Home 亜細亜の街角 | 橄覧覇 / 雲南 / 中国 / Apr 2003

橄覧覇(ガンランパ)  (参照地図を開く)

景洪の南37km,瀾滄江(メコン川)のほとりにあるタイ族の小さな町。ゆるやかに流れる瀾滄江,タイ族の高床式の家屋と西双版納らしい風景が満喫できるので景洪周辺では観光客の人気の高い町である。

タイ族のふるさとをそのまま保存するため,タイ族風の民家を囲った西双版納泰族園がある。ここは観光化されてはいるもの,タイ族の人々の生活がある程度見ることができる。

孟臘(100km)→橄覧覇移動

孟臘(08:20)→橄覧覇(17:00)とミニバス(25.7元)で移動する。朝食を済ませのんびりと汽車站(バススタンド)に行く。窓口で景洪行きのキップを買う。

雲南ではキップ代の中に交通保険料が加算されている。そのため掲示板の表示より0.5-2元ほど高くなっている。橄覧覇は終点ではなく途中で降りなければならないのであらかじめ車掌に伝えておく必要がある。

バスは定刻に出発したが,舗装工事が完了していない山道で渋滞になってしまった。道路の幅が狭いため大型車両同士がすれ違うのに時間がかかるようだ。途中の町で昼食休憩となった。中国人の客は飯屋に行く。

白い壁に書かれた「快賓」とは中国のファストフードのことだ。ごはんにおかずが1-2品つく。通常はどんぶり飯の上におかずを載せるが,持ち帰りの場合は発泡スチロールの容器を使用する。12億の人々がこのような使い捨て文化に慣れると恐ろしいことになる。

雲麗賓館

僕の泊まった雲麗賓館は市場通りを下りたところにある。外観は立派なホテルだ。宿代は1日目が40元,2日目と3日目は30元である。部屋は12畳,机,洗濯ハンガー,T/S付きで清潔である。ホットシャワーもちゃんと動く。

孟罕の町

橄覧覇の中心は孟罕の町である。町の南側に瀾滄江が流れ,南北方向に2本の大きな通りが走り,町の北側で合流している。町の中心部では2本の道路を結んで市場の通りがある。西側が低くなっているため,市場の半分は階段状に並んでいる。

市場の東側の道を北に行くと交差点があり,その北側に小さな広場があり,夕方からいろいろな屋台が出てくる。焼き鳥がメインで麺や米線の店もある。低いイスに坐り,低いテーブルで食べることになる。

近くには常設の食堂もあり,僕はそこでどんぶりにおかずを乗せた「ぶっかけ飯」をよく食べていた。おかずは出来あいのものが容器に入れられており,指をさすとよそってくれるようになっているので,好みのものを選択することができる。値段は3-4元といったところだ。

食事は坂道の市場でも可能だ。米線はコメの粉で作ったきしめんである。2-3回お湯に通してスープをかけて食べる。めん自体は無味であり,スープの味付けもできていない。地元の人たちはこれに何種類かの調味料をかけて食べている。早朝にはこの市場で餃子やマントウが食べられる。

市場の西側の通りの向こうには農貿市場があり,周囲には中国版「三輪タクシー」が客を待っている。この乗り物はオートバイを三輪車に改造したもので,ちゃんと屋根と雨避けの幌がついている。

西側の通りはココヤシの木の並木道になっている。車も少ないのんびりした田舎道であるが,ヤシの実に直撃される心配がある。

荷車の上にかわいい子どもがいる。あわてて1枚撮ったらフレームがズレてしまい,父親が半分しか入っていない。横にいた父親もちょっとタイムをとり彼女の鼻をかんであげた。2枚目の写真はもっとかわいく撮れたけれど,この1枚のほうがなんとなく味わいがある。

朝靄の中を市場に行く

バスターミナルの子どもたち

メコンを削る

早朝の町は霧に包まれ,なかなかの風情である。10時を過ぎると霧が晴れてきたので西側の道をメコン川の方向に歩いていく。メコンは静かなたたずまいを見せている。

乾期のため水量は少ないし,川幅も200mほどしかない。対岸は7-8mの高さの赤い壁になっている。増水期のメコンはその高さまで上がることがあるようだ。そうなれば,こちらの岸の川原は完全に水没し,現在の穏やかな風景は一変することだろう。

雲南の峡谷を駆け下りてきたメコンは,橄覧覇周辺のわずかな平地に入り,ゆるやかな流れに転じる。そのためここに広大な砂州を形成している。建設ラッシュの中国ではこの貴重な資源を利用しようとする。人々はトラックで乗り入れ,砂利や砂を採取している。

ここではさかんにメコンが削られている。日本でも川砂の取り過ぎで川が荒れてしまった事例はいくつもある。母なるメコンがそうならないことを祈るばかりだ。

水辺の風景

町歩きで目にとまったもの

水かけ祭り前哨戦

川の近くに中学校を見つけた。入口は立派な門になっているので恐る恐る中に入ってみる。広いグラウンドの向こうに立派な5階建ての校舎があると思ったら,それは遠くの村から通う生徒のための寄宿舎であった。

多くの生徒が遠くの農村から通うためこのような立派な施設が必要らしい。逆に言えば中学校はそのくらい少ないということである。

ここにはタイ民族の子どもが多く,女子は民族衣装,男子は僧服が多い。そろそろ水かけ祭りのシーズンのようで,校庭の水場ではバケツをもった子どもたちが,さかんに水をかけ合っている。ときおり盛大な悲鳴も聞こえてくる。僕も近くで写真をとろうとしていたら,後ろから水が飛んできた。

彼女たちはきれいな民族衣装が濡れてもまったく気にしない。ということで寄宿舎のベランダにはすでにたくさんの衣服が干されていた。女生徒は写真に対してはとてもシャイだ。カメラを向けると逃げ回ってしまう。

水かけ祭り前哨戦

農地の風景

夕暮れの街

メコン川沿いに歩いていくと,じきに田園地帯となる。しかし,水田ではなく池のようになっている。ある部分には周辺の草が投げ入れられている。どうも草食性の魚を養殖しているようだ。

小学校高学年の女の子の写真を撮ったら,家に案内してくれた。土間にベッドが2つ,それに台所とテレビがあるだけだ。お礼にヨーヨーを作ってあげると,近所の子どもたちが集まってくる。ついでにオリヅルを教えようとしたが,こちらはうまくいかず,自分で折ることになった。

デジカメは夕焼けの写真を撮るのに適している。液晶パネルで確認しながら,フレームを上下に動かしてみる。夕日の色が一番きれいな位置でシャッターを押す。

この日は少し曇っていたので,ちょうどよい仕上がりとなった。中国は全土が北京時間に合わせているため,西に位置する雲南省では8時過ぎまで明るい。

タイ民族のふるさと

橄覧覇はタイ民族のふるさとである。この地域を根拠地としていたタイ民族は1000年前に南下を開始し,1238年に初めて現在のタイでスコータイ王朝を興した。それでも,この地域の主要民族はタイ族がなので,民族の移動というよりは拡散という方が正しい。

町の中では細身のブラウスと長いスカート姿の女性をよく見かける。子どもたちの中にも民族衣装は見られる。しかし,写真に撮るのはちょっと大変だ。

正面からだとそっぽを向かれたり,逃げられたりするので横から一枚撮らせてもらう。気づいた彼女たちがこちらを見る,僕はありがとうと頭を下げる。

西双版納泰族園

西双版納泰族園はタイ族の村をそのままテーマパークにしたものだ。民族園は1周で5kmほどあり,タイの人々の普通の暮らしが身近に見られる(ことになっている)。ところどころに化粧をして民族衣装を着たモデルが立っており,気軽に写真に応じてくれる。

一番にぎやかなところは駐車場からの入口だ。バスなどで団体客が到着すると盛装した娘たちが2列に並び,歓迎の踊りで迎えてくれる。グループにはガイドが付き,観覧地区を案内してくれる。

僕も中国人のグループと一緒に民族園の見どころを案内してもらう。天津からやってきたこのグループはなかなか気前がよくて,一回りしてから屋台の所に戻ってきて,スイカと焼き鳥をいただいた。

伝統的な家屋と寺院

西双版納泰族園には寺院もある。一つの寺院には立派な本尊があったが,この寺院はちょっと変わっている。普通は寺院の中に収められている仏像がここでは外に立っている。両手を少し広げた独特のポーズである。まるで。

自然豊かな村が残されている

タイの人々の普通の暮らしが身近に見られる

西双版納泰族園で働く人々


孟臘   亜細亜の街角   大孟龍