亜細亜の街角
バスが運行されておらず2日も足止めされる
Home 亜細亜の街角 | Dahab / Egypt / Oct 2007

ダハブ

ダハブのあるシナイ半島はイスラレルに占領されていた時期がある。1967年の第3次中東戦争(六日間戦争)においてイスラエルはエジプト,ヨルダン,シリアに対して空爆を敢行しわずか6日間でアラブ軍を撃破した。

この戦争の結果,イスラエルはエジプトのシナイ半島,シリアのゴラン高原,ヨルダンのヨルダン川西岸地区を占領し,エルサレムを首都と定めた。

この戦争から40年が経過してもシリアは米国から「テロ支援国家」と名指しされており,イスラエルは自国の安全保障上重要なゴラン高原を返還するきざしはない。

それに対してエジプトのサダト大統領は1978年にカーター米大統領の仲介で秘密裏にイスラエルと和平協議を行い,キャンプデービット合意に達した。

この合意に基づき1979年に両国間で平和条約が結ばれ,エジプトはイスラエルを国家として承認し,イスラエルは1982年に占領していたシナイ半島を返還した。これによりシナイ半島は25年ぶりにエジプトの国土に復帰した。

サダト大統領はアラブ世界から裏切り者の烙印を押され,1981年に国内のジハード団に属する国軍将校により暗殺された。後継者のムバラク大統領はサダトの現実路線を踏襲している。1995年にはヨルダンもイスラエルとの間に平和条約を締結した。

イスラエルがシナイ半島を占領していた時期にいくつかのリゾート地が造られた。紅海の奥のアカバ湾に面したダハブもその一つであり,ダイビングのメッカとなっている。

アカバ(50km)→ヌエバア(70km)→ダハブ 移動

ヨルダンのアカバからエジプトのヌエバアまではフェリーが就航している。このフェリーは日に1便,出発時間は午後としか分からない。朝食を昨日の店でいただく。ホブス,フール,サラダ,チャーイで0.9JDである。

宿でエジプトの旅行計画を立案する。シナイ半島からカイロに出て,帰りの航空券を手配してからアスワンとルクソールを訪問する。少し余裕はあるものの帰国日が決まるので,カイロから先は計画通りに進めなければならない。

11時にチェックアウトすると,従業員の青年から2日分12JDを要求された。ボスとの約束では10JDだったので,そのむねを伝えると彼は電話でボスを呼び出した。僕がチェックイン時のやり取りを説明すると,10JDでOKが出た。

そもそもすでに余ったヨルダン通貨はエジプト・ポンドに再両替しており,手元にあるのはタクシー代の2JDと出国税の5JDだけである。

再両替のレートはそれほど悪くない(13JD=100EP)ので,ヨルダン・ディナールはアカバ市内で再両替してしまうののよい。フェリーターミナルにある銀行のレートは1$=5.25(エジプトでのレートは5.5くらい)と非常に悪いので止めた方がよい。

通りでタクシーをつかまえ,フェリー・ターミナルまでの料金を確認すると3JDだとおっしゃる。僕が「2JDしかないよ」と告げるとあっさりその値段になった。フェリーターミナルは7kmほど離れており,バスもあるようだが時間ははっきりしない。

タクシーは港のゲートの手前で止まる。坂道を下りるとバスが何台も停まっており,周辺にはたくさんの人が何かを待っている。この状況は良く分からない。

ターミナルビルに入ると1階にイミグレーションがありそこで「出国税」を支払うようになっている。5JDを支払うとチケットのような領収書が出てくる。まあ,ビザ代がただだったので出国税の7$には腹も立たない。

2階に上がるとイミグレがあり,パスポートと出国税の領収書を提出すると両方にスタンプが押される。これでヨルダンを出国したことになり,アカバにはもう戻れない。

アカバからヌエバアに向かう船便は低速のフェリーとスピード・ボートがある。スピード・ボートは11:30に出発し,近くにいた乗客の話では45JD(64$)だそうだ。それに対してフェリーの料金は50$である。

2004-2005年の歩き方ではこの料金が22$となっており,ひどい値上がりとなっている。問題は出発時間である。窓口の人に確認してもはっきりしない,というか出港時間は2時間くらいの変動要素があるようだ。早ければ20時,遅ければ22時といったところである。

待合室があるので本でも読んでいればすぐに時間は経つだろう。いつも移動日には書けない日記作業もできる。11:30のスピードボートにヨーロピアンの乗客が乗り込むと,このフロアには誰もいなくなった。

しばらくすると,韓国人の旅行者がやってきて話し相手ができた。しかし,彼はドルの現金をほとんど持っておらず,フェリー代が払えない。彼はATMで現地通貨を引き出さない限り先に進めない状況だ。フェリー料金はクレジット・カードで支払えると考えているのだからちょっとあきれる。

結局,彼は荷物を僕に預けてアカバに戻り,ATMでヨルダン通貨を引き出し,ついでに昼食のチキンを1羽もって帰ってきた。すでに出国手続きは済ませていたけれど,なんとか見逃してもらったと話していた。

おかげでチキンとホブスの昼食にありつくことができた。ターミナルの待合室にはテーブルが置いてあり昼食や日記作業にはとても役立った。そうこうしているうちにフェリーの乗客が増えてくる。

待合室からはアカバ湾が見えるけれど,ガラス越しでは内部の照明の反射光が入ってしまう。20時に乗客たちが動き出し,港のゲート付近に向かうので一緒に移動する。

ヨルダン人やエジプト人はゲートのところに並んでいるが,第三国人はそこらにたむろしているので我々も近くのベンチで待つことにする。しばらくして外国人が動き出したので彼らと一緒にバスに乗り込む。ゲート付近に並んでいた人々は後になるらしい。

バスは少し走って巨大なフェリーの近くに到着する。あわててサブザックからカメラを取り出して一枚撮る。下の甲板から4層上がると2等船室のイス席がある。ここに入るときにエジプトの入国カードを記入し,パスポートを預け,その受取証をもらう仕組みになっている。

2等船室のイス席は半分程度の混みようであったが,3席を使って横になっている人が多く,我々は席を確保するのに苦労した。床には薄いじゅうたんが敷かれているので,この上に布を敷いて横になるのが一番良さそうだ。

僕はイス2つを使って横になってみたもののうとうとできる程度のものだ。トイレを探しに船内を歩いてみると,1等の個室が並んでおり,その並びにトイレはあった。この周囲の廊下にも寝ている人がいる。

23時に船が動き出した。エンジンの振動が伝わってくるが,それほど大きくはない。ヨルダン時間の02時くらいにヌエバアに到着したようだ。乗客が下船できたのはそれから1時間後である。

エジプト入国

係員に「パスポートは」と聞くと,下船してから「イミグレーションで受け取れ」という返事が返ってきた。確かに港の一画にイミグレーションの小さな建物がある。もちろん,この建物も人に聞かなければ分からない。

パスポートの預り証を係官に出すと「まず,アレキサンドリア銀行に行ってビザ代を払ってきなさい」と教えられる。この夜中でもフェリーの到着に合わせて何軒かの銀行は開いていた。アレキサンドリア銀行を確認,し窓口で15$を支払うとシール・タイプのビザがもらえる。

ついでにドル・キャッシュをエジプト・ポンドに両替する。1$=5.52EPと町の銀行と同じレートである。それを持ってイミグレーションに戻るとパスポートにそのシールを貼ってくれる。

しかし,僕のパスポートにはエジプトの入国スタンプが見つからない。係官は3回ページをめくり,ようやく最終ページにスタンプを見つけてくれた。スタンプのとなりにシールを貼ってもらい,これで入国の儀式は終了である。

港から出るには倉庫のように大きいカスタムに行き,荷物検査を受けなければならない。ここはX線検査機を通すだけで終了する。

港の前はバスターミナルになっており,タクシーやミニバスの客引きがやってくる。韓国人旅行者はカイロに,僕はダハブに向かうのでここでお別れである。もっともバスの出発までには時間があるので近くの茶屋でチャイをいただくことにする。

彼はエジプト・ポンドを持っていないので食事のお礼に僕が支払う。チャイとコーヒーで6EP(120円)を請求された。おそらくどちらも1EP程度なので店主に「それぞれいくらなの」と詰め寄ると,コーヒーの値段にわけの分からない理由をつけられ4EPになった。

お金持ちの外国人には高い値段を要求する,さっそくエジプト流の商売術の洗礼を受けることになった。まあ,韓国人と別れた後,このテーブルで日記を書くことができたのでよしとしよう。時計も現地時間に合わせて1時間遅らせておく。

06:30にバスがやってきて乗客が乗り込むとそのまま動き出した。進行方向右側には茶褐色の岩山がずっと連なっておりアカバの風景と類似している。

幅数kmのアカバ湾の両側の風景が似ていてもさほど不思議は無いが,アカバ湾から紅海と大きな視点で見ると両側の地形が良く似ているいることに気が付く。

20世紀の初めに大西洋を挟んでアフリカ大陸と南米大陸の海岸線がジグゾーパズルのように一致することに気が付いたドイツの科学者ウエゲナーは「大陸と海洋の起源」という著書で大陸は合体したり分裂するという学説を発表した。

巨大大陸パンゲアの分裂により大西洋が生まれ,二つの大陸はその両側に位置するようになったというものだ。この学説は当時の人々には到底受け入れられものではなかったが,数十年後の 「プレート・テクトニクス」により支持されるようになった。

規模は小さくなるものの同じように紅海はアフリカ大陸とアラビア楯状地が分裂した現場である。対流により地球内部の熱い物質が表面近くに上がってきて,左右に分かれることにより大陸を引き裂く力が働いた結果である。

このような地溝帯と呼ばれる構造は深い谷を形成し,そこに海水が流れ込むと海になる。紅海はそのようにして形成された海なのである。地溝帯が形成されるときには火山活動がともない,大量の溶岩が噴出する。エチオピア高原やイエメンの山岳地帯が周辺の地形に対して特異的に標高が高いのはこの活動によるものである。

ナグム・パラダイス

ダハブの町は安宿の多い北側のマシュラバと少し高級な南側の地区に分かれており,直線距離で5kmほど離れている。バスターミナルは内陸にあリ,両者を底辺とする3kmの二等辺三角形の頂点あたりに位置している。

ダハブのバスターミナルに08時前に到着し,セント・カトリーナ行きのバスをチェックする。時刻表には09:30となっているが,窓口の係員から「今日は運行されていない」と告げられる。「明日は大丈夫ですか」と重ねて聞くと,「それは明日になってみなければ分からない」という頼りない返事である。

セント・カトリーナまでのツアーも出ているが,夜中に出発なのでできればセント・カトリーナに宿泊してのんびりシナイ山を見学したい。僕はこのようなリゾートにはほとんど興味が無いけれどしかたなくダハブに泊まることにした。

このバスターミナルからはマシュラバに行くバスは無い。タクシーに料金を聞くと25EPだと平然と言う。ガイドブックには5と記載されていたので5EPと言い続けると6にまで下がった。これがエジプト流である。

海岸に到着してまず「AUSKI」を探してみる。このガイドブックの前の持ち主のお勧め宿である。しかし,満室である。誰かがチェックアウトしないかとしばらく待たせてもらったが,時間の無駄であった。

南から北へビーチを歩きようやくナグム・パラダイスで安い部屋を見つけた。8畳,1ベッド,T/S共同の小屋のようなビーチハウスである。最近の旅行ではもっともひどい部屋だ。用心のためマットレスをチェックしてみたが虫はいないようだ。

部屋の壁は漆くいで白くなっており,なぜか窓の両側にはアダムとイブの等身大の絵が描かれている。そういえばこの小さな窓にはガラスが入っていなかった。

この宿には中庭があり,その両側に部屋が並んでいる。中庭の中心部にはナツメヤシの木が枝を繁らせている。ナツメヤシは一つの株から複数の幹が伸びることがあり,この中庭でも一かたまりに群生している。

マシュラバ・ビーチの風景

ナグム・パラダイスはマシュラバ・ビーチの北の外れにあり,海沿いの道路の陸側にはホテル,レストラン,土産物屋が並んでいる。海側にもレストランがあり,マットが敷かれた寝台が海岸を埋めている。水はとてもきれいで目の前の海岸ではダイビングの講習が行われている。

宿の前には同じ経営者のレストランがあるのでスパゲティをいただく。トマトソース味の簡単なスパゲティの値段は12EP(240円)と観光地値段だ。まあ,こうしてのんびりと海を眺めながら食事ができるので半分は席料といったところだ。

海岸と呼べるところはとても狭い。波に砂が流されないように,海岸のかなりの部分は石で補強し,その上に砂地を作っている。ヨーロピアンは本当に日光浴が好きだ。日中の時間はほとんど海岸の寝台に寝そべっており,気が向いたら海に入る。

もちろんダイビングの人たちは,船に乗っていくつかあるダイビング・スポットに行っている。ガイドブックには前任者が1泊2日沈没船ツアーが3ダイブ付きで115$と記入してあった。透明度が高く,さんご礁にも恵まれた紅海はダイバーの天国である。

北側の海岸を歩く

マリーン・スポーツには縁の無い僕はのんびりと海岸を歩き,風景を眺める。宿の北側にはもう海辺のレストランはなくなり静かな海岸になっている。海岸近くの浅い海の色と深いところははっきり区別がつく。沖合いは深い青,群青の青が広がっている。

海はすばらしくきれいだ。しかし,清掃が行き届いているレストランが密集している海岸に対して,この辺りはゴミの海岸となっている。僕はクツを履いているから平気で歩くことができるが,裸足だとちょっと近寄る気にはなれない。

海岸通を巡回するとここではもうすることがない。海岸通りの西側は荒地が広がっておりそこには何も無い。海岸の北西には地元の民家がある。しかし,ほとんどが高さ2-3mの塀で囲われており歩いても写真の題材には出会わない。

夕日の時間帯

今日最後の仕事は夕日である。陸側に日が沈み,ちょっとおもしろい光のショーを見せてくれた。宿に戻りシャワーを浴びる。真水ではなく少し塩分が入っているらしく塩味が感じられる。身体を洗う分には問題にならない。

今日もバスが無い

昨夜は21時過ぎにうたた寝をしてしまい,23時に歯を磨いてそのまま寝てしまった。天井の首振り扇風機が一定間隔で心地よい風を送ってくれる。この部屋は西日が入るので夜になってもなかなか温度が下がらない。

06時に朝日の写真を思い出し,外に出る。太陽はすでにアカバ湾の対岸にあるサウジアラビアの台地の上にあり,少し遅かったようだ。それでも,赤く染まるアカバ湾とその背後の茜色の空を撮ることができたのでよしとしよう。

少し赤く染まった海岸通りには誰もいない。場所を変えて陸地が見えないポイントで朝日の写真にトライする。少し光球が大きすぎるけれどそれなりの一枚になった。

今日は移動日なのでさっさと高い朝食を済ませチェックアウトする。荷物を持って乗合トラックバス乗り場まで行くと運転手から声がかかる。最初の車はバスターミナルまで10以下にはならないのでパスする。道路の向こうにいるジープは7EPで行ってくれた。

しかし,BTの窓口では今日もセント・カトリーナ行きのバスは運行されていないという冷たい返事である。いいかげん途方に暮れてしまう。

このとき,セント・カトリーナ行きのバスを諦めるべきであった。この区間のバスは運行されることもある程度に考え,それに頼って移動計画を立てるのは止めるべきであった。

しかし,そこにフランス人夫妻と現地のガイドがやってきたので話は別の方向に進んでしまった。彼らもセントカトリーナ行きのバスが動いていないことを知り,さてさてどうしましょうと話している。そこに,ピックアップの運転手が現れ,セント・カトリーナまで行くと言う。

これが今日のつまづきの元であった。交渉の結果,僕は片道で50EP,彼らは往復で100EPということで決定した。運転手は我々を海岸近くの開いていないレストランまで連れて行き,そこで車を乗り換えるようだ。

しかし,運転手とフランス人女性が話をしている。彼女からその内容を聞くとセント・カトリーナ修道院は昼までしか開いておらず,明日の日曜日は休みなので彼女たちは月曜日に出かけるという。

ということは,今日の夜に出発するツアーも無いということだ。しかも,この時間にはもうスエズ行きのバスも無くなっている。最悪の展開にため息をつきながら再びナグム・パラダイスに戻ることになった。

内陸探検

することが無いので内陸部の荒地を探検に出かける。茶褐色の平地の向こうに同じ色の岩山があり,その間に白い建物が見える。それにしてもダハブは海岸の街と内陸の街がどうしてこんなに離れているのだろうか。

荒地の中に2mほど土盛りされた下水処理施設がある。下水処理施設であることは臭いで分かる。海岸近くの多数のリゾートの下水処理はどうなっているのだろうと少し疑問に思っていたらこんなところに解答があった。

あのホテルやレストランの生活雑排水が未処理のままアカバ湾に流れ込んだら海はすぐに汚染されてしまう。4ヶ所に分散した町の下水がすべてここに集まっているかどうかは分からないが,ともあれリゾートの海を守るための努力はここに見ることができる。

もっとも,この施設は単純に汚水を沈殿させるだけの機能しかもっていない。ある程度きれいになったら次の池に回されるようだ。乾燥地なので水はどんどん蒸発するので最終の池は溢れないということかもしれない。

その向こうには気象観測所がある。ここも敷地面積が1haもある。人口密度の低い地域なので土地はふんだんにあるということか。

周辺はまったくの荒地である。そこにぽつんと潅木が1本立っており白い花が咲いている。と,思ったら悲しいことにそれは風で飛ばされて潅木に引っかかったビニール袋であった。

昨日,荒地の北側にあるベドウィンの住宅地を歩いた時,道路わきに土地を囲い込むような溝が掘られており,そこはほとんどゴミ捨て場状態になっていた。そこから飛ばされた軽いビニール袋がここまで飛んで来たようだ。

このレジ袋は日本だけでも年間300億枚が使用されており,全世界では想像を絶する枚数が使われていることだろう。先進国だけではなく,途上国においてもレジ袋は当たり前のものとなっている。

日本ではレジ袋の有料化,廃止が進行しているが,僕は使い捨てによる資源の無駄使いもさることながら,多くの国でプラスチックの袋や包装材のゴミが環境問題を引き起こしている方に根深い問題があると考えている。

理由は簡単,使い終わるとそのあたりに捨てられるからである。ゴミをその辺に捨てる文化は世界中にあり,それほど珍しくはない。しかし,プラスチックのゴミの場合は環境中では分解せず,完全な環境汚染物資になる。

バングラデシュでは捨てられたレジ袋が下水を詰まらせ,洪水の原因にもなることから製造・使用が禁止された。海に流出したものは地球上のあらゆるところにに漂着することになる。ハワイ諸島の西にある人間が立ち入ることが厳しく制限されている自然保護区の島々にも大量に漂着している。

近くには白い塀で囲われたリゾート施設が建築中であった。ここの広さも2haはある。リゾートが拡大している中で,淡水資源の確保,汚水処理,ゴミ処理など解決しなければならない問題が山積している。

この辺りは高級住宅街となっており,明らかに北部のベドウィン地域とは環境が異なっている。街にはゴミ箱が設置されており,ゴミも見当たらない。ここでも「衣食足りて礼節を知る」ということのようだ。

夕日の時間帯

夕日の時間帯は西側の荒地に行って山側に沈む夕日を撮りに行く。ラクダの群れが北側にあるベドウィンの村に向かって歩いている。そういえば,彼らの村にはラクダのための囲いをもった家が何軒かあった。

山の端に沈む夕日はなかなかの風情であった。山の稜線が黒いシルエットになり,残照が背後から華やかな光のショーを見せてくれる。就寝前にマシュラバの夜景を撮りに外に出る。テーブルにカメラを固定して撮ると,灯りが海面に映えてそれなりの夜景となった。


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