Home 亜細亜の街角 | Kanchipuram / India / Jun 2010

カーンチープラム  (参照地図を開く)

南インドの中心地チェンナイから南西に77km,いくつもの寺院が点在し,ヒンドゥーの7大聖地の一つとして現在でも多くの巡礼者が訪れるパッラヴァ朝の古都である。パッラヴァ朝は3世紀から9世紀にかけて南インドの東海岸からデカン高原にかけての地域を支配したタミル系の王朝で,カンチープラムとマハーバリプラムにドラヴィダ様式の寺院建築の原型とその発展型を残しており,マハーバリプラムの建造物群は世界遺産に登録されている。パラヴァ朝のすぐれた寺院建築はその後の南インドに大きな影響を与えた。

カンチープラムの主要部はヴェガヴァティ川の北側に2km四方に広がっており,寺院の数は200を超えるともいわれている。ガイドブックには5つの寺院が紹介されており,のんびり歩いて回ってみた。

プドゥチェリー(09:00)→カンチープラム(12:20) 移動

環状道路に出てオートリキシャーをつかまえる。バススタンドまでは70Rpだという,おそらく地元価格の2倍であろう。僕が40というと運転手はとてもそんな値段ではだめと手を振るので別のリキシャーを探そうとするとさきほどのリキシャーがやってきて乗れという。インド式の交渉はいつもこんなものだ。

プドゥチェリーからカンチープラムまでの直行バスがあるが,チィルトゥリ行きのバスがカンチープラムに立ち寄るよと教えてもらった。車掌に確認すると確かにカンチープラムに行くことが分かった。周辺の風景は今までとさして変わらない。畑を囲むようにオオギヤシが植えられており,特徴のある球形に広がった葉の塊が並んでいる。周辺は水田が多いが,すでに田植えの終わったところはほんの一部である。残りはモンスーンの到来を待って農作業が開始されるようだ。

スリ・クサル・ロッジ

カンチープラムの町に入るとバスは苦労しながら分離柵のある道路を進んでいく。町の中心部にバススタンドがあるので,バススタンド周辺の交通事情はかなりよくない。バスを降りるとサイクル・リキシャーのおじさんがホテルまで行くとかなりしつこく勧誘する。しかし,僕の目指している宿は徒歩5分である。

ロッジの受付は2階に会った。奥方向に建物が続いており,かなり部屋数は多い。部屋は4畳,1ベッド,T/S付きでまあまあ清潔である。衣装棚が置かれていたのでこれは荷物を収納するのに役に立った。ただし,掃除はまったくおざなりというかしていないようだ。前の宿泊者のタバコの吸殻やペットボトルが残っている。150Rpの宿ではしかたがないのかもしれない。

昼食(13:30)

一休みしてから昼食に行く。といっても2軒ほど先のMMホテルの食堂である。ここはちゃんとしたレストランがある。ただし,ベジタブル・フライドライスが89Rpもする。これはインドとしてはバンガロール以上に高い。ということでベジサンドとラッシーの昼食(45Rp)となる。

名前の分からない寺院

駅に向かう途中の大きな交差点のところにガイドブックに記載されていない寺院があった。「カチャベーシュワラ寺院」というらしい。敷地面積は100m四方,それほど高くはないが塔門の体裁も整っている。200もの寺院がある町なので歩いているといくつもの無名の寺院が出てくるのは当然である。そのような無名の寺院でも面白い造形に出会えることもある。

ここでは珍しい「サラスヴァティー」の像があった。彼女はブラフマー神の神妃であり,芸術,学問などの知を司る女神とされている。蓮華の花の上に座り,手には数珠とヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持つ姿からそれと分かる。彼女の乗り物はクジャクであり,この像の左側にはクジャクがかしずいている。

カンチープラム駅でチケットを変更

駅は宿から1.5kmほど離れている。カーマクシ・アンマン寺院を過ぎてからけっこう距離があった。実はプドゥチェリーで買ったムンバイ行きのチケットがマドガオン→チェンナイになっており,変更する必要がある。カンチープラムの予約窓口はすいており,チケットと新しい申請用紙を出すとすぐに処理してくれた。

料金は89Rp安くなり264Rpであった。窓口担当者が11Rpというので出すと100Rpが返ってきた。チケットを確認すると列車料金は224Rp,手数料40Rpとなっていた。手数料は最初にチケットを買うときに30Rpだったので変更は少し高い。ともあれこれでムンバイに戻るルートが確定した。

排水溝の大工事

道路わきの樹木が軒並み切り倒されている。別の場所では排水溝の工事が盛大に行われていた。従来のようなすぐゴミで詰まる地上の下水ではなく,地面を1mほど掘り下げ,コンクリートで固めるというものである。この排水溝の上部がどのような構造になり,どのように雨水や生活雑排水を引き込むのか興味のあるところだ。口径が大きくなってもゴミが流れ込むようでは現在のような詰まりは確実に発生する。インドの町は多くの面でゴミとの闘いが重要課題の一つである。

カーマクシ・アンマン寺院

大きなイベントが終了した直後のようだ。異教徒は本殿には立ち入ることはできないので塔門と池と本殿の隣の祠堂を見学する。塔門は5層であり彩色されていない神々の塑像がすき間なく配置されている。中央部は神殿の構造が見られるものの,その左右は神殿構造なしに神像が配置されている。不思議なことに塔門を飾る神像はすべて女神であった。

このことは帰国後に写真をじっくり見ているときに気が付いた。ヒンドゥー教では神といえども配偶者を得てはじめて完全なものになるという考え方があり,このように女神だけが並べられる事例は少ない。付属の池は乾季でも十分に水を湛えている。緑がかった水面は鏡のようで池の中央と周囲にある建造物を写している。

象はココヤシの葉が好物

本殿の周囲を廻ってみる。2頭の象がいるのでしばらく観察してみる。南インドでは象の食料はココヤシの葉が多い。多くの牛が暮らしているインドでは象に草をふんだんにあげることはできない。そのため,牛が食べないココヤシの葉やエレファント・グラスが主な飼料となっている。人も動物もたくさん暮らしているインドでは,草食動物といえども食べ物の棲み分けが必要になっている。

ココヤシの葉は葉柄の両側に葉が付いており,1本で20kgほどもある。古くなった葉柄は自然に幹から落ち,直撃されたら命に係わる。他の動物は手の出ない固い葉も象なら葉柄ごと噛み砕いてなんとか消化することができる。しかし,自然界では象がココヤシの葉を食べることはない。

バススタンド

夕方の時間が少し余ったのでバススタンドを見に行く。宿から歩いて5分というところである。周辺の道路はバスがスムーズに通れるようにするためか,可動式の柵を中央分離帯の代わりに置いている。確かにインドでは道路のスペースがあれば平気で反対車線を走る車両が多い。分離帯を設けないとバスを追いこそうとする車両が反対車線を走ることになる。

夕食

MMホテルのレストランでベジタブル・フライドライスとライムジュースをいただく。カンチープラムはヒンドゥー教の聖地なのでノンベジの食事は難しいかもしれない。フライドライスの値段は89Rpとプドゥチェリーと同じくらいに高い。とはいうものの一食くらいはお腹いっぱい食べないと体がもたない。

朝食(07:30)

外に出ると路面は濡れており空気もひんやりとしている。昨夜,一雨あったようだ。朝食は隣のベジ食堂でいただく。この食堂もインドとしてはかなりきれいな部類に属する。先客が食べているものをチェックし,イドリー(コメの粉を蒸したもの)とヴァーダ(豆の粉を揚げたもの)のセット,それにコーヒーをいただく。

このような南インドの食べ物はまずくはないけれど喉を通りにくい。僕はチャーイやコーヒーの甘みで流し込むようにしていた。32Rpの料金に102Rpを出すと80Rpのおつりがきた。おつりをチェックしてこのことに気が付き,会計の男性に10Rpを返す。

カイラーサナータ寺院まで歩く

カイラーサナータ寺院は宿から西に1kmほど離れている。ところどころに水が残っており歩きづらい。路上で目に付いたいろいろなものを写真にする。なぜかこの町では牛車が多く,かっこうの被写体になってくれた。牛車を引いているのは「インドこぶ牛」と呼ばれるものでほとんどが白である。

立派な角をもっており,首の後ろにはこぶが盛り上がっている。このこぶのところに横棒を渡し1頭もしくは2頭で荷車を引くようになっている。牛車を引くのは雄牛と決まっている。中には気性が荒いため去勢されているものもある。

親に手を引かれてる子どもたち

学校か幼稚園に出かけるため親に手を引かれてる子どもたちもいい被写体になってくれた。この道はバススタンドに続くいわばこの町のメインストリートであるが,途中から車の通りの少ない道になる。とはいってもインドのバイクはこのような道でも我が物顔に走るのでのんびり周辺を見ながら歩くというわけにはいかない。

インドなのにお酒の工場がある

高い煙突のある工場のようなところがある。広いコンクリートのたたきの向こうで女性が頭の上に容器を乗せて運んでいる。容器の中身は大きなタンクにあけられている。近くの男性にあれは何ですかとたずねるとモミだという。

ここでは籾をそのまま使用している

彼がタンクの方に案内してくれた。かすかにアルコールの匂いがしたのでここでライス・ワインを作っているのではと見当をつけた。女性たちはコンクリートでできた大きなタンクから濡れたモミを取り出し,金属製のタンクのあけている。

このタンクは蒸気により蒸米を作る工程のようだ。日本では玄米を25%以上精米して中心部だけを使用するようにしている。ここではモミの状態で蒸して糖化の工程に移行するようだ。そういえば,ネパールのチャンも雑穀をそのまま発酵させ,お湯とストローを入れて飲んでいた。籾殻を取ることは必ずしも酒造りには必須の工程ではないようだ。

池にはアヒルが群れていた

昨日写真を撮った湿地の池には100羽あまりのアヒルが群れており,これは絵になる。池に集団で浮かぶアヒルと背景を組み合わせて写真にする。持ち主の夫婦の姿がだいぶ遠いところに見える。

水牛に威嚇され退散する

アヒルの水たまりの近くには牛や水牛が草を食べている。水牛の背中に尾の長い鳥が止まっているので静かに近づく。2枚ほど写真を撮り,もう少し近づこうとすると,オスの水牛が威嚇のため僕の方にやってきた。鼻輪のロープは前足に縛り付けられているので自由に歩くことはできないものの彼の迫力にその場を立ち去ることになった。

カイラーサナータ寺院

通りの横に広い緑の芝生があり,その向こう側にカイラーサナータ寺院の本堂が顔を覗かせている。その手前には複数の小祠堂が門のように一列に並んでいる。しかし,なぜか本堂を中心とする左右対称にはなっていない。

入り口は東に面しており,そこから東に参道のように芝生の中を石畳が伸びており,その先には寺院に顔を向けたナーンディが置かれている。敷地全体は鉄柵で囲まれており,現在は寺院近くの入り口から入るようになっている。しかし,構造から考えて往時はナーンディに祈りを捧げてから石畳の参道を通って寺院の入り口に向かうようになっていたのではと推測する。

正面は壁が連続した小祠堂になっている

寺院の東側に並ぶ小祠堂は同じ形状で内部にはリンガが祀られている。寺院は周壁で囲われており,入り口は東側だけである。門の内側のお堂が本殿の相当部分を隠してしまうので,正面の写真写りはよくない。

側面は周壁となっており獅子の立像が並んでいる

周壁の側面を外から眺めると小祠堂の上部が頭を出しており,周壁が連続した小祠堂になっており,その裏側が壁になっていることが分かる。壁面には等間隔に獅子の立像が並べられており,彼らは寺院のガーディアンであろうと推測される。

塔門のようなお堂が本堂を隠している

入り口から入ると寺院の本殿を隠すように塔門を似た形状のお堂がある。このお堂の内部を取り外すと塔門と同じようになる。とはいえ,このお堂の高さは本殿よりはるかに低い。

周壁の内部は多数の小祠堂により囲まれている

このお堂の左右には石材を渡した入り口のような構造があり,そこをくぐると本堂を囲む空間に出る。内部は多数の小祠堂により囲まれている。こちらの祠堂は内部空間をもたず,神々のレリーフで飾られている。

本堂の全体構造

本堂は前殿,前室,本殿の構成になっているようだが,前殿の部分は閉鎖されており,本殿には南から入るようになっている。本堂の壁面にも周囲の祠堂と類似の装飾が施されている。しかし,こちらは立体的なもので彫像と言ってよいものである。ライオンの石柱に守られるように神像が配されており,こちらもなかなか見ごたえがある。

漆喰の上に彩色されている

祠堂と祠堂の間の壁面にも同じようなレリーフがある。つまり,周壁の内側はすきまなく神々の姿が並ぶ構成になっている。このスタイルは特異だ。

レリーフは漆喰で覆われていたようだ。現在は一部の漆喰が剥がれ落ち,内部の石材が見えるようになっている。往時は漆喰の上に彩色されていたようで,わずかであるが色の残っているものもある。本堂にいたバラモンはオリジナル・カラーと言っていた。

本殿の周囲を飾る神像と獅子像

本殿に入ると薄暗くかびくさい空間となっている。この空間の西側に聖室があり,そこにはバラモンがいる。もっともこの寺院は訪れる人がとても少ないので彼もひまそうだ。正面にはリンガのようなような黒いものが祀られている。

門の内部からは本殿の上部はまったく隠れてしまっているので外に出てその部分を撮影する。この上部も石材の色ではなく,おそらく漆喰が塗られているのであろう。

石材を積み上げてピラミッド型の建造物にする

石材を積み上げてピラミッド型の建造物にする構造はマハーバリプラムの海岸寺院とよく類似している。カイラーサナータ寺院も海岸寺院も8世紀に造られたものなので,この時代に南方様式の本堂の基本構造が固まったようだ。

寺院の向かいでヨーヨーを作る

カイラーサナータ寺院を出るとき雨がぱらつきはじめた。寺院の道路向かいの木の下で雨宿りをする。近くにいる子どもたちの写真を撮ると珍しくペンの要求がなかったのでヨーヨーを作ってあげる。近くの大人たちもやってきて9個作ることになった。

この牛の顔は・・・

普通のインドこぶ牛の顔であるが,なぜかこれを見てマスター・キートンに出てくる牛を思い出してしまった。単行本の第2巻に収録されている「レッドムーン」の冒頭にインドで発生した特殊な狂犬病ウイルスによる牛の大量死の描写がある。インドこぶ牛はどれも同じような顔をしているのに,この牛だけが物語の牛と結びついてしまった。

狂犬病は狂犬病ウイルスを病原体とする人獣共通感染症であり,ヒトを含めたすべての哺乳類が感染する。毎年世界中で約5万人の死者を出しており,インドはそのうち3万人を占める。インドで犬を含む哺乳類に噛まれたり,引っかかれたりしたらすぐに曝露後接種を受けることをお勧めする。感染してから発症するまでの時間は2週間から2年ほどの場合もあり,発症すると100%助からない。


プドゥチェリー   亜細亜の街角   カーンチープラム 2