Home 亜細亜の街角 | 緑春 / 雲南 / 中国 / Apr 2003

緑春(リュウシュン)  (参照地図を開く)

思茅地区の東側は「紅河ハニ族イ族自治州」となっている。面積は約33,000km2,中央部を北西から南東方向に元江(紅河)が横切る。北部は開発が進んでいるが,ベトナムと国境を接している「緑春県」や「金平苗族瑶族泰族自治県」では伝統的な民族衣装の人々を見ることができる。またその北部の「元陽県」は棚田で有名なところである。

自治州内の各地にはバスが運行されており,移動は容易だ。小さな町にも汽車站があり,行き先と運行時間が表示してある。

緑春県は面積3167km2,年間平均気温は16.6度と快適である。周辺にはハニ族,瑶族,タイ族などの少数民族が居住している。緑春は尾根筋にできた町で,町の下や周辺の斜面はすばらしい棚田になっている。規模はともかく個人的には元陽のものにも劣らないと思う。

思茅→江城移動

思茅(06:30)→江城(11:30)(14:30)→緑春(20:00)とバス(51.5元)で移動した。思茅の汽車站であらかじめ緑春行きのバスをチェックすると06:30の一本しかない。実際には江城で乗り換えれば直行便より早く到着できるうえに,本数も多い。しかし,思茅の汽車站では直行便以外のことは考え付かなかった。バスは定刻に出発した。江城までの道はやはりお茶の段々畑が印象的だ。

江城の汽車站の近くで乗客は全員降ろされた。運転手は僕に「二時半発車,在上面的客運站」と書かれたメモを渡した。何やら事情があってしばらくここで停車するらしい。

運転手の指示でメインザックはバスに残して坂の少し上にある汽車站(=客運站)でバスを待つことにする。昼食後,バスをチェックに行くとバスがいない。でも一緒の乗客は汽車站で新聞を読んでいるので僕も待つことにする。

江城→緑春移動

メモの時間にバスはちゃんとやってきた。たぶん運転手の昼食休憩時間が決められているのだろう。江城から緑春までの山道は棚田のすばらしい風景が随所に見られた。

ちょうど田植えの時期で,水を張った田んぼが陽に映えている。山の斜面に見える一筋の道は自然の大きさを示している。一方,人手の入った山々は人間の永年の活動が自然に与える影響の大きさを示している。

県境で公安のチェックを受け,大黒山で一瞬のトイレ休憩のあとスコールのような嵐に出会った。周囲は暗くなり,強い風と雨が降り出す。かなり危険な状態でもバスは進んでいく。幸い雨はじきに止み日差しが戻ってきた。

突然バスが停車する。前方に木が倒れ道をふさいでいる。何人かの運転手が枝を片付けている間に周囲の棚田の写真を撮ることができた。雨のおかげでに土ぼこりが立たなくなったし,周辺の緑もみずみずしさを取り戻したようだ。

周辺の山々はほとんど人の手が入っている。斜度が30度くらいまでは等高線農業の棚田になっており,30度から60度くらいまでの斜面では傾斜地農業が行われている。傾斜がきつくなると棚田を造るのは大変になるし,農地の面積もそれほどとれないのでこのような区分が生まれたのだろう。

道路は単純に斜面を削るだけで斜面の手入れはほとんどされていない。そのためガケ崩れが頻発している。落石注意どころではない。崩れ落ちた土砂や岩が道路に放置されているのでとても危険だ。

大きな土石流が発生した場所では道路面が完全に見えなくなっており,バスはその上を大きく左右に揺れながら通過した。夕陽が山の端に隠れる頃,遠くに緑春の町が見えた。

片斜面の町

緑春は尾根筋の道路の両側にできた町で,ほとんどの建物は尾根から50m以内にある。宿探しはちょっと苦労した。華龍旅社は狭い階段を上った2階にある。部屋(10元)は6畳,2ベッド,机,T/Sは共同で,清潔さにはちょっと難がある。しかし,安宿は他には見つからなかった。

翌日は朝食のため市場に行く。セイロが見えたのでマントウを買うと,中身はザラメである。このような外れはときどき発生する。

ハニ族の女性がよく目に付く

街中にはハニ族の女性が多い。紅い毛糸の飾りがついた帽子もしくはスカーフを被り,体の左側で留める短いカラフルな上着,紺か黒のズボン姿である。背中には蓑のようなものを背負っており,これは坐るときには座布団代わりになる。男性の服装は漢人化しており見分けがつかない。

尾根の下の斜面は棚田になっている

町のある尾根の下の斜面は棚田になっている。谷を挟んだ向かいの斜面にも盛大な棚田が広がっている。棚田がよく見える場所を探していろいろ歩き回った。町の北のほうにビューポイントがある。しかし,民家がじゃまになる。

幸いなことに屋根で工事をしている家があり,屋根に上げてもらうとそこは最高のビューポイントであった。みごとな棚田の景色が楽しめる。ちょうど棚田に水が入っており,青と緑の複雑な模様にしばらく魅せられていた。

ハニ族の女性たちはよく働く

非典(SARS)の消毒

2003年4月の中旬になると,「非典(SARS)」の影響が現れてきた。緑春の旅社でも消毒班が回ってきた。共有場所はもちろん,部屋の中にも薬剤を散布していった。

しばらく床は濡れたような状態になり気持ちが悪い。気化した薬剤を吸わないように外出する。帰ってきたら床の上でゴキブリが苦しんでいた。いったいあの薬剤は何だったのだろう。

斜面の農業

尾根にある道路の反対側の斜面にも畑と棚田が広がっている。こちらは比較的下りやすい。一部は野菜畑になっており,イ族のおばさんがクワを使って草取りをしていた。

若い娘さんは籠を背負って,急な斜面を身軽に降りていく。そのずっと下には棚田が広がっている。平地のほとんどないこの土地で人々は斜面を相手に農業を続けてきたのだ。

棚田の田植え

尾根の道から下の畑や棚田に直接下りる道は無い。民家の間の路地を通り,40度くらいの斜面に棚状に造られた畑の細いあぜ道を滑らないように気をつけながら下りる。

眼下には自分のいる斜面に続く棚田が広がり,その下の川を挟んで向かいの斜面の棚田に続いている。このあたりには平地は全く無く,川の周辺だけが傾斜が緩やかなため,一枚の棚田の面積が広くなっている。

それに対して僕が立っているあたりは傾斜がきつく,棚田の段差は2mを越えている。水田には水が張られ,代掻きと田植えの最中であった。下の広い棚田では十数人が一列になって田植えをしているのに,ここでは2-3人が並ぶのがやっとである。

下の段では水牛が鋤のようなものを引いている。水田の中の土の塊を砕き,ならすための道具である。昔の日本でも同様の道具を使用して代掻きをしていた。

立派な角をもった水牛は性格がおとなしく,農作業に適している。足場の悪い泥田の中を一歩一歩,足を踏ん張って水牛が歩いていく。農業の機械化が進んでも,この斜面の棚田では機械が活躍できる場所はほとんどない。

対岸の棚田も少し近くなる

それにしても見渡す限りの棚田である。このような景観は江城から緑春までの135kmに渡り,ほとんど連続していたのであるから大変なスケールだ。どれほどの時間とどれほどの労力が費やされたのか見当がつかない。

女性たちがお茶のよりわけをしている

女性たちがお茶のよりわけをしている。中国でお茶といえばウーロン茶である。ウーロン茶にはいろいろな種類があるが,人々が普段飲んでいるのは最も安い普通のウーロン茶である。このクラスのお茶は驚くほど安く,100gで1元程度である。食堂では日本同様,無料のお茶が出てくる。

ビューポイントがあるとひたすら棚田を写す

小学校を訪問する

写真好きの子どもたちに囲まれる

小学校が終わると子どもたちは一斉に帰る。歩道を友達同士で歩いてくる。最初のグループを撮って映像を見せてあげる。光の具合がちょうどいいようだ。自分の写真を見て子どもたちは大はしゃぎである。次のグループが周りを取り囲み,そのうち集合写真になってしまった。

次の訪問地のバス情報を収集する


思茅   亜細亜の街角   金平