓から外を覗くと,周辺の樹木は風により激しく揺さぶられている。この島の植物はこのような過酷な状況で生き延びてきた種であり,市街地の街路樹のように簡単にはひっくり返らない。それにしても,蝶のように羽をもった昆虫や鳥類にとっては台風は脅威であろう。どこに避難してこの風雨をしのいでいるのかと心配になる。

台風23号は10月5日の深夜に宮古島の北側を通過し6日の朝には台湾の北側を西に進んでいる。台風24号は10月7日に沖縄本島を北西方向に横断し,対馬海峡を通って日本海に入った。沖縄本島に上陸した時の中心気圧は935hPaであり,沖縄気象台が「最大級の警戒」を呼びかけていた。沖縄本島周辺の離島では生活航路が遮断され,生鮮品が不足する事態になっている。

大原の南側にもサトウキビ畑が広がっている

暴風雨の一夜は明けたが6日の午前中は風雨共に強く,とても外に出る気にはなれない。昼ごろになると風は弱くなったものの雨は降っており外出はできない。14時になって雨も上がり外に出ることのできる状態になった。ほぼ24時間を宿で過ごすことになった。このため,大原の予定は大きく狂い,仲間川遊覧船と南風見田の浜散策も断念せざるを得ない。

14時過ぎに大原港の南側を歩いてみる。ここにもサトウキビ畑が広がっているが台風による目立った被害は見られない。

石垣を整備して等高線の農地を造成する

大原の海岸近くは比較的平らな地形である。それでも,海岸に向かってゆるやかに傾斜している。斜面農業は強い雨による表土の流失が問題になるので,石垣を組んで一段が100-150mもあるような巨大な段々畑を造成している。

この農地は海岸の防潮林のところまで続いており,ブロックの境には防風林が育成されている。農地の大部分はサトウキビ畑であり,一部は牧草地となっている。このような単一作物に頼っている農業は社会環境の変化に弱いが,風に強いという条件をつけると,サトウキビ以外の作物が思い浮かばないのも事実である。

補助事業の表示があちこちにある

近くには補助事業の内容を示した表示がある。その事業内容は石垣により広い平らな農地を造成するものなのであろう。同地区には80haの土地に1枚が200mX100mの農地が碁盤の目のように並んでいる。この看板の内容からするとその中には農道,排水溝,防風林,沈砂池の整備なども含まれているようだ。

台風で痛めつけられたのであろうか

台風の強風でサトウキビはしばしば倒伏する。しかし,水稲と異なりサトウキビは倒れた状態から上に伸びていく。収穫作業は面倒になり,収量も減るかもしれないが全滅ということはないようだ。この写真のものはおそらく昨日の台風によるものであろう。

10月7日08:30|台風一過の晴天にトックリヤシが映える

10月7日,八重山では台風一過の上天気になったが,海はまだうねりが高く大原港→波照間島の高速船が運航するかは一抹の不安があった。幸い大原港で確認すると運航するそうだ。この船は昼過ぎの出港なので荷物を宿において仲間川の大原側を探検する。

オオバイヌビワ

沖縄にはイチジクの仲間の植物がたくさんあり識別に苦労する。その中でオオバイヌビワ(Ficus septica,クワ科)は大きなつやのある葉とカボチャのような果嚢というポイントがあるので比較的分かりやすい。(西表島3にも同じ記載がある)

ちょっと面白い造形

サトウキビ畑とリュウキュウマツと夏雲

台風一過の西表島はきれいに晴れ上がり,サトウキビ畑の外れのリュウキュウマツの上には10月だというのに夏雲が湧き上がっている。やはり,八重山は暖かい。

サトウキビの被害はそれほど見受けられない

沖縄の紅葉の代表はハゼノキ

沖縄の紅葉といえばハゼノキなのでおそらくこれであろう。まだ,三分ほどであるが紅葉が進んでいる。ハゼノキ(櫨の木,黄櫨の木,Toxicodendron succedaneum)はウルシ科・ウルシ属の落葉小高木である。

東南アジアから東アジアの温暖な地域に自生し,資源作物として,日本には江戸時代頃に琉球王国から持ち込まれた。琉球王国には中国から持ち込まれ,果実からは木蝋を採取することができるのでロウノキ,トウハゼという別名で呼ばれることもある。ウルシ科の樹木なので秋には美しく紅葉し,俳句の世界では櫨紅葉(はぜもみじ)と呼び,秋の季語としている。

ギンネム(西表島1に掲載済み)

ギンネム(マメ科・ネムノキ亜科・ギンゴウカン属)の原産地は中南米であり,日本では沖縄や小笠原に帰化植物として優勢種となっている。オジギソウやネムノキに近い植物で,同じような形状の葉(羽状複葉)をもつ。和名はネムノキに似た形状の白い花を咲かすことに由来する。

日本に定着した種は樹高は1-5mであり,灌木のイメージである。日当たりのよい土地を好み,地中深くまで値を下ろして水を吸い上げ,さらに根に空中窒素を固定する根粒菌を共生させているため,貧栄養の土地でも極端に成長が早い。

小笠原や沖縄では畑の緑肥,薪炭材,荒れ地の緑化による土壌流出防止のため人為的に移入された。沖縄では戦争後も荒廃した土地の土壌流出防止のため種子が散布された。しかし,ギンネムは野外における優勢種となり,島の植物生態系に大きな影響を与えるようになった。世界の侵略的外来種ワースト100リストに載せられており,外来生物法によって要注意外来生物に指定されている。

仲間川の大原側の道をつめていくといくつかの水路を渡る橋に出る。この辺りは仲間橋から見て左側の水域にあたり,マングローブを見ることができる。この日の西表島の満潮時刻は09時30分であり,写真の時間帯はちょうど満潮時にあたる。マングローブの根元は完全に水中にあり,汽水域を生きるマングローブの適用能力の高さが実感できる。

マングローブの幼木が育っている

わずかに冠水したところではマングローブの幼木が育っている。ここの幼木は経験していないであろうが,ひとつ前の写真のマングローブが幼木であったときは満潮時には完全に水中に没していたことだろう。マングローブはそのような環境でも生育することができる。

サトウキビ畑を見守るリュウキュウマツ

この辺りはサトウキビ畑の外れにリュウキュウマツが並んでいる。おそらく防風林として植えたものであろう。

苗を植えた(埋めた)幾何学模様

このリュウキュウマツの横の緑のラインと,植え付け直後の畑の赤茶色のラインがおもしろい幾何学模様を作り出している。

低いところに着生したオオタニワタリ

着生植物のオオタニワタリ(もしくはシマオオタニワタリ)は土の上でなくても生育することができる。ここのものはずいぶん地面に近いところに着生したが,本来の能力が発揮されるのは10mほども高い木の枝などに着生した場合である。どのように水分と養分を確保するかは西表島3に掲載しておいた。


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