Home 亜細亜の街角 | Hassan / India / May 2010

ハッサン  (参照地図を開く)

ハッサンはバンガロールの西174km,マイソールの北西114kmのところに位置している。町自体はとくに見どころはなく,近郊のハレービードとベルールにあるホイサラ朝を代表するヒンドゥー寺院を見るために2泊することにした。ホイサラ朝は現在のカルナータカ州南部を中心に11世紀後半から14世紀初頭まで存続したヒンドゥー王朝である。

王国の最大版図はほぼカルナータカ州と重なり,カーヴェリー川を伝って下流域(現在のタミールナドゥ州)にまで達している。この王朝は都のドワーラサムドラ(廃墟となったのでハレービードと呼ばれる)にホイサレーシュワラ寺院,ベルールにチェナケーシェヴァ寺院,ソームナートプルにケーシャヴァ寺院を残している。僕はハッサンを起点にハレービート→ベルールと回ってきたが,バスの便はとくに問題はなかった。

バンガロール(174km/09:15)→ハッサン(14:15) 移動

09:00にチェックアウトしてバススタンドに向う。大きな東西方向の通りを横断し,1mほどだけ開いた鉄柵の間を通ってバススタンドに入る。すぐに長い歩道橋が西方向に伸びている。歩道橋の上に出てすぐ左に曲がると長距離バススタンドの建物に出る。歩道橋を降りると監視員がいるのでハッサン行きのバスの場所をたずねる。彼は真っ直ぐ進み,右に曲がり建物の外に出なさいと教えてくれた。

僕が乗ってからすぐにバスは動き出した。車掌が料金を集めに来る。料金は126Rp,4時間の行程に対しては高いなと思ったが,距離は174kmと記載されている。62km/$の計算であり,これは適正値である。バンガロールを出ると平らな土地に小さな岩山が点在している。これはけっこう面白い。しかし,通路側に座っているため写真は無理だ。

Ashray Lodging

バスはちょうど5時間でハッサンに到着した。バススタンドで周囲を見渡すと二つの宿が見える。バススタンドの建物の2階にあるロッジは入り口が閉鎖されていた。実はロッジは3階なのに勘違いしてここはやっていないと判断してしまった。バススタンドから見えるもう一つの「Ashray Lodging」に行くことにする。バススタンドの三辺は建物に囲まれているが,Ashray の横のところで建物が切れている。そこを通り抜けると右側にAshray があった。

目の前は野菜・果物市場になっており,日除けのシートが一つの区画に広がっている。200Rpの部屋は6畳,1ベッド,T/Sが付いており,ベッドもシャワー室も清潔である。シャワー室にはシャワーはなくバケツの水を手柄杓でかけるスタイルである。

野菜・果物市場

宿の背後はバススタンド,前は広い野菜・果物市場となっている。常設の建物はなく,見渡す限りブルーシートや布が張られている。5月中旬のデカン高原南端ではマンゴーが大量に売られている。

一口にマンゴーといっても大きさ,色,形から判断して5種類はある。熟すと赤っぽくなる種類が最高級品のようだ。おじさんがちょっと味見をさせてくれたので0.5kgを買う。盛りの果物は1kgで30Rpだ。中くらいのものが3個なので1個10Rpの幸せが今日も味わえるかな。ナイフはバンガロールに飛ぶときに置いてきているので近くで買う。

トマトは1kgが10Rp

まだ3時台だというのに光が不足している。全体としてかなり暗い写真になるのでときどきマニュアルで撮ることになる。ここには立派なトマトがあり0.5kgを買う。1kgが10Rpという信じられない価格である。

バススタンドは広い

ハッサンのバススタンドは70m四方くらいあり,インドでは珍しく機能的にできている。といっても,二列の屋根付きの待合場所があり,地面にバスが縦に入るための仕切りがあるというだけのことだ。この仕組みにより,どの場所からどこ行きのバスが出るということが地元の人には簡単に分かるようになっている。地元の文字がまったく読めない外国人の僕にとってはやはり地元の人かバスの車掌に聞くしかない。

バススタンドでバスを待っている人たちはよそ行きの服装なので,気軽に写真に応じてくれる。バススタンドの3階のロッジも営業していた。部屋の前にはずらりと洗濯物がならんでいる。ガイドブックによるとここもAshray と同じ料金ということだが,見たところはAshray の設備の方が良さそうだ。

巨大なジャック・フルーツ

バススタンドの北側には樹木の豊富な大きな公園がある。公園中央の通りに面して何本かのジャック・フルーツの木があり大きな実を付けている。公園の西側には夕方の時間帯から営業する食べ物の屋台が集まってきている。すでに営業を開始しているところもある。さすがに腹具合が心配なのでまだ屋台食は手が出せない。

ジャック・フルーツも大量に出ていた。もちろんこの巨大な果物を1個買う人はまずいない。そこで,ジャック・フルーツを解体し種子を包む果肉の単位で売ることになる。この果肉は1個1Rpである。東南アジアのものにくらべると少し甘みは足りない。ともあれあっさりした甘さは暑い気候によく合う。

文字が丸くなってくる

映画のポスターのようにインドの南では文字が丸くなってくる。インドは歴史的の大半において統一王朝は存在しなかった。そのため,州により独自の言語と文字が使用されている。最近ではヒンディー語を共通語にしようとする動きがあり,かなり普及している。比較的鋭角的な線の強い北方型のヒンディ文字に対して南方系の文字は丸みを帯びてくる。

インド圏で使用されている文字の起源はブラミー文字とされている。世界中で使用されている音素文字の起源とされているのは源カナン文字,あるいはフェニキア文字(BC14世紀)とされている。フェニキア文字からアラム文字(BC9世紀)が派生し,そこからブラミー文字が派生している。ブラミー文字はBC6世紀ころから使用されており,南アジア,東南アジア,チベット,モンゴルのほとんどの文字体系の祖となっている。

食堂は数が少ない

バススタンドに2-3軒,外の通りに2軒の食堂がある。外の通りの北側にあるもの以外は南インド料理の店ばかりだ。夕食は北側の食堂でチキンビリヤニをいただく。テーブルの上にはきれいなバナナの葉が二つ折りにして置かれている。バナナの葉は中心部の葉脈のところで折り曲げることができる。料理が運ばれてくるとこの葉を開きその上に並べられる。

ビリヤニ(炊き込みごはん)は小さなプレートに山盛りで出てきた。これをバナナの葉の上に右手で移し,右手を使って食べる。チキンは中ほどに3つ入っていた。さすがにごはんの量が多いため1/3ほどを残すことになる。カメラを持ってこなかったのでこの南インドらしい食事を撮れなかった。翌日も同じ食堂でチキン・ビリヤニをいただき,使用前と使用後のテーブルの写真を撮る。

ハレービードに移動

ハッサンの近郊にはホイサラ朝の代表的な寺院がいくつかある。ハレービードとベルールの2つはまとめて日帰りで訪問することができる。宿で腹具合チェックをする。どうやらお出かけできる状態のようだ。バススタンドでハレービード行きのバスについて何回か聞いてようやく見つかった。移動のとき文字が読めないということはとてもつらい。

乗車してすぐにバスは動き出したが客待ちのためバススタンド内でぐずぐずしている。ハッサンの町はけっこう大きいようだ。町を抜けると田園風景となる。途中で大きな貯水池を二つ見かけた。ハレービードは二つ目の貯水池のすぐ近くであった。貯水池の方に歩き出すと,前方からヤギの群れがやってきたので一枚撮る,この時間でも写真はずいぶん暗い

バススタンド近くの貯水池

ハレービードのバススタンドは広場から少し入ったところにある。広場には何台ものミニバスや観光バスが停まっている。とりあえず貯水池を見に行く。この貯水池は川をせき止めたもので堰はこちら側にあった。コンクリートの堰堤の背後は石で補強してあり,ロックフィル・ダムのような感じを受ける。

洗濯の風景

下流側にもわずかな水が流され,そこで洗濯をしている女性たちがいる。池の岸にも洗濯場があり,ここでも子連れの母親が洗濯をしている。全体の写真,子どもの写真を撮りお礼にヨーヨーを作ってあげる。

ハレービード(ホイサレーシュワラ寺院)

ホイサラ朝の寺院群は目立ったシカラ(高塔)をもたず,基壇の上に一層の建物がある構造になっている。造営時はある種のシカラをもっていたようであるが,復元されていないのかもしれない。ヒンドゥー寺院としては珍しく平面的である。

同時に複数のマンダバ(前室や前殿)と一つの聖室,複数のマンダバと複数の聖室が一つの建物に収められているという平面的に広がった寺院構造となっている。ホイサラ朝寺院の特徴はなんといっても外壁を隙間無く覆うレリーフや彫像である。しかも,建物の高さは6mほどなので写真は撮りやすい。

ハイビスカス・ハワイアン系

ホイサレーシュワラ寺院は広場から見えるところにある。広場ではココヤシのジュースを売る露天が繁盛していた。中には実を割って中のコプラをそぎとって食べている人もいる。スプーンはヤシの実を削ったものだ。

寺院の入り口の反対側に博物館があり今日は閉まっている。ここの庭園のハイビスカスがきれいに咲いているので芝生の中に入れてもらう。花弁の外側が赤,内側の黄色のものはハワイアン系の園芸種でとても艶めかしい。

屋外博物館

博物館は金網あるいは有刺鉄線に囲まれた一画で,本体はちゃんとした建物である。博物館の横には建物内に収容できない周辺から出土した多くの石像が並べられており,屋外博物館のようになっている。一部は外から撮ることができる。博物館と寺院の間の道の向こうに大きな石像がある。全裸の男性像なのでジャイナ教の開祖マハーヴィーラであろう。この右側にも多くの石像が並べられている。

ホイサラ朝最大の寺院

ホイサレーシュワラ寺院は12世紀にこの地域で繁栄していたホイサラ朝最大の寺院である。しかし,14世紀にデリー・スルタン王朝の侵入を受け町は廃墟となった。ハレービードとは「廃墟の町」を意味する。寺院の入り口は北と南に一つずつ,東に二つある。現在は庭園の道を通って進むと正面は北の入り口になる。

この寺院は西側に二つの聖室をもっている

しかし,本来の入り口は東側の二つであり,どちらから入っても通路を進むと一段高くなった円形の床があり,そこがマンダバ(前室)があり,その西側に聖室がある。聖室とはヒンドゥーの本尊が置かれる部屋であり,本来は一つの寺院に一つしかないものである。つまり,二つのマンダバと二つの聖室をもつこの寺院は二つのものが合体した構造になっている。

西側にはいくつかの祠が設けられており,そこにも神々が祀られている。南北方向は両側から光が入るため,なんとかフラッシュ無しでも写真になる。この南北軸には太い柱が並んでおり,柱の中ほどにはロクロを使用して円形に加工されている。マンダバを支える柱の上部は円形の梁が上部構造を支えるようになっている。

ナンディ堂にある巨大なナンディ象

そのため,本来なら東西方向に長い矩形になるはずの平面図が方形となっている。ただし,基壇部分はそれぞれの角がL字形に削られており,複雑な多角形となっている。庭園から見ると一層屋根に見えたが,本来はシカラと呼ばれる塔状の屋根があったのかもしれない。このシカラを見るとこの寺院が北方型(ナーガラ様式)か南方型(ドラヴィダ様式)か識別がつくのに残念なことだ。もっとも,文献では両者が混在するものになっていると記されていた。

シヴァ寺院なので本尊はどちらも「シヴァ・リンガ」である。本尊は奥まったところにあり,入り口の左右にはそれぞれ一対の男性と女性神が配置されている。マンダパにもシヴァ神の乗り物とされるナンディの像があり,本堂の東側にはあるナンディ堂には巨大なナンディ象が聖室の方を向いている。

同じ題材のものが本堂を一周している

本堂の複雑な多角形の壁面はまったくすきまなくレリーフと彫像で埋め尽くされている。それらの彫像などは層構造をもっており,同じ題材のものが本堂を一周している。層構造は幾何学模様を入れると全体で10層となる。

下から第1は象,第2層は獅子,第3層は唐草模様,第4層は騎馬像,第5層は円形の紋様,第6層は戦いに出かける人々,第7層はさまざかな人々の暮らし,第8層は動物,第9層は神々の像,第10層は屋根を支える柱となっている。第9層と10層で全体の半分を占めている。第6層と第7層は場所によってかなり変化に富んでいる。東側の一部は明り取りのため9-10層は透かし彫りの窓になっている。

踊っている男性像

第6層(戦いに出かける人),第7層(さまざかな人々の暮らし)はは人々の生活なども題材になっており,変化に富んでいるので写真の枚数も多い。騎馬像はかなり傷んでおり,完全なところは探さなければならない。

第7層(の中で踊っている男性像を見つけた。この男性像はスリランカの古都キャンディで開かれるペラヘラ祭のパレードに参加している男性の踊りと重なって見える。真夏の新月から満月までの2週間,仏歯寺にまつられている金色のストゥーパに納められているご神体の仏歯を色鮮やかな衣装をまとった象の背中に乗せ,3000人の男女の踊り手とともに華麗なパレードが繰り広げられる。この男性の激しい踊りの姿がそのまま彫り込まれているように感じる。

パシュパティ・ナート

第9層は下の層に比べてずっと大きな神々の像が並んでいる。こちらも隙間なく建物を囲んでいる。これらのレリーフや彫像の見事さにはただただ感心するばかりだ。インドの彫刻技術と宗教的情熱は底が知れない。本体の周りを一周して気に入った像を写真にする。

その中に「パシュパティ・ナート」の像があった。パシュパティ・ナートは「百獣の王の神」であり,シヴァ神の別名の一つである。ビシュヌ神がナラシンハ(ライオンの頭部をもつ人)を第四の化身としているのと対照される。

主神のシヴァと神妃のパールバティ

この寺院の主神のシヴァ神とその神妃パールバティがナンディに乗っている像もある。この夫妻は仲がよいのか,よくこのポーズで造形化されている。

複雑な多角形の基壇と本堂

本堂の東側と西側にそれぞれ二つの祠堂をもっている。東側の祠堂は本堂から少し離れており,西側の祠堂は本体につながっている。おそらく祠堂の中に本尊が祀られているのであろ。う。この構造のため北側からの写真は左右が非対称となっている。

ベルールに移動する

1時間半ほどホイサレーシュワラ寺院の写真を撮ってからベルールに移動する。こんどは政府系ではなく民間のミニバスである。ベルールにはちゃんとしたバススタンドがある。目指すチェナケーシャヴァ寺院はバススタンドから西に1km弱離れている。このため町のメインストリートを見学しながら歩くことになる。途中からくすんだ黄色のゴープラムが見えるのでまちがいようがない。

結婚式の会場があった。儀式は滞りなくすんで最後の記念写真のところであった。ビデオ撮影の明かりで何枚かの記念写真を撮る。この会場には花婿の姿は見えなかった。多くの親族や知人がお祝いの品々やご祝儀をたずさえて花嫁のところにやってくる。花嫁はそれらにいちいち対応し,記念撮影となるので大変だ。

食事がふるまわれている

地下では食事の用意が進められており,6列に並んだテーブルの上にはバナナの葉が置かれている。振舞われる食事はこの葉の上に盛られていく。食事が終わるとバナナの葉を二つ折にする。これは「もうけっこうです」いうサインになる。二つ折りにしないでおくと,給仕がお代わりの食事を盛るので,この作法はちゃんと知っておいた方がよい。

ベルール(チェナケーシャヴァ寺院)

12世紀に建造されたチェナケーシャヴァ寺院はホイサラ朝を代表する寺院である。この頃,ホイサラ朝は周辺に勢力を広げており,チョーラ朝との戦勝記念に建てられた。寺院本体は十字型になっている。ゴープラムのある東が正門で南北にも門をもっている。西は聖室となっており,当然ここには門はない。

荷物番の女の子

寺院の外側は高さのそろった5段のレリーフが一周している。その上は明り取りの壁面もしくは神々の像が彫り込まれた壁面になっている。もっとも中には装飾のない段もある。北側から見ると東側の壁面は明り取りの小窓がたくさん開けられており,西側は神々の像が飾られている。入り口の手前には左右に小さな祠堂を置かれている。荷物番の女の子がちょうどよいアクセントになってくれた。

聖室の前ではバラモン僧が儀式を執り行っていた

階段を上がったところにも左右一対の祠堂が配されている。ここは現役の寺院であり,聖室の前ではバラモン僧が儀式を執り行っていた。彼の額にはU字形の印があり,この寺院の主神がビシュヌ神であることが分かる。

鏡を見る美女

入り口の上部は複雑なレリーフが刻まれている。また,庇を支えるように斜めになった女神たちの彫像が一面につき4対配されている。「鏡を見る美女」と名づけられた有名な彫像は東面入り口の左上にある。写真を撮ろうとすると小祠堂がちょうどジャマになる。望遠レンズならばさほど苦労はない。

壁面の像はレリーフというより立体的なな彫像である

壁面に沿ってここは二周した。最初は普通のレンズで中段のレリーフや上部の神々のレリーフを撮る。二周目は望遠レンズにして庇の下の女神たちや壁面の神々を中心に撮る。壁面の像はレリーフというより立体的なな彫像である。

ガルーダとパシュパティ・ナート

ビシュヌ寺院にもかかわらずこの寺院の外壁には他のヒンドゥーの神々の像も多い。中にはガルーダとパシュパティ・ナートが一緒になっている像があった。パシュパティ・ナート(百獣の王の神)はシヴァ神の神格の一つであり,ガルーダはビシュヌ神の乗り物である。その二つが組み合わされた造形は珍しい。

ブラフマー神

ブラフマー神はヒンドゥー教の最高神であり,宇宙の創始者である。それにもかかわらず,人々の生活とは関わりの少ない観念的な性格のため人気は低い。民衆はほとんどシヴァ神かビシュヌ神を支持している。ということでブラフマー神は寺院の壁面に登場することも少ないので,ここに紹介しておく。

日陰のところにはお参りの人々が休んでいた

この敷地にはもう二つの小寺院もある。こちらは,12世紀以降に追加されたものである。この二つの寺院にも多くの神々の像が壁面を飾っている。しかし,下段にあるべき周回のレリーフは省略されており,ホイサラ朝様式の完成型とは異なっている。寺院を囲む高さ4mほどの壁の一部にも神々の像が飾られているがこちらも12世紀のものではないだろう。ゴープラムも14世紀のものだという。


バンガロール   亜細亜の街角   マイソール